Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?

2007-11-13 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2004年/アメリカ 監督/ピーター・チェルソム

「夫としての「ケリ」をつけたジョンに拍手!」


アメリカでリメイクされたのだから、アメリカ人が感情移入できるように改変するのは当たり前。オリジナルと比較することでこの作品の魅力が損なわれるのはもったいない。むしろ、私はオリジナルの持つ「小津」的ワールドをできるだけ損なわないように作られたんだな、と感心した。

日本と同じようにアメリカにもサラリーマンの悲哀はある。それは遺言専門の弁護士という設定で十分に出ている。道を歩けば弁護士に当たるというアメリカ社会で、死亡後の事後処理に明け暮れるジョンが語るナレーションは、アメリカ人のハートにしっかりと染み入るものだったのではないだろうか。

ほとんど同じ脚本でたった一つの相違点。これをどう見るかによって評価は分かれるようだ。正直、私はこの改変をとってもステキだと思っちゃった。つまり、アメリカ人は、オリジナルの役所広司の「ふんぎりのなさ」に「ケリ」をつけてくれたのです。もちろんオリジナルは大好きな作品ですが、あの時感じた「やっぱり最後まで奥さんはおいてけぼりだな」と思った私の感情にしっかり答が出されていて、このラストの展開はもしかしてオリジナルより好きかも!?と思ってしまったくらい。

このふんぎりの付け方って言うのは、日本人とアメリカ人の違いを実にシンボリックに表現していると思いますね。この改変は、アメリカ人の「奥さんへのおべんちゃら」かも知れないですけど、やっぱり120分の中できちんと答を出してあげる、というね。オリジナルは専業主婦ですが、リメイク版はキャリアウーマンでしょ。今時の女性なら、リメイク版の方がむしろ心情的にはしっくり来るんじゃないかな。

もう一組のペアも竹中直人と渡辺えり子ほど、キャラが立ってないと言う人もいるようですが、果たしてそうでしょうか?我々は日本人で、そもそも竹中直人のコメディアンとしてのキャラを知っているからそう思えるだけ。探偵事務所の助手がいちいち格言めいたことを言う辺りもシャレてます。

周防監督の作品が好きなので敬遠していましたが、もっと早く見れば良かった!と後悔しているくらい。夫としての「ケリ」をきちんとつけるリチャード・ギアは役所よりエライ!と私は拍手してしまいましたよ。エンドロールで出演者たちのその後も描かれていますが、これもアメリカらしくってGOOD!

ブレイブワン

2007-11-12 | 外国映画(は行)
★★★★ 2007年/アメリカ・オーストラリア 監督/ニール・ジョーダン
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「痛みをわけあえぬ街」


(ラストシーンについてふれていますのでご注意下さい)

愛する人がむごたらしい暴力によって奪われた時、残された者はどうすればいい。悲しいけど、法に任せるしかない。それが、常識というやつだ。相手が少年であろうが、殺人快楽者であろうが、被害者家族は法に任せるしかない。しかし、残された者のやりきれなさは、一体どこに向ければいい。そんな映画が増えている。先日見た邦画「誰がために」もそうだった。ひと昔前までは、殺人事件は怨恨が多かった。でも、テロや無差別殺人が増えた現代、「やられたら、やり返す」その矛先を一体どこに向けるのかすら、わからなくなってきている。この作品は、そのもやもやした気持ちに鋭く食い込んでくる。

しかし、やりきれなさに満ちた作品なのに、実に静謐で知的な雰囲気が作品を包み込んでいる。それは、エリカが読み上げる詩の朗読シーンのせいだ。映画は、冒頭エリカの朗読からスタートする。そこで語られるのは、我が街ニューヨークへの愛だ。そして、事件以降、エリカが紡ぎだす物語は一変する。ニューヨークで生きることの生き難さと恐怖が切々と語られてゆくのだ。搾り出すようなエリカのハスキーボイスを通じて語られるこれら詩の一遍、一遍が深く心に刺さる。そして、ざわめく街の音を取り続けるエリカ。恐れながらも、街に寄り添おうという彼女の心情が切ない。全編通じて、ジョディ・フォスターの演技はすばらしかった。

