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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

猿田彦

2008-07-16 23:52:22 | Weblog

 猿田彦。
 何の気なしにある民家の角をみると、笏(しゃく)のような物が立ててある。笏(しゃく)というのは、聖徳太子が持っているものといえばお分かりになるだろう。

 その笏のようなものには「猿田彦大神」と彫られていた。
そしてしばらくして、仕事の折、通りかかった神社の標柱に史跡「猿田彦神」の表示を見つけた。それが、野田市の下町にある須賀神社だ。

 調べてみると、天照大神よりもも遙か昔に先に日本列島に辿り着いた先住民族の頭領らしい。そして天照大神を守る役目も果たしているらしい。


須賀神社の境内。奥に猿田彦大神の像がある。

 今までも、神社などで石碑に字の彫られた形のものや、御爺さんのような像を見ることがあった。なんで御爺さんがいるのかと思ったが、それがこの日はっきりとした。


猿田彦大神の像。天狗の正体とも言われている

 この須賀神社の猿田彦大神の像は今まで見た中で、一番立派である。そして前述したおじいさんのようでもある。しかし、神の国日本の中でも力の強い神とされているそうだ。

 一方、地方では、《道祖神》として、村境や、三叉路等に設置され、皆に、親しまれている猿田彦神である。こちらの方が、自分の意識に近いかな?

 

須賀神社

 

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百万年・・・・・・・

2008-07-15 23:06:05 | Weblog

 福島県の猪苗代湖から南西に23km、下郷町に「塔のへつり」はある。
へつりとはこの地方の方言で危険な崖のことだ。
友人に連れられてきたのだが、何の予備知識もない。旅慣れていなかった頃のゆきたんくにとっては、無機質の味気ない風景であった。

 逆に子供に近い視線で楽しみを探していた自分がいた。
へつりの中で、平らで丸い岩があった。底に降りてみたい。でも怖い。
と思いながら降りていった。女房は止めたが、聞くゆきたんくではない。
崩れたどうしよう(そう簡単に崩れるものではない)と思いながら岩の上に立ち、ポーズを取った。恐々やっているのが分るだろう。

そしてその時、ゆきたんくと同じようにつまらなそうにしていた息子のおーちゃんが反応した。


父親の馬鹿さ加減に反応したおーちゃん

大人しくしていたのに、急に岩に降りようとしてきたのである。興味関心がどうレベルであることが分るだろう。また、その瞬間を見逃さなかった女房ののりたんのカメラもなかなかの腕前である。

 こんな馬鹿をやる親子(息子は関係ない、あんただっつーの…陰の声)の舞台になったのは、100万年の侵食・風化の歴史を持つ「塔のへつり」である。

 調べたリンクによると、ゆきたんくが立っているのは土俵岩と呼ばれるところらしい。肝心の塔の写真は、予備知識がなかったために残っていないのであります。リベンジが必要な場所ですな。

 へんに記憶に残っているのは、崖の抉れた部分に砂地があり、そこに積み石がされていたことだ。観光客がやったのであろうか。それとも地元の曰くがあるのだろうか。そんなことを考えさせられる場所だった。

 

塔のへつり
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ものさし 2

2008-07-14 23:43:18 | Weblog

 昨日は「何が正しいか」なんてぇのは、測るものさしによって左右されるような話を書いた。

 北京オリンピックを控えた中国の四川省では大地震のため学校校舎が崩れ、沢山の児童が亡くなったという。その一番の原因が、校舎の建築強度の問題であった。遺族の一人が、瓦礫の一部を持って力を入れると崩れてしまうくらいの脆さであった。学校建築のための費用がピンハネされていたからだという内容の報道もあった。何が確かな情報かは分らないが、はっきりとしているのは、校舎の強度不足によることは明らかだったこと。そして一人っ子政策のために、希望をなくしてしまった親たちが多くいることだ。

