うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

雑感、四川大地震

2008年05月29日 18時54分52秒 | わたしの日常です。
今日は雨。風もなく雨粒が垂直に落ちている。屋根で撥ねたつ音、葉に落ちる音が聞こえる。そろそろ、走り梅雨か。やかましい野鳥の声も聞こえない。うちのサインポストの前のヒペリカム・ヒドコート(西洋金糸梅)も鮮やかな黄色い花を咲かせた。並んで置いてあるギボウシの鉢は、左側から白覆輪の‘パトリオット’、淡黄覆輪の‘オーレオマルギナータ’である。[画像-上部掲載]

 最近不思議に思ったことの中に、中国・四川大地震がある。
 13憶の国民がいるのに、被災地への国内の救護ボランティアがいないようなのだ。日本人なら、相身互いで多少は行動するはずだ。阪神・淡路大震災、度々の新潟地震などでは活躍したものである。わたしの身近でもガス会社勤務の人間が待機要請を受けていたほどだ。
 悲惨な天災の場面においても、聞こえてくるのは、どさくさまぎれの悪行、火事場泥棒の数々、なんなんだ、この中国という国は。
 わたしたち日本人は無意識のうちに欧米の社会をお手本にしている。それに反し、中国は欧米の思想を顧慮しようとしないし、国際感覚を必要としないほどの中華主義を誇り持っているのだろう。
 また、この中国の国民一人一人ほど、バラバラなのは見たことがない。もともと、面従腹背の国民性。昔からよく砂粒の民と言われていてこの国を一つの方向にまとめるのは至難の業のようだ。法治国家ではないから民主主義国ではない。中国共産党というイデオロギーによる人治の国。実は現代の共産主義という政治体制も一種の衣であって、現段階では、“国勢”膨張主義的なプロパガンダのみの国ともいえる。海外的には資源のある開発途上国に資本・物だけではなく、漢民族という人的資源も供給していくように見える(華僑の先例もある)。
 中国に対して、古来、日本人は文化、歴史の源泉として郷愁的な思いを誰でも持っていると思われるが、両国は一衣帯水の関係などと、そろそろそんな期待を込めた考え方は捨てたほうがいい。
 隣国だから不即不離、距離感覚を適切にしてつきあうほかはない。
    
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市川雷蔵の陸軍中野学校

2008年05月26日 18時34分20秒 | わたしの日常です。
昨日の雨が嘘であったような快い晴れ。青葉繁れる‘小満’も既に過ぎた。野外の温度も上がり、紫外線が強い、もうすぐ衣更えの季節だ。
 休みの日、活字中毒のわたしは10年以上も前の総合雑誌を読んでいる。新刊はたまに買う。押入れの中から綿ぼこりのかぶったものを引っ張り出す。文芸春秋、諸君、新潮などだ。石原慎太郎の青嵐会、細川内閣がどうだとか、北朝鮮の拉致疑惑判明の頃とか、小沢一郎の自由党だとかが記事になっている。そういう古い読み物を読むと、いかに将来予測が難しいか、思わず笑ってしまう。得々として、学者などが小賢しげに現状分析して読者に知らしめている構図がなんだかたとえようもなくおかしい。

