Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

疾走

2007-11-10 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/SABU

「神に捧げられたシュウジ」


公開時に気にはなってたんだけど、見られなかった作品。ジャニーズのメンバーが主役を演じている割には、取り上げられ方が今ひとつだったのは、とにかく暗くて重い作品だからだろう。SABU監督と言えば「弾丸ライナー」のようなスピーディで弾けるイメージだったんだけど、今作は非常にきりっとした鋭い映像で、思春期の少年の心を実に細やかに描いている。シュウジの人生は悲しいけど、彼はナイーブで心優しい青年全てを代表するシンボルのように思えた。

この物語を見るのに最も重要なのは「沖」と「浜」の位置づけだろう。「沖」はヤクザなどのよそ者が住みつく「異の世界」。「浜」は住宅地でいわゆる中流家庭の人々が多く住む「共同体の世界」。しかし、この共同体の世界は、よそ者を蔑み、世間体を気にする見せかけの共同で成り立っている腐った世界でもある。シュウジは、少年らしい好奇心と元来持ち合わせている心の優しさがきっかけで「沖」の人々と交流を持つ。つまり、境界線を越えてしまう。それが、最終的には彼に悲劇をもたらす。

しかし「浜」の住人である兄もまた、道を踏み外す。つまり、どちらの世界にいても、少年は傷つく。であるならば、シュウジのように人間らしい心映えを持って、境界線を乗り越える生き方にも意味はある。だって、とてもささやかではあるけれど、彼は最後に「のぞみ」という名の希望をこの世にもたらすのだから。

現代の日本にもし「沖」と「浜」しか存在していないのなら、シュウジはさながら希望を創り出すための「生け贄」とも受け取れるかも知れない。そう、シュウジは神に捧げられたのだ、と。聖書が物語で重要な役割を担っていることからも、そのような解釈は可能だと私は感じた。

さて、今作において、ヤクザの情婦を演じる中谷美紀が非常に印象的な演技を見せてくれる。私は「松子」より断然好きだな。驚いたのは、関西弁がとても上手だったこと。彼女は関西出身ではないと思ったんだけれど。それから、教師を演じる平泉成。いいかげんな大人を演じさせたら彼の右に出る者はいないかも。トヨエツは「ハサミ男」に次ぐおかしなヘアスタイルで神父を演じる(笑)。彼の演技の特徴的なのは、「何者かわからない」浮遊感。この神父にしてもいい人なのか、悪い人なのか正直わからない。シュウジを助けようと思えばもっと彼に深く立ち入ることはできたはずだしね。その辺の無記名性って言うのは、実にトヨエツらしい演技だったと思う。

「沖」と「浜」を繋ぐために生き抜いたひとりの少年の物語。彼の人生は確かに短かったけれど、彼の行いは、決して愚かなものではなく、尊いものだった。大人の私はそう信じたい。