うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

花オクラ(トロロアオイ)苗についての 頒布の案内

2021年05月28日 04時56分34秒 | ガーデニング・庭づくり
花好きな方へお知らせ
 以前、 花オクラ(トロロアオイ)苗 について下段にあるように記事をアップしておりましたが、今回も希望者にお分けします。花オクラの苗を20株ほど用意しているのでご希望の方は下記あてメールください。発送の荷姿は12vp鉢で用土に自家製の腐葉土+培養土を封入し、宅送の箱は再生品を使用しています。価格は、1鉢あたり、¥500+諸経費+消費税=小計+宅配便代になります。お問い合わせは最下段にて記してあります。 
 梱包や発送方法はわたしたちが通常おこなっている ギボウシ の扱いに準じています。
 また、近いうちに香料植物・チューベローズ、ニオイスミレや薬用植物・大花オケラのご紹介も予定しています。

・・・2020年9月13日の開花状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          
          
・・・2018年6月23日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅雨も中日のこの頃ですが、ここでは花オクラの苗の頒布をお知らせします。
 花オクラ(トロロアオイ)については、数年来、当ブログあて種子を希望するとの連絡がたびたび入っておりまして、いつもタイミングが合わず対応不可でした。実は、昨秋に某県立公園内でこの種子を採取していて、この春に播種したらびっしり80株ほど発芽していたので急いで定植目的で鉢上げをした。どうぞ画像でご確認ください。
 ご存知の通り、通常は野菜としてのオクラは青い莢状の未熟果を収穫し調理して食卓にのせるものですが、この花オクラは巨大な黄色い花びらを採取してサラダやお浸しなどで食べるものです。しかし、花オクラの花は一日花なのであまりにも出荷に不向きで商業ベースに乗らずスーパーなどの市場、または園芸店やホームセンターには出回っておりません。
 現在、花オクラの苗を20株ほど用意しているのでご希望の方は下記あてメールください。発送の荷姿は3本立ち以上で12vp,鉢は再生品を使用し用土は自家製の腐葉土+培養土を封入しています。
 価格は、1鉢あたり、¥600+諸経費+消費税=小計+宅配便代になります。 
 ただし、発送はヤマト宅急便を利用する予定ですが、サイズは最小60cm以上で納めたいので株数は3株以上とします。また、花オクラは極めて生長が早い植物ですので7月中旬までを発送期間とさせてください。その他の入金や発送の手続きは、ギボウシに準じメールで連絡します。必ず事前に確認願います。
 ついでですが、この場所には食べられる野菜としては茗荷、青紫蘇、菊芋、ニラ、食用菊、つわぶき、山菜はタラの芽や草そてつ(こごみ)があり、果実は甘百目柿、フェイジョア、ブラックベリーもある、また食用向きのギボウシ(大葉ぎぼうし・天竜)もあります。品種特定の紫陽花や百日紅、ミモザアカシアなどの花木は何かの機会にご紹介します。いずれにしても、ご用向きのお方へは、果実か苗木の荷姿で、季節にもよりますが対応可能かと思います。

            
            
            

<ご注文に際して赤字下線部分を左クリックすると、別画面を開くことができます。>
※ご注文、ご質問やお問い合わせは H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。サイトが展開しない場合は直接メールで  うざね博士 hah05551★ams.odn.ne.jp  にて受け付けます。(ご利用の際は★を@に変更してください)  
            
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つぼみを付けたギボウシ

2021年05月24日 04時39分55秒 | ぎぼうし栽培日記
今でもコロナ禍の真っ只中であり、東京オリンピック開催まであと2か月、世の中は喧騒にまみれている。今年は西日本では2週間も早い梅雨入りがあったが、こちら関東でもぐずついた天気が続く、近年にない異例の時候を迎えている。 
 閑話休題、ここでは早々とつぼみを立ち上げて来た雨降り後の水滴を乗せた ギボウシ の接写画像をアップする。ギボウシは小型の原種系が一般的に開花時期が早いが、あらためて、徳玉系の開花も早いことに気付く。
※なお、付け足しではあるが、以前、ギボウシを26種の分類にまとめたことがあり〈徳玉〉と〈寒河江〉の系統分類の説明文を下段に加えておく。内容は我流の代物なので、どうかギボウシフリークの皆様のご批判を仰ぎたい。

