うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

〈東京電力廃炉資料館〉に行く。

2023年02月26日 04時56分35秒 | 東日本大震災のこと
短い2月ももうすぐ終わり、わたしは先日、福島県双葉郡富岡町にある〈東京電力廃炉資料館〉に行ってきた。この日は、春晴れで終日強風気味だったが、車高のあるわが軽自動車も揺さぶられておぼつかいが国道の下道をトコトコ進む。昨年には双葉町内にある〈東日本大震災・原子力災害伝承館〉には人も連れてだが、合計して、二度ほど拝観してきた。
 ここで、数年来、原発の問題について私なりに考究してきたものである。それを以下に記していきたい。
 位置は第一原発の1,2,3,4号機は大熊町内で今回、全部被災した、5,6号機は双葉町にある、(7,8号機は建設が中止された。)いづれも太平洋の外洋に面しているのだ。ちなみにここで付け加えると日本の原発はすべて外洋の海岸に沿って作られている。 
 当初から、国と東京電力は30年から40年かけて、廃炉作業とは燃料に次いで燃料デブリ取り出すことを目的としている。最終段階は第二原発も含めて廃炉にし施設を解体し更地にする計画だ。
 また、近くに設置されている汚染土壌の中間処理施設も同じタイムラグにある。
 わたしは最初の2号機の水素爆発の映像はテレビ画像で覚えている。3月12日、この時の天候つまり風向きが東北や関東圏内に放射能汚染を広めた。それが一箇月以上にわたった。このことは当時の天気図の風配図で確認できる。実は遠く離れたわが故郷の岩手県南部にも被害を受けたものである、今でも地元では過敏になっているありさまだ。ほとんど、悲しい話だが、結果的には現実的に風評被害が多いと思われる。
 当地や常磐高速道路でよく見かける放射能モニタリングポストは悲しい指標である。

 ALPS(アルプス)処理水とは、放射能にも色々種類があるが、ここの多核種除去設備で再三にわたり浄化処理されたものである。特に強い放射能の中でも自然状態ではなくなるまでに30年とされる セシウム137、(ストロンチウム) の除去が最大の課題になっている。自然界に多いトリチウム(三重水素)については現代でも除去技術が確立されておらず、そのままでも被害は少ないとされる。
 放射能汚染された燃料の除去、次に燃料デブリが残っている場合その発熱を冷やす目的で水道水を用いるが、加えて立地地盤内の地下水や海水が流入する。それを遮断するために陸側遮水壁(凍土壁)や海側遮水壁(鋼管杭か)が設けられた。その処理水の量は、対策前は540㎥/1日であったが、現在は140㎥/1日とされて、溶接型タンクへ貯められる。それを薄めて海洋に排出する。タンクは満杯に近くその先の処分がもとめられているのだ。
 一昨年の日本政府の決定事項である処理水の海への放出は近々始める予定になっている。
 実は現場近くでわたしは働いているが、この日の資料館での説明では廃炉作業での危険な作業労働者は一日あたり3,000人から4,000人とされているが、夥しい数の大型の観光バスで搬送されているのを日常的に見かける。それは出身が地元というよりも他県からの派遣労働者が多くを占めるだろう。またついでに言うと、同町内の坂下ダムからの冷却用の350Φの埋設した導水管が現場を通過している。

 以上、東日本大震災の発生以来、わたしは個人的に若干の現地踏査、色々な資料やレポートを収集し読んできた。それでもなおかつ、ここでの内容は極めて上っ面な理解で恐縮するが、事実誤認や言い方がおかしいのであればご指摘願いたい。
今回の参考資料:【廃炉の大切な話】 経済産業省資源エネルギー庁 編集発行
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再掲!! 号泣と沈鬱と、そして鎮魂を、東日本大震災

2021年03月10日 07時35分33秒 | 東日本大震災のこと
 以下の記事は10年前に書き込まれたものです。また、左のカテゴリーの ≪東日本大震災のこと≫ でもほかに数編を読むことが出来ます。あれからわたしは、その後、福島やわが郷里に近い宮城県の気仙沼市に復興支援の土木工事で、かれこれ一年半は現地に滞在した。

          

