うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

浦安の液状化を見に行く-その1 新浦安駅周辺

2011年03月31日 03時44分56秒 | 東日本大震災のこと
 先日、仕事の帰途に、地縁のあった千葉県浦安市内の新浦安に行った。わたしなりに、気になっていたのだが、3月11日に起きた今回の大震災の爪痕を身近に感じるためにである。
 実は液状化被害についてこの目で見るのは初めてで、街の状況は、シルト(微砂)っぽく海底の泥が混じっているらしく白っぽい砂埃でまみれ、風が吹くと空中に舞い上がるだろう。市道の表面は波打っており舗装部分との継ぎ目からクラック(亀裂)が入り、地下埋設関係も歩道は特にひどく、上水道のほかに下水の人孔(マンホール)全体は上昇し大きいところでは1mにも及ぶ。推測するに、地中部では巨大な力がはたらき、長い距離にわたり地下の布設管も持ちあげられて下水管自体も断裂しているようだ、当然、使用不可能だ。全体的に、どこもかしこも地盤一体が不同沈下の現象を呈している。
 あちらこちらの道路では、調査業務関連の人たちに加えて、水道、下水道、都市ガス、電気、舗装、土木関連の災害協力作業の業者が車両を持ち込んで応急処理の作業をしているのだ。これでは、この地域のこれからのインフラの本格整備の先が思いやられる。
 なんだか、業務的な報告書のようで気が引けるが、とりあえず、見てきた画像をズラズラとアップする。ここでは未編集ながら2,3回にわたって掲載する予定だ。
 なお、写真上でクリックすると画像を拡大して見ることができます。

 撮影日時: 平成23年3月28日(月曜日) 16:00→17:30
 天候: 晴れ 無風

 まずはJR京葉線の新浦安駅の東京湾側方面(海側)、入船口側の駅前あたり、連絡するペデストリアンデッキ・スロープ・屋外エレベーターとポケットパーク、交番の入っている駅商業ビル(ここには、建物の外壁に垂直面緑化が設置してある)、バスターミナル、それに広場である。
                   
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わからないギボウシ群

2011年03月23日 05時07分19秒 | ギボウシの系統・分類


 ひさしぶりに、ここではわからないギボウシを調べよう。可能な限り資料に加えて、わたし自身の栽培メモで確定したいものだ。ギボウシフリークの皆様のコメントをお待ちします。
 ちなみに、合計すると12種に及ぶ。
    

14.レイクサイド チャ チャ( ハイドンサンセット錯誤⇒220717判定)
(中型中葉・黄金色葉・薄紫色系白花・花茎;中・結実;○:発芽率? 優・良・不良・・・芽出し;中・成長度;中・伸長時期;春、初秋)
33. ○ムラサキカンザシギボウシ(f コバギボウシ?⇒210815判定)
(中型中葉・細長/濃緑葉-白糸覆輪・ 色系白花・花茎; ・結実; ×: ○:発芽率?
 優・良・不良・・・芽出し;早・成長度;遅・伸長時期;春?)
53. ○タチギボウシ(gコバギボウシ⇒210815判定)
(中型中葉・青緑色・ 色?系白花・花茎;中・結実;○:発芽率 優・ 野生種・・・・
芽出し;早・成長度;中・伸長時期;春)
69. ○ウラジロヒュウガギボウシ(ヒュウガギボウシ⇒210815判定)
(小型細長葉・濃緑葉・白色花(内側紫色)・花茎; ・結実; ×: ○:発芽率? 優・
良・不良・野生種-----西日本自生種・・・芽出し;早・成長度;中・伸長時期;春)
70. ●eイワギボウシ系?
(中型中葉・幅広葉・濃緑葉・ 色系白花・花茎; ・結実; ×: ○:発芽率? 優・
良・不良・・・芽出し;中・成長度;中・伸長時期;春?)
72. ●○タチギボウシ(jヤマギボウシ⇒210815判定)
(中型中葉・ヘラ状・濃緑葉・  色系白花・花茎; ・結実;○:発芽率 優・・・芽
出し;早・成長度;早・伸長時期;春?)
74. ●白覆輪ミズギボウシ
(中型細長葉・ヘラ状葉・白糸覆輪・薄紫色系白花・花茎;長,斜上性・結実;×・・・
芽出し;早・成長度;早・伸長時期;春?)
78. ●kヒュウガギボウシ?
(中型中葉・濃紫色系白花・花茎;高・結実; ×: ○:発芽率? 優・良・不良--------
コバギボウシ系?、根元が褐色・・・芽出し;早・成長度;早・伸長時期;春?)
86.mコバギボウシ?
(小型小葉・白覆輪・・白花・花茎;  ・結実; ×: ○:発芽率?優・良・不良・・・
芽出し;?・成長度;?・伸長時期;春?)
87.ジャスト ソー(n ⇒220707判定)
(中型小葉・濃緑のエッジ+中斑クリーム色・薄紫色系白花・花茎;中・結実; ×: ○:
発芽率?優・良・不良----トクダマ系の交配種・芽出し;?・成長度;遅・伸長時?)
100.oダイオウギボウシ?
(大型中葉・ ・波打ち葉・濃緑色・ 色系白花・花茎;  ・結実;×: ○:発芽率?
優・良・不良・オオバギボウシ系・・芽出し;?・成長度;早?・伸長時期;春?)
105.p紫花系ギボウシ?
(中型中葉・濃緑色・濃紫色系花・花茎;中・結実;×:○:発芽率?優・良・不良・・・
芽出し;?・成長度;早?・伸長時期;春?)
                           
