うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

WBC栗山監督の退任

2023年06月08日 05時57分19秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
5月31日、WBC栗山監督の退任が発表された。以前、「WBC栗山監督の饒舌R5/5/05付け」という大雑把な内容のブログ記事を書き込んだが、このほどわたしが愛読している≪週刊新潮・23.6.8号≫にその記事が載った。それを読むと、コーチ陣のコメントなどが載っていて、そういうことであったか、やはりなあ、と得心がいったもの。
          

 わたしが言ったのはまさにこのことだ。そんなにスポーツが得意でなく文系気味のわたしが感じたのは、勝つためにどうするかを優先順位で考えて選手のデリケートな部分で気遣いが行き届いていること、彼は指導者として各選手を尊敬しているが、世間の大外の仕事の世界でも、あるいはスポーツの世界でもよくあるように若い選手に対等に下手には出ていないことである。迎合はしない。こんなことは現実的によく考えてみると分かるのだが、わたしの実感でも、なかなかできることではないことだ。
 栗山監督はコーチ陣の選び方や選手の選び方も人を介せず自ら直接おこなっている。能力的には遠謀深慮の行き届いた進め方であった。組織論的には人のまとめ方をよく熟知している、やる気を起こさせる、人心収攬術とでもいうのであろう。どういう業界や世界でも指導者のあり方としては上級になろうか。監督としての人柄に加えて、過去の失敗への学習などの履歴が試されるであろうし、後任者は単純にプロ野球のスキルが上手であれば良いとは言えないことになる。
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WBC栗山監督の饒舌

2023年05月05日 06時33分09秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 わたしは世間の方々と同じように一か月前のWBCの試合には大興奮、熱中してきた。決勝戦は朝から勤務先で見た。個別にはわが郷土出身の大谷翔平、佐々木朗希になるが、ほかに大リーグのレッドソックスに今年から入ったレフトの吉田正尚(入団してすぐに4番にすわる。)や、オリックスの投手山本由伸に注目していた。
 山本の場合はこの最中に発刊された新潮新書の中島大輔著「山本由伸」を買って読んでいる。この人は打たせてアウトを取るタイプだ。その球種やコントロールが評価され、何とすべてが決め球だと解説者は言う、どういことなのか興味を持った。そこで一読したのだが、文体などと文学作品を期待してはいないが、記述方法や構成の組み立て、同じ内容の繰り返し、内容の粗密など錯綜していて全体的に文章表現力に難がある。加えてわたしの読解力不足もあって再び熟読の予定だ。
 ここで触れたいのはWBCでの優勝後のおびただしいコメントに栗山秀樹監督の饒舌ぶりだ。以前から本人の著書「栗山ノート」(光文社)があり、売れているようだ。しかしここではあくまでも従来のマスコミやインターネットのポータルサイトで報道されているニュ―スや記事をもとに感想を記していきたい。
 スポーツ関係で言われるのは良い選手ほど良い指導者になれるというのは現実的に難しいというのはやはり一面の真実だと思われる。わたしは、唯一の例外は最近は野村監督のみだと思う、かつては巨人の川上哲治がある。この世界では先天的に運動が肉体的に優れているのが才能があるとされるが、個人競技であれ団体競技であれそれは言えることだ。誰もが好きな道では頑張れるが、自らの適した出来る能力、出来ない能力を自覚してそれを物理的に時間的に継続して繰り返せることが重要で、それを積み上げられるかが結果的にはどうも才能の異名だとさえ言えるだろう。
 栗山監督は、国立大学を出ても好きなプロ野球への道へ低い指名のドラフトでヤクルトスワローズに入団するも、メニエール病の体質に気づいて数年のちに選手活動を止めざるを得なかった。しかし、何とかこの道で行きたいと念願し筑波大学大学院へスポーツ科学を学ぶことになる。そこで、すべからく物事をなす場合はその背景にあるものを探ること。また過去のプロ野球の世界を研究し始める。そして故人であるかつての西鉄ライオンズ三原脩監督の野球メモに出会うことになる。多分、多分探究心に満ちたこの期間には紆余曲折があったに相違ない。一貫しているのは文字をたどり思考を深めることで、これが栗山監督に合った才能を伸ばす方法であった。なんというものか、プロ野球の世界では異例の個性であるだろう。
 日本ハムファイターズの監督を経て、WBCの監督に就任する。そこでは優勝を目指しその目的意識は勝ち続けるにはどうするかである。試合には複雑怪奇な戦局の総合的な読みがもとめられる。選手、コーチ陣の人選と短期決戦の試合をつくること。試合中の選ばれた選手たちの体調、広い視野にもとづく試合の局面の瞬間的な判断力、そして戦術と戦略観の応用性が優れていたことによるだろう。そしてスポーツ界では稀な栗山監督の天性ともいえる気遣い出来る性格は、選手たち個人々々をのびのびとさせ持てる能力を自由に発揮させて、試合中は積極的な展開にさせることが出来た。
 その結果、つまり、栗山監督の優勝後の饒舌はその孤独な監督采配の裏側を文字化により得た表現力で皆さんに伝えたいということだった。