          
 これはまったく個人的なことですが、東日本大震災について、3月15日のブログに記事を書き込んだ通り、重苦しい心理の内側でわたし自身の意識に震災前、震災後という、区切りが生まれつつある。いまだ曖昧模湖ながらも、わたしは、思いを新たにしなければならない。
 とはいっても、現実的な対応として、わたしには現在の仕事や生活環境の事情で災害救助の活動はできない。こんな場合の無償ボランティアの実際面については、経験上、少々知っているが、いまは物理的、時空的に無理な状態だ。せめて、宅配便による物品として東北方面の交通事情が解決していき次第、身近な親戚関係ではあるが津波に遭った岩手県内にいる姪に、栄養価が高くてすぐ食べられるわたしの住む地元特産の落花生をキロ単位で送る予定である。
 ところで、けさほど、体調不良の中、たまっている仕事に出かける電車の車中で、たまたま、浮かんだ駄句を以下につらねたい。内容はいたって極私的な述懐そのもの。無益な妄想の表現であることは、重々、承知の上である。

  *わがみちのく 母のふところにたてまつるなり


  *春まだ来 おどろおどろし あめつちを怨む


  *はかなくも みずくしかばねに 春の海


  *遠きまなこ 無口の民らに 草木萌ゆ


 房総の千葉のわが町では、早くも辛夷の白い花がひっそりちらほらと咲き始めた。やがて、そして、いよいよ百花繚乱の世、万緑の季節がくるらしい。もうすぐ、彼岸の中日。が、寒い彼の地は遅い春の時候である。凶事に対し、わたしは森羅万象の移り変わりがこの世に吉祥をもたらすことをひたすら信じる。
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宮城県南三陸町の防災庁舎跡

2017年12月30日 06時12分55秒 | 東日本大震災のこと
年末にあたりアップし損ねた画像を掲載する。今年6月下旬に訪れた場所である。今は近寄れなくなった宮城県南三陸町にあり、画像では遠望する被災建物が見える。
 
 
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常磐道を走る。

2016年10月23日 06時10分41秒 | 東日本大震災のこと
前日の夕方の一関での樹木調査報告会を終えて、翌日の10/10は珍しくも朝早く実兄と濃霧の中で須川岳(栗駒山)に登り露天風呂に入る、紅葉も眺めた。
帰途に就くその午後、車中から放射能の除染具合の状況を撮る。場所は常磐道の浪江ICと常磐富岡ICの間で、無人であの田んぼの無残な姿である。放棄された田んぼは最終的にカワヤナギや真っ黄色なセイタカアワダチソウが優占してはびこるようだ。この後は、人出の少なく寂しい「ならはPA」で兄嫁に握ってもらったおにぎりとゆで卵を食す。兄夫婦にはすっかり歓待していただいた。
           

           
          
           

           
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NHKスペシャル

2016年03月15日 04時17分19秒 | 東日本大震災のこと
あと少しでお彼岸の中日、三寒四温の日々が続く。先日、NHKで放送された震災復興番組の画面をアップする。シーンとしては現場、市長のみで、わたしが主宰している工事調整会議はカットされていて残念だ。















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ある高校

2015年11月30日 06時37分36秒 | 東日本大震災のこと
昨日、地元の海の景勝地に行ったが、夕刻も近いころ、帰り道にある高校に寄り道をした。ここは漁業従事者を育てる場所、津波被害を写真で撮った。3階建ての2階まで津波が来たことがわかる。2棟の内一つを震災遺構で残すことに決まっているが、その当時のまま、沈んだ地盤は周りにはクリークまがいの水面がある。
 あれから、4年と8か月経った。
 多言は無用、画像をアップする。
            

            

            

            
             
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花は咲く

2015年01月01日 10時36分20秒 | 東日本大震災のこと
ここでは、昨夜のNHK紅白でも歌われていた「花は咲く」だが、歌詞を年頭にあたって採録する。東日本大震災の復興を祈願した曲。実際の音声はyou tubeでどうぞ。静かな旋律でシンプルだが、何かをたたみかけてくる。年末に急に葬儀が出来て岩手へ帰郷したが、そこで親戚の被災状況のむごさをまた聞いた。
 わたしは、今後、復興工事にどのぐらいの力と思いを尽くせるだろうか。
 わたしは、告白するが、この曲を聴くたびに両の眼から涙があふれ出てくる。

花は咲く

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す

誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために
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大谷海岸の爪痕