 マイコレクションのなかでギボウシは、地元の市場で入手しているが、札落ち同然で、今でも品種名が曖昧で確定作業にひそかに苦慮している。また、価格も比較的高いようだ。古くからある原種系ギボウシはどのホームセンターでも扱っていないのが現状だ。
 ちなみに、ここでは、少々の栽培経験とわたしの頭の中の独断と偏見とあて推量で話題がすすみますので、ある程度、適当にとらえてご理解ください。そして、誤義がありましたらコメントを願う。

●ギボウシの販売は当ブログのみでおこなっております。価格面や数量については、お問い合わせするか、左欄のカテゴリー [草花ナーセリーWeb直販コーナー] をクリックし日々の書込み履歴をご確認願います。必ず、最新の情報をお確かめください。
               
 購入の受付けやコメント、お問い合わせに際しての連絡は下段のコメント(0)をクリックするか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。
      

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号泣と沈鬱と、そして鎮魂を、東日本大震災

2011年03月19日 17時55分45秒 | 東日本大震災のこと

 これはまったく個人的なことですが、東日本大震災について、3月15日のブログに記事を書き込んだ通り、重苦しい心理の内側でわたし自身の意識に震災前、震災後という、区切りが生まれつつある。いまだ曖昧模湖ながらも、わたしは、思いを新たにしなければならない。

 とはいっても、現実的な対応として、わたしには現在の仕事や生活環境の事情で災害救助の活動はできない。こんな場合の無償ボランティアの実際面については、経験上、少々知っているが、いまは物理的、時空的に無理な状態だ。せめて、宅配便による物品として東北方面の交通事情が解決していき次第、身近な親戚関係ではあるが津波に遭った岩手県内にいる姪に、栄養価が高くてすぐ食べられるわたしの住む地元特産の落花生をキロ単位で送る予定である。

 ところで、けさほど、体調不良の中、たまっている仕事に出かける電車の車中で、たまたま、浮かんだ駄句を以下につらねたい。内容はいたって極私的な述懐そのもの。無益な妄想の表現であることは、重々、承知の上である。

  *わがみちのく 母のふところにたてまつるなり

  *春まだ来 おどろおどろし あめつちを怨む

  *はかなくも みずくしかばねに 春の海

  *遠きまなこ 無口の民らに 草木萌ゆ

 房総の千葉のわが町では、早くも辛夷の白い花がひっそりちらほらと咲き始めた。やがて、そして、いよいよ百花繚乱の世、万緑の季節がくるらしい。もうすぐ、彼岸の中日。が、寒い彼の地は遅い春の時候である。凶事に対し、わたしは森羅万象の移り変わりがこの世に吉祥をもたらすことをひたすら信じる。

 

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落ち着かない日が続くのですが、

2011年03月19日 05時47分00秒 | 東日本大震災のこと

未曾有の災害、東日本大震災でわたしの身の回りは落ち着かない日が続く。随分と余震が続く。このあいだ、未熟で青臭い日本政府と東電のお粗末極まりない方策によって、突発的に「計画停電」なるものが始まる。今の働き盛りの世代には、タイムスケジュールに沿ったかたちの事前の関係者、関係機関との打ち合わせとか、根回しとかが不得手のようで、本当に困ったことである。相手を思いやったり忖度したりできず(想像力不足である)、あるのは相手を言い負かそうとする巧みなディベートと自己主張のみだ。結果的には全体の不利益につながるのに・・・・・。

