絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

越谷宿の歴史ある家たちプラスα  4  廃業した床屋さん

2013-06-18 22:34:12 | 絵画

この家は店の構えから以前は多分床屋さんだったのだろうと思われます。

前面は石造風ですが、屋根の方を見るとかなり歴史のある造りになっています。

壁には蔦がからんでいて、手入れもされていないようです。

床屋の親父さんが老齢になって店をたたみ、子供の家にでも行ってしまったのか?

老夫婦のどちらかがみまかってしまい営業が続けられなくなったのか?

近頃はカットだけして10分足らずで一丁上がり、なんて安直なカット屋

(あえて床屋とは言いません)が増えてきて、客を奪われたのか?

可能性はいろいろ考えられますが、私は家からちょっと離れていますが、

私の毛の少ない頭でも1時間程かけて丁寧に仕上げてくれる床屋さんに行っています。

昔は髪結床と言って、街の社交場を兼ねて、寛ぐ場所でもあったわけですから、

そうゆう昔ながらの仕事をする床屋さんを大事にしていきたいものです。

そろそろ髪も伸びてきたから、親父さんと世間話でもしながら整髪してもらいに行こうかな?

 


越谷宿の歴史ある家たちプラスα  3  角に植木のある家

2013-06-17 23:33:31 | 絵画

この絵を描いたときには角にある植木がなんの木か分かりませんでしたが、

後日場所を確認に行った時には山吹の黄色い花が咲いていました。

「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」

太田道灌が狩りの途中、突然の雨に会い、近くの農家に

雨具の蓑を借りに訪れたときに、その農家の娘が、

蓑の代わりにこの歌を差し出したという有名な話があります。

八重の山吹には実がなりません。「実の」と「蓑」を言い換えた短歌の意味を

太田道灌は理解しかねて、自分の無知を悟り、

以後、狩りや武道だけではなく短歌の道にも励んだということですが、

どうもこの話は胡散臭いです。

太田道灌が狩りに赴くのに家臣が雨具を用意しないというのは切腹ものだし、

即座にサラサラと当意即妙の短歌をしたためられるほどの娘がいる農家に

蓑の用意がないというのも不自然です。なんて推量をするというのも

無粋なことで、花も実もある話として、素直に受け入れる方が良いでしょうね。

この山吹が植えられている家に傘やレインコートはあっても、

蓑が無いことだけは確かですが・・・


越谷宿の歴史ある家たちプラスα 2 アリタキ植物園

2013-06-16 10:18:08 | 絵画

アリタキ植物園は有瀧家が所有・蒐集して世界中から各種植物を集めた

私有の植物庭園でしたが、一時は手入れもされないまま荒れ果てた状態で

放置されていました。

数年前に有瀧家から越谷市に寄贈され、市が整備して公開されています。

久伊豆神社の参道左側に大きな場所を占めています。

園内には様々な樹木や草が名板をつけて植えられています。

植物園ですから、日本庭園にみられるような構成にはなっていません。

池があって岩をかたちよく配置するといった趣ではないのです。

私が写生のために訪れたときは、入園者は私一人だけで広い園内を

独占鑑賞できました。

アリタキ植物園は今まで見たこともないような珍しい樹木に

お目に掛かることができます。

越谷市の貴重な新しい観光スポットとして、もっと多くの方が

訪れてほしいと思いました。

*作品はほぼ北から順番に掲載します。

 一つの対象を何枚か描いた場合は番号は同じになります。


越谷宿の歴史ある家たちプラスα 1 久伊豆神社

2013-06-15 08:46:55 | 絵画

久伊豆神社は私に家からも近く、よくお参りに行く所です。

以前は神社の直ぐ傍に「アカルタマ」という喫茶店がありました。

ハンサムなドイツ人がサービスしてくれる、美味しいコーヒーが飲めるお店でした。

今は閉店してしまい神社を訪れる楽しみが一つ減ってしまいました。

久伊豆神社には宮司を初め多くの神官や巫女がいます。

近隣ではひときわ大きな神社です。

弓道場や集会施設があり氏子でなくても利用することができます。

境内には幅は細いですが長い参道があります。

緑に包まれた長い参道を歩いている間に徐々に

世俗の垢が洗い流されていくような気持になります。

初夏には藤棚に長い房を付けた藤が香ります。

藤棚の裏には池があり亀が甲羅干しをしています。

これらの亀は参詣者が功徳を積むために放したものです。

 

