鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

天王森泉公園④森の中

2011-11-15 | 横浜


泉館の右手の森に向かいました。
歩道の脇に「くわくわの森」と言う標識がありました。
「くわくわ」とはクワガタのことでした。
側の階段を上ると天王森の「ひだまり広場」に出るようです。


ここが「ひだまり広場」です。
人影のない静かな秋の森でした。
あまり飾り立てない、そのままの森でした。


いくつか木のベンチがありますが、枯葉が使っているだけでした。
この森には子供たちは来ないのだろうか、と思った位です。


それで天王森へ来る途中で見かけた注意看板を思い出しました。
スズメバチが活躍する季節なので、子供たちは森に入らないいよう注意されているのかも知れません。
私もスズメバチを刺激しないよう、静かに森を抜け出しました。




天王森泉公園③裏庭の泉

2011-11-14 | 横浜


泉館の裏庭を見て歩きました。
玉石を組んで作った池に誘導された湧水が流れ込んでいました。


湧水の場所に近づくと、ささやかですがワサビが育てられていました。


目の前は水源そのものなので、すこしずつ小さな水の流れが出来て池の方に流れていました。


裏側から見た泉館です。
庭に沿った歩道を歩いて泉館を離れました。

天王森泉公園②天王森泉館内部

2011-11-13 | 横浜


泉館の内部を見学しようと入口に近づいて、一瞬はっとしました。
人が座っていると思ったら、農婦の人形でした。


1階はいろいろな行事に使われているようなので、2階を中心に見て回りました。
階段を上がった場所は、広い板張りの空間になっていて、裏手の景色が窓越しに眺められました。


表側の畳の部屋は、境の襖を取り外して、明るい空間になっていました。
大勢人が集まる際には、この場所が使われるのでしょう。


2階の窓越しに外を見ると、刈り入れの終わった水田や畑が見え、その向こうは境川遊水地公園でした。
公園の野球場から子供たちの元気な声が聞こえて来ました。

天王森泉公園①天王森泉館

2011-11-12 | 横浜


俣野公園の北端から横浜市の泉区の道に入り天王森泉公園へ向かいました。
しばらく行くと、分かれ道に庚申供養塔がありました。
そこから左の坂を下りました。


いきなり立派な建物の入り口に着いて驚きました。
公園のイメージとはだいぶ離れていました。


入るのもはばかるような小砂利を引きつめた庭に入って、建物を正面から撮りました。
この建物は天王森泉館で、旧清水製糸工場を移築保管したものです。
ここを中心に、自然観察会、わさび田作業など四季の行事が行われているようです。


天王森泉館説明掲示です。


相州春日神社

2011-11-11 | 横浜


俣野公園に隣接して、相州春日神社がありました。
七五三のお参りで記念写真を撮っている家族がいました。


山門を入ると、祈祷待ちの家族が何組かまっていました。
少子化の時代、子供が大事にされている様子が感じられました。

 
この神社はドリームランドが開発された際、奈良の春日神社の御分霊が勧進されたようです。
本家のイメージを尊重し、手洗い場には鹿が2頭いました。

三界萬霊塔

2011-11-10 | 横浜


俣野神社の社殿の左手の細道を抜けて少し進み、突き当りを左に曲がり、木立の中の道を上りました。



しばらく進むと左手に階段があり、上ると、古い墓石をまとめた三界萬霊塔がありました。
現在、過去、未来のすべての諸精霊を祀る場所のようです。



また木立の中の道を上り続けると、突然俣野公園に飛び出しました。右手にはドリーム・ハイツの住宅街が見えました。
時代を通り抜けて来たような印象でした。

俣野神社

2011-11-09 | 横浜


俣野観音堂の前の道を北へ進み、途中で右手の道に入りました。
通学路になっている細道を俣野神社の鳥居を目標に歩きました。


左に曲がる所に鳥居が建っていました。
自動車でも当たったのでしょうか、鳥居には修理の跡が残っていました。


鳥居から社殿に進む道です。
諸説あるようですが、この左手に俣野五郎景久の館があったという説もあるようです。


俣野神社です。
創建は不明ですが、安政3年に社殿が再建され、明治32年改築、平成16年銅板葺に葺き替えたようです。
右手に鐘楼がありますが、鐘はありませんでした。