本作を見て、911以降、復讐をテーマにした作品は、配役にナイーブにならざるを得ないのだなということも痛感した。殺す人間が黒人で、殺される人間が白人の場合。殺す人間がアラブ人で、殺されるのがアジア人の場合。どんな組み合わせにしようと、加害者と被害者であることに変わりはないのに、それぞれの立場がどのような人種かによって、そこに内包される問題が微妙に変わってきてしまうのだ。本作は、殺されるエリカの恋人をインド系アメリカ人と言う設定にしたのも、これらの人種的詮索を避けるためではないか、という気がしてならない。

さて、ラストの展開が賛否両論を巻き起こしている。しかし、私はこの結論は、どちらがいいか悪いかを論議するために提示されたものではないような気がしている。なぜなら、この結末の大きな鍵を握っているのは、エリカではなくマーサー刑事だからだ。正義感の強いマーサー刑事は、エリカを逮捕する決心を固めていた。しかし、土壇場になってあのような方法を選択したのはなぜか。映像を見たからだ。エリカとその恋人が残忍な仕打ちを受け、死ぬほどの暴行を受けた映像を。それで、刑事の決心は一気に翻ってしまった。

結局、人間とは弱い生き物なのだ。携帯画面を通じてマーサーは、エリカの痛みと恐怖を共有してしまった。つまり、当事者になってしまったのだ。だから、犯人を目の当たりにして復讐への本能が勝ってしまった。しかし一方、刑事の行動から痛みとは人と分かち合うことができるのだとは受け取れないだろうか。だからこそ、もしエリカがこんなに追い詰められるまでに、誰かとその痛みを分かち合えていたら、と思わずにはいられない。エリカは、劇中まるで天涯孤独のように描かれていて、肉親は全く出てこない。手を差し伸べようとする友人やアパートの隣人が出てくるがエリカはそれらの一切をはねのけてしまう。

また、エリカの痛みを分かち合える場所は、ニューヨークのどこにもなかった。警察署に出向いた被害者家族に、「お気の毒でした」とまるでロボットのように言い続ける受付の担当官のシーンが印象的に浮かんでくる。しかし、愛犬を取り戻し、全てを話せるマーサーという男を得た今、エリカはもう二度と復讐という舞台には戻らない。私はそう思う。

お好み焼き 広島バージョン

2007-11-11 | 野菜作りと田舎の食
夫は広島出身。私は大阪出身。
ゆえに二人とも「お好み焼き」にはうるさい。

夫が作るお好み焼きを
広島風お好み焼きというと叱られる。
「風」じゃないだろ、「風」じゃ!
ん。まあ、大阪のお好み焼きよりも広島の方が歴史は古いのかもしれん…

というわけで昨日のメニューは広島のお好み焼き。
キャベツをたっくさん使った広島風は、
あっ、もとい。
広島のお好み焼きは、とてもヘルシー



うまかった!!
でも、やっぱでかい鉄板が欲しいなあ。
我が家はホットプレートで作るとおいしくない!と
二人とも思っているので、南部鉄のすき焼き鍋で作っている…
やっぱ鉄板でないとダメなのよ!

しかも、広島のお好みは最後に卵を割って合わせるので
すき焼き鍋とフライパンを両方五徳にのっけて
なかなか必至の作業である。

ああ、鉄板付きテーブルが欲しいなあ。
あのね、私が小さい頃、我が家に鉄板付きのテーブルが
あったような記憶があるんです。
足の部分をパタンと折り込めるような感じので、
真ん中に鉄板が入ってるような…
みなさんちはいかがですか~?