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小椋佳の奇妙なため息

2023年02月16日 05時46分29秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
もうすぐ 雨水 か、春一番が待たれるこの頃だ。最近は一日の天候が荒れ模様気味、朝晴れていても正午頃頃からボタ雪が舞い、気温も急低下する、乱高下の日々が続く。
 ところで、ここではわたしが唯一購読している『週刊新潮』に載った小椋佳の近況記事に触れる。彼の中では、カラオケの歌う曲としてはわたしは“白い一日”をひそかな十八番としているのだが、われわれ世代のポップスではかなり流行った曲が多い。
 彼は78歳、なかなかに矍鑠としているのだが、数年前の生前葬がマスコミによって知られている。不健康人生観、おっくうな人生、若い時のないもの探しそしてついに何もなかった述懐、銀行勤めと歌手活動、57歳の胃がん手術、ひとり暮らし、ご夫人との別居生活を話している。私に言わせると、彼の人生は恵まれていて生活も学歴も勤務先も順調だったと感じられる。
 内容的には今までの人生を振り返るという、感慨そのもの。
 作詞作曲、歌う曲は若い時のないもの探しをテーマにしたものらしい。道理で少年少女特有のナルシズム、甘ったるい自己陶酔の心中を吐き出したフレーズに満ちている。あの面相(失礼!)で爽やかな音声で静かに歌う、しかしわたしにとって、ただただ、あの時代が懐かしい。
 ところで、歌手名の“小椋”はこの秋に行った福島県の裏磐梯に多い木工細工を業とする木地師の苗字から採ったものらしい。
          
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単なる川ですが。

2022年11月02日 02時58分56秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
これは、この間行った植物園内を横断する川です。渓流とも言えるかな、それにしても水量の多い流れ。川の中には玉石を据えていて、水の作り出す白みと細やかでリズミカルな動き。自然をもとにした人工的な造形、清涼な空間。静寂な時のながれ。
 こういうことがある。わたしには、なんにも言えないことだ。
          

          

          

          
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書斎机の前の壁面です。

2022年03月05日 16時52分05秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
今日は啓蟄、その午後、やっと、関東にも春一番が吹いた。風は吹き荒れて、みるみるするうちに気温は17℃まで上がった。ギボウシはまだだが、わが庭ではやっと雪柳がつぼみを膨らまし、水仙も伸び紫陽花の新芽が大きくなり、3月に入ってからはわたしも寝る際の寝室のエアコンの暖房を止めた。最下段の画像は福寿草の花と、また栽培的に品質の良い鉢物を購入したもので色艶やかなビオラ、ヒアシンスとプリムラ・ジュリアンを載せる。
 ここでは書斎の画像についても加える。このわがミニ書斎は二階の道路に面した北東側にあり一坪半ぐらいか、この間取りの住宅を買うについては家内が是非にとすすめてくれたものである。わたしの本を読むこと、調査や思索癖、書き物をする筆まめの性格を見抜いたものか。机は引っ越し前まで使っていたリビングの食卓用のテーブルを転用した。今回は、乱雑だが、その机の前の葉の透かし模様であるクロス張りの壁面をアップする。
          
