鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

(続)俣野別邸庭園②

2015-07-12 | 横浜



森林浴に向いている林の小径を歩きましたが、下草が濡れているので、足下に要注意でした。



良く伸びすぎて、手入れも難しそうな木立です。



大蛇が巻きついたような木があり、驚いたのでちょっとピンボケです。



上ばかり見ていたら、目の前にあやしげな実のついた木が立ちふさがりました。



どうにか林の小径を抜けて、芝生広場に出ました。

(続)俣野別邸庭園①

2015-07-11 | 横浜



晴れたら再訪と考えていたのですが、梅雨が続いているので、傘を持って俣野別邸庭園に出掛けました。
全く何気ない南入口から入りました。



一見アジサイの仲間のように見えますが、正体不明です。



トマトのような実が付いていますが、これも不明です。



足下に咲いていた小さな花ですが、初めて見ました。



この花にはあちこちで出会いますが、名前は知りません。
ということで、名前にこだわらずに、見て歩きました。

俣野別邸庭園②

2015-07-01 | 横浜

 

俣野別邸庭園の芝生広場の周辺にはいろいろな花々が咲いています。
植物園ではないので、名札は付いていません。
これは多分アーティチョークだと思います。



これは少し疲れたマーガッレトのようです。



尾瀬でニッコウキスゲを見たことがありますが、その仲間でしょう。



これが難問ですが、ユリではなくハマユウのように見えます。



これはキキョウです。



季節の花、アジサイです。



アジサイはあちこちに咲いていました。

俣野別邸庭園①

2015-06-30 | 横浜



横浜市戸塚区東俣野町にある俣野別邸庭園を訪ねました。
国道1号線のバス停鉄砲宿の近くです。
簡素な案内看板だけの何気ない南入口から庭園に入りました。



いきなり緑豊かな木立に迎えられました。



日差しに耀く緑の道をゆっくりと下りました。



庭園の管理棟です。



管理棟前に広がる芝生広場です。
人影もなく、この景観を独占しました。



芝生広場の右手の木立の奥に、南入口から下って来た紅葉坂があります。

ふるさと尾根道緑道

2015-02-27 | 横浜



上白根の稲荷社から南に向かって坂を上り、白根と今宿の間にある稜線に着きました。
鶴ヶ峰駅からズーラシアまでの導水路沿いに整備された「ふるさと尾根道緑道の途中です。
ここから鶴ヶ峰駅に向かって歩きました。



この緑道には桜並木が続き、途中で今宿東公園が隣接し、ぶらぶら歩きに最適な緑道です。



青空の下、梅もぼちぼち見頃でした。



この緑道は眺望に恵まれているので、平成12年に「都市景観賞」を受賞しています。
この場所からは、横浜港のランドマーク・タワーがはっきりと見えました。

稲荷社・内藤鳴雪句碑

2015-02-26 | 横浜



上白根の稲荷社に参詣しました。
創建は不明のようですが、江戸時代後期に編まれた「新編武蔵国風土記稿」に稲荷社の記述があるようです。



鳥居左手に境内にある内藤鳴雪の句碑の説明板がありました。
内藤鳴雪は正岡子規と同時期に俳人として活躍した人で、俳句雑誌「ホトトギス」の選者としても知られています。



稲荷社としては例の少ない長い石段を上りました。



真昼の日差しの下で、社殿が輝いていました。



これが大正12年に建立された内藤鳴雪の句碑です。
当時境内にあった夫婦松を題にし、「夫は夫たり、婦は婦たりてぞ松涼し」と詠んでいます。



帰り道、急な石段を注意しながら下りていると、キツネがしっかりと見守ってくれていました。



中堀川プロムナード

2015-02-25 | 横浜



「白根ふれあいの樹林」から中堀川プロムナードに向かいました。
雨水排水路として使われていた中堀川は、下水道整備に伴い、せせらぎが流れる水と緑豊かなプロムナードに再生されました。



