Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

2010-09-21 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 1975年/フランス 監督/セルジュ・ゲンズブール

「奇跡的に美しい」

いつか映画館で見たいと思い続けてきた作品をようやくスクリーンで見た時の嬉しさはいつまで経っても覚えているもの。本作はゲンズブールが亡くなった時に心斎橋のシネ・マート(当時はパラダイスシネマという名前だった)で「ゲンズブール特集」が行われた時、喜び勇んで観に行きました。もう19年も前なんですね。帰りに購入したポスターは今でも我が家に飾ってあります。あの時は遺作の「スタン・ザ・フラッシャー」も観たんだけど、DVDにはなってないのかなあ。

で、DVDで見直したのですが、やっぱり奇跡的にバーキンが愛らしい。とにかく、彼女が映っているカットは全てといっていいほど、完璧。ゲンズブールは彼女の魅力を全て知り尽くしていたんだなあとつくづく思った。スクリーンで見た時は念願の1本に出会ったことで浮き足だっていたから気づかなかったけど、構図もとってもいいのね。これしかない!という構図があちこちで見られて、思わず声を出して感心してしまうような魅力的なカットにあふれています。特典でバーキンが「セルジュは画家になりたかったのよ」と話していて、なるほどと思った。ゲンズブールは酒飲みのいいかげん野郎なんだけど、絵描きの才能をスクリーンで焼き付けたんだね。

例えば、ホテルでのシーン。ジョニーがスカートを頭の上までひっくり返してたくしあげ、むきだしのお尻をつきだす。その時カメラはジョニーの顔をとらえるのですが、まくりあげたスカートがケープの役割となって、ジョニーがまるでマリア像のように見えるんです。これほど淫らなシチュエーションでマリア像のイメージを掻き立てられるなんて、やっぱりゲンズブールって凄いよ。ジョニーとクラスが裸でトラックのタイヤに乗っかって、ぐるぐるぐるぐる回ってるシーンも素敵だし、ジョニーがダイナーのガラス越しに立ち去るトラックを見つめるシーンでは、白い小さなペンキの跡がジョニーの涙に見えるの。おそらく、それは偶然の産物なんだろうけど、バーキンの美しさがあまりに神々しくて、こうした小さな奇跡が作品のあちこちで起きているんだと思う。

クラスキーを演じるジョー・ダレッサンドもバーキンに劣らず美しい。ゲンズブールはこのふたりを徹底的に美しく撮っていて、それ以外は全部汚くて醜い。寂れたバー、ゴミ溜め場、泥に染まる湖、ぶよぶよに太った体をさらす中年ストリッパー、ジョニーを痛めつけるオーナー。場所だろうと人物だろうと、全部ひっくるめてふたりの美しさの引き立て役なんだ。

初めて自分を愛してくれる人に出会ったジョニーの喜び、切なさ、そして絶望がスクリーンを駆けめぐる。バーキンってエルメスのかばんのことでしょ?なんて言ってる小娘は黙ってこれを見なさい。