 これは地震国日本に住んでいる我々にとっては他人事ではない。先だって耐震強度疑惑のニュースが世間を騒がせたことは記憶に新しいだろう。

 さて、1枚目の写真はタマン・サリ。インドネシアのジャワ島中部のジョクジャカルタを長年統治してきたスルタン家の王が、王宮に仕える女性達の水浴び姿を眺めては楽しんだ場所だそうだ。近くには廃墟と化している、離宮の遺構がある。


離宮の遺構。かなり大きな建物である。

 幅50cmほどで手すりもないところを歩きながら、一番高い所に登る。地元の子供達が駆け周って遊んでいる。私にぶつかって落ちてはいけないと気を遣う。


遺構の高い所。さながら展望台である。

 遺構の高い所に出る。ジョクジャカルタの町並みが一望できる。ここへ登る所だけ、真新しい手すりが設置されていた。


ジョグジャカルタの町並み。水の離宮側を臨む

 現地のガイドさんの話を義姉が通訳してくれる。そして、驚いた内容があった。
この建築物は何を使って作られたかということである。
 それを聞いてゆきたんくが見たのは高台横にあった壁だ。


見た目はレンガとコンクリートだよなぁ。

 1765年に建てられた離宮だからやく250年前のものである。そのころにコンクリートがあったのだろうか。
 なんと、この建築物のコンクリートに見える部分の"つなぎ"は卵の白身だそうである。なんだかんだ言って王侯の住居に当たるものだ。いい加減な工法で作るわけがない。近年大地震に見舞われるまではそんなに揺れることのなかったインドネシアである。近代建築の鉄筋コンクリートの施工ができなかったであろう。そして当時の最高の建築技術で作られたものに違いない。

 しかし、その最高の技術も、現代のものさしで測るといい加減極まりない施工法になってしまうのだろう。

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ものさし 1

2008-07-13 23:25:21 | Weblog

 食べ物業界ってぇのは、厳しい世界である。
人様の口に入る物を扱うのは、神経が行き届いていないといけない。

先日も、客の食べ残しを再利用したことで廃業に追い込まれた名店があった。

 「食べ残し」とは言っても、口をつけたやつ、口をつけないやつ液体調味料はどうかとかいろいろな捉え方ができる。

 巷では日本人らしい素晴らしい言葉として「もったいない」がクローズアップされている。

 ①食べ残すことは良いのか悪いのか。
  良いに決まっている。無理して食べると体に悪い。
  悪いに決まっている。もったいないし、行儀が悪いからだ。
 ②食べ残しをまた出すのは良いのか悪いのか。
  良いに決まっている。食材を無駄にしないため。
  悪いに決まっている。衛生上不潔である。
  悪いに決まっている。儲かれば良いといのはだめ。

 まあ、角度を変えてみれば様々な意見が出るだろう。
 しかし、ニュースでは悪いことしかクローズアップされていない。
これは、息の根が止まるまで続けられるパターンだろう。

 ところで、年末年始をインドネシアで過ごした。
義兄夫婦のアパートメントから1kmくらいのところに「パダン料理」の店がある。




店の外観。スマトラ島の伝統家屋調の造りだ。

 「パダン料理」はインドネシアのスマトラ島発祥の料理である。
席に着くやいなや、惣菜の乗った皿がどんどん運ばれてくる。もちろん注文などはしていない。運ばれてきたものの中から、好きなものだけを食べ、その分だけ代金を払うというシステムだ。少しでも手をつけたものは一皿分の代金を支払うのだ。



