コスモス
私は依然としてガラケーを使っている。Gメールに対応していないので、友人からはスマホにしてほしい、と要望があるのだが、特段不便でもないので、故障するまでガラケーを続けていくつもりである。問題なのは代理店から故障対応を終了したとの通知がきていること。その結果、電話帳が再生できなくなることが心配だが、記憶装置が破壊するわけではないので、データは取り出せるはずだと楽観している。
そこでスマホについてだが、思うことがある。
スマホの利用者はなぜ、あんなに依存するのか、ということ。電車の中はまあ、当然として、歩きながら、食事をしながら覗きこむ、そして何かと撮影する、時には自転車に乗りなら、、、。 危険この上ない。そんなに急いで見ることがあるのか。そんな大事なことなら立ち止まって読んだらどうか。
スマホがこんなに利用されるのには訳がありそうだ。
スマホの形や大きさに大いに関係があるのではないか、と思う。つまりポケットに入れるには大きすぎる。バックにしまうと不便だ。そこで常に手に持つことになる。だから歩きながらでも見たくなるに違いない。
しかも入力操作が片手で、できるようになっている。パソコンだと両手を使う。
私にはスマホの過度な利用は生活マナーの破壊のように思える。昔、テレビが家庭に普及したとき、生活習慣や日常の話題が一変した。しかしその変化は家庭内のことであったが、スマホの普及は社会的な生活様式をも変えてきているように思う。
ネット情報が膨大に広がっていることによる購買行動の変化、言論にとどまらず、詐欺や偽情報の拡大、キャッシュレスの普及、全てスマホが絡んでいる。
スマホの普及による世の中の変化、識者の研究が進んでいるといいのだが。【彬】
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