疾走

2007-11-10 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/SABU

「神に捧げられたシュウジ」


公開時に気にはなってたんだけど、見られなかった作品。ジャニーズのメンバーが主役を演じている割には、取り上げられ方が今ひとつだったのは、とにかく暗くて重い作品だからだろう。SABU監督と言えば「弾丸ライナー」のようなスピーディで弾けるイメージだったんだけど、今作は非常にきりっとした鋭い映像で、思春期の少年の心を実に細やかに描いている。シュウジの人生は悲しいけど、彼はナイーブで心優しい青年全てを代表するシンボルのように思えた。

この物語を見るのに最も重要なのは「沖」と「浜」の位置づけだろう。「沖」はヤクザなどのよそ者が住みつく「異の世界」。「浜」は住宅地でいわゆる中流家庭の人々が多く住む「共同体の世界」。しかし、この共同体の世界は、よそ者を蔑み、世間体を気にする見せかけの共同で成り立っている腐った世界でもある。シュウジは、少年らしい好奇心と元来持ち合わせている心の優しさがきっかけで「沖」の人々と交流を持つ。つまり、境界線を越えてしまう。それが、最終的には彼に悲劇をもたらす。

しかし「浜」の住人である兄もまた、道を踏み外す。つまり、どちらの世界にいても、少年は傷つく。であるならば、シュウジのように人間らしい心映えを持って、境界線を乗り越える生き方にも意味はある。だって、とてもささやかではあるけれど、彼は最後に「のぞみ」という名の希望をこの世にもたらすのだから。

現代の日本にもし「沖」と「浜」しか存在していないのなら、シュウジはさながら希望を創り出すための「生け贄」とも受け取れるかも知れない。そう、シュウジは神に捧げられたのだ、と。聖書が物語で重要な役割を担っていることからも、そのような解釈は可能だと私は感じた。

さて、今作において、ヤクザの情婦を演じる中谷美紀が非常に印象的な演技を見せてくれる。私は「松子」より断然好きだな。驚いたのは、関西弁がとても上手だったこと。彼女は関西出身ではないと思ったんだけれど。それから、教師を演じる平泉成。いいかげんな大人を演じさせたら彼の右に出る者はいないかも。トヨエツは「ハサミ男」に次ぐおかしなヘアスタイルで神父を演じる(笑)。彼の演技の特徴的なのは、「何者かわからない」浮遊感。この神父にしてもいい人なのか、悪い人なのか正直わからない。シュウジを助けようと思えばもっと彼に深く立ち入ることはできたはずだしね。その辺の無記名性って言うのは、実にトヨエツらしい演技だったと思う。

「沖」と「浜」を繋ぐために生き抜いたひとりの少年の物語。彼の人生は確かに短かったけれど、彼の行いは、決して愚かなものではなく、尊いものだった。大人の私はそう信じたい。

Ray

2007-11-08 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2004年/アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

「人生、その全てが音楽」


「Ray」はひとりの黒人ミュージシャンの話ではあるけれど、彼を先頭として黒人音楽がどのような道筋を辿ってきたかがよくわかり興味深い作品。常に新しいサウンドを生み出す黒人特有の卓越した音楽センスのすばらしさ、それは、決して我々日本人にはない恵まれた才能だとひしひし感じちゃう。

私など、晩年の超ビッグになったレイ・チャールズしか知らないので、あの曲にはこんなバックボーンがあったのか、という発見が次々とありました。そして、女と別れても、差別されても、それを全て「音楽で昇華させる」ところがすごい。彼女との壮絶な別れ話がそのまま新しいサウンドになるあたり、あきれるのを通り越してさすが!と唸っちゃいました。

●実は女ぐせが悪い
●実はお金にうるさい
という事実もきちんと盛り込み、レイ・チャールズの人間らしさを前面に出しているところも非常に好感が持てる。特に「お金にうるさい」というのは、黒人だからと言う理由でナメられてはいけない、という彼の苦難の人生から得た処世術がそうさせたもの。あのビッグスターのレイ・チャールズもこうやって、もがき苦しみながら生きてきたんだな、と感慨深いものがある。次から次へと女性の手首をなでまわす場面にしても、何だか大スターレイ・チャールズがすごく身近に感じられて良かったな。