店先に並べられている料理の数々

 それらの料理を右手でいただく。ボーイさんが持って来た皿も右手でやりとりをする。インドネシアはイスラム教徒が国民の90%を占める国なのだ。左手は不浄だという。


ナシ(白飯)とパダン独特のカレーソースのコラボ

これは、ゆきたんくのストライクゾーンだった。

 義兄がカレーソースで味付けされた、肉を取り分けてくれた。
 肉は柔らかく鶏肉にも似た味で、舌の上でとろけるようで旨かった。
食べ終わってから義兄に「どうだった?」と感想を聞かれ、「旨いですね。」と答えたゆきたんくである。義兄は「子牛の脳みそだよ。」と言ってにっこり笑った。
 最初に聞かされていたら躊躇したかもしれない。義兄が取り分けてくれた皿の上の肉を良く見ると、なるほど脳みその皺がちゃんと見える。
 まあ、何だかんだ言って腹いっぱい食べた。旨かった。

 ①中には手をつけなかったり、②一皿に3個盛られていて1つしか手をつけなかったものもある。①は当然料金を払わないで良い。②は当然一皿分払うのだろう。
その一皿はゆきたんくが手をつけたものだ。義兄に「申し訳ない、全部食べなくて」と言ったら、「大丈夫、1つ足して他の客が食べるから。料金は食べた分だけ払えばいいんだ。」と聞き、心配そうな私の顔を見て「汁気の多い物は、そういうことはしないけれどね、この店は。」

 今日の記事の最初の方で書いた部分はインドネシアでは大したことではないようにも思える。そうなるともう国民性とか感覚の違いだろう。ここで目くじらを立てたら生活して行けないのは明らかである。

 物事を測るものさしが違うと、世間の見方も全然違うのだ。ゆきたんくはインドネシアの感覚の方が好きだな。

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青春

2008-07-12 23:01:54 | Weblog

青春。
とても懐かしい響きである。
何よりも、時間を割いたこと。

ゆきたんくの息子が陸上競技に情熱をかけていることを何度か書いていると思う。
現在大学3年生の息子に、今後のことを聞いてみた。

ゆきたんく「おい、大学を卒業したら陸上はどうする。」
       てっきり、「続けるよ」と返してくると思ったら、
おーちゃん「うん、やめる。」
       とすぐ返してきた。

 いやいややっている訳ではない。全身全霊を込めて、それこそ自分をかけてやっているのは知っている。

 きっと、自分なりに競技人生に満足をしているのかもしれない。
ゆきたんくは高校2年の時に陸上を始め、たった1年間ではあったが自分なりに納得がいかなかったから、大学に進学しても続けたいと思ったのだ。

 おーちゃんの場合は、中学校からの陸上人生が9年目を迎えている。
10年という区切りで、自分の青春にけじめをつけようとしているのではないだろうか。


大学のグラウンドにて(春の記録会)

 中学校の入学時には、サッカー部に入ると言ってきかなかった息子に、集団スポーツは無理だから、陸上競技やれと半ば強制的に陸上競技を勧めた親父を恨みでもしただろうか。高校でハンマー投げに出会い、幸運にも(本人にとってではない)その指導をゆきたんくがすることができた。親としては、これ以上嬉しいことはない。指導をし、追っかけをし、である。


昨年の千葉県選手権

 

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そうだったんだ・・・

2008-07-11 23:53:30 | Weblog

想像でものを言うものじゃないね。

 今まで勝手に思っていたことが、いつの間にか自分の中では真実になっていることがある。

 牧場に行くと牛が飼われている。乳しぼりコーナーの牛は幸せだと思っていた。
雌牛であるがゆえに、乳が出る。その乳を搾るコーナーを設け、牧場を訪れた人たちに体験していただく。つまり肉食にはならない→ されないと思っていた。
しかし、牛は自分が考えていたのとは違った運命を辿るのだそうだ。


乳しぼりの体験

 この場合、乳しぼりのための牛であるから、乳が出なくなった時は廃牛と呼ばれる存在になる。(廃人というのは聞いたことがあるが・・・)その牛はどうするのか。
 なんと肉牛になってしまうというのだ。乳が出なくなれば、食費がかかるだけの存在になってしまうのだろう。

