鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

高札場

2012-01-16 | 横浜


新春ぶらぶら散歩の最後は、神奈川地区センター(工事中)の前にある高札場です。
幕府が法度(はっと)や掟(おきて)を庶民に徹底するための施設ですが、明治に入り姿を消しました。
この高札場は、神奈川警察署の西側付近にあったものを、資料をもとに復元したものです。

神奈川台場跡

2012-01-15 | 横浜


滝の橋で旧東海道から離れ海側の神奈川台場跡に向かいました。
「史跡神奈川台場跡」の石碑を見た瞬間は、ちょっとがっかりしました。
石垣の上はトタンで囲まれた原っぱの駐車場で、その向こうはJR貨物の高島駅になっていました。


少しアングルを工夫して石垣を撮り、何とか台場の雰囲気を出してみました。


掲示に開発の経緯が記されているので、想像力を働かせて八千坪の台場、港を守る大砲をイメージしました。
みなとみらいの近くに昔の台場がそのまま残っている訳はありません。

宋興寺と神奈川の大井戸

2012-01-14 | 横浜


幸ヶ谷小学校の隣にある宋興寺です。
現在の建物は洋風ですが、開港当時、ヘボン博士がここで施療所を開いていたと知り少し納得しました。
ヘボン式ローマで有名なヘボン博士です。


宋興寺の右脇の道沿いに「神奈川の大井戸」があります。



一見、大井戸という感じがありませんが、徳川将軍や明治天皇が通行の際にこの井戸の水が使われました。
水の量が増えると翌日の天気が良くなると言われ、街道を通る旅人には「お天気井戸」とも呼ばれたようです。

洲崎大神

2012-01-13 | 横浜


旧東海道の風情を残す宮前商店街を進むと、左手に洲崎大神があります。
源頼朝が安房国の安房神社の神をこの地に招いたとされています。


神社前の道を海の方に進むと、現在の第一京浜の辺りが船着き場だったようです。
その昔は神輿を海に担ぎ入れ、安房神社の神と対面させる「お浜下り」が行われていました。

青木橋

2012-01-12 | 横浜


旧東海道は台町の東の端で環状1号線を渡り、青木橋を越えて宮前商店街の通りに続きます。
青木橋は明治5年(1872)に新橋ー横浜間に鉄道が開通した際、丘を削った切通しに架けられた橋です。
子供の頃から青木橋の存在は知っていましたが、陸橋という認識はありませんでした。

大綱金刀比羅神社

2012-01-11 | 横浜


旧東海道沿いの大綱金刀比羅神社です。
崖上の飯綱大権現と崖下の金刀比羅神社が崖の崩壊の後、合体して出来た神社です。
往時は東海道中の安泰、海上交通の安全の祈願で賑わったようです。


あまり広くない境内に沢山の神々が祀ってありますが、注目は御神木の松を切り上部に掘られた天狗の面です。
戦前まで立派な天狗の面が奉られていたようですが、横浜大空襲で焼失したので、再建したものです。

本覚寺

2012-01-10 | 横浜


高島山公園から東へ坂道を下ると、本覚寺の山門前に出ました。
山門脇の木立もユニークですが、「迎春」が沢山並んだ看板も目立っていました。


本覚寺は、横浜開港後の3日目から約5年間、アメリカ領事館として使用された寺です。
庭の松の枝を切り落として、星条旗を掲げたと伝わっています。

高島山公園

2012-01-09 | 横浜


高島台にある高島山公園に着きました。
見えている景色は山側に広がる住宅地です。
実業家高島嘉右衛門はこの山の上から指揮をして海側の埋立地(高島町の辺)を造成したと伝わっています。


海側を望む崖ふちに「鉄道の開通と埋立」の紹介と明治初めの写真の掲示がありました。
100年を越える時代が流れ、目の前の市街地の景色に昔日の面影を見ることは出来ませんでした。




神奈川台関門跡

2012-01-08 | 横浜


旧東海道を5分ほど上ると、左手に神奈川台関門跡・袖ヶ浦見晴所がありました。


神奈川宿の西の関門があった場所で、安政6年(1859)から明治4年(1871)まで在ったようです。


関門跡の裏側の坂道が神奈川宿歴史の道になっていたのでさらに高みを目指しました。

神奈川宿・上台橋

2012-01-07 | 横浜

新春ぶらぶら散歩で神奈川宿の辺りを歩きました。
横浜駅周辺で育ったのですが、この辺りはほとんど知らなかったので新鮮でした。


神奈川宿の西の端にある上台橋から歩き始めました。
車道のための切通しに昭和5年(1930)に架けられた橋で、橋の欄干中央には青海波の模様がありました。


上台橋から東に進む道が旧東海道です。
今は高層建物が続いていますが、昔の右側は崖地で神奈川の港を望む海沿いの道だったようです。

大庭城址公園・大芝生広場

2012-01-02 | 藤沢


冬の大庭城址公園の大芝生広場です。
この台地は大庭城が築かれるはるか以前、縄文・弥生の時代から平安時代に至るまでの長い期間、
人々が生活の場にした遺跡が見つかっています。
雲ひとつない快晴の下、冬の芝生が白く光っていました。