 ところで、この間、やっと探し求めていた大映映画の市川雷蔵の陸軍中野学校の5枚組DVDを入手できた。セット価格¥21,000,わたしは購買力が落ちているので、もちろん,分割払いだ。過去の映画俳優では赤木圭一郎、垂水悟朗が好きであったのだが、市川雷蔵の魅力にひかれたのはずうーと後で30才後半のころ。静的で明るいのか暗いのかわからないキャラクターがいいのだ。役回り上もせりふは全体的に気障なのだがそういう風に感じさせない。京都弁を下地にして標準語をしゃべると独特の雰囲気を出す。正直にみるとイントネーションはめちゃくちゃだ。しかしあえて言うと思索的な音律だ。感情を出さず抑揚のない叙述体の会話。
 1966年代製作なのでカラー化されていたはずだが(総天然色と言った)、このシリーズは白黒で撮影されている。そこに様式化されたものを感じる。
 ・陸軍中野学校
 ・陸軍中野学校--雲一号指令
 ・陸軍中野学校--竜三号指令
 ・陸軍中野学校--密命
 ・陸軍中野学校--開戦前夜
 女優陣ではきりりとした小山明子、初々しい野際陽子、個性的で演技派の村松英子がいい。小川真由美はこんな若い時から薄倖な役なのだ。でもなぜこんなにも生き生きしているのだろう。この間、雑誌で、乙羽信子の若い時のポートレートを見たが、さすがにあの笑顔には恐れ入ったもの(当時、百万ドルのえくぼと唱された)。
 今の映画と比べては失礼千万だ。抵抗もなくリメイク版を製作する。今はすべてにおいて貧しい。現代の俳優はきっと日常生活もそうなんだろうなと簡単に想像できるような舌足らずそのまんまの演技力しかない、不勉強さえ気づかずにいる横着な姿勢。
 もうひとつ、余計な事を言う。ビートたけしは、映画製作だけはやめた方がいい。すべて無内容の凡作ばかりだ。所詮、才能がない、ということだ。もう俳優業も先が見えている。せいぜいが、稀代の万能ディレクターという役どころを褒めてもいい。
 ちなみにわたしは、年を取っているから昔のものがいいというのではなく、いいも悪いも数をこなしてきているから言っているに過ぎない。

 37才でガンで逝った市川雷蔵、わたしにはこの人の持つ昏さが気にかかる。40年弱経った今でも、女性によるファンクラブが活動していると聞く。
      

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ひよどりの棲み家

2008年05月23日 19時20分23秒 | わたしの日常です。
沖縄は梅雨入りしたそうだが、関東は暑い。今日は真夏日だ。わたしの室内での身づくろいは上半身裸、下半身は・・・、表現できない。

 先日来、家庭内で内緒にしていることがある。うちの庭のきんもくせいの上部にひよどりが巣をつくっていたのだ。この住宅地には不在の家が多々あり、伸び放題の庭木もあるのだが、よりによって我が家に巣作りをするとは。親鳥は日が落ちて暗くなるとちゃんと巣に戻っている。この春はギボウシなどの株分けで庭には例年になく出ていたのだが上の方には気付かなかった。
 そういえば、長い尾を振り振り、精悍で細身の体をして、当り前な顔でひよどりが庭に出たり入ったりしていたっけ。雀をはじめとして四十雀、目白やジョウビタキなど、どおりでほかの野鳥が寄り付かない訳だ。
 すべて穏便に家族に気づかれないように撤去しなけれがならない。二階の子供の部屋から双眼鏡でのぞくと、雛鳥、卵はなさそうだ。それにしても茂っている枝葉でうまく隠しているものだ。巣は枯れ草と糸状のもので編んだボウル状のもの。茶褐色のきれいな半球である。
 きんもくせいは樹高4.5mくらい樹冠は1.3mになるか。今までは隣家との目隠しを考えて枝を剪定していたが、この春は、今後ロウソク状の円筒仕立てにでもしようか考え直していたところである。
 うちでは鳥類はご法度である。庭に見かけると、わが家族は硝子戸を叩くなど大きな物音を出して追い払う。毎度の食事でも鳥料理は避けるのだ。毛羽立つ鳥肌が苦手のようだ。わたしは蝶好きで庭にバタフライガーデンをなぞり柑橘類やブッドレアを植えている。しかし野鳥も好きだ。それゆえに、小鳥が飛来してくると、みんなに悟られないようにその行方としぐさを目で追う。
 さてさて、いつ家族に知られず除去するか。
       
 
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ぎぼうしだけ、ではない

2008年05月19日 07時44分08秒 | ぎぼうし栽培日記
うるさい燕のおしゃべり、静寂に響く鶯の突然のささやき。今日は終日、曇りがちの陽気になるか、はたまた雨か。