撮影日時:令和3年5月23日午前10時
          イワギボウシ
          
          中斑姫徳玉・ヒメイワギボウシ
           
          X(品種不明)
          
          曙徳玉
          
          
          
          寒河江
          
          

■トクダマ系■
学名:Hosta(属)- Bryocles(亜属)- Helipteroides(節)- sieboldiana - var.tokudama
Hosta sieboldiana (Lodd.) Engler var. condensata (Miq.) Kitam
原産地:なし
 山陰に自生があるといわれている。オオバギボウシの変種、園芸種。徳玉という名前は葉が丸いことによる。中葉の小型、中型が多く成長速度が遅い。トクダマ系は、種間交雑が積極的に人工的におこなわれているようだ。新しい交配種には斑入りが多く見られるが、地色との複色系の多彩な葉のコンビネーションが人気の秘密か。花の色は白からうすいラベンダー色になる。個人的な経験では、種子繁殖をする場合、トクダマ系は空さやが少なく結実がきわめていいようだ。季節による斑の変化は少なくそのまま秋まで美しいものが多い。
 わたしには、観賞価値が高くて飽きの来ない品種という思いが強い。マイコレクションのトクダマ系は、地元の市場で仕入れているが、札落ち同然、品種名が曖昧で確定作業にひそかに苦慮している。しかし、これからはこのグループの増殖と収集には傾注していきたい。
品種名***・****・****・****・****・****・****
徳玉
姫徳玉
中斑姫徳玉
曙徳玉
小曙徳玉
黄金徳玉
黄金姫徳玉
覆輪徳玉
タトゥー(Little Auroraの突然変異種?)
ブルーキャデット(徳玉の実生種)
リトルオーレア(曙トクダマと‘ゴールデンワッフルズ’の交配種)
   ****・****・****・****・****・****・****

■クロナミギボウシ系■
学名:Hosta(属)-Bryocles(亜属)- Helipteroides(節)-sieboldiana (Lodd.) Engler -var. fluctuans F. Maek.
原産地:なし
   ****・****・****・****・****・****・****
 クロナミギボウシ(黒波擬宝珠)系では“寒河江”がこの世界では有名。山形県寒河江市で偶然、発見された自然交雑種。このグループは大型で肉厚でウェーブをもった大葉の品種が多く、本来は鉢やポットではなく地植えに向いている。落葉時期が遅く、結実状況は、熟すのが遅い部類に入るが空さやが少なくきわめていいようだ。ギボウシの仲間ではよく花も咲くし強健種であり、存在感があり大鉢や化粧鉢を用いたディスプレイに最適の草花である。
 これは外国でも日本でも共通した、人気品種である。
品種名 ***・****・****・****・****・****・****
寒河江(Fluctuans variegated)
スーパー サガエ(芽変わり変異種)
リバティ(皇帝?)
   ****・****・****・****・****・****・****

<ギボウシのご注文に際して赤字下線部分を左クリックすると、別画面を開くことができます。>
 ※各品種の単価一覧表は、R3/4/11付けのこのブログで公開しています。販売するギボウシはすべてポット栽培品です。それゆえ掘り上げ時に根を傷めていないので、ほぼ一年中、植え付けが可能です。(地上部のない冬季などの季節を除いてですが。)
なお、【ご注文にあたって】と【購入時、栽培上の注意事項】もお読みください。また、ブログのトップページからたどる等、必ず、最新の情報をお確かめください。
 ※ご注文、ご質問やお問い合わせは H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。サイトが展開しない場合は直接メールで  うざね博士 hah05551★ams.odn.ne.jp  にて受け付けます。(ご利用の際は★を@に変更してください)   
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怒涛かつ進撃の旅 ⑤福井県、水戸天狗党の乱 の足跡を辿る。

2021年05月23日 06時47分57秒 | 福岡からの怒涛かつ進撃の旅
 わたしは福岡での任期を終えて車で二日がかりで千葉に帰る。そのついでに4月3日には福井県にも足を伸ばした。

〈企画内容〉
 ⑤実は、車での福岡から千葉への帰省時に寄り道をする予定だ。全走行距離は単純計算で1,200km、14時間とされるが、さすが肉体的にきついので途中で一泊する。そこで琵琶湖の東側にある高速道路内の多賀SAでのホテルに宿泊後に、米原JCTから北陸自動車道を経由して福井県の敦賀ICで一般道に降り、一乗谷朝倉氏史跡、永平寺に寄る。次に国道158号~九頭竜湖を辿り東海北陸自動車道*白鳥IC⇒一宮JCT*名神自動車道そして東名高速道路に乗り換える予定である。
 福井県敦賀市は、水戸天狗党の乱 の悲惨な末路になる終焉地である。この箇所は歴史的な場所でもあるが、福井県に行くこと、この目的自体にはわたし独自の理由があり、それは後ほど明らかにしたい。