2013年09月07日 06時06分08秒 | 東日本大震災のこと
 ここは宮城県気仙沼市本吉町。画像はJR気仙沼線の大谷海岸駅のあたり、道の駅が併設されているところ。
 当日は曇っていて、数日来の間欠的な強雨の合い間のようだ。なんだか、鉛色の空模様がうらめしい。実家から、ひとり、レンタカーを駆って懐深い山中の県境を越える。大谷海岸は小中学時代のバス旅行に、それと、わたしたちの結婚直前に家内を連れてきたことがあった。ということは、およそ35年前になる。わたしの記憶はすでに遠い彼方である。
 ニュースで既報されているように、JR気仙沼線は災害により線路が寸断されて不通、大谷海岸駅は機能を喪失している。ここでの津波の高さは20mを越えるのだろうか、慰霊碑には40名が亡くなったと記されている。この後に行く予定の高齢の叔父への見舞い時間もあり、調整のためここで1時間半は過ごした。わたしは茫然自失ながらも事態の把握のために歩いて動き回る。できるだけみずからの耳目をたよりに、湾内の中ほどの白波の打ち寄せる重低音を気にしながらデジカメで光景を切り取っていく。どうにかその状況を他人に聞かずとも済んだが、買い求めた被災記録写真集を見ながら、この悲惨な事態を想像し、独り言をぶつぶつ言いながらわたしの脳漿に刻み込んでいく。実は震災復興の一助になれば、と言うのが今回の帰郷目的でもあった。
 海水浴場であった砂浜は沈降して消滅。瓦礫の片づけはとっくに終わり、急造の被災地探査や観光客向けの小建築物などがあり、総じて雑草が生い茂り色醒めた景色の一角だらけである。残された松や樹木でも到来した津波の高さも知れる。家のあったところは車庫や門塀や庭に植えた植物で判明できる。生活の拠点は全くない。
 三陸のリアス海岸を縦貫して通っている国道45号線は、交通量が増えている気がする。上りの宮城方向への建設関連の他県の大型ダンプトラック、流通用のトラックが多い。いずれもスピードをあげている中、その間を地元の軽自動車が混じる。ほかにはリタイアされたとおぼしき老夫婦や、若いカップル、などなど、近県はじめ他県ナンバーのクルマを見かける。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。どうぞ、単彩色な画像ですがご覧になってください。

撮影日時:平成25年8月31日(土曜日)11:00頃
   
    

      

      

      

      

 また、今までの東日本大震災の記事については左側の カテゴリー「東日本大震災のこと」 をクリックすると見ることできます。
 
       
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照井翠さんの 「龍宮」

2012年12月26日 06時25分20秒 | 東日本大震災のこと

 先日、愛読誌である週刊文春を読んでいたら、衝撃的な俳句が紹介されていた。岩手県釜石市の照井翠さんの 「龍宮」 である。句集は2,667円もするので入手は先になりそうだ。そこであえて七句のみ、一部転載する。

    春の星こんなに人が死んだのか

    なぜ生きるこれだけ神に叱られて

    冥土にて咲け泥中のしら梅よ

    一列に五体投地の土葬かな

    花の屑母の指紋を探しおり

    春の海髪一本も見つからず

    今生のことしのけふのこの芽吹き

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東日本大震災の被災報告書

2012年04月12日 03時15分18秒 | 東日本大震災のこと

 この間、わたしはこのごろ無聊をかこつ、というかそういう日々のなかで、以前から気になっていたことだが、わたしのホームページでのリンク欄で学会のサイトを見た。それは、昨年起きた東日本大震災の被災内容の現地踏査とその報告書である。
(わたしどものホームページの更新と修正作業は、諸般の事情により停止中である!ホームページはもっぱら自己紹介に終始した、今思うとただただ、手前味噌な内容である。わたしの怠惰な性格と、更新費/売上の収支バランス、スパムが原因だが、運営費だけは毎月支払っている。)

 わたしも地震直後に千葉県浦安市の液状化被害を現地に踏査したが、そのサイト群には、先般の東日本大震災の大変重要なデータが被災報告書として公開されていた。わたしは、それをまるまる、その処理に一日を費やした。サイトの閲読とダウンロード、pdfのプリント、今後の貴重な保存資料としてハードカバー紙ファイルへのとじ込み作業である。ずっしりと重くて、A4判で120頁にもなった。
 なお、会員以外でもWEBへはアクセス可能である。わたしのホームページでのリンク欄か、大手検索サイトの検索窓への文字入力でアクセスできる。