 そんなことで、わたしは今週の月、火曜日は電車が動かずして、出社もかなわず。そのあと乗る駅と路線を探し乗り換えと乗車時刻を見て、どうやらこうやら、都内の会社に通う。その間、わたしの家族は遠方まで徒歩や自転車で行ったり同僚の車に乗せていってもらったり、なんとか通勤している模様だ。ガソリンも軒並みスタンドが売り切れで閉まっている。ついでに言うと、建築工事の現場も土を掘り山留めをともなう工事は全面ストップ、絶対的な軽油不足で重宝なユンボ(バックホウ)、発動発電機などの建設機械は動かせなくて作業も休止状態だ。

 今、家庭にいても、仕事に行っても余震が未だに続いている。確かに、一週間も続くのは異常だ。そして、このあとも房総沖地震が予想されている? そのエネルギーは震度2、3から震度4ぐらいの感じだが、その間断時間が長くなってきて少し安心している。

 昨日の朝に総武線に乗り換えるべく駅のホームで待っていたら自分の感覚がおかしい。なんだか揺れている、まわりの物や電車の架線を見ても揺れていない。足もともがふらつく感じだ。わたしは慎重に混雑している車両に乗り込んで鎮まるのを待つ。頭内が妙な感覚、わたしには老人特有の脳の病気の発症経験がなく、これはめまいか、メニエール病か。会社のパソコンでインターネット検索したら、“地震酔い”という症状であるらしい。どうもこのことはトラウマになるらしい。わたしにしてみればそんなことはよくあることで、どうでもいいのだが。

 わたしのような東北の片田舎で育った人間は文明の機器などなくても、種を播き食物を育てる耕すための土くれさえあればなんとか飢えずに生きていける。出身をたどれば百姓の小倅だ。いざとなれば、商店なぞの商品がなくても済ませる、しがない農耕民族のなれの果てだ。わたしはもともと、自分の五感を頼りにするアナログ重視の古い人間。だがしかし、はたして、こんな日がいつまで続くのであろうか。

           

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今度の大地震のその日は・・・

2011年03月15日 18時50分31秒 | 東日本大震災のこと

今度の大地震について、わたし自身のその日の行動や感想を書きたい。

 3月11日の午後2時46分は江東区内の会社にいた。ラーメン構造で鉄骨造りの一階の事務所で4月に予定されている現場の準備作業で資料整理に当たっていた。そこで、いきなり、ゆさゆさと大きな横揺れが始まり、危険を感じて前面の路上に飛び出す。わたしは、なんどか数分刻みで出たり入ったり繰り返す。3時7分には突き上げる縦揺れがあり横揺れがある。道路(区道)から見ていたら、貨物線越しの遠方の40階建てと思われるタワー状のマンションがローリングしている、多分1,5mくらいは左右に振れている。ベランダには入居者の姿は見えない。歩道の電柱はぎしぎし音を立てて揺れ、電線はバシャッバシャッと波打っている。事務所内の停車中のライトバンは前後に音を発し飛び出しそうだ。社の人たちもあっけにとられて苦笑いをしているが、所在なさげだ。わたしは落下物の危険を避けるように空中をみながら、かろうじて隣地の野天の駐車場に立ち尽くす。車は何事もないように通過するが、歩行者はびっくりしている。卒業式帰りの女子学生は泣きそうな顔でかがんでいる。耳鳴りとか加齢化によって、自分の三半規管の機能に自信を持てなくなっていたわたしには、ほとんど船酔いの境地であった。心許ない体の揺れに不安をおぼえるのだ。それに、もともとわたしは地震に過剰に反応する気味があるらしい。よく言えば敏感でもある。なぜかというと、それは小さい頃の、田舎の経験によってである。1960年に起きた、 「三陸チリ地震津波」 が起きた頃の世の騒ぎをおぼえているからである。チリという地球の反対側から津波が押し寄せる恐怖がどんなものであったことか、当時、わたしは小学校の低学年であった。同じ時代に、愛知県では伊勢湾台風もあった頃。それは、50年前の話である。

 わたしは落ち着きもなく、電気機器の電源を落としたりドアを開け放しにしておいてから、事務所を出たり入ったりし、テレビやラジオが身近になかったので、インターネットで地震の規模や地理などを調査検索し情報を集めた。わが田舎である、岩手県の三陸沖で地震と津波が発生したとのことである。そのうちに、やがて、都内の電車などの交通機関も途絶えた。高速道路も閉鎖した。夕方にやっと家族と連絡をとり無事と無事故を確認した。即、勝手に会社に泊まると決め、明日帰ることになると伝えた。わたしはどちらかといえば長い間にわたり遠距離通勤だ、その場合の対応は慣れている。それから隣のコンビニでパンと、普段はめったに食べないカップ麺をもとめる。