 その日が来て、連れて行かれる時には牛は悲しい声を出すのだという。
 自分がされる運命にあることを悟るのだと、牧場の人は言う。


老牛である。もう少しでお役御免である。

 今まで、乳牛として働いている牛は、幸せだと思っていた。しかし、現実的に考えてみれば、かわいそうで済む問題ではなさそうだ。

知らなかった・・・

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ミルクセーキ

2008-07-10 23:39:24 | Weblog

 みなさんは、ミルクセーキを飲んだことがあるだろうか。 もちろんあると思う。ゆきたんくもシェーカー着きのミルクセーキの素を買ってきて素と牛乳をシェーカーに入れて振って作って飲んだものだ。

 さて、今日はゆきたんくお気に入りの店「千菓進(ちかしん)」の話題である。
ゆきたんくの地元、千葉県松戸市の根本にある喫茶店の名前である。

 ここ千菓進では、和・洋を中心に、なんでも食べることができる。とは言ってもラーメンは置いていない。

 大きな味付け抜群のハンバーグステーキとか、ボリューム満点のポークソテーとかは他店ではみられないものだ。
 そして、なんと言っても、ウィンナー・コーヒーの本当の飲み方を教えてくれた方である。ちゃんとしたお店で修行した経歴のあるマスターの営むお店なのだ。

 今日はフとメニューを見て、目に飛び込んで来た「ミルクセーキ」を飲むことにした。前にも載せたが、ここはココア一杯でも心をこめて作ってくれる店だ。

 ミルクセーキはどうやって作っていただけるのだろうか・・・。
するとマスターは、シェーカーを取り出し、材料を入れて蓋をすると、すばらしい手つきで振り出した(1枚目の写真)。待つこと1分かな?

 いつもの「お待ちどう様」の声と共にテーブルに置かれたのが、した写真である。


千菓進(ちかしん)の本格ミルクセーキだ。

 ガムシロもついてきたが、無しで十分美味しい。というより、今まで飲んだ中で一番おいしいミルクセーキである。


デザートのコーヒーゼリー

 コーヒーゼリーもほど良い方さで、喉をツルンと通っていく。
なかなか快感だ。

 千菓進(ちかしん)のミルクセーキ。ぜひお試しいただきたい。

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かわいそうに・・・

2008-07-09 23:56:54 | Weblog

「かわいそー」
「お気の毒に」
「災難だねぇ~」

 友達は様々な表現で、ゆきんたくを憐れんでくれる。
決してそんなことはないのに、本当に気の毒がってくれる。

何がって?
そう、ゆきたんくは下戸なのである。
大きな体をして、酒が飲めないことをかわいそうに思ってくれるのである。

「えっ、飲まないんですか?」
「えぇ、飲めないんです。体を見れば分るでしょう。飲むとみなさんに迷惑をかけてしまうんです。」
「笑、笑、笑、笑、笑。」

 自虐的なことを言って笑いを取ることもあるのだが、中には通じない方もいらっしゃる。飲むと迷惑のところから、「酒乱なんですか・・・」なんて言われることもある。
「えぇ、大変乱れてしまうんです。寝相が・・・」

 そう、ゆきたんくはビールグラスにツーフィンガーで寝てしまうのだ。そうなると180㎝93kgの体をだれが運んでくれるのだろうか。それは、それは、重くて動かせないのだそうだ。


地ビールレストランのタンク

 そういう理由で飲まないのだが、酒の肴は好きなので飲み会は喜んで参加する。
友人達と旅行に出かけて、地ビールレストランと聞くと嬉しくなってくる。みんなは地ビールが目当てなのだが、ゆきたんくは料理が目当てなのだ。


地ビールが冷えているショーケース

 こんなショーケースを見ても慌てないゆきたんくである。興味は1つ、黒ビールのようなコーラなのである。もちろん、こういう所には乳製品も置いてあるので心が豊かになる。チーズ類が大好物なのだ。


ソーセージとザウワークラウト

 この取り合わせ。山豊子の「白い巨塔」で財前教授がドイツを訪れた時に食したものである。それで初めて名前を知った一品だ。ザウワークラウト(酢漬けのキャベツ)がソーセージの味を引き立てるのだ。