 これはランドスケープアーキテクト、造園業界関連である。以下に、そのサイトと調査報告書名を紹介しよう。不確かではあるが、日本緑化工学会の学術面、日本造園修景協会、造園工事の建設業界、はどうやらなさそうである。環境分野の植生、生態系や自然保護の学会はどうか。
 数多ある学術団体のなかでも、土木、海洋土木、港湾土木、沿岸漁業栽培、海洋生物、農地、測量、防災、都市計画、土地再開発、土地区画整理事業の分野、それにマスコミでは一部分のみ報道されているが、地震、原子力学、放射線医学ではどのように取り上げられているのだろうか。ぜひとも、ご存じの方は教えていただきたい。
 国や地方公共団体の場合は、いずれその公共の組織や機関の性格上、実質的に復興、復旧工事や施政主体のみの役割であり、純粋な意味でのオーソライズする組織や機関ではなく、その前段階の調査や分析作業の対象からはずした。

 ●日本造園学会
  平成23年5,6月
 ・復興支援緊急調査報告書
   概要編 / 報告資料編(1)/ 報告資料編(2)

 ●日本樹木医会
   平成23年12月
 ・津波被災地の土壌等調査
調査報告書 / 資料編

 どうぞ、時間のある方はじっくりご覧になっていただきたいと思う。
          

 わたしどものへのコメント、お問い合わせに際しての連絡は下段のコメント(0)をクリックするか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。必ず、返信をいたします。その際は、社会マナー上、最低限、必要な氏名と電話等を明記してください。提供された個人情報は守ることを確約します。
           
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たまに感じること、震災の援助活動・・・

2012年02月12日 07時02分03秒 | 東日本大震災のこと
この間、通勤の帰りに時間つぶしのために、途中の佐倉駅の改札を出て構内をうろついた。佐倉市は近隣の市町村に比べて市民の文化レベルが少し高い町、橋上駅の広いロビーのウィンドウには毎回その作品が展示されている。手製の工芸品や学生たちの絵画、クラシックコンサートの案内、時には薪能開催もある。
 そんなことで、しばらくぶりでいろいろな掲示物を見ていたのだが、そのなかで広報物「公民館だより」がありおもわず読んだ。地味でわら半紙ふうの紙面の小さな文集、その記述には、この関係者が東北の大震災に一カ月間ボランティアに行ったことが書かれている。
 わたしはハッとした。おびただしい被災内容のことに、援助活動に現地へ行った方々のことに触れている。西の方からはリタイアしていた老親子、または市の公務員や学校の先生を定年退職した人、勤め先にこの活動参加を申し出て受け入れられず退職してきた25歳の若い男性、率先してわざわざ外国から参加する人々、などなど。新聞やテレビ、また今の若い世代に多い合言葉のようにステッカーやウェブ上の言語表現に託せば良しとする浮薄な世の中にあって、その文字どおりの身を挺しての行為に心打たれる。
 現代のマスコミやIT社会の宣伝文句や商品のコピー文は真実ではない、バーチャルリアリティは真実ではない。そんなのは、共有や絆ではない。なぜなら日本人特有の 「熱しやすく冷めやすい一過性」 とともに 「人と同じでないと不安だ」 という欠点が隠されているからだ。自分自身はどうなんだい、社会の色んな場面において、近年多くなった、一見優秀とされている被害妄想面をして身勝手な主張の正当化に長けた連中の加害者たちに虫酸が走る。なぜ、みずから個人の思いや体験からこの惨事をとらえられないのだろう。しこうして、みずからのみの判断で行動することだ。
 マスコミ人の役目はこういことをもっと正確に具体的に報道することだろう。世の正義を標榜する職業に就いているならば、もちろんのこと、企業を離れて個人としても実際の行為は率先して行うべきことだろう。
 わたし自身はと言えば、今の貧しい生活や年齢的に身動きできずにいて、近頃の余裕のない境地に焦燥感に襲われる。
     
