子供の頃 「ウルトラマン」「ウルトラQ」「怪奇大作戦」など わきわくする思いでテレビを見た
映画館で観るゴジラはその延長線上にあった
時代は移り変わりゴジラは外国で作られる時代となった
ゴジラは怪獣ではなく化け物・怪物と成り果てていた
金はかけてある
ただの映画として観るなら 例え「エイリアン」の二番煎じな演出があろうとも悪くはないのだろう
しかしソレはもはや懐かしい「ゴジラ」ではなくなっていた
そうして6年ぶりにゴジラが出る映画がハリウッドで日本人スタッフも参加し制作されるそうだ
今度はゴジラは何をやらされるのだろう
リメイクや古い名作をもとにした換骨奪胎を是とし 好きな監督だから観たいという映画好きもいる
かつての監督のファンで その監督の精神 心もわかっている人間がつくるから期待するのだと
昔の映画がそういうキッカケで光を当てられ 若い人達の目に触れるなら それはそれでいいことなのだろう
それでも私はリメイクされた映画や そのシリーズの やたら金をかけたのは分かる映像を前に ひどい安っぽさを感じてしまう
コンピュータによるCGなる技術も時に逆に 映画の画(え)から深みを奪ってしまっているように感じる時もある
かつての名作と呼ばれる映画には 一場面一場面に奥行きと厚みが感じられた
最近の映画には紙芝居よりも 薄っぺらく感じてしまうものも多いのだ
あの名作を自分の手で撮り直してみたいー現代に蘇らせてみたいのだと言う意気込みを悪いとは言わない
ただ旧作の名前だけ利用したような粗雑な練習作 描き損ねたデッサンのような映画を映画館にかけるのは止めてほしい
それだけ金をかけるなら 自分の話 オリジナルな映画を制作すればいいだろうに
何やってくれるんだと 怒鳴りつけたい思いでいる 現在はこの世にいない監督やスタッフ達だっているだろうから
生きてある程度 力を持つ人間なら 何をやってもいいとは 許されるとはー
そういうのは嫌だ
映画をつくるなら自分の新しい作品にすればいい
やたらリメイクは 必要なのか
ただつくった
かつての名画を 切り刻み玩だだけのような趣味の悪い下品な映画はつくってほしくないー心からそう思う
観客を泣かせ笑わせ愉しませるのが映画
また観たいねと思わせてこそ
つくり手側は 観客側を無視して自分の思いだけをぶつけてはいけない
きちんとした計算もできなければ 世界は自分の為に自分を中心に回っていると感じている幼児と同じだ
映画館での上映など考えず ただの趣味で作ればいい
他の人間がつくりあげた物で遊ぶのは 同人誌やただのファンなら許される
いじくられ名前だけ かつてのオリジナル映画というシロモノは観るにしのびない
むしろ怒りすら覚える
その時代に創られたからこそ 観る人の心にしみいる忘れ難い作品となった映画も多いのだ
華やかな外国の生活にある者は憧れ
銀幕を飾る美しい女優の面影に酔い
贔屓の俳優の新作は友人と誘い合って映画館へ駆け付けていく
わぁ綺麗だな
すげぇな あの早撃ち見たかい
なんて憎ったらしい悪役だろう
もうドキドキしたわ
あの眼 あの台詞
それなのにー可哀相すぎるわ
ひどいわ
待って待って新作を観る
その映画がかかっている映画館のある街まで出掛ける行き帰りすら楽しみの一つだったりする
映画を観る為に お昼を抜き 好きな煙草すら買うのを我慢する者もいる
特に戦後の日本では 映画は夢や笑い 希望を与えてくれる存在だった
生活に密着し
いつかはあんな家に住んでみたいわ
映画に出てくる国を見たい 行きたい
このままではいないのだ
その気持ちが 高度成長と呼ばれる時代へ繋がってもいたのではないかと
そのようにも思えるのだ
芸術的な映画があっていい
難解な なんでこんな映画つくったんやろー
または下品な映画があってもいい
ただ娯楽(楽しめる)ということも忘れないでほしいのだ
毒のある映画もいいだろう
つくり手が それで何を訴えたいかはっきりした物があるならば
大衆娯楽としての存在価値 役割を忘れて欲しくない
映画をたのしみたい
そう思っているから
映画に酔いたい 世界に浸りたい
そう願っているから
どうせ半年か一年まてば レンタルできる
そんな映画 存在ではいけない
上映を待って映画館へ家族揃って走りこまずにいられないような そんな映画をつくってほしい
映画館は何処?と探したくなるような映画を待っています
映画との出会いを夢見て 雑誌「オトナファミ」を ただいま読んでおります
ちなみにこの雑誌を買った動機は 表紙のお二人 ー阿部寛氏と仲間由紀恵さん
娘は 仲間さんのファンです
私は「日経エンタテイメント」も好き
ジャンルを問わず楽しい映画が好きです
眉間に縦皴より笑顔♪
お金払ってまで不機嫌をしょい込みたくないですもん