Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

インセプション

2010-09-15 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2010年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
<MOVIX京都にて観賞>

「やっぱりもう1回見ないといけないの?」

本作はノーラン監督のデビュー作「メメント」にとても似ている。観客を惑わせ、スクリーンを見ながら頭をフル回転させ、ラストで煙に巻く。私は、辻褄合わせのために映画を見直すという作業があまり好きじゃない。本作にしても、ラストシークエンスの本当の意味や、冒頭のシークエンスとの整合性を検証するためにもう一度見るという味わい方もあるのだろうけど、私はそれは苦手です。
しかし、それでも「夢」という誰もが興味深く捉えている摩訶不思議な世界をとんでもない力技で映像化したノーラン監督の意気込みには感服するばかりです。夢の中ではとんでもないエンターテイメントな世界が広がっていたり、夢が覚めたらそれもまた夢だったり。そんな経験は全ての人が持っていると思う。常々、自分の夢を覗くことができたらどんなに楽しいだろうと思っているし。いわば、ノーラン監督は全ての人間が潜在的に持っている願望を本作によって叶えてくれたんじゃないだろうか。

だから、全ての夢のシークエンス(それが夢ではなく現実である、という解釈は抜きにして)が、ようやく巡り会えた映像のようでワクワクするのです。これらの映像は内容は荒唐無稽であっても、「夢の映像に違いない」という確信を観客は抱きます。夢なのに、リアルな出来事として、感じる。これは、とんでもない離れ技でしょう。このリアリティを支えるのは、夢には階層があるというシステムや階層を深くするほど時間経過が長くなる、という一体どこにそんな根拠があるのかサッパリわからない、しかし、あまりに巧妙にしかけられた理論のせい。ノーランの構想10年というのもどんな映像にするかというより、このロジックの組み立てに費やした年月ではないでしょうか。

いろんな説が流れているラストの解釈。コブの夢、または現実というはっきりとした結論が出るという見方もあるし、観客が勝手に考えればよいので、どっちでもないという解釈までさまざま。で、私の結論は…「夢」です。だって、あれが現実だとすると、普通のハッピーエンド過ぎで、そんなストレートなエンディング、ノーランは用意しないと思うから(笑)。だから、あれが夢だという証拠を探しにもう一度見直さないといけないってことなのかしら。あーあ、まんまとノーランの策にはまったみたいで、なんかそれもシャクだわさ。