並んだドリンク類。ゆきたんくは左から6本目の黒いやつだ。

 ビールには様々な種類があることを知った。香りはとてもいい。カラメルのような甘い香りのものもある。

 そう、全然ゆきたんくはかわいそうではないのだ。飲める人が我慢するのは、それはつらいことだろうが、ゆきたんくはコーラがあればご機嫌な人間である。
 そして。酒の肴もあればご機嫌なのである。

 かわいそうでも、なんでもないんです。

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日本BK 3

2008-07-08 23:54:28 | Weblog

 千葉県松戸市のJR松戸駅東口に、変わった観音様がある。
名前を東山観音という。

 この観音様は、現聖徳大学の敷地にめり込む様に位置した場所にある。
 ここは昔、松戸市工兵学校のある台地だった。また、工兵学校の前は、競馬場だった。その台地の端で遊んでいた子供が2人生き埋めになり、亡くなった。それを供養するために観音様を建立したと言われている。その観音様から100mほど松戸駅に近づくと、飲み屋がある。その横に、はっきりと彫った字が残っている「陸軍境界標柱」がある。


松戸駅東口「太平」の横にある陸軍境界標柱

 この横が、イトーヨーカドーの荷物の搬入口になっていて、相模台の方まではもう戦争遺跡と間違えたのかもしれない。


松戸陸軍工兵学校営門(現松戸市中央公園)

 山の上に、工兵学校跡がある。陸軍のエリアというと広いものばかりだが、その跡地に学校が小学校1、中学校1、大学1と現在では文教地区である。学校が3つ入ているのだ。中央公園その広さがお分かりになるだろう。

 話を元に戻すが、その広大な相模台の一番下に観音様があるのだ。まあ、このほうが現在でもいろんな人に見てもらえるのは確かである。

 

 

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夕焼け(追憶1)

2008-07-07 21:05:54 | Weblog

「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」

 子供の頃は夕焼けと言えば、良い子はみんな家路についたものだという記憶がある。学校が終わって、帰宅するや否やランドセルを放り投げ、行き先も告げずに遊びに行ったものだ。もっともその頃は親たちも、どこへ遊びに行ったかは察しがついていて、余計な心配をしなかった時代だった。親同士の連携が強かったので、嘘をついてもすぐばれるし、その後の怖かったこと。だめなものはだめと、親たちは絶対に譲らなかったことを覚えている。

 随分窮屈に感じた時もあったが、反対に小さなことには目くじらは立てなかった。
ゆきたんくが小学校2年生の時だったと思う。夕焼け小焼けで、帰宅した時、親父が

 「いつまで遊んでいるんだよ。お父さん風呂行っちゃったぞ。」

行っちゃったぞというのは、当時は銭湯にお世話になっていたからである。確か大人が30円、子供が15円だったかなぁ。風呂上りに飲ませてもらうことのあるフルーツ牛乳の方が高かった気がする。まぁ、自分では6時ごろに帰宅したつもりが7時を過ぎていたのである。

 とにかく外で遊んでいて、そう記憶ではいつもの遊び場にブルドーザーがあった。そのブルドーザーのキャタピラに乗ったり、いくつか飛び出ている玉の着いた操作用のシャフトなどもいじっていたと思う。随分のどかな時代である。帰宅したゆきたんくの体には泥と機械油の混じった汚れが着いていたのだと思う。

 「母さん、もう1回風呂に行ってくる。」

 安いこともあっただろう。親父はゆきたんくを連れて、もう一度風呂に行ったのだ。
「時間はまもらなきゃだめだぞ」、「心配をかけるんじゃない」、「夕焼けでも時刻が遅いときがあるんだ」などいろいろなことを言われたと思う。風呂で体を洗ってもらい、髭剃りでもみ上げを揃えてくれた。普段自営業で忙しかった親父のスキンシップの時間だったのだろうなぁ。いまだに覚えているのだからね。

