ー彼ー
「振ってないよ・・・振ってない」
そう力なく繰り返すしかできなかった
近所で育った年下の少女
通学路が同じだったから会うことも多かった
いつしか見守るように育ち 年を重ねて
やや大人びた表情にはっとさせられることも多く その姿を目で追うようになっていた
幾度か言葉を交わすことはあったんだ
挨拶やら 実に他愛無い・・・繰り返し・・・
その少女が少し離れた街に転居するらしいと噂を聞いた頃 たまたま会ったのは覚えている
少し並んで歩いたか
残念なことに話の内容はもう覚えていないが
最後に少女は寂しそうな表情で振り向いて 頭を下げて・・・それで去っていってしまった
俺の言葉の何がそんな表情をさせてしまったのか
わからないまま・・・・・
それから何年かして結婚したらしいって噂も聞いたんだ
赤ちゃん連れていたって
ああ そうだろうなって思ったよ
美人さんだったから結婚も早いのだろう
それが この町へ戻ってくると聞いた
病気で両親も相次いで亡くなり ご主人も死んで・・・・・
従姉さんに誘われて一緒に仕事する為に引っ越してくると
だから悪友の話に強引に割り込み その引っ越しの・・・荷物運びに参加することに決めたんだ
もう少女とは言えない彼女は・・・小さな男の子を片親で育てて
惣菜兼弁当屋の店舗の建物の二階で暮らしている
おかずや弁当を買いに行けば普通に会える
そんなうちに従姉さんが こうけしかけた
俺はまだ独り者 付き合っている相手もいない
ならば まとまってしまわないかと
随分乱暴なことを従姉さんは言う
するとうつむいた彼女は苦笑しながら こう言ったんだ
「私ね・・・もうずうっと昔に振られているのよ」
「え~~~」と派手に驚く彼女の従姉さん
「なあによ いつの話よ」
「だから昔よ この町から引っ越す前あたりだったかな・・・とにかく私はもう振られているのよ」
そう彼女は笑った
「振ってないよ 振ってない」としか言えない俺
「昔のことだもん 覚えていなくて当然」とも彼女は言って 「だから また振られるのは ちょっと・・・きついかな」
それで ずっと考えている
あの時 彼女は何を言って 俺の返した言葉に・・・「振られた」と思い込んだのか
ー彼女ー
まさか引っ越しの手伝いで・・・また姿を見るとは思わなかった
腕まくりし荷物を運ぶ姿に驚いた
どきりとし ときめいてしまった
遠い昔の少女だった頃のように・・・・・
これも馬鹿な死に方をした夫が悪いんだわ
夫は優しい人だった 三月ばかりの入院生活で母が亡くなり火葬場で・・・
掛かってきた電話相手と話すのに建物の外へ出て・・・バックしてきた車にノックアウトされた
夫を潰した車の運転手は前進と後退・・・アクセルとブレーキのペダルを踏み間違えて 建物の入り口も破壊した
ガシャガシャガッシャ~~ン!!!!
凄まじい音がして 何が起きたのかと思った
今度は夫の葬儀 四十九日 法要あれこれ
ちょっと落ち着いた頃 子供が生まれた
男の子だった
亡くなった夫は男の子を欲しがっていたから 生きていたら さぞや喜んだだろうに
母の亡くなる半年前 父が病死
父の生命保険 母の生命保険 夫の生命保険・・・・・と立て続けに受け取っていて 働かなくても暫くは生活することはできた
それでも子供が保育園に入るまでには仕事をみつけなくては・・・自分に何ができるだろうーと考えていた
そんな時 少し年上の従姉が「帰ってこない」と声をかけてきた
惣菜兼弁当屋を一緒にしないかと
安く手に入れた店舗付き住宅 少しいじって・・・
私たちのおばあちゃんは人をもてなすのが好きな人だった
従姉にも私にも祖母が作ってくれていた料理の味
祖母譲りの母たちの料理 その記憶を頼りに
その準備で半年ばかし 私たちはそれぞれ別の弁当屋さんで働いた
実家でひとり暮らしの従姉は 店舗の住宅は私に住めばいいと言ってくれた
従姉と一緒にお店に並べる惣菜や弁当のおかずを考えるのは楽しかった
従姉も私も一人っ子
母たちは二人姉妹だった
従姉は言う「身内が傍にいてくれたら安心」
だけど助けられているのは私の方
何かと気にかけてもらって
大騒ぎしながら始めたお店
顔の広い従姉があちこち声をかけてくれていたおかげで常連客も確保できて
日々忙しいけれど楽しくて
それで充分だったの
毎日大きくなっているんじゃないかと思うような子供に
お店に来てくれるお客さんとの短い会話
私はもうじゅうぶんに本当に幸せだった
もう私は片思いにくよくよする子供じゃない