ドリーム・ガールズでは、歌うシーンが少なかったけど、文字通り本作では主演のジェイミー・フォックスがレイ・チャールズの名曲を次々と披露。すばらしいパフォーマンスを見せてくれる。それにしても、この時代のミュージシャンって、みんなヘロイン中毒なんだよね。確かジャズミュージシャンにもたくさんいたはず。レイ・チャールズは克服して、大御所となったけど、ドリーム・ガールズのジミーは死んじゃった。薬物で明暗がくっきり分かれる、それもまたミュージシャンを描いた映画の常なんだな、悲しいことに。

明石焼

2007-11-07 | お出かけ
はあ…毎年この季節は異様に忙しいのです。
11月から12月中旬にかけて。
おかげでちっとも更新できません。
このネタ「お出かけ」のカテゴリーに入れてるのが悲しい。
本当のお出かけがしたいよ!

さて、昨日は取材で西明石まで出かけました。
で、せっかくなので明石焼を食べて帰ってきました。
もう~久しぶりですね!明石焼食べるの。
うまかった~。
地元では、玉子焼って言うのですね。
確かに卵のふんわり感が持ち味ですから玉子焼でもうなずけます。

だしにつけて食べる。で、このだしがウマイ!

私は大阪人ですから、家でたこ焼きは作りますけど
明石焼は無理だな~。

京都北部から西明石までは遠い!
ってんで、帰りは新幹線乗っちゃいました!
ごめんなさい!(って誰に謝ってんだ?)

偶然、新しい700系に乗れました。
先っぽ、なげー。

ああ、これ乗って本物の旅行がしたい…
でも、周りを見渡せば疲れたサラリーマンがいっぱいなのでした。
みんな、お疲れさん!



ヒトラー ~最期の12日間~

2007-11-06 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2005年/ドイツ 監督/オリヴァー・ヒルシュビーゲル

「私は絶対にマグダにはならない」


この映画はドイツ軍が降伏するまでの最後の12日間を描いている。ベルリン市内にロシア軍が侵入し、どうあがいたって勝ち目はない。それでも、全面降伏は許さないとヒトラーは叫ぶ。その1日、1日延びていくごとに、ロシア軍に攻め込まれた大勢の市民が毎日毎日ただ無意味に死んでいく。今日降伏すれば、明日は助かった命が、何千、何万とある。そのむなしさたるや。

その原因は、ヒトラーという独裁者がだだっ子のように降伏しないと叫んでいるからに他ならないのだけど、やっぱりこの期に及んでヒトラー信奉者がまだ存在しているということにも愕然とする。この地球で何よりも恐ろしいもの、それは人間の心だ、ということを我々に見せつける。「信じること」は、人に計り知れないパワーを与えてくれるかも知れないけど、その逆の事態になった時にこれほどやっかいなものはない。だから、私は信仰に懐疑的なんである。

その極端な例が、ゲッペルス夫人、マグダの取った行動だ。わざわざヒトラーのいる地下要塞に6人もの我が子を連れてきて、「ナチスの信念の元に子供を育てられないのなら死んだ方がまし」と言い放つ。また、このゲッペルス夫人をコリンナ・ハルフォーフという女優が演じているのだけど、彼女の演技が非常にうまい。まるで鉄の女である。これが絶対に正しいと言う強い意志の元に6人の子供たちを次々と死なせるその様子は、同じ女性としていたたまれない。しかし、これが戦争を生み出す狂信の姿なのだ。

この映画を見て、私は先の大戦についてほとんど何も知らないのだな、とつくづく思い知った。日本とドイツは連合国だったわけだから、ドイツの第二次世界大戦時の戦況を知ることは、すなわち日本を知ることなのだ。あまりにも当たり前なのに、今まで認識していなくて愕然としたことがある。それは、ドイツの降伏は5月7日であったということ。日本の終戦日が8月15日であるから、この約3ヶ月弱、日本はたった1カ国でアメリカを中心とした連合国を相手に戦争を続けたわけだ。

