Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

WALL・E ウォーリー

2009-01-04 | 外国映画(あ行)
★★★★ 2008年/アメリカ 監督/アンドリュー・スタントン
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「もやもやの残る収束は次回への布石なのか」

まあ映像のすばらしさは言わずもがな。もはや、実写を超えたと言うセリフが陳腐にすら感じられます。ゴミだらけの地球にひとり取り残されたロボットの悲哀は、彼の向こうに永遠に続くと思しき色彩のない変わり果てた大地によって強調されます。
彼の前に現れたイブという最新型ロボットは、そのシンプルなフォルムながら、女性としてのかわいらしさが存分に観客に伝わり、さすがピクサーだと感心。そして、前半ほとんどセリフがないというチャレンジ精神にも感服。この静けさで引っ張るのはひとえに映像のチカラです。あまりのセリフのなさに、小さいお子さんは退屈してしまうかも知れない。しかし、そのリスクは負った上での作品、という意思を感じます。そこんところは、大変すばらしいと思います。

しかし、後半になるにつれ、なぜか乗り切れない。それは、ひとえに賢いお話にし過ぎたのではないか、ということ。最終的には鑑賞者に何事かを考えさせようという意図がうまく終結できていない、と感じました。そこまで深いテーマに足を突っ込むのなら、もっと掘り下げて欲しい。ぶよぶよに太った人間をもっともっとシニカルに表現し、罰を与えるなり、反省させるなりしないといけないのではないでしょうか。ちょっと人間に対して楽観的すぎるという感じ。私なら人間の手でWALLーEを壊してしまうエンディングにするな。
と申しますのも「2001年宇宙の旅」を意識した部分がたくさん出てくるのですが、あれが逆効果ではないかと。深いテーマを扱おうとしている意図が見えることによって、じゃあそれをきちんと回収できているのかと見る目が厳しくなってしまいます。この描き方では、地球のことなどを忘れ、自堕落な暮らしに興じていた人間があの変わり果てた地球でやり直すことなど到底できそうには思えませんもの。

むしろ思い切って、ウォーリーとイブの恋物語にシフトしてしまった方がスッキリします。説教臭いアニメが嫌いなので、宮崎アニメとか対抗意識燃やしているのか?と思ったりもして。ピクサーの挑戦魂は凄いと思いましたが、もはやこのテーマなら、バッサリと「楽しい」を捨て切る覚悟が必要。いや、この展開はもしかしたらピクサーの次回作の布石かも知れません。だとしたら、ピクサーはもう違うステージを見つめているのでしょうか。