では縦穴脇道の日常について少し
趣味で始めた草鞋編み これが向いていたらしく 土産物コーナーなどで売られている
最近 古着で草鞋を編みスリッパ代わりのリサイクルなど流行っているものだから 縦穴の妻は夫の名前を利用して草鞋の編み方を教えている
教師として家計を支え 体を壊してからは友人の始めた塾の応援などもしているしっかりした女性である
縦穴とは幼馴染みであった
横溝正史の本を読んでは 目を輝かせて語る少年時代の縦穴
縦穴の妻は彼の話を聞くのが好きだった
一生 話を聞き続けていたい・・・そう思ってしまった事が彼女の人生を決めた
この人は私がついてなければ そう思った彼女は 教職のコースをとり進んだ
結婚に反対する両親を 近所に住むのだから遠くへ嫁ぐより安心だと説き伏せ
もう随分 遠い昔の話になる
縦穴脇道は ひたすら原稿を書き 草鞋を編む事で 妻にこたえた
少年のままの心を妻のお陰で持ち続けることのできた稀有な男である
初鳥吾郎による縦穴脇道へのインタビューは順調に進んでいた
「ではオリジナル 失礼しました
パロディでない金第一探偵シリーズ以外の作品も構想があると?」
少年の目をした作家は意気込んで尋ねる記者に穏やかに微笑んだ
「ええタイトルは 死なば諸共こんころりん というのですがね」
「死なば諸共こんころりん―ですか
それはどういう物語なのでしょう
先生の作品を楽しみにしているファンの為にも是非お聞かせ願えませんか」
公園を見下ろす三階にある空間を広々とった店は 縦穴の自宅から散歩がてら出てくるのに丁度良い距離にあった
考えをまとめるように作家はコーヒーを飲む
「そうだねぇ」物言いもあくまで優しい
なかなかの好男子だし ああいう珍妙な話を書く人間には見えない
外見だけで判断するなら 少し神経質な文芸大作など書きそうだった
「はじめに言葉ありき―で わたしはいつも 読んだ人が笑顔になれる話が書きたい―と思ってきました
笑って感動して泣けて ああ いい話だったと思って貰えるような
しかし現実は笑って貰える本を書くのも難しくて
子供の頃から青年時代
ずっと楽しませてくれた横溝大先生
今読み返しても何か楽しくなる
そんな話を一冊でいいから書きたいと思っているのですよ」
そう前置きして縦穴は「死なば諸共こんころりん」について語り始めた
風鈴坂でシャム猫が鳴くと言う
猫が鳴くのはおかしくないが そのシャム猫が鳴くと 人が死ぬというのだ
更に首を切られたてるてる坊主が玄関にぶら下げられた家の人間が殺される
被害者には共通点が無いようだった
波も荒い日本海にある孤島を舞台に 島の実力者に招かれた探偵は 何故か本当の事は言わない島民達に翻弄される
島の有力者の養女にして ある種の力持つ巫女は 不吉な予言をする
島の守り神の像が消えし時 海は壁となる
「それは 読みたいです 書き上げて下さい
本が出る日を待っています
それで 題の―死なば諸共 こんころりん―には どういう意味があるのでしょうか」
「ああ それはだね」作家は にっこり笑った「まだ 全く考えていないのですよ」
初鳥は釣られて ひきつり笑顔になった
近くの神社に参り 鯛焼きとおにぎりを買って帰るという縦穴に付き合い 初鳥も歩く
縦穴の家の前まで来ると 車から長身の二人の男が降りてきた
「失礼します 作家の縦穴脇道さんでは ありませんか」色白の優男の方が話し掛ける
頭髪がつんつん立ってタワシのように見える男は じろりと不機嫌そのものの顔で初鳥を睨み やがて更に険悪な表情になった
「お前・・・」
ずいと前に出ようとする
「そうだ 初鳥君 草鞋をあげよう 新作でいいのがあるんだ」
のんびりした声で縦穴が言い出し 三人とも 家に上がることとなった
「あ じゃあ 先生 僕はここで待っていますから 先にそちらさんの用事をすませてあげて下さい」
「そう?悪いね じゃ これでも読んでいて下さい」
と言って 縦穴が 初鳥の膝に置いたのは 絶対に何があろうとハッピーエンドで終わる恋愛小説の山だった
「先生 これは?」
「愛こそ人生だからね」縦穴はにっこりする
―わ・・・わからない人だ―腰が砕けそうになる初鳥を置いて 縦穴は二人の男を日当たりの良い洋間へ通した
勧められた席についてから 津田と雅は身分証明に手帳を見せる
「脅迫状を出した相手について 心当たりはないですか」 津田の問いに 縦穴は「ありませんねぇ」と あっさり答える
「いっそ わたしの自作自演のほうが余程ありそうだ
本の売上げ伸ばす為に」
津田は言葉に詰まる
まさか ごもっともですと 相槌を打つわけにもいかない
「ただの悪い冗談でなかった場合に備えて 暫く周囲など調べさせていただきたいのですが
くれぐれも用心して下さい 」
あたりが柔らかい雅が代わって話を進めていく
津田は初鳥の顔を写真で覚えていた
貴恋山の殺人の折りに 埋蔵金のことをすっぱ抜き混乱と騒動を招く記事を書いた 迷惑な記者だからだ
気に入らない―と 津田の表情は険悪になる
―あンの野郎!―と思っているのだ