これはまさに、この映画の「最後の12日間」に相当する行為だったのではないだろうか。戦争がいったん起きれば、どの国にでも「最後の12日間」は存在するのだ。

ヒトラーをひとりの人間として描くことすら否定的な感情がうずまくドイツにおいて、ドイツの人々がヒトラーを描いた。それは、やはり、先の過ちを見つめ直し次世代に向かうときの禊ぎであり通過儀礼である。それと同じことを日本はすべきなのに、アメリカ人のクリント・イーストウッドにやられてしまった。戦艦大和もいいけれど、戦争の事実と責任を極めて客観的に描いた映画を日本人の手で作ることは不可能なんだろうか。

スターダスト

2007-11-04 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2007年/アメリカ・イギリス 監督/マシュー・ヴォーン
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>
「お姫様がもう少し儚げなら」

ニール・ゲイマンのベストセラー・グラフィックノベルを映画化したファンタジー超大作。越えてはならない壁の向こうに落ちた流れ星を探すため、壁の外に広がる魔法の国を旅する青年の冒険を描く。

確かに、ハリーにしろ、指輪にしろ、昨今のファンタジー映画ってのは、壮大になりすぎだと思う。それは、大人も一緒に見に行くんだ、というのをどう捉えるかってことにもなるんだけど、あんまりたくさん盛り込むと見ていて疲れるってこともあるわけで。その点、本作のようなおとぎ話というのは、見ていてラクなのね。子どもと一緒に見て、ただ単純に面白かったね!と言える。かくして、王子様とお姫様は結ばれました、めでたし、めでたし、という結末の作品は、最近なかなかお目にかかれないように思う。

物語はとてもオーソドックスで、さえない男の子が冒険の旅を経てたくましく成長する。そこに、王位継承の鍵である宝石探しが絡んできて、魔女やら王子やらがそれを追いかけて、主人公も巻き込まれていく。ただ、このお話のユニークなところは、空に輝く星が地球に落ちてきたら、美しい人間の女性の姿になっているということ。しかも、この落ちてきた星が「金星」なんですよ。「金星」=「ヴィーナス」でしょ。でも、演じるクレア・デインズがねえ…ちょっとヴィーナスってイメージじゃないのよね。もう少し華奢な人が良かったなあ。

魔女役のミシェル・ファイファーは、ちょっと気の毒なくらいフケメイク。美女になったのは一瞬ですからね、後はどんどんシミとシワが増えていく、という。いやあ、ツライ役だったろうと心中お察しします(笑)。でも、ラストの魔女の館での一騎打ちはなかなか迫力がありました。

王位継承者の7人の王子が次々と殺されて幽霊になるんだけど、王位が誰か決まらないと浮かばれないって言うんで、この世に浮遊してんの。で、殺し合った兄弟なのに、幽霊になった途端やたらと仲良くなっちゃって、あっちこっちでツッコミを入れる場面が面白い。強面の船長が実は変な趣味があった、とか、笑えるシーンがかなり多いのも良かった。

決して深いメッセージのある作品ではないけれども、旅の先々で空飛ぶ船に乗ったり、魔女と戦ったりっていうシーンは、やっぱり映画館のスクリーンだから味わえる醍醐味。それは十分に味わうことができました。

花よりもなほ

2007-11-03 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2006年/日本 監督/是枝裕和

「それでもボクは仇を討たない」


来ましたね。心にじーんと。
この映画は是枝監督の「911」への返答だと感じた。

宗左は「父から仇を討ってくれ」と死に際に言われ、「仇がどこにいるのかもわかって」いながら、結局仇は取らない。それが全て。仇を討って全員が切腹してしまう赤穂浪士の面々と、仇を討たずに長屋のみんなとの暮らしを選ぶ宗左を対比させて描いていることからも、それは伺える。「仇討ちは儲かる」というシーンもしかり。