 先日のこと。
 成田空港方面へ車を走らせる。前回は左折する道が分からなくて空港内に入り込み、ガードマンの誘導でUターンして、すごすご帰ってきた。われながら恥ずかしくていまいましい。この周辺は上へ下へ立体交差していて道路マップが錯綜している。高速道路ではないが、走行スピードがいづれの車も早く慣れないと変な方向に持って行かれる。それにしてもわたしは、近頃、日常の行動パターンが短兵急になったのか。
 今回は入念に地図をチェックし、無事落ち着いて、‘ホテル日航成田’の横へ出ることができた。一部供用中のB滑走路の地下道を過ぎ、田園の中をとつおいつしながら、圃場(植木畑)へたどりつく。
 日本庭園的には根締めとか下草、下生え、洋風のガーデンスタイルではグラウンドカバープランツとして使われる、植物材料を見に来たのだ。
 植木畑は、最近、草刈りした跡がありきれいに整備されていた。本来はわたしも維持の作業をしなければいけないのだが、借りている業者の好意に甘えたかっこうだ。
 これは、かつて南仏プロヴァンス風の庭がもてはやされたころよりも古く、10年以上前からガーデニングの植物材料として、植木生産の業界を飛び越えて収集し繁殖させ栽培していたもの。当時はPCのインターネット検索もなく、電話で情報を得たり、緑の図書館へ行きいろんな資料を集め、いよいよとなると現地へ足を運び実見して選んだ。今思うと、仕事環境には非常に恵まれていた。そんなことに奔走した時代である。
 実生で育てたオリーブ数十本は冬の寒さでやられて全滅。今残っているのはコニファー、巨大化したパンパスグラス、シオンなどか。ハーブも多くあるが、ほかにサンシュュ、ウリハダカエデ、メグスリノキ、ダンコウバイ、ハマボウ、マメガキなど、またヤマツツジを含むツツジ類の樹木もある。詳細にチェックしたいが、しかし、今日は時間的に余裕がない。

 ・キョウガノコ(京鹿の子・花色--ピンク)
 ・キリンソウ
 ・スィートフェンネル
 ・ローズマリー--直立性
 以上の植物を一部掘り取り、帰ってきた。残念ながら、一般的なギボウシはオオバギボウシとスジギボウシしかない(実はこのすぐ後、芳香花のSo Sweetを入手した、乞う!ご期待)。うまく栽培できれば、写真を撮りUPする予定。というような訳で、ガーデニング用の珍しい植物を集めるのは得意な分野かもしれない。・・・・・どうぞ、ご相談ください。
 
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後藤新平なる人物

2008年05月17日 06時37分41秒 | 地方・故郷・方言
まだまだ寒い日々だが、今日は晴れるか。今、玄関の西洋石楠花が紅いあでやかな花(品種名:太陽)をつけて咲いている。三重県で生産している造園用樹木に使われる品種だ。道端からも目立つ。このごろ、今か今かと待っていたもので、やっと咲いた。

 昨年あたりから後藤新平という人物に興味を持ち、この間、雑誌‘東京人’の特集号を取り寄せた。それを舐めるようにページを読んだ。インターネットでも検索をした。岩手県・水沢に記念館があるらしい。そこはわたしの故郷よりやや北寄りの小都市である。
 地域としては盛岡がある南部藩ではなく仙台藩に位置してあり、仙台藩独特の支配体制である留守家家士の長男として生まれた。あの幕末の蘭学者、高野長英と戦後の自民党・政治家である椎名悦三郎と縁戚関係になる。
 わたしにとって、端倪すべからざる気宇壮大で清廉な行政官という久々の言い方を思い出した。ところが、この人たちは一般世間ではあまり知られていない。産業界で日本の資本主義経済の端緒をつくったとされている埼玉県越谷出身の渋沢栄一もそうだが、なぜだろう。政治なり経済学を大学の専攻で選んだ学生にとってはごく普通の重要人物ではあろうが、そういったものでもない。
 両者とも、日本の一般社会でもっと知られていい。いまの社会の枠組みを明治時代に考案し実施に移した人物だ。ちなみに大風呂敷の後藤新平とも言われる。
 後藤新平は台湾、満州、明治政府、東京市長、ほかにNHK,ボーイスカウト連盟などの役職を比較的、短期間ながら務めていく。当時、周辺には、原敬、斎藤実、新渡戸稲造などのある意味で錚々たる同郷の人物がいるのだが、日本人特有の仲間意識で仕事をおこなった形跡がない(実は、これが岩手県人の摩訶不思議な県民性なのです)。意外にも出世には興味がなく恬淡としており、やりたい仕事を自薦他薦ながらも得て、やり遂げていく。そんな印象を受ける。
 いづれ、帰郷の折には足を伸ばし水沢へ行ってみるか。わが先祖の寺の曹洞宗の本寺もあるし、競馬場もあるし。

