鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

下飯田・富士塚公園

2014-04-14 | 横浜



下飯田町の鎌倉街道に面した富士塚公園です。



掲示が源頼朝の危急を救ったという飯田家義の故事を伝えています。
富士塚城址とも呼ばれています。

下飯田・東泉寺

2014-04-13 | 横浜



横浜市泉区下飯田町にある相模八十八箇所の札所の東泉寺です。
本堂の左手に飯田家義の守り本尊を祀る薬師堂があります。



境内の墓地のサクラと向きがばらばらな地蔵たちです。



東泉寺の境内をまわって石段を下ると、そこは琴平神社の入口でした。

柏尾大山道⑦長後街道に向かって

2013-11-25 | 横浜



和泉小学校入口交差点からは、まじめに西に向かて歩きました。
小学校のの前の畑にあった出羽三山塔です。



小学校の先から南に曲がって、住宅地の中を進みました。
途中で見かけた石造物ですが、詳細は不明です。



長後街道に突き当たり、道の向こう側に明神社がありました。
ここは泉小次郎の館の鬼門よけに建てられたと伝わっています。



神明社の脇に建っていた石造物です。
左の塔は「蚕霊供養塔」です。



掲示によると、この塔は冷害で全滅した蚕の霊を慰めるための供養塔ということです。
側面は大山道の道標を兼ねていました。

この日の横浜地区柏尾大山道歩きは、ここを終点にしました。

柏尾大山道⑥ムジナに化かされた

2013-11-24 | 横浜



西が岡1丁目の畑地の中に「むじな塚」があるというので周辺を歩きましたが分かりませんでした。
昔の男道がその側を通っていたようですが、見つかりませんでした。



しばらく畑地を見て歩きましたが、方向を見失いました。



気がついたら予定より南に進んで、中田町に入り込んでいました。



なんとか県道402号線沿いに出て、北に向って戻りました。



「むじな」に化かされて迷いましたが、和泉小学校入口交差点に辿り着きました。、


柏尾大山道⑤西が岡公園

2013-11-23 | 横浜



桂坂公園に着きました。
振り返ると裾を歩いてきた緑の丘が見えました。



少し坂を上ると、中川地区センターでした。



中川地区センターの中庭の石造物です。
造成前の大山道沿いにあったものが集められています。



中川地区センター裏手の野球場では少年たちが試合中でした。



その先の西が岡公園ではケヤキの黄葉が綺麗でした。

柏尾大山道④永明寺別院から西谷戸へ

2013-11-22 | 横浜



不動橋のすぐ北側にある永明寺別院の門前です。
左手に不動明王を上に載せた大山道道標があります。



道なりに先に進みました。
この辺りは「西田の谷戸」で、左手は丘が残り、右は住宅地になっています。



途中にあった柏尾大山道の案内板です。



丘に上る小道を見ながら進みました。



大きな竹藪に沿って進むと、右手に西が岡の造成地が見えて来ました。

柏尾大山道③不動堂と富士塚

2013-11-21 | 横浜



岡津町で阿久和川の不動橋を渡り、北側の丘に向かいました。



丘の石段の途中にあった案内板です。



その昔、大山詣での人々で賑わったと伝わる不動堂です。



不動堂の後にある富士塚です。
泉区界隈で最も形の整った富士塚と言われています。



最後に向導寺の六地蔵に敬意を表してから丘を下りました。


柏尾大山道②阿久和川遊歩道

2013-11-20 | 横浜



大山跨線橋で東海道線を越え、瀬谷柏尾道路を進みました。



混雑する道路を避け、右手の阿久和川に沿った遊歩道に入りました。



川の両岸の桜が紅葉の盛りでした。



紅葉する桜の側で、花が咲いているサクラもありました。
「花もいろいろ」です。



泉区に入り、阿久和川に右手から子易川が合流する地点です。
大きなケヤキが頑張っていました。

柏尾大山道①不動坂不動堂

2013-11-19 | 横浜

