★★★★☆ 1996年/日本 監督/青山真治
「ぎしぎしと音を立てひび割れてゆく」
山並みを捉える俯瞰のカメラから始まり、安男を迎えるふたりのやくざ。バイクを転がす健次。何事も起きぬ、この序盤の10分間からもう目が離せない。取り立ててこの演出がとか、このカメラワークがとか、目に見えて表出しているものではない、何か「佇まい」のようなもの。
実にするすると1日が過ぎてゆく。不快になったり、びっくりしたり、悲しくなったりなど全くせず、ただ壊れてゆく健次を眺めている。ここで描かれる痛み、虚しさ、孤独。それらのものは我々の中に入り込み、揺さぶり、訴えかけるような類のものではない。観客の心をざわつかせようという作為のない演出。それは、青山監督の揺るぎない自信がもたらしているのだろうか。このような佇まいの作品がデビュー作ということに驚きすら覚える。
感じるのは、健次のこわれてゆく心の音。ぎし、ぎしぎし。少しずつ、ひび割れてゆく。その破壊は突然起きたのではない。既にできていた亀裂が、小さな刺激を受けることで傷口を広げただけのこと。それはまるで、使い続けたひびの入った茶碗が強度を保ちきれなくなり、突然パリンと割れるかのようなのだ。しかし、その結果見えるのは途方もない虚脱ではない。それでもやっぱり、健次は歩き出す。どこへ?何とも言えない余韻が残る。
イントロダクションから受ける、やけっぱちでささくれた印象の作品では全くない。暴力をモチーフにしながらも、どこか達観したような清々しさすら漂う。そして、浅野忠信の存在感がすばらしい。
「ぎしぎしと音を立てひび割れてゆく」
山並みを捉える俯瞰のカメラから始まり、安男を迎えるふたりのやくざ。バイクを転がす健次。何事も起きぬ、この序盤の10分間からもう目が離せない。取り立ててこの演出がとか、このカメラワークがとか、目に見えて表出しているものではない、何か「佇まい」のようなもの。
実にするすると1日が過ぎてゆく。不快になったり、びっくりしたり、悲しくなったりなど全くせず、ただ壊れてゆく健次を眺めている。ここで描かれる痛み、虚しさ、孤独。それらのものは我々の中に入り込み、揺さぶり、訴えかけるような類のものではない。観客の心をざわつかせようという作為のない演出。それは、青山監督の揺るぎない自信がもたらしているのだろうか。このような佇まいの作品がデビュー作ということに驚きすら覚える。
感じるのは、健次のこわれてゆく心の音。ぎし、ぎしぎし。少しずつ、ひび割れてゆく。その破壊は突然起きたのではない。既にできていた亀裂が、小さな刺激を受けることで傷口を広げただけのこと。それはまるで、使い続けたひびの入った茶碗が強度を保ちきれなくなり、突然パリンと割れるかのようなのだ。しかし、その結果見えるのは途方もない虚脱ではない。それでもやっぱり、健次は歩き出す。どこへ?何とも言えない余韻が残る。
イントロダクションから受ける、やけっぱちでささくれた印象の作品では全くない。暴力をモチーフにしながらも、どこか達観したような清々しさすら漂う。そして、浅野忠信の存在感がすばらしい。