社殿には白い塗料を塗ったような額が掲げてありました。
境内に樹齢125年(推定)のイロハモミジがありますが、紅葉の気配はありませんでした。

俣野観音堂

2011-11-08 | 横浜


俣野橋を渡ったすぐ左側に俣野観音堂があります。
最近整備されたようで、入口の扉に鍵が掛っていて中には入れませんでした。
俣野五郎景久は木曾義仲軍と戦う平家方に加わり討ち死にしたと伝わっています。
死期が迫った時、念持仏を故郷に祀るように託したので、観音堂には十一面観音像が奉安されているようです。

俣野橋を渡る

2011-11-07 | 横浜


境川の俣野橋を渡って、俣野ぶらぶら散歩に行きました。
この橋の右岸は藤沢市の西俣野、左岸は横浜市戸塚区の俣野町と東俣野町です。
平安時代は相模国鎌倉郡俣野郷で俣野五郎景久の領地でした。

西俣野の畑道

2011-11-06 | 藤沢


境川の俣野橋を目指して西俣野の畑道を歩きました。
所々に収穫済みで次の作物待ちの畑もありましたが、収穫を待つ野菜もまだまだしっかり並んでいました。


種まきが終わり発芽したばかりの畑とキャベツ畑の境目にミカンが1つ置いてありました。
置いたのは誰でしょうか? 人か烏か、ちょっと気になりました。

松林が消えた

2011-11-05 | 藤沢


何時もな何気なく通り過ぎる街角で「はっ」としました。
門の両脇から松林が茂り、奥の家が全く見えなかった屋敷の松林が伐採されていました。
ここも住宅開発されるようです。
右脇と奥の家の手前の松は残っていました。


ここの松林は「保存樹木」の指定もあり、2005年には「一時避難場所」にも指定されていました。
写真を撮っていると、自転車で通り過ぎたカップルが「もったいないね!」と言うのが聞こえました。

ラクウショウも半分赤い

2011-11-04 | 藤沢


新林公園の湿性植物園の池です。
遊びに来た親子がラクウショウ(落羽松)の根元に集まっていました。
よく見るとラクウショウの右半分が赤くなっていました。


どうやら先日の台風15号の塩害のようです。
この台風では、色々な木々が被害に会いましたが、ラクウショウも例外ではなかったようです。


ラクウショウの実が大きくなっていましたが、これも右側の実は色がよくありませんでした。
自然はいろいろな試練を与えてくれます。




見晴台がよく見えた

2011-11-03 | 藤沢


新林公園の西側を眺める見晴台です。
この日は絶好の快晴という日和で、見晴台は日差しで輝いていました。


ところが肝心の見晴らしは駄目でした。
冷え込んだ大気が強い日差しで温められ、朝もやのようになったようです。
藤沢の市街地はよく見えますが、その先の遠くの山並みは霞んでいました。
残念でした。

鳥獣保護区の掲示

2011-11-02 | 藤沢


片瀬山北公園の突き当りにある「鳥獣保護区(WIRDLIFE PROTECTION AREA)」の掲示です。
掲示の裏手の崖下は川名緑地で、左手は新林公園の里山散歩道に続きます。
余談ですが、最近は、「幼児保護区」「高齢者保護区」「女性保護区」「男性保護区」など、
「HUMAN LIFE PROTECTION AREA」が必要な気配が感じられます。

鵠沼地区公民館まつり

2011-11-01 | 藤沢


鵠沼地区公民館まつりをのぞいて来ました。
館内ではサークル活動の発表会など、いろいろなプログラムがありますが、
多くの人は売店の方にに関心がありそうでした。


自前のテントでは足らないので、よその地区のテントも活躍していました。
2日目だったので、商品が足らなくなった店もありました。


私の目的は、古本市でした。ハードカバー1冊100円なので、面白い本が見つかれば楽しくなります。
今回の成果は、妹尾河童(せのおかっぱ)の「少年H」上下巻でした。
「河童が覗いた・・・」シリーズのイラスト入りエッセイを愛読したので、この小説を読もうと思いながら忘れていました。
少年少女にも読めるように、殆どすべての漢字にルビがふってあります。