 その日、わたしの郷里にも連絡をとるが、とうとう電話は通じずじまい。わが山峡の町は県境に位置する。今回の一番近い被災地は宮城県の南三陸町だが、地震そのものでなくこれは津波による被害だ。そこからひと山越えたところなので、災害があるとすれば土砂崩れなはずだ。大まかな土地勘とともに、わたしはその地形を思いうかべて、なんとなく大丈夫そう、との感触を得る。しかし、最大の被災地の気仙沼にしても、今は、車で30分の距離だ。のちほど、無事を確認する。

 夜の8時台に最寄りの地下鉄の駅に行くと、半ばシャッターが下りていて閉鎖状態である。釜屋掘通りと明治通りの道は、都心と反対方面へは無数の車で渋滞し、歩道は帰宅する人であふれている。ときおり、救急車がサイレンと大きなスピーカーを鳴らし通り過ぎていく。そんな状況が連綿と続いている。町の飲食店はにぎわいざわめいている。その光景は、まるで、お祭りが終わった直後の夜のようだ。

 孤独は馴れている方だが、その夜はぽつねんとわたしひとり。わたしは寝るのに椅子では落ち着かず。床に古い図面の束を敷き、手近かにある他人の作業着を大量にかぶり横になる。窮屈そのものだが、文句を言うのはわたしらしくない。さいわい、電気の暖房のエアコンは効いている。それから、一時間ごとに襲う大揺れにわたしはヒヤヒヤ、辟易しながらも眠れず、2,3時間ほどのうたたねの後、早朝の4時に目が覚める。

 7時15分、朝帰りのため、会社を出発、動き始めた電車でそれぞれの駅で30分以上待たされ、地元の駅より三つ目の手前の駅で下車し、家内にメール連絡し迎えに来てもらい、帰宅する。時刻は10時45分。不機嫌なわたしは、家で心細くしていて心配していた家内に当り散らす。

 地震規模は震度5強、マグニチュードは空前絶後の値を示し、始めは7.9、それから8.2 、8,8、そして未曾有の9.0に変更になった。名称は “東北地方・太平洋沖地震” から、 “東北・関東大震災”、 “東日本大震災” と変わりつつある。被害の程度は、過去にも江戸時代から頻発したが明治以降の3度の 「三陸チリ地震津波」を 、簡単にクリアする大災害になった。規模は最終的に神戸の 「阪神淡路大震災」 の7000人近い死者数を軽く超えて、30000人はいくに違いない。三陸の風光明媚な天然の良港であるリアス式海岸は、各町ごとに孤絶されたエリアになってしまった。過疎ではあるが、今まで営々と整備してきた地域住民にとって、木造の住まいや海藻や魚介類の養殖の栽培漁業、沿岸漁業のなりわいの問題があり、地震発生後は、まずは津波防潮堤建設、港湾整備などのインフラ整備の問題が立ちふさがる。その対価としていくら公共的な費用の補助があったにせよ、いづれ個人や自治体が長期間の借金を世負うことになる。昔から地震、雷、火事、親父、と言い古されているが、こんどの天災はおどろおどろしくさまざまで悲惨な事実群とにまみれていて酸鼻な大事件である。わたしの想像でも、この世のものと思えない最悪の事態の出来だ。

 なんだか、わたし自身に、震災前と震災後という意識上の区切り方が定着しそうである。被災地へのアクセスが悪すぎて、今回の場合は都市化された神戸と異なりボランティア活動への一般参加は無理であるが、これまで生きてきたわたしの人生観上、なんだか、今後はそうなるように思う。だが、いまだに、被災地も関東でも余震はつづく。今度災害に遭われた方々へは、死者へのご冥福をお祈りしたい、今後、生存者の皆さんは自殺したり絶望せず、復旧への意志をかき立てて生き抜いていってもらいたいものだ。    