 見方を変える。
 残されている写真を見ると、随分とハンサムである。話す言葉に少々訛りがあるが、東北人らしい朴訥な印象がなく顔の肌の色も白く美男子である。財産家ではないが、かなり女性にもてたらしい。
 端然とした面持ちであり、日頃からおしゃれに気を使い鼻眼鏡などという伊達眼鏡を着用している。ちょっと違うな、地元ではとっぽいとでも評するのかな。ふーむ。
          
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いやな雨と、本村洋さんの手記

2008年05月13日 16時20分37秒 | わたしの日常です。
昨日も曇り空、今日は朝から雨、寒いしいやな気分だ。台風2号も接近しているそうだ。
 時候的にはまだ、走り梅雨には早いが、わが家の庭のテラスでは8号のプラスチック平鉢ではバイカウツギ(梅花空木)が満開だ。ということは、最近つづいているこの雨がちの天候は卯の花腐しとでもいうのかな。梅の花びらよりも大きくて、真っ白な花弁はすっきりした印象である。原種のウツギのようにもこもこしていなくて、野性味がない。一輪ざしに活けても茶花にいい感じだ。鼻を近づけて嗅いでも無臭のようだ。(後注:後で確認したら微かな芳香臭があった。園芸品種により異なるようだ)
 そういえば、この間、本村洋さんの手記を雑誌(‘WiLL’2008 6月号)で読んだ。先ごろ、広島高裁での差し戻し控訴審の判決が出たばかり、掲載された内容に見事なほどの率直さを感じた。そこには若くして取り残された家族の一人としての今までの空しい生涯と、被害者に対しての社会的な理不尽で厳しい現実がある。自分で自分を奮い立たせようとする。そこに借り物でない自分の言葉、行動が生まれた。要を得た簡潔な文章展開、理路整然たる会見に心を打たれるのではない。その内側にあるだろう心の動きに打たれるのだ。
 わたしは、多数をかさにきた応援弁護士連中の商売のいぎたなさとは対蹠的なものを、そこに感じた。リーダーの安田好弘弁護士は、最高裁で係争中、弁論公判が迫っている二週間前にちょっと被告にあっただけで無罪を確信したそうだ。
 物事、すべて感じてから言葉が出て行動に移す。わたしに言わせれば、たかが法律知識があるからといってプロとは言えない。青少年の自己愛と破滅衝動は表裏一体のもの。現実へのはたらき方を学べなかったに過ぎない。そんな被告の絵空事を見抜けないのだろうか。人間を見る目と感じ方がどれほど難しいか。先入観と固定観念にまみれているだけだ。何事も、ある年嵩がいけばいくほど、ものごとを素直に見るのがいかに難しいか、気づいてもいいだろうに。
      

 
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フェイジョアと、多年草とグラウンドカバープランツ

2008年05月10日 06時22分15秒 | オリーブ・フェイジョア栽培日記
やや肌寒い朝、今日は時雨れるか。
 ぎぼうしのほかにも、ここではあまり街の園芸店に出回らない草花などの花壇材料を紹介する。わたし自身が手がけて、かれこれ、10数年前から集めて殖やしてきたもののコレクションである。その当時、生産者、力のある流通業者を通じて入手した。
 この植物群は特に、イングリッシュガーデンと、半自然風の意趣を汲んだナチュラルガーデン向きの花も楽しめる宿根草、多年草である。グラウンドカバープランツ(地被植物)というくくりも可能ですが、主に大型で草の姿を活かし草叢を作っていける植物で、都市部のオープンスペースのランドスケープデザインに適した‘オーナメンタルグラス’である。いづれの植物も簡単には枯れない強い性質を持っている。すべてはデザインコンセプトによる構成と配植プラン次第ですが、小さな景観創生になり得るもの。 
 今後、栽培暦にあわせて花壇材料をお頒けしていく予定です。オーダーは5株から30株程度、荷姿はビニールポット容器です。宅配、梱包料は別途ですが、金額はご相談しだいになります。ちなみに、この栽培時期は関東地方を基準としている。それぞれの植物のおおまかな販売期間は次の通り。このなかで、樹木はレアプランツとでもいえるでしょうか。また、ここではそれぞれの植物のイメージが湧くように漢字名や日本名で記した。