戸塚の不動坂から泉区を西に向かう柏尾大山道を歩きました。



東海道不動坂交差点近くにある柏尾大山道の案内表示です。



柏尾大山道の出発点にある不動堂です。



横浜市教育委員会の解説です。



大きな道標の後の庚申塔です。
延宝8年(1680)に地元の施主が建立したものです。



この灯籠は元治2年(1865)に松戸宿の商人が建立したものです。

横浜駅西口再開発の近況

2013-10-30 | 横浜

小雨の中、2011年から始まった横浜駅西口再開発の近況を確認しました。



シアルビル撤去工事が進んで、駅周辺がよく見えるようになっていました。
西口ロータリーの北側から見ると、右手に残っている相鉄ジョイナス、左手奥にスカイビルが見えました。



横浜ベイシェラトンの回廊からの景色です。
右手奥にそごうビル、中央奥には横浜ベイクォーターのビル群が見えました。



横浜駅の駅名表示はシアルビルに取り付けてあったので、ビル撤去で無くなりました。
暫定で工事用の囲いに「横浜駅」と書かれていました。



これは西口の乗降客のための掲示です。
本格的な建設工事が始まると、また新しい掲示が必要になります。

横浜中央郵便局

2013-05-25 | 横浜



横浜駅東口にある横浜中央郵便局です。
かなり年季の入った建物なので、立ち寄って建設時期を尋ねました。
10分程待たされて、昭和44年12月10日落成と分かりました。
学生時代の昭和30年代はじめの頃、3年続けて年賀郵便配達のアルバイトをした経験があります。
この場所かと思ったのですが、私の通った郵便局はもっと古い建物だったようです。

横浜駅西口再開発の近況

2013-05-24 | 横浜



2011年着工の横浜駅西口駅ビル再開発の近況です。
工事の状況は、ビルの全面が覆われているのでよく分かりません。
横浜駅の看板だけが目立っていました。
よく見ると、駅ビルの左奥にあった東急ホテルは、すでに取り壊しが完了していました。




ホテルの跡地の側に行き、駅ビルの様子を眺めましたが、詳細は不明です。
多分、まだ取り壊し作業が続いているのでしょう。
2019年完成予定で、ここに地上33階、地下4階、高さ195mの駅前ビルが出来る計画です。

追憶の浅間神社

2013-05-23 | 横浜



横浜焼跡育ちの少年時代の記憶の中に浅間神社がありました。
子供の遊び場としては北限なので、確かめることにしました。
横浜駅西口から10分程の浅間下交差点の近くに入口がありました。



石段を登り詰めると、右折して坂になり、赤い鳥居が待っていました。



少し進むと、左手に何層もの屋根が見える気張った社殿がありました。



残念ながら、参拝しても記憶のかけらと一致する風景は1つもありませんでした。



境内に掲示されている由来を読んで、戦後から昭和33年まで、ここには社殿がなかったことが分かりました。
私の記憶は子供仲間の伝承によるもので、ここには来ていないことを確認しました。
「浅間神社には富士山につながる洞窟がある」という言伝えが強烈だったのでしょう。



横浜駅の赤い靴の少女

2013-05-22 | 横浜



横浜駅の中央通路にある「赤い靴をはいていた女の子像」見に行きました。
1982年に南口に設置されていましたが、駅工事のため1998年に一時撤去され、
2010年12月1日に現在の場所に再設置されたようです。



小さな像なのであまり目立ちませんが、周りを待ち合わせ場所らしく作ってあります。
小さな女の子は電車で横浜まで来て、横浜の波止場に行ったのでしょうか?



象の下には童謡「赤い靴」の歌詞が刻んでありました。

亀の子石とタワシ

2013-04-13 | 横浜


三溪園の入口近くに、亀の子石を祀った小さな社があります。
大亀が変化したしたと伝わる亀の子石は、咳を治す神様として信仰されているようです。


亀の子石からタワシを借りて、喉を擦ると咳が治ると信じられていて、
治った場合はタワシを倍にして返すのだそうです。
確かに石の上にタワシが沢山載っていました。