          武田耕雲斎の墓
          
          
          
          
          
          
          
           
           
          
          

          一乗谷朝倉氏遺跡   
          
           
           
          
       
          永平寺
          
           

          九頭竜湖
           
           
                
           
          
           
          
          

〈実際の旅程〉
 武田耕雲斎の墓に行くのには、降りるICを間違えて戻って敦賀市内に着く。が、またまた気比神宮あたりで迷い、通り掛かりの中年女性やJR敦賀駅前派出所で任務に就くべく出勤したばかりの年配の警察官、コンビニの若い女性と聞きまくりやっと着いた。ここはあの 気比の松原(17,000本、圧倒的に黒松ではなく赤松で占められている。) が近くでもあるらしい。
 天狗党が押し込められた 鰊(にしん)蔵のひとつは〈水戸烈士記念館〉 は、以前海岸沿いにあったもの。尊王攘夷派の天狗党は水戸藩内の幾多の内乱を経て、ついには、直接、当時は京都にいる一橋慶喜公に頼ってその素志を朝廷に達しようとする。
 彼らは水戸を出発して約2か月、元治元年(1864年)11月から 12月、途中に中山道を経て木曽から雪深い中を山越えをする。中津川から揖斐、越前大野を過ぎて福井で、15代将軍になったばかりの徳川慶喜、幕府追討軍総括・田沼意尊の命をうけた幕府軍による地元の大野、福井、小浜、加賀の各藩に捕縛されたが、総じて住民を含めて彼らに対して極めて同情的であったという。しかしついに828人の内 353人が翌年2月に全員斬首された。処刑を実行したのは小浜、彦根藩である。
 今、NHK大河ドラマの渋沢栄一の ‘青天を衝く’ でも脇役のように顔を出す武田耕雲斎や藤田小四郎がその統率役である。以前わたしは長野県下諏訪市近くのパーライト(黒曜石)鉱山での材検で行った際に、和田峠にてこの天狗党の踏破歴の石碑をまじまじと見て驚いたもの。また処刑されたこの地は、わたしにとって若いころに読んだ書物により一度は訪れてみたかった場所であった。(西上する天狗党の概略図の画像を添付する)
 〈「魔群の通過 天狗党叙事詩」山田風太郎・文春文庫〉
 〈「天狗争乱」吉村昭・新潮文庫〉
 〈「義烈千秋 天狗党西へ」伊藤潤・新潮文庫〉

 一乗谷朝倉氏遺跡 、は百年ほど朝倉氏が治めていたが、織田信長に滅ぼされ焼失した。その後長い間、水田などの耕地になっていた。しかし近年は発掘が進み中世の城下町としての全貌が明らかにされたものである。国内でも、町ごと丸々の遺跡の文化財として残されるのは珍しい。以前は造園学や庭園を学ぶ者にとっては古庭園跡が研修、鑑賞目的の地であった。わたしが訪れていた時節は、新芽どき、一帯を足羽川が清流として貫流していて町並みや区画が整備され、植えられた桜花の爛漫を呈して軽快なロケーションである。
 永平寺は、近年、大規模に大木の樹木治療がなされたと聞き及んでいたが、残念ながら正門のみの撮影でパスする。
 九頭竜湖は九頭竜湖はロックフィルダム。ここはそれ程標高が高いとは思われないが、落葉樹林内にはいまだ残雪があり、さくらはまだだし草木もあまり芽吹いていない。ここで、わたしの大好きな 蕗の薹 を安価で買うことが出来た。実は今年初めて食するのである。
 そうか、勝山市には恐竜博物館があるのか、わたしは帰ってきてから気付く。本当に駆け足で回ったものである。今回5回の旅では全く俳句を作れず、と言うか詠まずにいる、旅の途では思い浮かばず終わる。最後に言うが、この福井県を以って、わたしは国内47都道府県を全部、踏破をしたことになる。