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東日本大震災についての雑感

2011年04月23日 05時33分30秒 | 東日本大震災のこと
ここでは、東日本大震災についての日頃に感じていたことをを書く。
 この間の水や食料品、電池などの商品の買い占め騒ぎは、特に家庭の孫を持ったおばさんや、20から40代の子を持つ若夫婦が多かったようだ。今の家庭では核家族化の果てに、子供たちは親からも友達扱いされていて、親は親、子は子、というわたしなどから見ると不思議でしょうがない。しょせん、肉親間でも無理解が前提のはずである。よく言えば仲良くて理解があってということになるらしいのだが、これでは反面、子供がひ弱に育ち、自立心に欠けて依存心に任せて責任感を知らずになってしまう。まあ、成人した後の社会への不適合な性格は当然な話で、一人では生きられず、自己へ振り返るすべも身に付かず他人に対して口達者な人間になってしまう。まわりと仲良くなるよりは攻撃的で、しまいには孤立してしまう。
 福島で起きた原子力の放射能の蓄積の幼児、若年層への心配は無理もないが、2,3日食べなくても飢え死にするわけでもない。そういう食への本能にこそは、社会においては自制心というか我慢が必要だ。放射能についても、福島へのむきだしの地域エゴは、はっきり言って見苦しい。こんなことは悪しき日本人の国民性だろうが、利己的、小市民的な行動には唖然とするばかり。わたしたちの家庭、夫婦では、そんなことは気にしないということになっている。他県からの福島県人への差別は、はっきり言って、日本人として、大罪に値いするもの。
 わたしたちにとって生きていく上で自然から浴びる放射能だってあるのだし、通常、日常生活で医療機関の検査で受ける放射能よりも軽いのだ。

 今の菅首相の政治は、わたしは市民運動家上がりということで注目していたが、やはりこの人はだめである。政府は議論のみの「生徒会内閣」になり下がっている。菅さんは原子力に専門知識があると自負しているらしいが、昔から言われていることで、人間は得意分野で手痛い失敗をするものだという世間知は知らないらしい。この場合、専門的領域にたいする冷静さと謙虚さは必要だが、政治家という職責とは切り離していなければならないし、国民は政治家として首相を見ているのだ。
 わたしの少しだけの無償ボランティアの経験から言う。菅さんは政治家という職業を全く知らないのだ。これまでの行動を見れば、一定の集団を引き連れて、カンパ募金や寄付金や補助金目当てで金を集め、扇動や主張の仕方や示威行動ばかり長けている、と判断せざるをえない。引き出すことではなく組み立て造ることが求められる。そのくせ、今までの経歴で小集団ばかりの徒党で育ってきてしまったせいか、首相職にこだわり、異常なほどに権力欲にしがみつく。弁舌のみのヒステリー性の性格だ。わたしにすれば、とんだ喰わせ物の御仁である。
 なんのことはない、行動する際の現実的なまとめ方、解決方法を知らないのだ。長い間、いわゆる、世間を奇妙に斜に見て相手の弱いところばかりを探しだしていたのだ。したがって、いざ立場が替わってその主体になったらという経験、この場合、危機管理能力が必要とされているのだが、それがないのだ。しかも相手の意見を聞く度量もない、人を動かす才覚もない。非常時のこと予想外のことにどうするかということは、政治家という命を賭した唯一の職業のみが条件として備えなければならない。
 これは必要条件でもなくて、わたしに言わせれば、菅さんは月給を稼ぐまともな職に就いたことがないのだろう、と思う。役所でも会社でもいいが、法人の組織に属していれば多少はその職場・部署のまとめ方や動かし方を体で覚えさせられるものだ。
 政治家の必須条件は、学歴でもなく経歴でもなく、ましてや出身が一流でさえなくて、一番必要なのは世間を知ること人間を知ることだ。こんなに免許や資格もいらない職業はないのだが、政治家は全体の利益のために、肌身で感じてそれを言語化し、実際的に行動すること必要なのだ。そして、その行動こそが一流でなければならない。
 必要なのは下世話な世間の事情にあかるくて、人の心理をおもんばかることができる人間通である。だから、こんどの東日本大震災の復興にピッタリ合うのは、比較的、インフラ整備の前提条件である被災地の地形や産業、民心を知り、土木、都市計画の分野に広い視野を持っている「田中角栄」のような政治家であるだろう。清濁併せ呑むとまではいかないが、物事を大同小異にて処理し迅速かつ果敢に判断し行動が先に出るタイプがいい。
       