そんな少女の時は終わってしまった
だからね従姉の言葉に・・・彼を妙に意識しすぎるようになってしまった
私はもう少女の時に振られている
今更 今更だわ・・・ そう自分に言い聞かせる
少女の時の精一杯の気持ちを伝えようとした言葉
だけど通じなかったの 駄目だったの
嘲笑うように傍らを通り抜けていった何かの宣伝のチンドン屋
頭を下げて逃げるようにその場を離れるしかできなかった
店に律儀に弁当屋おかずを買いにくる独身の常連の男
それでいいのよ
今のままで
私は美味しい料理を作る
彼が食べる 食べてくれている
もう・・・じゅうぶんじゃあない
子育て中の子持ち女は余計なことを考えないの
ー彼と彼女ー
彼女がこの町に戻ってきて3年
すっかり町にも馴染み 彼は夕食も彼女の店の弁当と惣菜を当てにしている
店からすれば有難い常連さん
その夜も閉店ぎりぎり 彼は来店
彼女は暖簾を仕舞おうとしていた
店の前で立ち止まり 入るのをためらう彼
笑顔で入るように勧める彼女
店の中 いつもなら聞こえる男の子の声がしない
「ああ あの子はお泊り保育なの 柿ノ木山へ 明日は帰ってきます」
察して答える彼女
「ああ そうなんだ」
「お仕事は 終わりですか なんならそこで食べていかれません
お味噌汁も温かいですから」
店内にあるベンチとテーブルをさして彼女が言う
戸惑った男の表情に
「あ でもご迷惑なら」そう出した言葉を引っ込めようとする
「いやいや有難いよ いつも一人メシだからね」
笑顔になった彼女は「お店終わりました」の札を店の外へかけた
カウンター奥に戻った彼女は 部屋からとってきた汁椀に味噌汁をつぎ 湯呑に熱いお茶を入れた
男の前に出して 「おかずとご飯は何がいいですか」
そう尋ねる
「残り物でいいよ どれもうまいから」
少し考えた彼女は 煮魚 野菜の炒め物 漬物の盛り合わせなどを出す
「これ食べててくださいね」
男が食べていると 焼いたばかりの出汁巻卵が置かれた
「いつも美味しいと褒めて下さるから こんな機会に焼きたてをーと思って」
はにかむような笑顔に少女の頃の面影が浮かぶ 重なる
「いただくよ」
一口食べて 「うんうまいな」と男が笑う
「よかった」と明るい笑顔の彼女
カウンターの向こう側に戻った彼女はこれも残り物のおにぎりを食べている
「おにぎり まだあるの」
男が尋ねると 「はい おかかと鮭と梅干しと昆布なら」と彼女
「じゃ包んで 持って帰る」
彼女「かしこまりました」
食べ終わると男は「美味しかったよ ご馳走様 お勘定・・・・」
言い出す男に
「今夜は店はおしまい後でしたから これは一人ご飯が味気ない私に付き合ってくださったお礼です」
そして おにぎりが入った包みを差し出す彼女
「いや そんなわけには・・・・・」
そこで男はずっと気になっていたことを訊いてしまう
「随分と結婚 早かったよね なんでまた 勿論 亡くなったご主人のことを想って
いや・・・」
「母は余命宣告されてしまっていて 一人娘の私のことを気にしていたの
生きてる間に娘の今後を安心したいのだと病室でも繰り返し話してた
夫はね そんな私の母の言葉に洗脳されちゃったんだわ
この患者の為に この娘〈こ〉を自分が引き受けるのだーなんてね」
そう苦笑いする彼女
「とにかく優しい人だったのよ あの人は 情が深くて・・・」
おかげで母の生きているうちに花嫁姿を見せることもできた
安心してももらえた
なのにまさかあんなに呆気なく死んじゃうなんてね
そう彼女は続けた
「いい男性〈ひと〉だったんだ・・・」
「ええ そうね 私には過ぎるくらいに」
「じゃあー」と男は言う
「もう 恋はできない もう当分は」
彼女は目を見開く
「振ってないよ 振ってない どうして君がそう思い込んだのか思い出せないけど
僕はずっと君が好きだった
君が引っ越すらしいと知った時に とにかく会いたくて 会いたくて
そして
何も言えなかった
好きだったんだ ずっと
今は もっと好きになっている」
続けられる言葉
「振られたくないから 返事はまだいい
僕が君を好きでいることを ただ知っていてほしいんだ」
大人だから 未亡人だから 子持ちだから
色々 彼女は考える
それでも「好き」という気持ちこそ一番大切なのだと 彼女が気づくまでには少し時間がかかった
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ごめんなさい