 また、これで、生来からの地理好きで植物好きのわたしにとって、車での 怒涛かつ進撃の旅 は終わった。長年待ち望んでいた現地への踏査(観光!)を終えて、○○○○ロスに陥るかもしれない?!。
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怒涛かつ進撃の旅 ④佐賀の唐津から伊万里~長崎県平戸島

2021年05月21日 05時53分31秒 | 福岡からの怒涛かつ進撃の旅
〈旅行企画〉
④3月27日か28日の日帰りで、福岡の都市高速に乗り一般道を行く。佐賀の唐津から伊万里に焼き物の里に小ぶりな山間地や田園地帯を過ぎる。わたしは陶磁器は苦手ではなく、特に鍋島焼は好きであるが器を買うには大金と心の準備が足りなさすぎる。呼子への立ち寄りは無理か。次に北松浦半島を玄界灘沿いに潜伏キリシタンの地・平戸島に渡り、佐世保を通過して長崎道で帰ってくる。食事にあたってわたしは豚骨ラーメンやちゃんぽん系は苦手、わたしは中華そばや関東在住の札幌ラーメン世代である。なお、この旅程は事前に佐世保出身の二人にリサーチした。今回は予約の必要がなくて気が楽だ。大きな買い物はなく¥10,000以内で済めばいい。
 7:00自宅⇒松島IC*(都市高速道)*福重JCT*前原東IC⇒唐津・虹の松原~国道202号~伊万里~国道204号(北松浦半島)~平戸大島~平戸島~国道204号~西九州自動車道⇒武雄JCT*長崎自動車道*鳥栖JCT*九州自動車道⇒福岡IC~19:00帰宅

          虹の松原
          
           
           
         
          伊万里・大川内鍋島窯跡
           
                    
           
          
          
          平戸大島
          
          
          
           
          
         (生月島)
          
          平戸城
           
          
          

〈実際の旅程〉
3月28日の日曜日、唐津の 虹の松原(100万本の黒松林)・磁器の伊万里・北松浦半島を経由して、平戸島・生月島に行った。佐賀から長崎へ。走行キロ338km。総費用は¥10,800.。わたしにとって、福岡を拠点としては4度目の怒涛かつ進撃の旅行?である。九州の当地では、これで最後になるか。ルートは大きな港を持つ伊万里から佐世保に向かうが、元JRであった単線の 松浦鉄道 が走っている。それはこの地にかつてあった石炭産業のための炭鉱路線であることをわたしは初めて知る。帰りには高速道路に連なる佐々ICに乗ったが、途中の大都市である佐世保に寄らなかったのが悔やまれる。深い入り江の佐世保湾と島々、わたしたちのベトナム戦争世代にはかつて 原子力空母エンタープライズ寄港 反対で大騒ぎされたところである。
 焼き物には有田焼があり、それを鍋島藩が官窯として開いたのが伊万里市の鍋島焼であり、一般には流通させなかった。古伊万里の名称もこの時代のもの。肥前の国、佐賀の唐津周辺は豊臣秀吉の 文禄・慶長の役 の日本の拠点だが、その際に朝鮮の陶工を多数引き連れて来たとされる。それ以降、九州に多い焼き物は全てこれらの人々によってもたらされた。わたしはこれを見て歩くのは嫌いではないが、如何せん、時間がゆるさない。ただ眺めるだけではしょうがない、購入目的でじっくり伺いたいがそれはいつのことになるだろう。
 平戸島に自生する植物にはバクチノキ、ツワブキ、タカサゴユリ、ヒラド(平戸)ツツジ、イヌマキ、また島内にはサザンカ自生地があると聞く。ちなみに、ほぼ、落葉性を含まなければあらゆる原種のツツジ類は九州が起源と思う。ここは原産地として中木や低木、グラウンドカバープランツなどの庭園材料になる植物が多い。勝手に推測するには、多分、国内での芝の施工面積では最も多いコウライシバ(高麗芝)もこの辺の日本海の海岸縁ではないだろうか。
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怒涛かつ進撃の旅 ③愛媛の宇和島城~高知県立牧野植物園~山口県の周防大島へ