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浦安の液状化を見に行く--その3 マンションの被害

2011年04月16日 05時58分42秒 | 東日本大震災のこと
浦安の液状化を見に行く--その3
 ここには地縁があり土地鑑もある。場所は千葉県浦安市内の東京湾に近く、特にわたしが関係していて7年前に竣工した工事物件は新浦安にある高洲中央公園に接したマンションだが、ここは海から距離約300mほどの位置にある。近くに県立浦安南高校があり、現在、そこは一時的に使用不可になっている。また、近くを境川が流れているが、川や護岸のPC法型枠ブロック敷きそのものには異状がないように見受けられる。わたしなりに気になっていたので、このたび見てきた。3月11日に起きた今回の大震災の爪痕を身近に感じるためにである。
 浦安市は、かつて大衆小説家の山本周五郎の「青べか物語」にとりあげられたように、昭和の時代には江戸前の海苔で知られた小さな漁村、それから以後、日本全体の高度経済成長の波に乗り大規模な開発が始まったものである。
 この辺は、工業地帯を意図した土地開発計画によって千葉県企業庁が海底の浚渫から埋め立て事業として大規模におこなわれた。近くにある東京ディズニーランドのあるエリアと同様に、多分、今から45から60年前に造成された。現在の高架のJR京葉線も本来は貨物線で予定していたものである。その基礎も原状地盤である海底深く届く既成の鋼管杭だったり現場造成PC杭基礎で建設された。今回の震災は長い周期のヨコ揺れでは破壊していない。押したり引いたりする横向きの地中にはたらく巨大な力にはあまり影響されずにすんだようだ。
 一方、住宅地については個人住宅に比較しマンションなどの大型の建築物は被害を受けていない。これは建築地盤に乗っている建築物自体の重量[建物荷重+(積載荷重)]が大きいのと杭基礎を併用した半地下ピット状の平面的なベタ基礎の構造による。
 しかし、個人住宅についてみれば、スウェーデン式サウンディング試験を行い事前に支持力、地耐力を調べて施工したに違いないが、今回は地盤の隆起と沈下が広い範囲にわたり想定以上の事態が起きた。せいぜい二階建てのその建物の基礎は根入れの浅い布基礎(逆T型)とベタ基礎であり、ちょうど水面に浮かぶ船のようであって、傾いたことによってひび割れが出来たり家屋全体が傾いたり、あるいは倒壊したものである。当然のことながら、より簡単な構造のL型基礎やベース基礎のみの門や塀の基礎は直線的であり、たとえ控え壁を設けていても構造上弱いことになる。補修方法については、土質や地盤問題のコンサルタントや専門業者は地盤改良として一般的にはセメントミルク注入工法をすすめているが、如何せん、その場合、大掛かりになり工事費用も高額になる恐れがある。いったん、事前に、家屋を解体して組みなおすか、一時的に他の場所へ移動させる為にクレーンや大きな器械であるキリンやカグラサンとコロを用いて曳家(ヒキイエ)作業をすることになる。
 ここは敷地面積が43,534㎡、8階から19階立ての入居戸数764戸のこの大型マンションである。そこでは、高層棟エントランス入口周りの基礎地盤隆起が起こり、広場部分のプレイロットの芝生地、ぞれに緑地の端部、が液状化し縁石が変形していることが見てとれる。
 後述になるが、この物件でわたしは某ゼネコンの設計部門の要請を受けて、マンション新築工事に耐潮性ある植物をとりいれた緑化計画を企画して、造園設計をしたり、その施工にも携わったのだ(当時、わたしは海浜の植栽計画を得意としていた)。
 ここでは、見てきた画像を個別にではなく、アップすることにした。
 なお、写真上でクリックすると画像を拡大して見ることができます。

 撮影日時: 平成23年3月28日(月曜日) 16:00→17:30
 天候: 晴れ 無風



 少し、技術的に専門領域外の箇所がありますので、不十分な点がありましたらコメントをください。液状化被害の書き込みはとりあえず今回の3回目で終了。また、時日が経過したら記していくことになるでしょう。ちなみに、このサイトの左側のカテゴリー“東日本大震災のこと”をクリックすると、また、今までのこと、これからの記事が読むことができます。
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浦安の液状化を見に行く--その2 インフラです