平成18年頃から検討を始め、平成21年頃から順次オープンしたようです。



場所によっては子供たちが水遊びも出来そうな構造になっていました。

白根原風景を見ながら

2015-02-24 | 横浜



中堀川右岸の坂を上り、住宅街の中を抜けて、白根5丁目付近の農道を北に向かいました。
あちこちに竹林が見える田園の道です。



農道の左手奥は「白根ふれあいの樹林」と呼ばれています。



青い空、空に根を張るケヤキ、竹林を抜ける道でした。

白根不動尊・白根神社

2015-02-23 | 横浜



帷子川の支流中堀川に沿って住宅街の坂道を進み、白根不動尊の鳥居前に着きました。



不動堂は康平6年(1063)の創建ですが、何度も災害に会い、現在の建物は大正8年(1919)のようです。



背後を中堀川が流れ、その先に緑の丘を背負った不動堂です。



不動堂から左手に進むと、中堀川を渡る橋があり、白根神社の急坂の参道に続きます。



白根神社の神殿です。
その昔は不動堂の別当寺でしたが、明治初年に廃寺になり、白根神社となったようです。



白根神社の参道を戻り、中堀川の水辺から眺めた白糸の滝です。
巾7m、高さ3.2mの滝です。

帷子川親水緑道

2015-02-22 | 横浜


相鉄線鶴ヶ峰駅を起点に、白根地区の散歩に出掛けました。
駅北口をそのまま北に向かうとすぐ帷子川親水緑道入口でした。



旧帷子川の河川敷を親水緑道にしたもので、回遊式庭園部分と流れの沿った歩道があります。



川の流れを楽しみながら、ゆっくりと歩道を進みました。



この季節、竹林の緑には目が喜びます。



しばらく行くと、流れに架かる小さなつり橋がありました。
橋の向うは窓の付いた木壁があり、バードウオッチングの場所になっていました。



緑道を抜けると、帷子川本流に突き当りました。
川面を見ると、魚道の階段が白く光っていました。

横浜薬科大学の塔

2015-02-21 | 横浜



俣野橋を渡って、境川左岸の段丘を上り、横浜ドリームランドの跡地を訪ねました。
遠くから見える横浜薬科大学の塔が気になったからです。
大学前の駐車場からの眺めです。



正門前に近づきました。
この辺りがドリームランドだった時代には、正門右手にボーリング場があり、正面の塔はホテルでした。



正門から真っ直ぐ塔を眺めると、なかなか素晴らしいキャンパスです。
塔は現在図書館として使われているようですが、「知識の塔」と言ったところでしょうか。



正門左手に大きなバス停があり、近くのドリーム・ハイツや俣野公園を含めて利便性は良いようです。
ドリーム・ハイツの後方の空が怪しげな空模様になっていますが、この30分後厚木で突風が吹き被害がでました。

朝比奈切通し⑦鼻欠地蔵

2015-02-09 | 横浜



切通しの出口にあった石造物です。
右側の石仏は見事に摩耗していました。



石造物は沢山並んでいましたが、詳細は不明です。



ここに国史跡の説明板がありました。
朝夷奈切通しは仁治元年(1240)六浦までの重要交通路として鎌倉幕府の執権北条泰時が自ら監督して改修したと記してあります。



金沢街道に沿って金沢八景方面に進み、大道中学校前に出ました。
道沿いにある高さ4mあまりの「鼻欠地蔵」に面会しました。



案内板によると、この地蔵は江戸時代から「界地蔵」と呼ばれ、武蔵と相模の境にあり、前の道は鎌倉と金沢を結ぶ重要路だったと記してあります。
ここを朝比奈切通し散歩の終点にしました。


朝比奈切通し⑥切通しを下る

2015-02-08 | 横浜



木漏れ日で明るい杉木立の坂道をゆっくり下りました。



左手のよく日の当たった崖にやぐら跡があり、その上に大きな木の根が取り付いていました。



しばらく下ると、左右の壁が高くなり日差しの届かない暗い道もありました。  



切通しの表情がいろいろ変化するのを楽しみながら下りました。



横浜横須賀道路が見える場所に、小学生の一団が休憩していました。
どうやら切通しを抜けたようです。

朝比奈切通し⑤熊野神社

2015-02-07 | 横浜



切通しの最高地点から横浜側に進むと、すぐ左手にあった崖です。
切通し工事の苦労が見えるようです。



同じような崖ですが、こちらは自然の崖が頑張っているようにも見えました。



右手に「熊野神社」の案内石碑があったので、参道に入りました。



杉木立の道を辿ると、鳥居と石段が見え、その先に拝殿が見えました。



この場所は鎌倉幕府の鬼門に当たるので熊野権現を勧進したもので、創建は文治元年(1185)から建久3年(1192)頃と伝わっています。
現在の本殿、拝殿は比較的最近の新築のようで、まだ白木の柱が日差しで輝いていました。



参詣を済ませて、また杉木立の道を抜けて切通しまで戻りました。

下飯田・美濃口家長屋門

2014-04-17 | 横浜



4年ぶりに境川左岸のかまくら道沿いの美濃口家の長屋門を訪れました。
頑張って屋敷の左端から全体を撮りましたが、屋敷の一部しか収まりませんでした。



長屋門も門前の畑の方まで後退しないと、全体が収まりません。
泉区の古道散策マップによると、最も昔の風情が残っている場所とされています。



中には入れませんので、門の車止めから庭の様子をのぞきました。



長屋門入口左端に郵便ポストが取り付けてありました。
郵便受けは右端にあったので、これは公共のポストのようです。