 風呂から上がり、牛乳を飲ませてくれる。火照った体には冷たい飲み物はご馳走である。親父と乾杯なんてしてさ、懐かしいなあ。それから銭湯の脱衣場の外には池があって鯉が何匹もウジャウジャ泳いでいた。それを眺めて体を冷まし、着替えて家に帰ったなあ。

 家ではお袋が帰宅にあわせて食事を作ってくれていたのだろう。すぐにご飯になった。一人っ子のゆきたんくが両親と一緒の食事。とても温かな空間だった。
 その両親も鬼籍に入り、ゆきたんくとは思い出の中でのみ会うことができる。
今となっては宝物の毎日だったなあ。

 夕焼けを見るたびに、友達とブルドーザーで遊び、7時近くに帰宅した夜のことを思い出す。


江戸川土手で夕焼けを浴びるワンチャン

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日本BK 2

2008-07-06 22:38:35 | Weblog

 以前B食ならぬB級景色としてB景→BKになんてカテゴリーを勝手に作った。
第1回目は山口県長門市の青海島にある「波の橋立」について記したが、地元の方からの「なんで、うちの町の景色がB級なんだよぉ。」というお叱りはまだ受けてはいない。

 という訳で紹介するのは、ゆきたんくの地元松戸市にある「二つ井戸跡」。

 次のサイトに、詳しい説明がある。サイトの管理者の思いを感じ取ってほしい。
 てな訳で、ゆきたんくは記事を書かない。

 「民話・むかし話のページ
 「二つ井戸跡

 このような七不思議が上本郷地区にあると言う。
 また時間のある時に取材に行こうと思う。

 

二つ井戸跡

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再会

2008-07-05 17:51:09 | Weblog

 「同じ釜の飯を食った仲間」 
 同じ場所で継続的に同じ時間を過ごした者達にしか使えない言葉である。
 ゆきたんくは、高校時代にそんな貴重な経験をすることができた幸運な一人であると思っている。

 今日は、その高校(東京都立秋川高等学校…平成10年閉校)の同期だった奴のところへ行くことにした。同じ部屋になったことはないし、部活動は別(ゆきたんくは陸上競技部、友達はワンダーフォーゲル部)だ。しかし、mixiで再会を果たし、とても懐かしい気分になりいくことにした。野方で焼酎専門の居酒屋を営業しているのだ。

 さて、現在は17時50分。これから出かけ、再会の様子を残りのスペースに当てよう。 行ってきまーす。

 

 

 ただいまー。今7月6日の午前3時50分だ。これから続きを書くことにすると、ただでさえ誤字脱字がある伝えたんく。1回寝よう。

 おはよー。あれ、現在7月6日の16時・・・
あぁー、12時間も寝てしまったぁ。十数年ぶりにこんなに寝た。
いやいや、昨日の帰りも真夜中の外環で寝ていたかもしれない。

うーん、生きているって素晴らしい!

あっ、昨日の続きね。

 野方の友達の所へ行ったのだったね。
1枚目の写真の、飲み屋入り口の右側に地下店に入る白いスペースが見えるでしょう。その右に看板がある。

 その写真がこれだ。


焼酎場ぁ~「くんちゃん」

 mixiでお誘いをいただいた「くんちゃん」に到着したので写真を撮った。
 階段を降りていくと、さながら秘密基地の趣。ゆきたんくはこういうのは大好きである。子供の頃と違うのは、あまりにサイズの大きくなった体が秘密基地にそぐわないことだろう。

 中に入ると、もう数名の客がいた。店主のくんちゃんは紛れもなく、同級生であった。渋いマスターに変身していたのである。かっこいいなぁ。

 「いらっしゃいませ。」
 相手にしてみれば、一見の客にしか見えないでしょう。なんせ30年近く合っていなのだからね。また、mixiの方に「行くよぉ~」とレスを打っていなかったのであった。