 


越谷宿の歴史ある家たちプラスα (水彩画)の掲載を始めます。

2013-06-14 18:55:47 | 絵画

5年前に私の古稀のメモリアルとして日光街道の宿場に残っている歴史ある家たちを描きました。

日本橋から始まって千住宿から日光鉢石宿まで約100枚の絵を描き上げました。

この仕事が多くの方の目に留まって、新聞やTVでも取り上げていただけました。

私が所属する越谷郷土研究会会長から越谷宿の街道沿い以外にも多くの歴史ある家が

多数存在することを教えていただき、会長自らご案内くださいました。

今回のシリーズは足掛け2年にわたって描きてきたそれらの絵をご覧いただくものです。

描き上げてから、それらの建物の所在地を地図にプロットする作業をいたしました。

僅か2年足らずの間に私が描いた建物が数軒無くなっていました。

跡地が更地になったままのもの、数軒の建売住宅に姿を変えているものもありました。

秋には下のポスターでお知らせして居ますが、個展でもご覧戴けます。

1回ごとに短いコメントをつける予定です。合わせえお楽しみいただければ幸いです。

*プラスαと付けた訳は、家ではないもの、まだ比較的新しい建物も含まれているからです。

 

 


丹後・丹波・京都の旅日記 帰宅の途へ

2013-06-13 19:05:53 | 国内旅行

3泊4日の旅も無事に終わりました。

新幹線のぞみで帰宅します。

今回の旅の軌跡です。

① ② ③ は泊まった場所です。

京都を振り出しに、滋賀の大津を経て、鯖街道を北上し、福井に入りました。

舞鶴を経て丹波に入り京都大原から京都駅に至る約500kmのドライブでした。

500㎞というのは東京ー大阪間の距離に相当します。

山道や古い建物などもたくさん見られて楽しい旅でした。

次回からは越谷の古民家などを描いた水彩画をお届けします。

ご高覧の程お願い申し上げます。、


丹後・丹波・京都の旅日記  京都 大原 三千院

2013-06-12 23:18:25 | 国内旅行

三千院は初めての参拝ですが、やはり女性が目立ちます。

ここはなんとおみくじを発明した坊さんが居たお寺なのだそうです。

元祖のおみくじを引いてみました。

私のはまあまあの内容でしたが同行者のは凶と出ました。

凶の出るおみくじは少ないからさすが元祖だと

妙なところで感心しました。

大原女の装束をしている女性が縁側でポーズをとっていました。

携帯で写真を撮っている人のお連れさんなのか、お寺のサービスで

こんな衣装を着けたモデルさんを置いているのか不明です。

三千院は入り口と出口が別なので

履物は自分で持ち歩くことになっています。

カメラを構えている男性の脇に草鞋の入った袋があるから

この男性がモデルに雇ったのかも知れませんが

わざわざモデルを雇って携帯で撮るのはおかしいですよね?

大原女装束の貸衣装やさんでもあるのかな?

お庭に首だけの地蔵様が数体ありました。

首だけだから体ではなく数首と書く方が良いのかも知れませんが

数首では短歌みたいな数え方だし、数頭では牛馬みたいだし、

数個では恐れ多いようにも思えるし・・・・

いくつかの地蔵様の頭部が、という表現にしましょうか?

数え方はどうでもいいのですが、首だけの地蔵は何なのでしょう?