2011年04月15日 05時23分57秒 | 東日本大震災のこと
浦安の液状化を見に行く--その2
 千葉県浦安市内の新浦安に行った。その第二弾、3月11日に起きた今回の大震災の爪痕を身近に感じるためにである。
 今度取り上げるのは、道路や歩道の液状化被害である。地盤が不同沈下や隆起現象を起す。この災害は、昔、新潟地震で確認されて以来のことだが、マスコミ報道によると、今回は埼玉県久喜市、神奈川の横浜や川崎、それに千葉県内、東京湾岸沿いの内側の特に千葉市、手賀沼周辺の我孫子市や利根川沿いの香取市旧佐原にも発生した。茨城県鹿島でもおきた。建築や土木の世界では、こういう土地の状態を軟弱地盤という。
 いづれも住宅地であり、かつては沼や田んぼ、湿地、旧河川だったところに、戦後、人工的に排水処理を行い乾燥させて盛土して造成した場所である。
その状況は、ご覧のとおり。
 掃き集められたシルト(微砂)、クラックの入ってる弱い部分には工種との取り合い箇所、工事の際の打ち継ぎ部でのひび割れパターンが見て取れる。市道の表面は波打ち凹凸になっていて通行車両は徐行せざるを得ない。埋設物関連は一般的には開削工事(オープンカット)したり、アスファルト舗装については表層と基層を床掘りして全面をやり替えざるをえない。
 なんだか、雑駁な業務的な報告書のようで気が引けるが、ここではとりあえず、見てきた画像をアップする。
 なお、写真上でクリックすると画像を拡大して見ることができます。

 撮影日時: 平成23年3月28日(月曜日) 16:00→17:30
 天候: 晴れ 無風

 
 ちなみに、このサイトの左側のカテゴリー“東日本大震災のこと”をクリックすると、また、今までのこと、これからの記事が読むことができます。
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大震災のあとに、この頃、ドタバタ思うこと。

2011年04月10日 08時33分40秒 | 東日本大震災のこと

 今度の11日で東日本大震災が起きて一カ月。どうやらわたしは、頻発する余震でやはり「地震酔い」の症状の体たらくで我ながらまことに情けない。余所見では骨太で見かけは頑丈そうな体格の60男だが、なんだかメンタル面が弱くトラウマ、PTSDなんでもありだが、頼らず自分でなおすつもりだ。
 わたしはこれでも、18歳で上京以来いろいろなことはひとりでやってきたのだ。田舎の実家からは手助けをしてもらっていないし、内実は断っている。若い時分から身過ぎ世過ぎの世渡りの面でお仕着せと要領の良さを蛇蝎のように嫌うのは、わたしの性分であった。まあ、変人の部類に入るだろう。
 今まで自前のお金でまかなってきたのは大学、結婚、一戸建住宅の購入、業務的には仕事関連の現地踏査費用、専門学校への授業料、池坊流生け花の月謝、造園の学会などの会費負担、専門図書購入などなど、である。他人への迷惑と援助を最小限に、物心ともに身銭を切り、自己責任と身近な人たちとの幸せを第一に考えて来たのだ。しかし、この年齢になっても住宅ローンなどの借金だけはのこっている。わたしにとって、未だこの人生は、自己完結していないのだ。

 現在の収入の道であり、今かかわっている仕事も、わたしのせいばかりではないけれど遅れていて、この間以来、受注した配水本管工事はあまり進捗せずにいたが、数日前にやっと着工の目鼻がつきそうになった。

