Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

重力ピエロ

2009-05-31 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 2009年/日本 監督/森淳一
<梅田ガーデンシネマにて鑑賞>

「言うことなしの仕上がり」

映画化の話があがった時から、誰が“春”の役をするのだろうというのが最大の関心事でした。なぜなら、この春という少年の存在感こそ、映像化でのキーポイントだと思っていたからです。 春は、兄と違い背も高くていい男。 絵もうまく、スポーツ万能。 しかし、その持って生まれた才能は、彼にとって忌まわしい物でしかない。 彼は自分のDNAを呪っている。 若いくせに厭世的で頭の切れる虚無的な春。そんな春に岡田将生がバッチリはまりました。美しい青年という役ですので、きっちり美しく撮ってますね。惚れ惚れしました。「天然コケッコー」からよくぞここまで。感無量。

さて、現在を軸に過去の家族のエピソードが挿入されてくるわけですがこの繋ぎ方がスムーズ。編集が巧いです。現在進行している物語は連続放火事件というミステリー。本来は犯人捜しに興味が行くため、あちこちで過去のエピソードを入れられると流れが断絶して苛ついたりするものですが、そうはなりません。これはひとえに家族の物語として描こうという姿勢が徹底されているからです。過去のエピソードが入るに従い、家族の抱える闇と希望がじわじわと表出するその様に観客は引き込まれます。

原作を読んだ時、これは「新しい父性」の物語だなと感銘を受けました。本来授かった命を受け入れるのは、身籠もった母親です。しかし、この物語では、産む決意をするのは父親なんです。自分の子ではありませんから、これはこの世に生まれ来る全ての命に対する受容の精神と言えましょう。実際に身籠もってしまった女性の心情が置いてけぼりに感じることもなきしにもあらずですが、母親が亡くなった後、父親がひたすらに「最強の家族」を作り上げてゆくそのぶれのなさにそのような疑念もかき消されてしまいます。

これまで、男は子供の成長と共に父性を獲得していくと言われていましたが、本作はそういう概念に対する真っ向勝負。そして、受け入れ包み込むと言われる母性の役割を父親に与えた。その発想の転換ぶりに虚を突かれた感じでした。この尊き父性というテーマが全く損なわれることなく、むしろ小日向英世の見事な演技によって、さらに深められていたことが本当にすばらしい。冒頭、岡田将生がバッチリハマったと言いましたが、小日向英世がこの美しく、強い家族の物語を支えていたのは間違いありません。

そして、「二階から春が落ちてきた」「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」を始め、原作の中の重要な言葉がうまく際立っていました。何度も泣かされてしまいました。