Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

キャタピラー

2010-09-09 | 日本映画(か行)
★★★★☆ 2010年/日本 監督/若松孝二
<京都シネマにて観賞>

「エロ+反戦、ノスタルジー」

街を歩いていたらいきなりオッサンに肩を掴まれて長々と説教を食らってしまった。ふと観賞後そんな心境になり。いや、それが悪いというわけではありません。わたし、そういうオッサン、好きなんです。つい、微笑ましく見てしまうタチでして。それにこんなキワモノ反戦映画を撮れる人はそうそういないでしょうからね。若松孝二という人の存在が大変貴重だと思います。寺島しのぶですが、今の日本でこの役をやれるのは彼女しかいないってことでしょう。彼女も凄いけど、夫役の大西信満もまさに体当たりの演技。晒し者としてあり続ける演技はさぞや苦痛だったに違いありません。

観賞前はもっと夫婦の葛藤や駆け引きが描かれるのかと思ったら、戦争映画としての視点の方が前面に出てしまって、少し消化不良感を感じたのは確かです。もう少し支配者と被支配者の逆転がどろどろと描かれるかと思ったんですけど。天皇の写真と軍神と称える新聞記事が何度も何度もインサートされるんですよね。ちょっと、しつこい。その上にエンディングの元ちとせの「死んだ女の子」で、反戦主張のとどめです。くどぉーい。

女性のしたたかさや怖さを描くって意見もあるけど。いやいや、暴力夫があんな体で帰ってきたら、どんな人でもそうなりますって。そう、夫が戦争に行く前から暴力夫だったということ。これは結構重要な設定だと思います。なぜなら、戦争に行く前は大人しい人だったのに、戦地では人が変わってしまった。当時はむしろ、そういう人が大半だったのではないかと思えるのです。そう考えると主人公はもともと暴力で支配する者のメタファーなんでしょう。だったらば、夫婦間の関係性を丹念に描いたら、それで立派な反戦映画になったのに。戦争の進捗状況を知らせるラジオ放送などが夫婦間のドラマに入り込んでいる気持ちをさーっと醒めさせてしまう。食欲と性欲だけに支配された四肢のない夫、そして軍神の妻としてどんどんねじれていく妻、双方の心の裏側をもっと見たかった。脚本は荒井晴彦氏のお弟子さんの女性ってことなんですけど、この数々の戦争シーンのインサートは若松監督の希望によるものだったのか、知りたいところです。

とはいえ、反戦映画と言いつつ、性、しかも飛びきり奇抜な設定の性を真正面から描いているところが実に若松監督らしいところで、「食べて、寝て、食べて、寝て」と夫を揶揄するセリフがありますが、いやいや「食べて、寝て、やって、食べて、寝て、やって」が正解。おずおずと夫にまたがっていた妻がだんだん開き直って大胆になっていく。美しいとは決して言えない、むしろグロテスクとさえ見えるSEXシーンの数々に人間の業や性(さが)がまざまざと透けて見えます。果たして自分なら夫とはいえあんな姿の男を受け入れられるだろうか、という考えに及び、やはり本作は反戦主張が強いと言えども、凡人の常識をぶっ飛ばすキワモノエロ映画としての側面も大きい。誤解を恐れずに言うなら、これらのシーンを目当てに来る観客もいるでしょう。「エロ」と「反戦」の融合という離れ技。スクリーンを見つめながら、60年代にタイムスリップしたような気になりました。それもまた唯一無二な体験。若松監督、ありがとう。