2021年05月19日 09時15分11秒 | 福岡からの怒涛かつ進撃の旅
〈旅行企画〉
③3月20日から21日は、愛媛県宇和島市の伊達藩の城と、山口県の宮本常一(星野哲郎)の生地である周防大島に回っていきたい。また、セトウチギボウシの自生地が存在するのであれば巡ってみたい。
 今回は九州から豊後水道、四国から瀬戸内海を横断する。わたしの日本国内での未踏県である愛媛県と高知県を通過、滞留する目的だ。残るは福井県のみになる。実はこの旅程表を作るにあたって、地理的に、四国全県はわが出身県である岩手県の面積がほぼ同じなんだ、だから一筆書きで回れるという安直な思い込みがあった。大したことはない、と・・・・・。
 3月15日中にフェリーと宿の予約を終えた。どうやら、今回の旅程が一番タイトだ。カーナビもほぼ使えるようになった。早起きのわたしだが、なんとか寝坊せずにこなしていきたいものだ。
 04:00自宅⇒福岡IC*北九州JCT*別府IC⇒06:25別府港→(宇和島運輸フェリー)→09:10八幡浜港~大洲北兄IC⇒宇和島北IC~宇和島城~国道320号*国道381号*四万十町中央IC⇒高知IC~県立牧野植物園~コンフォートホテル高知、宿泊*出発3/21 07:00~高知IC⇒川之辺東JCT*松山IC~09:40三津浜港→(防予フェリー)→10:47周防大島(屋代島)・伊保田港~星野哲郎、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)~国道437号~玖珂IC*山口JCT⇒福岡IC~18:00自宅
 費用はカー-フェリー代で18,000 、宿泊は朝食付きで 9,000、車での総走行距離は約550㎞か、高速代は約 8,100円、以上ほぼカード決済。ほかにGS代、食事、土産代も含めて合計で¥40,000程度で済むか。

          別府港
          
          
          
          

          宇和島城
          
          
          
          
          

          牧野植物園
          
          
          

          三津浜港
          
          

          周防大島
          
          陸奥記念館
          
          

          宮本常一記念館
          
          
          
          
          星野哲郎記念館  
          

          (周防大橋)
          
          
 
〈実際の旅程〉
 前日、早めにベッドに入ったが、眠れなくて思案し深夜01:30にアパートを出る。向こうについて車中にて寝る予定にする。初めて、ほぼ無人状態の高速道路を福岡ICから九州道下り~大分自動車道を走る。わたしは何だか、悪いことをしているような気分でもあった。ひた走りに車を飛ばす。別府ICにつき市内をナビで連れ回されたようにしてカーフェリー乗り場に着いたが、わたしはガス欠を心配してあまり駐車場でエンジンをかけずにじっとしている。場末で夜寒かと、貧寒とした気分。さすがに、71のおっさんがこんなことをしてることに我ながら変わった人間だと思うことしきりである。
 豊後水道を超えて、早暁、八幡浜港に着くころには周囲の島々は濃い緑の塊の中で淡く白い ヤマザクラ が点々と咲いている。港町の周辺の雑踏で無事にガソリンの補給を終えて一般道や自専道を出たり入ったりして宇和島に向けてたどっていく。宇和島は三方が山に囲まれて一方はリアス式の宇和海に開かれている。宇和島城は東北のわが仙台藩の伊達藩主(1615年、伊達政宗の長子で秀宗・10万石)がいて、その居城に寄る。築城は藤堂高虎。ソメイヨシノ がほぼ満開の中で、登城は狭隘な歩行路であるが、城自体は極めてコンパクトな造りで眺望的には宇和海を見下ろせる。受付で年配の係員に話しかけたら、伊達家の家系図のプリントをもらう。
 宇和島城から高知市内に抜けるルートは長時間にわたって辺鄙な山間部を走るが、雨混じりの陰気な天候を過ごしてますますそんな気分が募る。無人の山塊の道筋、そこはコンビニもなく水分補給なしでトイレを我慢、車外の光景と連動してわたしの内面も森閑としている。こんな縁のない場所で、おいっ、お前はそんなことをしていていいいのか、と。
 結果的に国道や県道をナビにしたがって走るが時間的には数倍はかかった模様で、標高、山並みや周辺の地形や道路は勾配的にやたらと高知市に向かって下がっていると感じる。果たして、その所要時間は3時間余りだろうか。
 今回の “怒涛かつ進撃の旅”では最初あまり意識はしなかったが、民俗学の宮本常一の話の世界にリンクしているようで、帰った後には特にそのことを感じるところだ。例えばここは時空を超えて、あの「忘れられた日本人」の‘土佐源氏'の舞台に近似している。既に宮本常一の著作物に馴染んでいる方は分かると思うが・・・・・。

