鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

ぶらり三溪園③

2013-04-12 | 横浜


もとは京都燈明寺の境内にあった三重塔です。
康正3年(1457)の建築、大正3年(1914)の移築です。


白川郷にあった合掌造りの建物、旧矢箆原(やのはら)家住宅です。
江戸時代後期の建築、昭和35年(1960)の移築です。


三溪園で唯一内部の見学ができる建物です。


囲炉裏のある居間です。
黒光りする柱や煙りの匂いが昔の生活を感じさせます。


これは縁切り寺で有名な旧東慶寺仏殿です。
寛永11年(1634)建築、明治40年(1907)移築です。


三重塔のあった旧燈明寺の本堂です。
康正3年(1457)の建築、昭和62年(1987)の移築です。


帰りにもう一度大池を眺めていると、今日の結婚式のカップルが記念写真を撮っていました。
よく見ると外国人のカップルでした。

ぶらり三溪園②

2013-04-11 | 横浜


三溪園内苑の建物を見た後、展望台の松風閣に上りました。
これは東南の景色です。
昔は一面の海だった場所です。



これは西の方を眺めた景色です。
はるか彼方に富士が霞んでいます。
ここも一面の海だった場所です。
三溪園が砦のように感じられました。

ぶらり三溪園①

2013-04-10 | 横浜


本牧三之谷にある三溪園に出掛けました。
昭和30年代の初期に訪ねた記憶がありますが、今回はすべて初見と言うべき体験でした。
正門から入り、先ず大池を眺めました。


明治35年(1902)に原三溪が住まいとして建てた鶴翔閣です。
この日は何組かの結婚式が行われていました。


紀州徳川家が慶安2年(1649)に和歌山・紀ノ川沿いに建てた別荘の臨春閣です。
大正6年(1917)の移築です。


これは旧天端寺寿塔覆堂です。
豊臣秀吉が母の長寿祈願に京都大徳寺に建てた寿塔を覆うための建物です。
天正19年(1591)建築、明治38年(1905)移築です。


京都伏見城で大名が来城の際の控え所であった月華殿です。
慶長8年(1603)建築、大正7年(1918)移築です。


二条城内にあったとされる徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築・聴秋閣です。
元和9年(1623)建築、大正11年(1922)移築です。

野毛大通りの桜

2013-03-30 | 横浜


図書館の食堂で休憩した後、野毛大通りを歩いて、桜木町に向かいました。
街並みがすっかり変わっているので、昔の記憶とは殆ど重なりませんでした。
「ちぇるる野毛ショッピングセンター」の前に満開の桜があったのが場違いで印象的でした。

ここは横浜中央図書館

2013-03-29 | 横浜


野毛山公園を抜けて、次に私の勉強部屋だった野毛山の図書館を目指しました。
昔のイメージを頼りに歩きましたが、記憶とつながる建物がありません。
突然大きな建物が目の前に出現し、そこを通り抜ける大きな階段に行き当たりました。
ここが横浜中央図書館(昔の野毛山図書館)でした。
1994年4月の開館で、現在では全国でも指折りの図書館なのだそうです。

野毛山のプールが見つからない

2013-03-27 | 横浜


関東学院の旧校舎を訪ねた後、思い出の道を辿って野毛山のプールを目指しました。
野毛山公園の南斜面に注目しながら歩き、展望台に上がって辺りを見回しましたが、プールはありませんでした。
展望台からいろいろ眺めていて、すぐ南の右下に長方形の草地が広がっているのに気がつきました。
家に戻って、グーグルの写真地図で確認し、ここが野毛山プールの跡地であることを確認しました。
私がはじめてを水泳を経験したプールはもうありません。
2009年に解体されたようです。

関東学院の旧中学校本館を訪ねる

2013-03-26 | 横浜


藤棚浦舟通りの霞橋の近くから3分咲きの桜を眺めました。
半世紀以上ご無沙汰の母校関東学院を訪ねようとしています。
戦後の復興期に中学・高校の6年間を過ごした場所です。


坂を下って、関東学院の正門に着きました。
ここから春らしいスロープをゆっくりと上りながら、なつかしい建物を目指しました。


暖かい日差しの中を、咲き始めた桜を楽しみながら近づきました。


屋上に八角の塔が4つある昭和4年(1929)建設の旧関東学院中学校本館が見えました。
当時は何も知りませんでしたが、この校舎はJ.H.モーガン設計で現在は横浜市認定歴史的建造物に認定されています。


昔も大きかったヒマラヤスギは、今では塔より高くなっていました。
枝に帽子を投げ上げて遊びましたが、今ではそれは出来そうもありません。
入学当時はこの建物にある礼拝堂で説教を聞き、讃美歌を歌っていました。


