店の客だった
父の作る料理が気に入り東京からの出張があると寄ってくれるようになった
洗い場などをちょろちょろ邪魔するように手伝っていた私は・・・いつか少し年上のその客が随分気になるようになっていた
いいえ娘らしい一途さで好きになっていた
いつ姿を見られるかすらわからない片恋
ひどく大人に見えて十代の自分など想いを寄せても本気になど受け取ってもらえまい
相手になどされるわけがない
何か言って客として来てくれなくなるのは嫌だ
だから ただ想うばかりの恋
想いがけず 暖簾分けて入ってきてくれたら もう無茶苦茶嬉しくて嬉しくて その人の動きの一つ一つ話す声にも耳を澄ませて
姿を見られるだけで嬉しかった
声を聞けるだけで幸せだった
まだ独身のその人もいつかは結婚するだろう
それは辛いけれど
とても自分の想いを打ち明けることなどできず・・・
私が19歳にもうすぐなる頃 その人は友人と新しい仕事を始めた
その友人に裏切られ もうどうしようもないほどの額の借金を背負った
騙されたのだ
金だけ持って逃げた友人は彼の計画も横取り 他の人間と仕事を始める
あの日 久しぶりに店の暖簾をくぐって入ってきたその人は顔色がひどく悪かった
思いつめた表情
「ああ 美味しいな 仕事がうまく運ぶとここで食べるのが一番の楽しみだった」
食べ終わると「有難う いい時間を過ごさせてもらった」
店を出る後ろ姿がひどく寂しそうで・・・・・
このままだと二度と会えない
もう会えなくなる!
何故かそう思った
夕暮れの街 私はその後ろ姿を追いかけていた
彼は宿泊しているホテルの部屋に入る
少し待って・・・私はノックした
ドアを開けた彼はひどく驚いた表情
「あやみちゃん・・・」
彼が私の名前を憶えてくれている!それがどんなに嬉しかったか
ひどく唐突に呆れるほど泣きながら私は言い募っていた
「死んではいやです 死んではいやです」
ぎょっとしたような彼の表情
「何を・・・」とも「何故」とも「馬鹿なことを」とも言わなかった
私が泣き止むまで彼は窓から外を眺めていた
「好きなんです 生きていてくれるだけでいい 私を好きになってほしいなんて思いません
この世界にあなたがいる
それだけでいいんです だからー」
「-だといいなと思っていた」
びっくりしてただ見上げる私に彼は寂し気な笑みをみせる
「大将の料理も美味しくて女将さんの雰囲気もあったかくて とても居心地の良い店で
行く度に別嬪さんになるあやみちゃんを見るのも楽しみだった」
そう言ってちょっと黙る
「どうこうしようともできるとも思っていなかったけどね
こっちはただの客だし」
「あなたが死ぬのなら私も一緒に死にます あなたのいない世界で生きていたくありません」
「死なないよ・・・」
その人が笑う
「あやみちゃんが死ぬのは困る
何があっても君には生きていてほしい
生きて幸福で笑っていてほしい
何が起きようと死んでは駄目だ」
互いに同じ言葉を返すように
「遅くなるとご両親が心配する」
「死にませんよね」念をおすように確認する私に
「死なないよ」彼はそう言ったのに
「また明日会おう 待っているから」
そう言ってくれたのにー
それでも翌朝 気になってホテルに向かえば
人だかり
彼は夜明け前に飛び降りて・・・その命を絶った
約束したのに 一人きりで死んでしまった
私は涙も出なかった
心が凍り付いてしまった
もう幸せになんかなれない
それは もうずっと昔
心の奥底に仕舞い込んだ
ただ時にちくりと痛む
哀しみが心から流れ出す
どれだけ時が経とうとも
世間から「ババア」と呼ばれる年齢になっても
私はあの人の死を止めることができなかった
一緒に死ぬことも後を追うこともできなかった
私の想いは嘘だったのだろうか
本当の恋ではなかったのだろうか
ただ・・・生きている
生き続けてしまっている
あの人の死から長い長い時間が過ぎて
私は嫌な噂を聞いたのだ
あの人を裏切り多額の金も持ち逃げした挙句 始めた仕事に結局失敗した人間が あの人を悪く言っていると
ー奴はな金を使い込んだのよ
水商売の女にいれあげて
ろくな仕事もできないアイツのせいで俺の一生はなー
全部自分が悪い癖に 死ぬしかないとあの人を追い詰めたのも
許せなかった
これほどの時が経ち どうしてまた貶められなければならない
彼を騙し裏切った男
あの人は死んでその名を守る為に何もできない
何も言えない
だから私がその男を刺した
殺した
それで思いました
もうじゅうぶん
私はもうじゅうぶん生きました
あの人がいない此の世では どうしたって幸せになどなれません
だから私も夜明け前に此の世から居なくなりましょう
君が為の殺人?