ゆきたんく「〇〇〇だけど。」
くんちゃん 「えっ?」

ゆ 「〇〇〇だよぉ。」
く 「えっ、〇〇〇!」

 お互いの再会を喜んだ。そして先に来ていたお客様方は、秋川高校の先輩と後輩であった。くんちゃんが私をみんなに紹介してくれる。
 集まったのは幅広く、なんと3期生から23期生まで。20年間の秋川の歴史を語れる仲間が集まったのである。中には、以前に会っていた先輩もいた。その先輩の同期の方がゆきたんくの自宅のすぐ近くにいるということで電話をかけて話もした。

 中には、15期の後輩が管理しているサイトの伝言板で、急病で倒れ、後遺症を心配して方もいた。元気一杯で、その時のことを話してくれた。生きているって素晴らしい。

 お互いの今を話したり、高校の先生方の話、「あの方は今?」の話をしたりして大いに盛り上がった。全員が終電近くまでいた。そこまでなんと5時間。
 酒の飲めないゆきたんくのためにジンジャーエールやお茶を出してくれたくんちゃん。どうもありがとうね。

 フリのお客様がいらしたが、常連であったため、くんちゃんのとりしきりでお話をすることができた。途中で我々に気を遣って帰られた感じがする。


くんちゃん特製、「本日のスパゲティー」
トマトソースのおいしいやつ。

 タクシーで帰る後輩、歩いて帰る近所の先輩、そして自家用車のゆきたんく。
いつでも帰れる気楽さから、さらに話が進んだ。

 女性客が「マスター、こんぱんわぁ」と入ってきたので時計をみると3時を回っている。再会を誓い、お開きにすることにした。


焼酎が並ぶ「くんちゃん」の店内とマスターのくんちゃん
顔が見えませんが、いい男ですぜ。

 いや、それにしても、みなさんいい歳の取り方をしておりました。くんちゃんありがとう。

 焼酎場ぁ~「くんちゃん」のくんちゃん友の会です。覗いてね。

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静寂

2008-07-04 23:36:34 | Weblog

 疲れていた。夏の昼の暑さ、交通渋滞、睡眠不足。
そう、経験のある方はいらっしゃるだろう。
夏の高速道路の渋滞。特に中央道(中央高速自動車道)の昼の渋滞は凄まじい。談合坂や小仏トンネルなどの名前は耳にしたことがあるだろう。

 息子の陸上競技部の合宿に顔を出すために山梨県の富士吉田市まで車を走らせていたのだ。もっとも陸上競技場は都留市にあるので、そちらによって練習を見てから河口湖畔の旅館に泊まる。


 泊まるとは言っても、翌日に所用があるので、それに間にあわさなくてはいけない。

 8月は、朝から高速は渋滞する。よって夜中の2時に旅館を出ることにした。


旅館前の自動販売機だけが照明代わりの旅館前

 湖畔は灯りが殆どなく、お世話になった旅館前の道路は、近くの自動販売機2台が照らしてくれているだけだった。

 とにかく、眠い目をこすって自宅に帰らねばならない。

旅館から4kmほどで河口湖インターだ。
中央道はひたすら、東京方面である。
旅館を出てから、どれくらい経っただろうか。時計を見ると午前2時40分、対向車線のすれ違った車は3台、ゆきたんくの走っている側は1台も行き会ってない。

他の車がないので、スゥッと道脇に車を停めた。そして照明を切った。

漆黒の闇とでもいうのだろうか。音1つしない、真っ暗な世界がそこにあった。
車の外に出て、写真を撮る。もちろんフラッシュを焚いてだ。
写ったものは、道路の車線、左側に写る一般道路の照明(点)だけだった。
右下に写っている光には記憶がない。写真は自宅に戻った後、見たので余計である。今となっては何を確かめる術はない。