 画像では書庫の横で、前の壁に掲示しているのは、まずは倉敷市内の大原美術館所蔵の宗教画 エル・グレコの受胎告知 である。また、わたしは、福岡県北九州市のある会社に応募に応じて屋上緑化プロジェクトで1年弱も社員として雇われたことがあった。その時に利用する北九州空港と羽田空港間に新たに導入された飛行機、 スターフライヤー なのだがこれが機体がスタイリッシュで瀟洒なフォルムのAirBus社の機種で好きであった。昨年、わたしは福岡空港の搭乗スポットで久しぶりで見かけて実に感動ものであった。次に掲げるのは、わたしがUR都市機構の千葉県市原市内の大型の都市公園の施工管理職として勤めていたころ、現況の保存林内の山百合を重点的に管理していたのだが、しかしいつの間にか盗掘されてなくなったものでがっかりしたものである。
 右側のピンにぶら下がっているのは、宮崎駿作品の となりのトトロ に出てくる 真っ黒くろすけ とほかに トトロ のぬいぐるみも手に入れているはずだ。当時、わたしは子供が小さかったころでこのおもちゃに熱狂した。それに、わたしが企画して社内積立ての研修旅行で行った、和歌山県紀の川市の粉河寺で買った房の付いた真鍮製の鈴である。たしかここには、本堂の前に日本庭園風に高低差を生かし立体的な石組みがあった。
 次に、当時、実物を見たくてあこがれていたヒマラヤ(ブータン)の 青いケシ(ホリドゥラ・メコノプシス Meconopsis horridulaケシ科ケシ属) だが、以前、千葉県立中央博物館に足繁く通っていたころに展示会があり、入手していたものである。この希少な青いケシは、当時、国内では北海道、四国で栽培可能としていて存在するということだが、いまだに実見していない。(追記:最新の情報では長野県内の南信のある村で栽培に成功して見ることが可能だということである。)
 会津八一の色紙は、奈良行の時のものか、「南京絶唱」だったか。成田山書道美術館で買ったのだったか。
 おほてらの まろき はしらの つき うけを つちにふみつつ ものを こそおもへ

 以上、これらはわたしの20数年来のあちこち行動した旅先などの証拠みたいなものだが、思い出すに任せてここでは説明してきたが具体的な日時はつかめない。しかし、わたしのキャラ同然で茫漠としていてつかみどころがないと言う人がいるかもしれない。

          

          
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『韓国「反日民族主義」の奈落』と『ペルソナ』を読む。

2021年08月29日 07時54分16秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
もうすぐ9月、少しは暑さが和らいだか。千葉へ帰省した一週間は雨、雨続きでうんざりした。こんなお盆休みは今までなかったぞ、秋雨前線にはまだ早いし異常な天候だ。実家ではわたしにとって庭木の剪定もままならず、ほかの用事もはたせない。帰りの飛行機のpeachも一日延びた。
 画像は散歩途中に採取したブーゲンビリアの花、開花期間が長い、どうしてもわたしはこの赤紫色の花びらにひかれる。活けるものがないので日本酒2㍑箱を切断し加工したもので代用する、こんなことは単身赴任者としては日常茶飯事のことである。
          
 盆休みの間のことをつらつら思い出すと、本だけはいい本が読めたかなと、おもう。『山本七平の思想』東谷暁。古い本だが、山本七平の『日本資本主義の精神』を再読、そこでは成熟した町人文化、時代の商習慣の起源を江戸時代の思想家にもとめている。石田梅岩の「都鄙問答」、鈴木正三の「破吉利支丹」等。現代では無意識であり当たり前とされる伝統や歴史、それらはあらためて今でも残る日本の会社という組織、仕事上のやり取りや慣習をおもいおこさせる。
『韓国「反日民族主義」の奈落』呉善花 は呉さんの韓国人の反日の由来を歴史的に古典から腑分けしていて女史の著作物としては出色の出来映えだ。わたしは、一晩で読み終えた。

『ペルソナ』中野信子は脳科学者とされて、『サイコパス』で出版的には世に出たのかな。この本は実態は自叙伝でありながら、異質で情緒はなく具体的な事実に触れずに理念的であり、概念語を多用し無機質な記述でまとめられている。理系に多い乾いた文体とでもいうのかな。
 最初に感じたことはこの人は学者としては、研究対象へのモチベーションが秀抜ということになるだろうか。生き方としては生い立ちが恵まれず、幼い身の上では厳しい事態であったが、しばしば、才能と言うものは不完全なものや過剰なものを本人自身が自覚したときに得られる。もっとも、幸福感とは無縁なはずだが。
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昔、住んでいたアパートを訪ねた。

2019年12月23日 05時15分44秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 先日、昔、住んでいたアパートを訪ねた。千葉県内の市川で樹木医の研修会があり、その帰途に町内の空き地に車を止めて歩きまわる。わたしが20代半ば、アルバイト生活の頃はまるで人生のどん底だった。今のJR市川駅前のロータリーにあり、崩れかけていた小屋のような不動産屋に紹介された家賃7,000円のアパートの一階の奥まった一室である。木造モルタル造り。全く陽は差さず、一部の畳や根太が見えるほど床が腐っていた。都市ガス水道付き共同トイレ(汲み取り式)の6畳間である。部屋数は一階二階で12室、入口を入ると管理人を兼ねた品田さんという旦那がNTT勤めの家族がいて、わたしの隣はいつも室外に聞こえるほどの奇妙な独り言を言うおばさんがいる。千葉に多い野菜の行商(かつぎ屋?)を生業にしていると聞いた。斜向かいには仕事に就いているかどうかわからないが、何か商売にでも失敗した50代と思われる男の独身者がいる。隣家には金属工芸品の製作加工を主人が個人で行う家庭があった。この家は賑やかで笑いの絶えない家であった。