いいえ 私は自分の為に殺したのです
我が為にこそーです
そうして我が為にこそ死んでいきます
父の作る料理が気に入り東京からの出張があると寄ってくれるようになった
洗い場などをちょろちょろ邪魔するように手伝っていた私は・・・いつか少し年上のその客が随分気になるようになっていた
いいえ娘らしい一途さで好きになっていた
いつ姿を見られるかすらわからない片恋
ひどく大人に見えて十代の自分など想いを寄せても本気になど受け取ってもらえまい
相手になどされるわけがない
何か言って客として来てくれなくなるのは嫌だ
だから ただ想うばかりの恋
想いがけず 暖簾分けて入ってきてくれたら もう無茶苦茶嬉しくて嬉しくて その人の動きの一つ一つ話す声にも耳を澄ませて
姿を見られるだけで嬉しかった
声を聞けるだけで幸せだった
まだ独身のその人もいつかは結婚するだろう
それは辛いけれど
とても自分の想いを打ち明けることなどできず・・・
私が19歳にもうすぐなる頃 その人は友人と新しい仕事を始めた
その友人に裏切られ もうどうしようもないほどの額の借金を背負った
騙されたのだ
金だけ持って逃げた友人は彼の計画も横取り 他の人間と仕事を始める
あの日 久しぶりに店の暖簾をくぐって入ってきたその人は顔色がひどく悪かった
思いつめた表情
「ああ 美味しいな 仕事がうまく運ぶとここで食べるのが一番の楽しみだった」
食べ終わると「有難う いい時間を過ごさせてもらった」
店を出る後ろ姿がひどく寂しそうで・・・・・
このままだと二度と会えない
もう会えなくなる!
何故かそう思った
夕暮れの街 私はその後ろ姿を追いかけていた
彼は宿泊しているホテルの部屋に入る
少し待って・・・私はノックした
ドアを開けた彼はひどく驚いた表情
「あやみちゃん・・・」
彼が私の名前を憶えてくれている!それがどんなに嬉しかったか
ひどく唐突に呆れるほど泣きながら私は言い募っていた
「死んではいやです 死んではいやです」
ぎょっとしたような彼の表情
「何を・・・」とも「何故」とも「馬鹿なことを」とも言わなかった
私が泣き止むまで彼は窓から外を眺めていた
「好きなんです 生きていてくれるだけでいい 私を好きになってほしいなんて思いません
この世界にあなたがいる
それだけでいいんです だからー」
「-だといいなと思っていた」
びっくりしてただ見上げる私に彼は寂し気な笑みをみせる
「大将の料理も美味しくて女将さんの雰囲気もあったかくて とても居心地の良い店で
行く度に別嬪さんになるあやみちゃんを見るのも楽しみだった」
そう言ってちょっと黙る
「どうこうしようともできるとも思っていなかったけどね
こっちはただの客だし」
「あなたが死ぬのなら私も一緒に死にます あなたのいない世界で生きていたくありません」
「死なないよ・・・」
その人が笑う
「あやみちゃんが死ぬのは困る
何があっても君には生きていてほしい
生きて幸福で笑っていてほしい
何が起きようと死んでは駄目だ」
互いに同じ言葉を返すように
「遅くなるとご両親が心配する」
「死にませんよね」念をおすように確認する私に
「死なないよ」彼はそう言ったのに
「また明日会おう 待っているから」
そう言ってくれたのにー
それでも翌朝 気になってホテルに向かえば
人だかり
彼は夜明け前に飛び降りて・・・その命を絶った
約束したのに 一人きりで死んでしまった
私は涙も出なかった
心が凍り付いてしまった
もう幸せになんかなれない
それは もうずっと昔
心の奥底に仕舞い込んだ
ただ時にちくりと痛む
哀しみが心から流れ出す
どれだけ時が経とうとも
世間から「ババア」と呼ばれる年齢になっても
私はあの人の死を止めることができなかった
一緒に死ぬことも後を追うこともできなかった
私の想いは嘘だったのだろうか
本当の恋ではなかったのだろうか
ただ・・・生きている
生き続けてしまっている
あの人の死から長い長い時間が過ぎて
私は嫌な噂を聞いたのだ
あの人を裏切り多額の金も持ち逃げした挙句 始めた仕事に結局失敗した人間が あの人を悪く言っていると
ー奴はな金を使い込んだのよ
水商売の女にいれあげて
ろくな仕事もできないアイツのせいで俺の一生はなー
全部自分が悪い癖に 死ぬしかないとあの人を追い詰めたのも
許せなかった
これほどの時が経ち どうしてまた貶められなければならない
彼を騙し裏切った男
あの人は死んでその名を守る為に何もできない
何も言えない
だから私がその男を刺した
殺した
それで思いました
もうじゅうぶん
私はもうじゅうぶん生きました
あの人がいない此の世では どうしたって幸せになどなれません
だから私も夜明け前に此の世から居なくなりましょう
君が為の殺人?
いいえ 私は自分の為に殺したのです
我が為にこそーです
そうして我が為にこそ死んでいきます