 ◇草花/地被◇
(成苗株)
リボングラス  4月~7月中旬        風知草(裏葉草) 4月~9月中旬
フイリノシラン(斑入り熨斗蘭) 5月~11月 ノシラン(熨斗蘭) 5月~11月
ドイツスズラン(独逸鈴蘭) 3月~5月   クサソテツ(草蘇鉄、こごみ)11月~6月
ミヤマオダマキ(深山苧環) 3月~5月   ハナトラノオ(花虎の尾) 3月~5月
ツワブキ(石蕗花) 3月~10月  ホタルブクロ(蛍袋、花色-淡紫紅)3月~5月
シャガ(射干) 3月~6月       モントブレチア(姫緋扇水仙)3月~5月
オオキンケイギク(大金鶏菊) 3月~5月
(種子)
ミヤマオダマキ 10月~3月  ムラサキハナナ(紫花菜、諸葛菜) 9月~12月上旬

◇樹木◇
フェイジョア(クーリッジ) 5月~11月    ブッドレア(房藤空木) 3月~10月
レモン4月~7月上旬

<サービス品>
ハナニラ(花韮)               ユキヤナギ(雪柳)

 どうぞ皆さんも、この珍しい植物を使ってガーデニングに親しんでください。ご相談をお待ちしております。

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自分史文学賞のこと

2008年05月08日 02時54分55秒 | 自分史・出版のこもごも

 5月2日、福岡県の北九州市役所から報告書が届いた。第18回自分史文学賞のこと、昨年9月末日に締切ぎりぎりに郵送、今年1月17日に応募結果が発表になった。それから、春先に講評があるとの連絡で、実を言うと非常に心待ちにしていたもの。丁寧な対応とはおもっていたが、残念なことに選外の作品の選評はなかった(つまりわたしの作品にも)。個別にはない。この分では、1次審査も通過できなかったんだろう。期待はずれで、気分は陰々滅々とまではいかくても、これはこれで結構、粛々たる気持ちである。
 書き直しして、何度も応募して大賞を受賞した方がいたそうだが、わたしの場合そもそも制作するモチベーションが違うからなあ、でもどこかで出版してみたいものだ。どうも、わたしの作品の場合、情景描写がなく論述っぽいのだろうか。文学ではないな。この賞と趣旨が違っていた可能性がする。

 応募総数377、このうち60歳以上が294にのぼる。なんだろう、これは。うーん。おもな題材として、太平洋戦争の悲惨な時代、社会背景がからんでいるのか。この世代にとって、生涯を振り返るときに避けられないパラダイムなのだろうか。
 1次審査作品 公表されず
 2次審査作品 48
 3次審査作品 17
 最終候補作品 7
 入選作は大賞1、佳作2、北九州市特別賞1である。
 これで、永久に北九州市を訪れるチャンスがなくなった。かつてあれほど、月一のペースで行っていたのに。門司港レトロ、日本のリバプールなどとは、もう面映ゆくて言えないな。残念至極である。

 興味のある方は下記のサイトをのぞいてみてください。
   北九州市自分史文学賞
            
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ぎぼうし三昧の日々

2008年05月06日 06時46分00秒 | ぎぼうし栽培日記
今日は晴れ、晴れ。この連休中はぐずついた天気が続いた。
 そんな数日前の某日。早朝にこの住宅地内の散歩。
 郵便物を出しがてら、公園を三つ回る。最後はわたしが補修計画PTのリーダーをしている雨水調整池の現況をを見たが、その前に隣接するよその団地との不法排水箇所を確認した。中を見て歩く。ほとんど、未舗装と言っていい砂利敷きの道路には、排水経路不明のL型側溝しかなく路面は凹凸で雨で流れた跡がある。接続状況、最終枡、その中の数か所の人孔、また、小さなRCの調整池の中は植生が入り込み林になっている。まるで無軌道な住宅開発そのものではないか。便所は別にして、ひょっとしたら、台所、お風呂などの下水も雨水と一緒に流しているのではないのだろうか。このインフラの状態には目も当てられない。
 他団地からの排水系統と接続の問題、このことは自治会区長から相談に乗ってくれ、と話があったのだが。