のんびり雅は縦穴と同じペースで あれこれ質問している
「わざわざご足労かけてすみません
お陰で安心できます
どうぞ宜しくお願い致します」
縦穴脇道は あくまでも丁寧な物腰であった
「こちらこそ先生に会えて光栄です
僕は先生の書かれた『人魚見つけ捕物帖』を子供の頃 わくわくしながら読みました
あの人魚が謎を解くという非凡な発想
謎解き人魚を見つけるまでの冒険
浮世絵師の描き遺した人魚の肖像
楽しかったです」
雅京四郎の言葉に 縦穴は頬を紅潮させた
「君は本当に読んでくれているのだねぇ
いや 有難う
あれは出した会社が潰れてしまってね
シリーズ化を考えていたんだが」
雅に対し 縦穴は打ち解けた様子を見せた
雅の時代劇オタクは 映画だけでなく 小説にも及んでいたのだった
しかし捜査に役立つことは珍しい
使えるンだろうか こいつは むかつくが―などと津田は考える
「新作は君達をモデルに使わせてもらっても良いかな」
縦穴の問い掛けに 「嬉しいです」と雅は笑顔で勝手に答え 津田は何やら嫌な予感がした
帰りの車内で津田は言う 「あのずんぐりむっくりの記者締め上げた方がいいかもな
またとんでもない記事を拵えそうな気がする」
「初鳥吾郎さんですか 姫御前神社をよくうろついていましたね
カマかけたら面白いかも」
雅も明るく答えた
二人の報告から 初鳥の話を聞くのは山本一男と三船歳雄に任された
若い二人よりベテランコンビに揺さぶりかけて貰おうと言うのだ
その頃 初鳥は人の良い縦穴から 脅迫状がきたこと 刑事達とのやり取りを すっかり聞き出していた
これは特ダネだ
初鳥はニンマリする
一応 名の通った(一部ファンにだが)作家に得体の知れぬ脅迫状
縦穴の家を辞した初鳥は早速 新聞社に電話を入れた
「ゴロちゃん 面白いわ それ
インタビュー記事と一緒にのっけたいなぁ
早く送ってきてよ」
二人の刑事が初鳥の居場所を押さえる前に原稿は送られ 渦中の作家に連載依頼が行き 暇な作家は見切り発進に依頼を受けた
「死なば諸共こんころりん」は こうして日の目を見るのである
勢いで「生きてる限りずんどこどん」も続けて連載されることになるのだから 何がどう転ぶか判らない
初鳥の行方を捜していた山本と三船は 翌日 呆れた
警察と会ったら ややこしそうだと 初鳥は新聞出るまで 行方をくらましていたのだ
案外ずるいのである
「やっぱ あン時 締めといてやるんだった」凶悪な面(つら)で津田が吠える
連絡を聞いたからと のこのこ出向いてきた初鳥は図太く言った
「これで犯人が動いたら 捜査も進展あるかしれんし
協力しているつもりですがね」
「そうなのか」トシさんこと三船が冷たく言う
山本は腕組みしていた
「縦穴先生は話題となり仕事が増え―新聞は売上げが伸び 事件は動く
八方円満じゃ無いですか
何か困ることでも」
「もし縦穴さんや奥さんに危害が加えられても そう言えますか?
真実を伝えるのが記者の仕事だと
結果 犯人を刺激し 新たな事件を引き起こし 犠牲者が出ても そう嘯くことができるだろうか」
静かに三船は返した
「あなた方は犯人を捕まえる
僕らは記事を書く
それぞれに仕事がある
それだけですよ」
その様子を隣室で見ていた津田は「あいつ殴ってやる」と激昂したが 雅に止められた
「暴力警察なんて書かれたら あちらさんの思うつぼですよ」
雅の言葉は正論だった
「あちらさんの鼻明かす為にも 縦穴先生の様子を見に行きましょう
何か動きがあるかもしれません」
何となく勝手が違うな―と津田は思う
これではどちらが年上なのか判らない
ぼっちゃんぼっちゃんとした奴だと思っていたが
期待に反して 犯人は沈黙したままだった
何ら変わったことは無いと 作家もその妻も答える
勤務時間が終わり津田と別れ帰宅してからも 雅は縦穴の作品 これまでの人生年表作りあげ 何か見落としはないか チェックする
資料を広げたまま 疲れた体と雅の中にいる新九郎は 彼の眠りを求める
雅が眠ると 交代で新九郎は雅の手足を伸ばした
―やれやれ―雅が忘れている食事を代わりに摂り 風呂へ入る
それから藤衣なつきに電話する
心得た娘はすぐさま姫御前にとって代わるのであった
「さようか 良いことを教えてやろう
初鳥はな 安倍すずかに惚れておる
京四郎に教えてやるとよい
新九郎 そなた苦労性よの」
電話を通した姫御前の声
新九郎は胸を熱くする
己の命よりも大事な御方
電話が切れてからも 暫く新九郎は携帯を耳にあてていた
片や姫御前は吐息一つ するりとなつきに体を返す
願っても祈っても どうにもならない事があるのを姫御前は知っている
それはそれとして
それはそれとして 死んだり不幸になったりする人間は 少ないがいいに決まっている
ましてや理不尽な死・・・なんてあってはならない
「姫御前 ココアでも飲む?」
沈んでいると気遣うようななつきの声がした
「マシュマロ入りかえ 少し炙ったのがよいわ」
「手のかかる」
ちっと舌打つなつきに姫御前は済ましてみせた
「さすればこそ 我が身は姫じゃゆえに」