 雨中、16:00頃、閉園時間を気にしつつ、散々、高知市内で迷った末に小高い五台山の 県立牧野植物園 に着く。牧野植物園は駆け足で回ったことになるが、ここは非常に洗練されたレイアウトと演出、植物のメンテナンスやそれに目的意識を持ったいい公園である。日本国内を網羅したわけではないが、出色の出来栄えでおすすめの植物園だ、多分、いいアドバイザーがいて財政や運営が県主体だから出来るのだろうか。運営主体が民間ではどうしても経営重視であり、研究や保全に力点を置く大学等の付属施設ではこうはいかない、特に演出や植物のメンテナンスがなおざりになる傾向がある。
 市内中心部のシティホテルに宿を取ったが、JR高知駅に向かう交差点の辻で 歌人・石川啄木 の実父の石碑があって思わず微笑む。実父は啄木亡き後に実妹夫婦の国鉄勤務の赴任に伴って高知へ住むことになり、ここで死んだという。遠いわが岩手の偉人の係累?がこんなところに、とわたしは色々な意味で不思議に思う。
 翌朝は高知自動車道で高知ICから高速道路に乗り松山ICで降りて、09:40三津浜港に急ぐ。ここはへ道が分かりにくかったが、なるほど住民の生活の足としての船なのだと合点がいく。周防大島・伊保田港で下船して 陸奥記念館 と 宮本常一、星野哲郎記念館は海を背景に並列しては分かり易い国道437号を走っていく。わたしはここで長時間を過ごし、学芸員の案内で見て回る。特に宮本常一の国内の足跡図を注視したが、色々な写真データや資料の整理編集はどうやら終わったようだ。ちなみに宮本常一の対馬踏査内容の記録物については先週うかがった対馬の民宿の主人を担当者に紹介した。また周防大島の自生種であり現地では不明だった セトウチギボウシ2株 を千葉に帰宅後に寄贈、宅送した。
 わたしはカラオケ好きで、流行歌の作詞家の星野哲郎記念館では美空ひばりの「悲しい酒」、小林旭の「昔の名前で出ています」となんだか他3曲を聞いて、わたしは日常の感覚に戻ったようで思わずほっとする。記念館としては以前行った栃木県日光市内の 船村徹記念館 より内容が充実していて、洒落ている印象だ。
 何だか、わたしは妙に疲れていて、それからは山陽道に出て、夕方の18:30頃に帰り着く。

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怒涛かつ進撃の旅 ②対馬行き

2021年05月17日 04時54分16秒 | 福岡からの怒涛かつ進撃の旅
 初めは隣国の韓国が見られるのならと思い、対馬へ行く予定を立てたが、調べるうちに小さな鰐浦港に絶滅危惧種の ヒトツバタゴ の群生地があり、現地では花見と言えば5月連休期間にこの樹木の密集してパウダー状に咲く白花が対象であることが分かった。踏査時季は落葉期、まばらにピンクの ゲンカイツツジ が混じるがヒトツバタゴの純林のように見受ける。当然、この離島では希少な観光資源である。われわれ樹木医仲間では、このヒトツバタゴが千葉の青葉の森公園に植えられていて生長が思わしくなくその対策を考えるのにその樹木の特性が不明であった。自生状況はどういうところか。
 また、環境省の対馬野生生物保護センターの ツシマヤマネコ の保護施設は小高い山中にあるがこのコロナ禍により閉鎖中であった。ちなみにこの猫は茶トラの飼い猫と同じくらいの体型である。

〈事前の旅行企画〉
②まず、3月13日から14日は対馬行きだ。基本的には軽の自家用車ダイハツのTANTOを運転して行く。
 10:00博多港→(九州郵船カーフェリーきずな)→14:45厳原港⇒(車)⇒上島*比田勝へ “民宿たちばな” に宿泊⇒韓国展望所⇒ヒトツバタゴ原生林⇒3/1415:25厳原港→(九州郵船カーフェリーきずな)→20:10博多港⇒20:30自宅
 費用は船代往復で40,740 、宿泊は二食付きで 7,100、対馬の下島から上島までの走行距離約50㎞か、福岡都市高速の高速代は約 1,300円、以上全てカード決済。ほかに雑費、土産代も含めて合計で¥50,000程度で済むか。
          
          
              
          

          

          
          
          
          
