鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

藤沢宿・常光寺

2011-03-16 | 藤沢


関次商店の先を右折すると、創立元亀3年(1572)の浄土宗常光寺があります。
この寺は明治5年の邏卒屯所が置かれた場所で、藤沢警察署の前身があった所です。


何度か訪れた寺なので、今回は「かながわの名木100選」のカヤの巨木に敬意を表しました。
剪定と日差しの関係で、比較的明るい画像が得られました。
市指定の天然木記念物で高さ25m、樹齢300~400年と言われています。


参道の小砂利の上に「カタツムリ」と「カメ」のコミカルな石像がありました。
「ゆっくり行こうよ人生は」という意味だろうと勝手に解釈しました。

計画停電初日

2011-03-15 | 藤沢

東日本巨大地震の影響で、突然計画停電が始まりました。
結果は計画だけに終わりましたが、藤沢駅周辺の様子を見て来ました。


藤沢駅に隣接する名店ビルはシャッターが下りていました。


JR藤沢駅もシャッターを下し、貼り紙が貼ってありました。
利用者も「仕方がない」と言った感じで貼り紙を眺めていました。


JR藤沢駅南口のビックカメラの前には長い行列が出来ていました。
停電対策に、懐中電灯、乾電池、ラジオ等買いに来た人たちです。
店の人は、「一部の商品はもう在庫はありません」と叫んでいました。


江ノ電藤沢駅の掲示です。
計画した停電時間以降は運行を予定していましたが、まだ動いてはいませんでした。


江ノ電バスも遅れはあるものの運行していました。


藤沢駅南口ロータリー付近はバスを中心に車で大混雑していました。


藤沢駅から出発する車の列です。いつもより流れは良くありませんでした。


藤沢駅に近づく一方通行の道では、入ってくる車は少なく、ここだけ見るとのどかでした。
食料品を少しは買っておこうと思いましたが、時すでに遅く何も買えませんでした。
被災地のことを思えば、苦労と言えないレベルですが、明日以降が心配です。




藤沢宿・関次商店の文庫蔵

2011-03-14 | 藤沢


荘厳寺から更にしばらく進むと、トタンに囲まれた蔵がありました。
明治初年からの米穀肥料商で、現在まで続いている関次商店の文庫蔵です。


通り過ぎて振り返ると、現在のお店と蔵の様子が分かります。
このお店の裏にも古い土蔵がありました。

藤沢宿・荘厳寺

2011-03-13 | 藤沢


元米穀肥料商の蔵の先を右に入ると、真言宗荘厳寺があります。
創立は元歴元年(1184)なので、藤沢宿でも古い寺の1つです。


境内左手には、いろいろなものが並んでいますが、説明等がないので詳細は不明です。
資料によると、相模国準四国八十八箇所のうち4番と10番の弘法大師石像が安置されているようです。


小屋の中に石像が3つ、外に1つ石像があるので、さてどれが弘法大師だろうかと考えましたが分かりません。
家に戻って、別の資料で調べ、小屋の中の左と中央の石像が弘法大師だと知りました。






本日休載

2011-03-12 | 藤沢

昨日、外出先で東日本巨大地震に出会い、交通手段がなく現地で泊り、今日になって迂回しながら家に戻りました。
テレビ画面から流れる東日本大震災の凄まじい被害情報を知ると、私の個人的な影響など何ほどでもありません。
多くの被害者の無念を思いながら、本日は休載とします。合掌。

読売新聞東京仮本社

2011-03-10 | 東京


銀座6丁目の新橋演舞場の隣、以前日産自動車の本社があったビルのその後の様子を見に行きました。
正面に「読売新聞」の名前がありました。
読売新聞は2014年完成予定で大手町東京新本社を建設中で、それまでの仮本社として、ここに昨年10月に移転したようです。

歌舞伎座解体進行中

2011-03-09 | 東京


銀座4丁目で会合があったので、ついでに歌舞伎座のその後の様子を見てきました。
解体はほぼ終了して、跡地の整理中でした。
青空がまぶしいほど広がっていて、「東京にも空がある」といった感じでした。


工事現場のフェンスにあった掲示です。
「歌舞伎は未来へ続く…。」という表示がありますが、
「ハード」だけでなく「ソフト」の継承にもいろいろ課題がありそうです。

藤沢宿・永勝寺

2011-03-08 | 藤沢


北村屋から更に進んで、JA藤沢支所を右折してしばらく坂を上ると、左手に永勝寺があります。
創立は元禄4年(1691)の浄土真宗のお寺です。


山門の前に、「飯盛り女の墓」の説明があります。
天保時代、藤沢宿には100人近い飯盛り女がいたようですが、
旅籠屋の小松屋源蔵は自分の墓の周りに39基の飯盛り女の墓を建てたことで有名です。


飯盛り女の墓の一部です。


境内の奥の古い墓石をまとめて祀った場所にあった墓石です。
同じ女性の墓でも、その人生は大きな違いがありそうです。

藤沢宿・北村屋文具店

2011-03-07 | 藤沢


小林商店から少し進むと、北村屋文具店があります。
手元の資料によると、「店の奥には黒光りする土蔵の一部が見える」とありますが、
どうやら店舗は改築されたように見えました。
あいにく、シャッターが下りていましたが、蔵は店の左側にしっかり見えました。

藤沢宿・小林商店

2011-03-06 | 藤沢


旧東海道を白旗交差点から東へ進んだすぐ近くに小林商店「こばやし」があります。
正面から見ると年季の入った老舗の姿です。日用品雑貨の総合卸の店です。
横から眺めると古くからの建物を大事に使っている様子が分かります。


藤沢宿・松元商店

2011-03-05 | 藤沢


藤沢本町駅からすぐに旧東海道に出て、左折して白旗交差点に向かう途中、
左側に歴史を感じさせる商店があります。
バスで通りかかった際、右から左に商店名が書いてあったので、気になっていました。
「傘、履物、地下足袋、合羽」の松元商店です。
1階の日よけには左から右に店名が書いてあります。

佐川英三詩碑

2011-03-03 | 藤沢


鵠沼橘1丁目の通称「タコ公園」近くの民家の庭先に詩碑があります。
奈良県吉野郡出身の佐川英三(1913-1992)の詩碑です。
佐川英三は1945年池田克己、高見順等と詩雑誌「花」を創刊、
1946年に同じく「日本未来派」を創刊、長い間その発行責任者を務めました。
「戦場歌」「佐川英三詩集」等の詩集の他、「高村光太郎詩かたみ」などの編著があります。
日本現代詩人会の先達の一人です。

玉石垣の景観

2011-03-02 | 藤沢

藤沢市の景観ベストテンで、鵠沼の景観として選ばれた一つが「黒松と玉石垣」です。
砂丘と湿地を住宅地に開発する過程で、黒松を植え、玉石垣を築いたのが、景観遺産となっています。
玉石垣も次第に少なくなっていますが、まだ美しい景観を楽しめる場所が残っています


鵠沼駅を出て柳小路駅にに向かう江ノ電沿線の右側の)玉石垣です。


玉石垣の正面から見ると、標準的な玉石垣の構造が分かります。


同じ沿線の左側の小さな踏切に出てくる道の玉石垣です。


柳小路駅に向かう沿線左側の明るい玉石垣です。


柳小路駅近くから鵠沼駅方面を振り返った沿線右側の玉石垣です。