Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

あるいは裏切りという名の犬

2009-01-02 | 外国映画(あ行)
あけましておめでとうございます。
昨年終盤は超多忙だったため、更新がかなり滞ってしまいました。今年は、マイペースで書いていきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。というわけで、年の初めは昨年末見た中で一番しびれた作品から。

★★★★★ 2004年/フランス 監督/オリヴィエ・マルシャル
「削ぎ落としの美学」



(エンディングに触れていますので、ご注意下さい)

ちょうど「アメリカン・ギャングスター」をレンタルした後に鑑賞したのですが、もう断然こちらの男対決の方がシビれました。ダニエル・オートゥイユとジェラール・ドパルデューという二大俳優の渋さ全開はもちろんなのですが、本作のすばらしさは脚本です。

レオとドニには、おそらく若かりし頃女性を巡るいざこざがあったのだろうと初期段階で匂わせられますが、その真相はなかなか語られません。そうすることで、観客は物語がどう転ぶのか全く先が読めないのです。ドニは本当はいい奴なんじゃないか。レオがあれほど正義感が強いのは、何か過去にトラウマがあるからじゃないのか。「宿敵」と呼ばれるふたりが何故「宿敵」となったか、その事実を隠蔽することで、観客のイマジネーションはどんどん広がり続けます。驚くべきは、最終的にその「宿敵の由縁」は具体的な説明がなされないまま終わること。確かに付き合っていた女を取られたのでしょう。しかし、ただそれだけのことです。回想シーンもありませんし、詳しい経緯も一切語られません。昔、女を巡って何があったのか。んなこたぁ、どうでもいいのです。ある意味、ミステリー作品におけるマクガフィンに似ています。ただ、そこに憎み合っている男と男がいる。関われば関わるほどに傷つけあう男と男がいる。とにかく際立ってくるのは、ふたりの一触即発なピリピリとしたムードなのです。

状況説明的な部分においても、一連のシークエンスの中にパパっと数秒のカットをインサートさせることで、全てを理解させる。そんな手法がたくさん見られます。極力セリフを排しているのです。最初から最後まで、この削ぎ落としの美学に満ち満ちていて、この先何が起きるかわからない不安と期待で胸がバクバクしながらエンディングまで一気に引っ張られました。警察内部での対立と言うベタな設定でありながら、汗臭さとは無縁。全編、クールに冴え渡った逸品だと思います。