お体まで作る費用がなかったとは思えません。

それぞれの地蔵のお顔はとてもいい造りで

一流の作家の作と思われるからです。

顔だけの地蔵と言い、大原女の存在と言い、

三千院は疑問の多いお寺さんです。

三千院はとても心を和ませられる場所でした。

新緑のグラデーション、首だけ地蔵の穏やかなお顔、などなど・・・

今回の旅の締めくくりに最適な場所でした。

 

 


丹後・丹波・京都の旅日記  京都 大原 寂光院から三千院へ

2013-06-11 22:27:50 | 国内旅行

寂光院から三千院までは歩くことにしました。

車を預けた駐車場のおばさんが歩いてもすぐだし、駐車料は一回の料金だからお得だ、と教えてくれたからです。

途中に藁葺きの農家がありました。

棟に水の文字があります。

火災予防のおまじないでしょうね。

三千院までは20分ほど歩きました。

参道にある看板です。

ろれつが回らない、という言葉の起源が記してありました。


丹後・丹波・京都の旅日記  京都 大原 寂光院

2013-06-10 23:52:40 | 国内旅行

寂光院は梅雨の時期だからか、日曜日でも人影はまばらでした。

お庭の新緑が目に沁みます。

紅葉の時はさぞ見事なことでしょうが、車が渋滞して大変だそうです。

人ごみにもまれてこのお寺を拝観しても意味がありません。

私は新緑と静寂のほうが好ましいです。

観光地はどこでも女性が多いのですが大原は特に女性が目立ちます。

男性は探すのに苦労するほど少数です。

参拝者より錦鯉のほうが多いのかも?

この色彩の多彩さは見事です。

こんな悍ましい事件もあったのですね。

法隆寺も谷中の五重塔も焼失しました。

木造建築物の宿命と言ってかたずけてはなりません。

万全の防備をして、事故を防がねばなりません。

 

 


丹後・丹波・京都の旅日記  第3は美山村落

2013-06-09 11:46:22 | 国内旅行

美山村落は茅葺の家が多くのこる場所です。

そもそもの今回の旅の発端はこの村の民宿宿泊券を引き当てたことから始まりました。

民宿1泊だけでは新幹線代のほうが高いから他も回ることにしたのです。

この家が泊まる宿です。

よく残っていてくれたものだと感激しました。

道路脇や庭の中にはお茶の木がたくさん植えてあります。

私はお茶の新芽を食べてみたくて、お茶を摘んでいる村人に一芽貰ってもいいかと聞いてみました。

そのおばさんは幾ら採っても良いよ、今は村人が減ってしまいお茶を摘む人も少ないから

余っている。欲しいだけ採りなさいというのです。

私はありがたく沢山摘んできました。

帰宅後、netで簡易なお茶の作り方を調べて自家製のお茶を作りました。

とてもおいしいお茶が出来ました。

こうゆう景色の中の鯉幟は様になります。

共同住宅なベランダで泳いでいるメダカみたいな鯉幟も健気だとは思いますが…

夕飯は地鶏のすきやき、美味しいしボリュームがありました。


丹後・丹波・京都の旅日記  第2夜は奥丹波・やすら樹

2013-06-08 17:23:33 | 国内旅行

やすら樹は公設、民営の宿で兵庫県になるようです。

今回の旅は、京都・滋賀・福井・そして兵庫と4県にまたがるドライブです。

一泊二食付きで1万円、国民宿舎よりいい感じでした。

ワインはフルボトルで2000円でした。

チリ産でしたが美味しいワインでした。

 