           
          
          
          
          

          
          
                  
 
 カーフェリーは車とも料金が往復割引で¥40,000.である、壱岐を経由した航路は長くて片道4時間余りもかかる。行きは博多港を出てさすがに船のローリングが大きくなると紺碧の日本海の外洋に出たなという感じだ。わたしは船酔いがひどかった若いころの伊豆七島の八丈島行きを思い出す、たしかサルビア丸で12時間はかかったはずだ。甲板に出ていてだんだんと海に見飽きると、わたしはまばらな2等船客室で横になりあれこれと今までの来し方を思う。とつおいつしていると、体が前後左右にゴロンゴロンと持っていかれる。

 対馬は地元福岡県民にとって手前の壱岐の島ほど人の往来が少ない、行政的にも何故長崎県なのか不思議だ。(かつて福岡県への転県運動が盛んであったらしい。)
 厳原港へついた後に、早速、上島の比田勝方面へ移動するが予定の倍の2時間はかかる。上島比田勝泉の民宿(民宿たちばな)は二、三年前まで韓国からの観光客で賑わっていたらしくて部屋も韓国風に装われていて、わたしはやや落ち着かない。
 対馬はあまり観光地らしくない、ざわめきやにぎやかさはない。スーパーもコンビニも下島の厳島の数軒だけだ。古代から現代においても、この島全体が日本の国境の役割を持った島と言うことに尽きるだろう。

 ギボウシに関して、これは後追いの知識だが、当地には ツシマギボウシ と言うのがあるらしい。現地での話題にはなっていなかったが、草丈は中型で青花または白花を付ける、自生地は人里離れた峻険な山肌ではなくて日常的に身近な場所であるらしくて、わたしは見ていない。絶滅危惧種ではない。ギボウシフリークの間では、その園芸品種も出回っているらしいのだ。
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3月の “怒涛かつ進撃の旅” のその後

2021年05月12日 08時18分29秒 | 福岡からの怒涛かつ進撃の旅
わたしは現在は千葉在住。今はコロナ禍と季節の移り変わり時の植物栽培と本の濫読の日々で、のんべんだらりの毎日だ。思えば福岡への赴任時は慌ただしいもの、福岡でのコロナ禍の緊急事態宣言明けはわぁっと出かけた。3月の“怒涛かつ進撃の旅”、と勝手に銘打って福岡市のアパートを拠点に近県を車で動きまわる。わたし個人の長年染みついた勝手な習慣(癖)であるが、その跡を追った記録がまだ未整理である。それはわたしの、自堕落と言おうかこまごまとして流されていく日常生活にかまけているのだ。それに、実は関係する会社への請求すべき帰任費の請求、清算も終わっていない。
          
 そのあとにお礼として、行った先の山口県萩市山中のお寺(臨済宗・雲林禅寺)にギボウシの〈寒河江〉と長崎県の対馬の民宿(民泊たちばな)の主人にも同じく〈寒河江〉を宅送した。また、瀬戸内海の周防大島町の宮本常一記念館へのギボウシの〈セトウチギボウシ〉も提供した。前者2件は単純に御礼であったが、後者の〈セトウチギボウシ〉は自生地として地元の行政当局が知らずにいたので現物の寄贈品ということである。現在は記念館正面の緑地へ植えられている。お近くの方はご覧になっていただきたい。なお、この品種が絶滅準危惧種であったことは調べていて初めて知った。まあ、わたしの持ち出しもあるがそのやり取りも今は済んだ。
 対馬と周防大島町の宮本常一記念館へは、宮本常一さんの戦後直後の離島振興法制定直前に踏破歴時の発行した書物の仲介目的もあり、頻繁に連絡を取ったもの。また対馬は日本国内では稀な ヒトツバタゴ(ちなみにこの植物も絶滅危惧種IAである)の群生林(植生的には隔離分布とされている)について、民宿の主人から思いがけずにその苗10株を送っていただいた。それを受けて、わたしはわたしで地元の樹木医仲間とその特性や試験栽培を兼ねて調査、協議中である。このことは別記したい。対馬へは ツシマギボウシ という自生種も問い合わせている。
 わたしは関東の人間、どちらにしても遠方過ぎて再訪は難しい地域だ。せめて機会が巡ってくれば、周防大島町とその近辺はじっくりと伺いたいものである。
          
PS:画像はこの間のわが家の開花した植物である。


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