 ハムエッグと食パンの昼食のあと、近所のイベントの‘世界民族音楽祭り’を見に行く。運営側にわたしのボランティア活動の仲間がいるのだ。三々五々、知人はいるが初めての催しらしくこの天候にしては成功ではないか。わたしは南米のフォルクローレ演奏を待ちくたびれ、韓国料理の出店でチジミ2皿¥600を買い、都合、小一時間ほど見て回り自宅に戻った。わたしにやることがあるのだ。
 
 あらたなギボウシの株分けだ。今回は5種類の品種、5鉢。
 レディ ギネベェーレ  → 3鉢
 タマノカンザシ(玉の簪)→ 5鉢
 リーガル スプレンダー → 1鉢
 アイオナ        → 1鉢
 ジュリー モース    → 2鉢
 今回は赤土28ℓを量り売りで土嚢袋¥490で購入し、鉢土に利用する。むろん、堆肥はあり余る自家製のものを使っていく。わたしは堆肥、腐葉土などの天然肥料、用土はいままで買ったことがない。あとは栽培技術だけだ。
 それはさておき、このなかで、お勧め品は中国産原種系のタマノカンザシだろう。大型でライトグリーンの大葉であり、葉の縁はきれいなクリーム色になっている。軽やかで上品、おまけに花には芳香性がある。ギボウシのなかでは最高級品だ。
 しかし、まだ終わらない。
 今度は記録上のチェックと、毎年の恒例行事になってきているが、玄関前をコンテナ(容器--鉢、ポット物)ガーデンに入れ替えるのだ。瞬時に、ホスタガーデンに変貌させる。デザインセンスの腕前発揮だ。来客、散歩、通行人が目を瞠るように。
 皆さん、どうぞギボウシと親しんでください。

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あなたは何者?、読書傾向は?

2008年05月01日 15時51分35秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
今日も晴れ。日中は暑い、昨夜も暑かったなあ。
 こんなことしてはいられない、という妙な動機で枕頭の書(!)を急いで読んだ。むろん通読ですがね。

 ・一夜漬け文章教室        宮部 修   PHP新書
 ・与謝蕪村の小さな世界      芳賀 徹   中公文庫
 ・小林秀雄の流儀         山本七平   新潮文庫
 ・イングリッシュガーデンの源流 宮前保子   学芸出版社
 ・自給農業のはじめ方       中島 正  (社)農山漁村文化協会
 ・植物名の由来          中村 浩   東京書籍
 ・樹体の解剖           深澤和三   海青社
 ・花の品種改良入門    西尾剛/岡崎桂一  誠文堂新光社

  この中で、「樹体の解剖」と「花の品種改良入門」は、少しは今度受験予定の樹木医試験の参考にはなるかな。「イングリッシュガーデンの源流」は、Gertrude Jekyllのデザインを読み解く日本人女性による自叙伝的な著作物だが、展開する地の記述する文章の工夫とともにデザイン画、カラー写真を多用した方がよい。それから、風景画など英国絵画などに見られる伝統的な社会と自然の背景にも触れてほしいところだ。わたしとしては食い足りない感想である。
 実は、まだまだ読みかけの本がベッドのそばの鏡台に積み重なっている。だらしないと言えばだらしない。ゆうに20冊にのぼるだろう。古いのでは4,5年前からになるだろうか。
 手塚正巳の「軍艦武蔵」、フランクルの「〈生きる意味〉を求めて」、NHKブックスの「仏像」、幸田露伴の「努力論」、茂木健一郎の「クオリア入門」、「ビーグル号航海記」、島木健作の「生活の探究」、ケン・オールダーの「万物の尺度を求めて」、などなど。
 よくその人の書斎の書棚をみるとその人の性格、発想、思考パターンが分かるなどと言われるが、わたしの場合はどうだろう。ものごとに対する関心度の広さ、つまり読書範囲とその傾向の度合です。仕事がらみの本も多くは含んではいるのだが、それでも蔵書量からするとその占める割合は半分にも満たない。わたしは自分のホームページに読書欄のサイトを持っているくらいだから、本好きは自他共に認めるが(書痴とも言う)、皆さんははたしてどう感じられるか。正体不明?、ちなみにわたしは知人の間ではことさらにこの趣味はあまり知られていないと思う。とはいうものの、わたしはプライバシー第一などと、インテリのあるクラスの人種の気取りのように、また、現代の若い世代に多い自己防禦的な秘密主義とはまったく無縁です。
 わたしは何者?。さてさて、あなたはどう、分析されますか。
            

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