しかも、この両者を同じ長屋に住まわせている辺りに、是枝監督の強い心情が伺える。そのほのぼのとしたストーリー運びとは対照的に、表現方法としてこんなやり方があったのか、と私は軽い衝撃を覚えました。

つまりは「生きろ」ということです。何だか途中で「硫黄島の手紙」を思い出してしまった。

そして、長屋の面々が実に魅力的。特に木村祐一はおいしい役どころだねえ。「来年も咲くから、潔く散る」なんてこの映画の本質を彼に語らせる辺り、是枝監督はよほど役者としてキム兄を見込んでいるんだなあ、と感じたのは私だけかな。彼が同じ是枝組の西川監督作品「ゆれる」で実に頭の切れる検事役をこなしているのを観ると、ますますそう感じてしまう。

一見して、実にオーソドックスな長屋の人情物語に、深いメッセージがたくさん織り込まれている。「花よりもなほ」というこのタイトルも秀逸。何だかやらわかで抽象的で、適当につけたようなこのタイトルの意味が、最後まで観ると合点がいきます。

強い批判精神を、柔らかなタッチで描き我々の心に染みこませる。そんな実に映画的な感動を味わえるお手本のような作品。是枝監督のメッセージを、多くの人に受け取って欲しいと思いました。

プルートで朝食を

2007-11-01 | 外国映画(は行)
★★★★☆ 2006年/アイルランド・イギリス 監督/ニール・ジョーダン

「内と外、相異なるベクトルの見事な融合」


「トランスアメリカ」と連続で見たもので、同じような設定に危惧したんだけど、いやいやとても良かったです。

そもそもゲイなどジェンダーに関係する作品というのは、とても内的な作品が多い。「私が、私が」って物語になっちゃうんですね。どんどん自分を見つめていっちゃう、という。個人的にはそういったテーマの映画って好きなんですけど、やっぱそればかりでも面白い作品にはならない。

ところがこの「プルートで朝食を」という作品には「アイルランドの独立問題」という極めて政治的な問題が大きな役割を担っている。政治問題というのは、とても「外的」な要素で、母を探しに行くという「内に向かう」展開と、国と国との対立という「外に向かう」展開が非常にうまく融合されていて、独自の物語性を創り出しています。

アイルランド問題は、監督のニール・ジョーダンが常に扱っているテーマなので、当然の展開なのですが、それでも「トランスアメリカ」の際も感じたように、ゲイの人が自分のルーツを探しに出る、というお話がたいへん多い昨今としては、出色の出来映えだったです。主人公のパトリック自身も爆弾テロに間違えられて拘束されるシーンもあり、パトリックの母親探しが軸でありながらも、暴力による制圧を断固として批判する姿勢が随所に現れていました。パトリックが恋人の銃を取り上げ、湖に捨ててしまうシーンは、そのものです。

そして、主人公パトリックを演じるキリアン・マーフィがすごく艶のあるゲイで魅力的なんですよ。次々と身にまとうオシャレファッションがめちゃめちゃ決まっててステキ。でね、やっぱりイギリスの映画は音楽がいい!ブリティッシュロックのシンプルさとメッセージ力ってのは、こういう批判精神が盛り込まれた映画にもの凄くしっくり来る。ロック以外の音楽も入ってますけど、一つひとつのシーンと音楽がぴったり重なる。ホント、イギリス人は音楽の使い方がうまいです。

ひとりのゲイの青年の母を訪ねる旅は、いろんな人々を巻き込み、自分自身も傷つき、揉まれながら進みます。36章という細かい割り方によるテンポの良さが、時に暗くなってしまうストーリーを軽やかに見せてくれる。主人公の魅力、全体のリズム感、そしてメッセージ力と全てがパーフェクト!ニール・ジョーダンってすごく硬派なイメージがあるんだけど、こういう軽やかな作品もうまいんですねえ。もちろん、言うことはきっちり言ってるところが、またすばらしい。