丹後・丹波・京都の旅日記 天一位 大原神社

2013-06-06 16:17:29 | 国内旅行

本殿も客殿も茅葺のお社が見えたので寄ってみました。

何やら由緒ある貴いお社のようです。

細い柱と大っきな屋根は不安定な感じですが、苔むしているからにはかなりの時間経っているのでしょう。

本殿はよく見ると茅葺ではなく檜皮葺になっていました。

重厚な造りです。


丹後・丹波・京都の旅日記 福知山に立ち寄り ②

2013-06-06 05:07:41 | 国内旅行

福知山市は由良川が流れていて、この由良川が暴れ川だったそうです。

天井川ではないのですが毎年出水して被害をもたらしていたそうです。

で、治水記念館というのに入り、いろいろ勉強しました。

なんで治水記念館で山野草展が行われるのか、因果関係は不明ですが、気にしないことにします。

谷垣坂店というのが開いていたから入ってみました。

古い造り酒屋でしたが、今は酒は造らずに親戚から仕入れているそうです。

この谷垣坂店、以前自民党総裁だった谷垣さんの親類なのだそうです。

お酒を買うと悪酔いしそうなのでみりんを買って帰りました。

酒屋のおばさんは気さくな方で楽しくお話が出来ました。


丹後・丹波・京都の旅日記 福知山に立ち寄り

2013-06-05 12:38:45 | 国内旅行

今日は丹波篠山に泊まるので途中福知山に寄り道しました。

城下町だし、古い家などもあるだろうと思ったからです。

お城もありましたがそれはパス。

駅で地図を貰ってお城の西に古い家がありそうなのでそこを目指しました。

最初に見つけたのはこの懐かしい駅舎の展示です。

ほんの少し前にはこんな駅舎が何処でも見られたのに・・・・

携帯品など預けようものならどんどん投げこまれて、

受け取るときには無残な姿になってしまったものでした。

郵便局の小包も同様です。お上のやることだから文句もつけられませんでした。

一日5便しか運行されていません。

見学は無料でした。

 


丹後・丹波・京都の旅日記 縮緬街道の豪商/尾藤家

2013-06-04 00:11:23 | 国内旅行

尾藤家は塵マン街道の中でも傑出した豪華な構えでした。

邸内の見学には案内人がつきっきりで説明してくれます。

見学者へのサービスと悪戯などの防止を兼ねてのことでしょう。

下の蔵は家屋内にあります。

庭にあるのとは違い使い勝手も防犯にも良いと思われます。

二つの蔵が並んでいました、収容する品物が違ったのだそうです。

 

 尾藤家の歴史を示す資料です。

写真がまがっていて見にくくてすいません。

 

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 調味料などを入れた甕です。

こんなものにも質の高いのを使っていたのですね。

 行ったのが5月でしたから、まだ甲冑飾りなどがなされていました。

鯉幟も大きくて今は立てることはないそうです。

 和風の家の二階が洋風になっています。面白い建て方です。

 台所です。かまどなど大人数の食事を賄うのは大変だったことでしょう。

 今なら普通の生活でガスを使い水度があるのですから便利になったものです。

 井戸で水を汲み竃に薪をくべる、使用人がやるにしても手間のかかることです。

 

 

 幟です。五月飾りに使われたものです。

 説明役の女性はとても丁寧に案内してくれました。 

 ガラスは昔の手延べ製法のままです。

歪んで見える景色が今では新鮮に見えます。

 

 

 部屋毎に唐紙の図柄が違います。

みな画家に描かせた特注品です。

 

 来客用の洋間です。

私の家でも昔一間だけ洋室があり応接間にしていました。 もちろんこんない豪華ではありませんが。

 中庭です。

 天井板は屋久杉が使われています。木目の混んだ素晴らしいものです。

 当時の洗面台です。輸入品かと思ったら日本製です。

 お風呂もタイル張りですが湯船は木製でした。

ご当主のこだわりなのでしょう。

 お風呂場の天井です。凝ったつくりです。

 お手洗いの外にある手水鉢です。

昔はどの家にももっと質素ですがこのような手洗い用の物がつるしてありました。

 中庭にも井戸がありましたが使われていません。

 尾藤家を勧誘形で公開しているのは嬉しいです。

縮緬街道で100年ほどタイムスリップしてきました。