Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

山猫

2012-04-24 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 1963年/イタリア 監督/ルキノ・ヴィスコンティ
(NHK-BSにて鑑賞)



「圧倒されるとはこのこと」

1860年春。イタリア全土はブルボン王朝から、国王ビクトル・エマニュエルの統治下に入った。
シシリー島の名門を誇っていたサリナ公爵(バート・ランカスター)。
彼は貴族の終焉を悟りつつあるのだった…。


むかし、むかーし、大阪の大毎地下劇場で見たことがあるのだが、それ以来か。
いやはや、デジタル技術の進歩はすごい。
今更言うまでもないが、ヴィスコンティ作品の本気度、作り込み具合はすさまじいんだけども、
こうしてクリアな画面を見ていると、画面の中の情報量に圧倒される。
貴族の屋敷、調度品、絵画、役者たちがまとっているドレス、アクセサリー。
何もかもが、一流で、ゴージャスで、きらびやかで、
スクリーンの隅々までぎっしり詰まっている感じ。
画面に映し出されるモノたちの情報量がハンパじゃない。
出てくるもの、出てくるものが凄すぎて、息を止めて見つめてしまう。

私自身はしがない商売人の娘で、現在もせっせと日銭を稼ぐ自営業なんだけど、
なぜか貴族の没落とか、セレブのアンニュイな気分を描いた映画が大好きである。
持つ者の憂いっていうのかなあ。消えゆく運命のものを想い、しがみつこうとする、その切なさ。

アラン・ドロンのカッコ良さったら、ないです。
どんな女性もメロメロですね。
絶世の美女とも言われるクラウディア・カルディナーレですが、
わたしはあんまり美しいと思わないです。好みの問題だろうけど。
例えばアヌーク・エーメなんかの方が何十倍も美人だと思うんだけどなあ。

まあ、それはさておき、全編の3分の1を占めるとも言われる、後半の大舞踏会は圧巻。
もうこんなシーンを再現することは二度と不可能でしょう。