学生時代よく食べた学校の近くにあった喫茶店のトーストサンド
そのお店は既に無くなり ご近所の喫茶店にも置いていない昭和のメニュー
食べたくなると自分なりの作り方で作る
まずは卵焼き
切ったきゅうりをマヨネーズで和える
焼いた〈トーストした〉パンに卵焼きときゅうりを乗せる
もう一枚焼いたパンを重ねて終わり
できれば食べやすい大きさに切る
子供の頃 近所の食堂にあった野菜炒め
味付けは塩胡椒と味の素にウスターソース
仕上げに黒コショウをふりかける
レタス きゅうり ゆで卵をマヨネーズで和えただけのサラダ
先日 祖母へのお供えを届けに叔母の家に寄ったのですが
私より十歳年上の叔母は 自分よりも若い友人たちが先に死んだこと
兄姉たちもどんどん自分を置いていなくなってしまうーなどと話していて
「自分だけが残る 置いていかれる」と
そんな叔母の言葉を聞きながら 私が思い出していたのは
堀口大學氏訳のギョーム・アポリネールの詩「ミラボー橋」の中の言葉でした
日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ わたしは残る
ーだったかな
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
叔母は私が同じ年であるかのように 自分が子供の頃の話をしてきます
さすがに私はその頃は まだ生まれてもいないのですけれど
どうにも叔母には 私が姪でなく 自分たちの兄妹の下のように感じられるらしく
現実には叔母は末っ子なのですが
そして叔母の記憶は自分に都合よいように改ざん〈笑〉されているものも多くあります
口喧嘩になるのも嫌なので ーああ この人はそんなふうに覚えているんだーと呆れつつ聞き流すようにしています
話を聞いていて 「あの時は嘘をついていた」なんて言葉も出てきます
その嘘が周囲を巻き込んで 大騒ぎになったこともあったのに
当人はけろりとしていて罪の意識もないようで
それでも平然と生きてこられたのだなーと
世の中には色々な人間がいるものだけれど
疲れつつも それでも生きている数少ない身内
同じ市内に住んでいることもあり 気にかけないではいられません
訪ねる時には祖母へのお供えのほかに 叔父や叔母の好物も土産に持っていくようにしていて
叔母の想い出話の内容〈かなり事実とは違うもの〉に 帰り道には随分 心が暗くなります
何をやっているんだろう 自分ーとは思うのですけれど
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ごめんなさい