真夜中の中央道

 さながら、周囲がブラックホールのようだ。音を吸収し、明るさを吸収し、1つ間違えば、自分が吸収されてしまうのではないかという一種の恐怖と闘いながら再び車を走らせたのは午前2時42分だった。
 たった2分ではあったが、1時間に感じられた気がした。

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八島ケ原湿原

2008-07-03 23:23:22 | Weblog

 車山の北西3kmの所にある、ハート型のかわいい湿原、八島ケ原湿原について書いてみよう。かわいいなんて表現は失言て言っていいほどの存在だ。

 ミズゴケ類の未分解遺体が、約12000年前から堆積が始まり、一番深いところで8mもあるという泥炭層で有名な湿原だ。
 霧ケ峰湿原植物群落というのが正式名称で七島八島とも呼ばれている国指定の天然記念物である。


日光の戦場ヶ原を思わせる木道

 旅行誌などを見ると、カラッと晴れた青空に緑の広がる湿原の写真が載っているが、実際にはどんよりと曇った日の方が多いという。つまり、ここを歩いた日は、普段の八島ケ原湿原により近い状態だったのだ。


ご存知、ニッコウキスゲ

 

 ここは歩いているだけで、結構楽しめることが分った。季節にもよるが、ニッコウキスゲの純な黄色が目に沁みるのが良い。


カマキリの卵

 歩きながら遠くを見れば尾根があり、近くを見れば、草花やカマキリの卵がある。
くもの巣もある。それに露がついて美しい(その写真を失敗しました。)



移動する霧

 さて、目の前で霧が移動する様は幻想的である。霧ケ峰の名前は伊達じゃない。この霧に包まれたら、そしてこの霧が晴れたらと何かの小説にあったような思いにワクワクする自分がいる。


面白い形の家

 湿原を歩いていて、住居に出くわすと思わなかった。そしてその形も面白い。余分なものを全部削り取って、必要最小限度のデザインになったのだろう。


鎌ケ池

 ところどころに草島のある池も面白い。晴れて鳥が留まっていたら絵になっただろうと思う。


小さな沢

 草の中の道を歩いていて景色に変化がないなぁと思っていると、せせらぎの音。清水が緩やかに流れているのだ。


霧が・・・

 この日一番の霧は、湿原から出た後だった。駐車場で体が、気温の下がるのを感じたとたんに霧が通り過ぎていった。かなり温度の低い霧だったのだろう。
 昔「一粒で2度おいしい」なんてキャラメルのCMがあったが、この日はいくつ楽しめたのだろうか。まだ全部書けていない気がする。

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車山(くるまやま)

2008-07-02 23:59:23 | Weblog

 長野県茅野市と諏訪市の境目に位置し、標高は1,925mある、霧ヶ峰の最高峰。
とはいえ、車山肩から上る登山はそんなに大変ではない。山の一帯を車山高原といい、様々な小動物、草花を見ることができる。


車山肩から登り始めてすぐに所にあるマイルストーン?
ここから頂上まで約4kmだ。

 登山の感じとしては、体を前に傾けていると坂を上れてしまうほどなだらかである。
展望が良く、7月にはニッコウキスゲが高原を黄色に染める。


リフトに乗ってみた

 同僚と冷やかし半分に来ていたので、普通の運動靴にハーフパンツ、半袖のティーシャツと、どう見ても登山にふさわしい格好ではない。 途中で登山客とすれ違い、挨拶を交わすが、どう見ても自分達とは違う人種のような目で見られている気がしてならない。長袖で転んでも怪我の少ない、そして登山で疲れないようにトレッキングシューズを履くのが常識の世界である。

 しかしそんなことは、何度か登山客すれ違ったり、抜いたりしているうちに、意識から飛んでしまっていた。息も切れずに登ることができたからだろう。なんてえらそうなことを言っているが、帰りは迷わずリフトを使った。なぜって、腹が減ったからである。

 空気も登山も景色も美味しい車山であった。
運動後の食事も、もちろん美味しかった。

 

 

 

 

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