正面玄関です。
生徒はここから出入りしなかったので、はじめて見るような気分でした。


玄関右手に「人になれ、奉仕せよ」という校則を刻んだ石がありました。
簡明な言葉なので、これは今でも忘れていません。


目的の建物を近くから眺めたので、満足して今来た道を戻りました。
帰り際、入口の格子に大きな校章がついているのに気づきました。
格子越しに見える高台は霞ヶ丘です。


三春台の向う側の霞ヶ丘に上り、学校を振り返りました。
訪ねた旧校舎は木立の中に見えますが、三春台の高みの現在の中学、高校の建物が目立ち、時代の変化を実感しました。


本郷ふじやま公園・山路

2013-03-17 | 横浜


古民家から富士塚のみちを辿りました。


気持ちの良い里山散歩道です。


枯れ枝の落下に注意を促す見事な注意書きがありました。


ここがふじやま山頂です。
石碑が並んでいましたが、判読できませんでした。
富士講の記念碑のようです。


帰りは孟宗竹のみちを下りました。

本郷ふじやま公園・古民家

2013-03-16 | 横浜


横浜市栄区鍛冶ヶ谷にある本郷ふじやま公園です。
今年の2月15日で開園10周年を迎えました。


公園に移築保存されている旧小岩井家の長屋門前です。
小岩井家は鍛冶ヶ谷村の名主でした。


旧小岩井家の母屋です。
江戸時代末期、弘化4年(1847)の創建と伝わっています。


母屋の裏にある蔵です。


母屋前の庭から見た長屋門です。
背後の山路を右手に進むと、頂上に富士塚があります。

ちょっと大桟橋まで

2012-11-21 | 横浜


高校の同窓会が元町の近くであったので、少し早めに行き、みなとみらい線の日本大通りで降りました。
開港広場に近づくと、まるで「シダレイチョウ」のようなイチョウが色づいていました。
広場に居た人に大桟橋の方向を尋ねられました。
大きな船が入港しているので、写真を撮りに来た、と言っていました。


そこで自分も大桟橋(昔のメリケン波止場)に行くことにしました。
象の鼻の辺りから見ると、飛鳥2号が見えました。


折角なので、大桟橋の先端まで行き、飛鳥2号の船首とその向こうに見える「みなとみらい」の景観を撮りました。
バケツと竹竿を持って魚を釣った、少年の日の記憶の上に広がる景色です。


帰り際、もう一度象の鼻を通ると、昔の少年が2人並んで釣りをしていました。

京浜急行戸部駅周辺が故郷③

2012-10-15 | 横浜


京浜急行戸部駅近くの子供の頃から長い間通った銭湯です。
駅に近いこともあって、現在も営業を続けているのが嬉しいです。
子供の頃、母親が銭湯に行くと、飼っていた犬、猫、軍鶏が並んで付いていった記憶が残っています。


戦前の遊び場だった通りです。
ここで、子どもが群れて遊んでいたのですが、今となっては信じられません。


戦後、遊び場の通りに、「戸部洋裁学院」が開校して、若い女性が通ってくるようになりました。
現在は「横浜デザイン学院」となり、女性だけでなく、国際的な若者たちの集まる場所になっています。
故郷もすっかり変わりました。


京浜急行戸部駅周辺が故郷②

2012-10-14 | 横浜


京浜急行戸部駅の改札を通ると、目の前は急傾斜の階段です。
高架のプラットフォームに上るのはなかなか負担が大きいので、設置されたエレベーターは有効だと思います。


階段の途中から上を見上げたところです。
プラットフォームの幅に制約があるので、階段は上るにつれて幅が狭くなります。
視覚的にも余計に階段が急に見える構造です。


戸部駅のプラットフォームです。
ここから見える左右のエリアが、子供時代に私が遊びまわった空間です。
その頃は、ここの階段も時々遊び場になっていました。
高架のプラットフォームは風雨の時は逃げ場がなく、階段に避難して電車を待ったものです。

京浜急行戸部駅周辺が故郷①

2012-10-13 | 横浜


横浜生まれの横浜育ちですから、私の故郷は横浜です。
もう少し範囲を狭めると、京浜急行戸部駅の周辺が私の故郷ということになります。
戦前戦後、ここで育って社会人になりました。
京浜急行戸部駅は私の故郷の中心です。


各駅しか停まらない、高架の上にプラットホームがある駅ですが、最近リフォームされ駅らしく見えるようになりました。
エレベーターも作られたので、一応一人前の駅と言えます。


中学、高校、大学、会社のすべての場所に、初乗り料金で通えました。
流石に、現在の料金では全部初乗り料金とは言えませんが、150円あれば大丈夫です。

戸塚・矢部の湯

2012-08-05 | 横浜


戸塚駅東口から旧東海道の道を歩いていて、懐かしい銭湯を見かけました。
最近は駅から送迎付きのスーパー銭湯が人気ですが、絶滅危惧種の古い銭湯に郷愁を感じます。
古い友人と石鹸と手ぬぐいを持って、横浜の銭湯めぐりをした遠い日の記憶が残っています。


ネット情報で矢部の湯の風呂場の写真を見つけました。
これぞ銭湯と言う風呂場の画像です。
機会を作って、矢部の湯に行こうと考えています。