           

           

           
 わたしは、大学の夜学に通っていた埼玉県川口市内の自動車部品のピストンリング会社を一年で退職する。その会社は70人の新入社員の中で2番目の成績で入社、わが故郷の高校ではテストケースと言われた。そのあとはまだ向学心に燃えていたわたしは、昼間の大学に再入学するべく報知新聞の求人欄で亀戸の新聞販売店に入り新聞配達をする。その後はその新聞販売店の住み込みをやめ、都営地下鉄新宿線の工事現場で働く。
 当時のトンネル工事は都内下町の幹線道路下であり、まだ推進工法は一般化されておらず開削方式で道路の上部は覆工板を設置し、掘削作業部分の地下部を鋼矢板で山留めしていた。その中の長い地下階段を下りて行き、暗い空間に照明ランプがともる中でスコップと一輪車で掘削する土方稼業である。そして人夫となったわたしは、流れ者のように現場が変わるたびに江東区亀戸や世田谷区弦巻の飯場に移り住んだ。まだその時のわたしは、大学に在籍中であったか、やめていたのか・・・。
           
 このアパートには6年間住んでいたが、土木作業員、青果市場、亜鉛メッキ会社、日本通運の引っ越しや駅での作業、最後には家賃を10箇月分貯めてしまって、これはなんとかしなければという思いで今度は正社員採用としてガードマンになる。追って、溜めていた国民年金保険料の一括払い。そこで、あちこちの警備現場を回る。そのうちに都内の神田須田町に会社があったその警備会社も倒産する。
 わたしが生涯に初めて電話を引いたのもこの頃だ。駅へのルートに、市川駅前のダイエーで初めて自転車を購入したが、その頃には物を所有するという不思議な感覚を味わったものだが、間もなく盗難に遭ってしまう。ないない尽くしの貧乏生活であった。
 アパートの入口の外部のスペースにすき間があり、そこにあり合わせの植木鉢に、近くの江戸川べりから土を持ってきて小型の西瓜(こだま)苗を植えて、行灯(アンドン)仕立てにし、見事に実を付けたのには感激いっぱいであった。観葉植物のアビス(オオタニワタリ)の胞子による繁殖については、その後に団地に住み始めて室内で成功する。わたしにとって、多分このことが植物を扱う造園の道に進む契機になったことだろうと思う。
その後、千葉市内の団地を申し込み当たり初秋に引っ越しする。わたしは28歳、新しく知り合った彼女と住む結婚目的であった。
 社会復帰という思いで振り返るとわたしの人生には二度の落後者の時代があったように思う。この時はまだ一回目である。
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さざんか梅雨

2019年11月23日 06時35分33秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
今日は久しぶりの雨、暦の上では小雪である。11月22日7時50分の頃、職場まであと25分か。わたしはクルマでの通勤途中、NHKのラジオが気象用語で季語(?)の山茶花梅雨のことを言っていた。気象予報士だ。そこで、たちまち、句が浮かんだ。わたしたちの日常生活で、朝はそれぞれの行動や所作の時間差があらわになるのだ。

  ・さざんか梅雨 我れハンドルを握りて 街びと忙し

  ・軒先へ 橙(ダイダイ)色づく 小雪かな

  ・厚着する母は吾子を抱えて 自転車をこぐ
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新潟土産 西洋梨の「ル・レクチェ」を紹介。

2018年12月08日 04時30分36秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
以前に新潟土産としてアップしたが、ここでは西洋梨の「ル・レクチェ」を紹介。この品種は仕事先の地元の方に教えてもらう、そのうちに新潟テレビでのヌーボーワインの予告発売のようにニュースで改めて知り、これは是非にと思い近所のスーパーで購入する。3個詰めで¥680+消費税。「ラ・フランス」とは違い、味覚的にはねっとりして桃ともポポーのようでもありあの西洋梨独特のじゃりじゃり感はなし。

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 これは左から地元の渋柿、会津柿と、なんだか、一本の木にびっしり実を付ける「会津身知らず柿」のようです。それにわが家の甘百目柿です。
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上弦の月

