フィリピン大統領のデュテルテ氏のオバマ大統領への暴言が最初 理解できませんでした
けれど少し前の週刊新潮の高山正之氏の「変見自在」を読んで 無理もないーと思うようになりました
フィリピンとアメリカ
19世紀末のこと
アメリカは植民地キューバの民をいじめるスペインが許せないと宣戦布告
でスペインの艦隊に襲い掛かる
一方 アメリカはフィリピンのアギナルド将軍にフィリピンの独立を約束していました
そこでアギナルド将軍は頑張って陸側からスペインを襲っておりました
めでたく勝利後 アメリカはどうしたか?
マッキンリー大統領はフィリピンとグアムを2000万ドルで買い取ることでスペインとの交渉に入ります
ちょっと待て!約束の独立はどうなった?!と思うところです
アメリカ側の言い分「ここは都合でアメリカの植民地にする 独立はなしだ」
そりゃあフィリピンの民兵は怒りますとも いいように利用され騙されたのですから
マニラ郊外のサンファン橋を挟んでアメリカ軍とのにらみ合いになったそうです
響いた1発の銃声を合図にアメリカ軍は即座に大攻勢をかけ 優勢な火器に物言わせフィリピンの民兵の3分の1を殲滅してしまったとか
(このあたり盧溝橋事件に似るーと高山氏は書いておられます)
1発目は勿論アメリカ軍側からで (アメリカの)嘘と魂胆だらけ
潰走するアギナルド軍が山に逃げると司令官のアーサー・マッカサーが「山に逃げたら もはや正規軍ではない」と一方的にゲリラ軍認定
捕虜を拷問しようが殺そうがお構いなしーとするために(実に腹黒いです)
フィリピン全土が戦場となり街中で拷問と処刑が派手に行われました
20リットルの泥水を飲ませる水責めが最も流行って「それでも土人が自白しないと膨れた腹に巨漢の米兵が飛び降りた」
「土人は6フィートも泥水を噴き上げて死んだ」(米上院公聴会での証言)
「1週間処刑」も行われた
1日目に捕虜の左膝を撃ち 2日目に右肩 3日目に右膝 4日目に左肩 5日目の金曜日にやっと頭を撃って殺した
アメリカ軍の一方的な戡定戦が続く中 ルソン島の東 サマール島でパトロール中のアメリカ軍2個小隊が民兵に襲われ38人が殺された
アーサーは報復にサマール島とレイテ島の島民10万人を皆殺しにしろと命じた
ただし「10歳以下は除け」と一言付けた
掃討が終わったあと 部下が報告に来た「10歳以下の子供はいませんでした」
アーサーの息子ダグラスは先の大戦でフィリピンに戻る再上陸地点にレイテ島を選んだ
「土人どもは日本軍と過ごしてすっかり懐いている」と彼は思った
アメリカ軍に楯突く気になったらどうなるか
「レイテみたいに皆殺しにする」という含意だ
フィリピン人は日本軍から離れていった
アーサーの残虐さは今もフィリピン人の悪夢に出てくる
ラオスで開かれた東アジアサミットでオバマ大統領は フィリピン大統領のデュテルテ氏が麻薬売人を2000人も殺したことについて人道的に指摘するつもりでした
デュテルテ氏はアメリカがフィリピン人を騙して ためらいもなく40万人も虐殺した歴史を その理由を尋ねたことがーあの暴言に聞えたのでしょう
アメリカはよその国を批判できるのかと言いたかったのでしょう
デュテルテ氏は皆殺しにされたレイテ島のわずかな生き残りの子孫なのだそうです
フィリピンの人間にはアメリカを恨む「正当な理由」があるのです
かつてのアメリカ軍はフィリピン人を土人と思っていたし 土人ならば殺しても構わない 騙しても良いとーアメリカの国益の為ならと思っていたと