「玉川上水に親しむ会」第227回例会(10月10日)
桜橋~三鷹駅(一橋学園駅~三鷹駅)
「玉川上水43kmを歩く」4回目、羽村の堰から玉川上水駅までは上流部で、水道原水が流れています。
玉川上水駅から下流は中流部、高度処理された下水再生水が、復活して流れています。
今回は中流部の2回目、一橋学園駅下車で、桜橋からスタートです。
今回の区間の特色は、分水による「新田開発」と、「名勝 小金井桜」、「独歩の愛した武蔵野」です。
桜橋。
五日市街道の脇、西武多摩湖線と玉川上水が交差する位置に架かる橋です。
大正14年に架設された当初は、鉄道工事用の橋で「梯子橋」と呼ばれていましたが、
昭和3年に西武多摩湖線が開通し、そのまま桜橋となり使われています。
玉川上水散策路から南に入ると、稲荷神社があります。
享保年間(1716~1736)に開拓された野中新田の飛び地。堀端野中の組頭・六左衛門が産土神として勧請。
神社の横に寺子屋があり、八左衛門橋は通学路にもなっていました。
神社の中に砂川用水が通っています。
上流側
下流側
現在、水は流れていません。
玉川上水に戻ると、八左衛門橋に出ます。
享保期以降に開発された小川新田の組頭・瀧島八左衛門が架けた橋。
瀧島家は通船時の船主の1軒で、物資輸送と同時に、
この橋の北側(現在ガソリンスタンドに。)で茶店を開いて先導たちの休憩所を提供。
こんな道を進みます~
一時間くらい歩いて、茜屋橋と貫井橋の中間くらいで、また南に入り分水を見に行きます。
美味しそうに実った柿畑が続きます。
小金井分水です。
ここは小金井市です。
上流側
下流側
小金井分水は、元禄年間(1688~1704)に許可され、上水から水を取り入れて小金井村方面に分水していました。
明治3年、分水が統合され、桜橋南で見た砂川用水から分岐するようになりました。
同じく、現在は流水はありませんが、分水口が残されています。
続きます。
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