 11日の金曜日に地震があった次の日ぐらいに、わたしは思いだして、階段下の納戸から 「非常持出し袋」 をとり出した。漂白したズック地の大きなリュックサックである。中を見ると、丸いトイレットペーパー、スーパーのビニール袋、マニラロープ、レジャーシート、ライター、太い蝋燭に、妻とわたしの白い下着、タオル、手袋、乾電池の液漏れ懐中電灯があり、包帯、カットバン、オキシフル、軟膏の医薬品、またそれに、黄ばんだ古い新聞もありその日付は昭和55年10月22日の‘讀賣新聞’と‘千葉日報’とが入っていた。なお、乾パンやビスケットは、ある日、一度取り出して食べてしまったものらしい。
 いずれにしても、わたしたちは前年(1979年)の4月に結婚、その年の11月に実父がホジキン病で死去しており、この年は昭和56年8月に長男が産まれる前年にあたる。これを用意したのは公団住宅に住みはじめてから、まだ、二人だけの新婚気分の生活であったらしい。
ということは、31年前のことになる訳で、みずからの身を守るには、東日本大震災この際、今、気づくのには何が必要になるだろうか。
 わたしには、新聞紙、ビニール袋、特にレジ袋に、木綿の布地、ゴムホース5m分、荷造り用テープ、ロープ、肥後ナイフ、ラジオ、が最低限は必要かとおもう。それに、寝袋もあるといい。被災したり、避難所生活に際しては食料も自前調達が理想ではあるけれど、被災レベルと季節と場所によって異なることになる。飲み水は、この場合は近くの河川や沢、沼を利用することになるが、いざとなれば濁水でも飲む勇気が要りようだ。何よりも人間には、金銭欲や出世欲や性欲と色んな欲望があるが、わたしには都会の若い頃の貧乏暮らしで分かったことだが、食欲が第一であり食料の確保だ。
  ほかに本当に重要なのは、今回テレビとか、新聞の報道で触れていないが便所の問題である。人間は食べれば排泄するのは当然なことで、オマル、仮設トイレがあればいい方でなければ露天の地面にトレンチ状に穴を掘り使用することになる。多人数で利用すれば量が溜まるので、本来は救援活動でも第一に汲みとり用のバキュームカーが被災地へ出動すべきことだろう。
 そして、捜索活動とともに、緊急施策で、一番大事なのはワンポイントでもいいから日銭の入る仕事をつくることである。現金収入の道だ。それも、被災者が日に日に増してくる不安感を少なくするためにも、即、実施することだ。恒久的な仕事も大事だが、とりあえず政府や自治体が代理的に費用負担をおこない、後片付けや復旧作業に男たちを駆り出しておくことが肝要である。えてしてこんな場合、女性よりも男性が心身ともに弱いのはよく知られた事実だから、目に見えて実際に効果のある行動の契機をつくらねばならないだろう。
 この、非日常的な異常事態に身の周りの物を整理し清潔にするのも精神的には重要なことである。仮設住宅づくりもそうだが、共同の避難所生活では家族や親族間の気持ちの潤いや憩いの場を設定するために軽い間仕切りも重要である。いかに、かすかであっても被災者の心境面に希望を持って生きていけるかが、どんなに大事であることか。

 今回の大震災に際して、テレビ、新聞、雑誌などのマスコミで色々報じられているが、そのなかで、一番良かった記事は、記者などの記事よりも、小説家・伊集院静の書いた「週刊現代」の記事 ‘被災地・宮城から見たこの国’ が一番良かった。被災者心理や被害内容がよくわかる。
 現在の民主党は政治家とはうまい演説と相手を追求するだけだと勘違いしていて、客観的な事実認識といまだに行動に即時必要な大まかな復興ビジョンが出来ずにいる。指導者の立場に不慣れで、危機管理とは何かそもそも分かっていない幼稚な政府、職を賭すべくもない官僚の‘無必の故意’的な卑しい行動、ごく普通の物事を知らない職種・職域バカや専門バカ丸出しの原子力エネルギー関連の人種、だから言ったんじゃないかという間抜けな長年の原発反対運動家がいる。それっ、出番だと臆面もなく顔を出す軽薄な半可通の科学コメンター連中。みんな一緒の世間の舟に乗らなければ、仕事がなくなってしまうと危惧するテレビタレントや映画俳優がいる。広告主ありきの民間放送のテレビも同様だが、物が売れなくなり不景気になってしまう、と恐れる企業がある。
 わたしには、なんだか漠然とだが、こんな時には小説を書く文学者の著作の方が状況や時代をつかまえているような気がする。際限もなく広がる視野で人間というものを総体としてとらえられるのは、やはり、こういう人たちだ。行動するに際して、ほかの人たちには人前で発言や表現するには日常的な地に着いた想像力が悲しいほどに欠けている。

 話変わって、わたしには日本の社会の良くも悪くも時代の趨勢を意味していること、つまりパラダイム、エポックメーキングなことを収集し保存する癖がある。今までも、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、ニューヨーク9.11、サッカーワールドカップしかりである。今回のことはわたしなりに、いつも愛読している‘週刊文春’に加えて、‘週刊新潮’‘週刊現代’を二週分、新聞は長年購読の‘讀賣新聞’店売りの‘毎日新聞’、‘サンデー毎日’の2回のグラフ誌特別号、それに‘You tube’の動画、地元新聞の‘河北新報’、‘岩手日報’、またわたしの甥が記者をしている‘岩手日日’のホームページによって情報を集めたのだ。

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