2018年10月22日 05時36分39秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
わたしは、現在は高速道路上の工事に従事しているが、そのための交通規制が重要だ。車が疾走する中でおこなうのだが、安全上はかなり危険と隣り合わせである。通行止めをせず、既設の2車線を工事の都合上3車線に増やしそのスペース内でアイランド(島)規制をおこなう、その中でこの21日間は連日、「先頭固定」方式という規制作業に加わりこのほど役目を終了した。
 実施時刻は交通量の少ない深夜である。各車両は高速道路用無線とIP無線と携帯電話を持ち相互に台本を持ち本部と連絡を交わす。車は4台、毎回10名と工事現場規制作業班6名前後のスタッフは緊張感にある。拘束時間はほぼ2時間半。現場から8km前にまず追上げ車が空いた頃合いを見計らい既存の車の後尾に着けて高速スピードで追い出しにかかり、そのあとに空白距離をかせぎ、2車線を規制車2台が追越・走行車線の後続車を30から40kmの低速走行をして塞ぐ。その時間差5~7分を利用し工事現場地点での交通規制を完了させるのだ。その最終日の待機中の少しの静寂の間に、ふと句が出来た。

  ・昂まる気配に
    クルマを並べて待つ
     上弦の月
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良寛を訪ねて

2018年08月21日 17時52分37秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
この間の休日、新潟の出雲崎に良寛を訪ねた。日本海を眺める残暑厳しきロケーションです。
 その記念館で投句したのは、
  ★見あげてぞ
      良寛をたずね
        蝉らが鳴きおりぬ

            

            
      
            

            

            

            
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内湾の埠頭にて

2017年04月14日 05時28分59秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ



   ・光る海 かもめ群れ立つや駆動音

 
   ・小波寄せ かもめら睦みつつ 春来たる


   ・夕凪に かもめつどいて何を語らむ


   ・夕暮れて 寄せては返す波に待ち人の如き


   
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機中での三句

2016年12月01日 05時00分45秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 先日は研修旅行で、「小川内の大杉」 の移植を見に福岡と佐賀の県境の山峡のダム湖に行ってきた。
 旅程は、吉野ケ里町周辺の大杉・アカガシの移植地・サザンカ北限地とヤマモモの自生地 ⇒背振山⇒朝倉市隠れ家の森のクス⇒武雄市内の三大クス⇒宇美天満宮の大クス などの樹木医仲間の道行きである。
 そこでは山や人里は万葉集の風情が漂い、歴史上の人事交流の多さや戦さにまみれた土地柄に、計算されたように見える近代の最新土木を活用した移植技術工法の粋の数々が残された風に思える。
 羽田から福岡空港まで行きも帰りもJAL便の旧式のボーイング777だったが、出発時機内で作句したものを載せる。離陸後まだ水平飛行に移る前、我が句帳とも言うべき野帳には震える文字がこねくり回したように残されていた。

 ところでわたしは、実は今まで俳句歳時記を見ずにいたが、この頃、季語というか語彙不足(イメージ不足か?)を実感したのでこれからはつとめて瞥見することにしようと思う。

   ・空つ旅 目をつむりて辿る 朽ちる日々

   ・我知らず身構える震えに震災を思う

   ・秋天空 如何に飛ぶのか 居眠りをする
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晩秋三句

2016年11月14日 03時58分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 立冬も過ぎて木枯らし一号も吹く。晩秋も極まる。街は年に一度の地元の大祭で、人気の少ない病院の診療は混まず、あっという間に終える。
 潤いの少ないこの頃に思いを致し、診療を待つ間に無聊をかこつわたしは無理に時候を詠む。しかし出来映えは、俳句のレベルに上がっていない。

  ・煙草吸い
     喉にさわりて
      虚空を見る

   ・冬ざされて
     石蕗も咲きぬる
      秋気なか

   ・赤とんぼ 昔日の如き 秋田中
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若葉の頃から晩春へ

2016年06月26日 06時26分23秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
慌ただしい人事の世に、時候は若葉の頃から晩春へ移っていく。そして、今は初夏。その狭間に詠んだ俳句の寄せ集めです。
                
 地元、田園の中を市民バスの車窓から眺めると、桐の木には松明状のぼってりした濃い紫の花を付けている。桐は縁起物ではあるが、放置された如くに畑や家屋のそばにあまりきれいとは言えない樹幹や形をさらす。
 ・蒼穹に ぶらりと桐花 映えいづる

 ある会合前の時間つぶしに県庁前の古い公園で休息、その春日の欅林の情景である。
・木漏れ日の ゆらりと青葉にこもり 夢うつつ
 
 稲毛海浜公園の樹木医ボランティア活動に参加すべく、足急ぐ。その途次に思わず開けた光景に昨年の気仙沼の海を想い出した。  
・稲毛浜 懐かしき潮香に 紅きディゴ
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