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今の若い世代は、目の前のことが一番大事であるのか・・・

2011年03月09日 14時05分19秒 | わたしの日常です。

 先日の19歳の京都大学受験のカンニング事件のことについて、今回は書き込みたい。

 新聞等による報道によると、動機は母親に苦労をかけずに学費の安い国立大学になんとしても受かりたかったとのことである。これは歪んだ親孝行、家庭問題から派生して犯した事件だ。わたし自身は、40年前のあの時代の10代後半、自前で大学の授業料も、当然ながら生活費も稼いで生きてきた。大学紛争による封鎖と、学習意欲の減退で授業料を未納、途中に退学した。しかしわたしは、社会の背景もあるにせよ、これからの生き方を模索するには勉強も必要だ、という動機であった。

 その当時、決してこんな職業に就こうとか、どんな会社に入ろうとかは考えなかった。理想を言っていられる世情であった。現実的ではなかったのだ。今となってはそうとしかいえない。やがて、紆余曲折を経てやりたい仕事が見つかったのは結婚後の28歳のころである。その基準は自分自身が将来にわたって好きなことを続けられるもの、そしてそれによって収入の道があればいい、ということであった。そうすれば、わたし自身が家庭や身近な人々に自己責任を持っていられる。それが植物をあつかう造園ということになるのだが、それから、ある会社に入社してからは、その通勤途中の道端や近くの公園、山野を業務時間外に見て回った。そのつど、写真は撮る、スクラップブックをまとめ、植物の標本づくり、関連事項を大学ノートにつけはじめた。(蛇足だが、この習慣は今でもつづいている。)

 それから、かれこれこの造園の世界に30年ほどいるが、見まわすと知人とかの同世代で20代に決めた道を通してきているのは一人ぐらいか、勘違いしないでほしいのは所属する会社ではなく職種のことである。造園に関していうと教育機関、大学の造園を専攻をしたものほど転業、転職が多いという事実だ。特に大きな社会変動、10年近く前のバブルショック前後が著しい。若いときの夢を通して生きてきたなどはきわめて珍しいのだ。

 しかし今の若い世代、目の前のことが一番大事であるらしい。目的よりもそれをもとめる手段なりテクニックが重要であるらしい。そのための方策はいとも簡単に見つかる。WEBサイトしかり、図書館しかり、最新の電子情報機器を追いかけて、などなど、わたしに言わせればただただ粗雑に頭でっかちなだけだ。それが本当におのれ自身の一番いい探し方であろうか。それによって得られる、自分のみの自己肥大化をうながすことになる仮想空間と想念は妄想もおんなじだ、そこには他者への理解と共に自分の脳みそを使った思考という習慣が欠けているのだ。社会を都合よく頭脳的にひきつけておくことばかりしていて、その実、自分自身の考え方もよくわかっていない、単に安易に目の前の事柄を解釈しているだけではないだろうか。価値観の違いと強調してみたって、そんなことは数年で底が割れる。自分自身への向き合い方を抜きにして、そこにはむやみに貨幣価値に置き換えたり消費経済的な行動、商業主義的な価値観のみ、不当でいびつな考え方はないであろうか。単に合理主義的なだけで、この場合、それが本当に目的にあった探し方、もとめ方だろうか。

 この動機についてわたしの結論をいうと、母親の苦労は無関係だと思う。そんなことは本末転倒だし、親の尊厳を無視している。なんのことはない、当人はいつまでも子供でありさえいればいい、というさもしい根性だとさえ言える。親子間と社会は違う。親への説得の仕方と自分自身への納得の仕方を学べ。親の事情のこと、そんなことは思っても言うな。

                        

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また、種まきをする。

2011年03月08日 05時49分44秒 | ガーデニング・庭づくり

 先日の日曜日、また、種まきをする。今回で二度目だ。

 その前日は市の文化財ボランティアの活動で、教育委員会の遺跡発掘調査に参加する。現地の状況は墓地に面し、戦後に成立したとおもわれる樹齢で薪炭や落ち葉の採取目的の雑木林でおおわれており標高25mの丘陵、6000㎡の地元の寺領地であるが、周りは農村地帯で下方に田んぼがひろがる(谷津田のこと)里山の一角だ。ちなみに担当係員に話したのだが、植生的にざっと見ると、 コナラ(イヌシデ?)-ヤブツバキクラス(群落) と言えるのだったかな。今の見所はイヌシデの赤い若芽、コブシの膨らんできたつぼみ、ツバキの厚ぼったい真紅の花が満開の風景になるだろう。昼休みに調べると、貴重なものや珍しい樹種はなく、ケヤキやクリは混じっていない。ほぼ一日になったが、2月から始まった調査そのものは終盤で、わたしたち数人は、古墳群、トレンチや円墳の周構を埋める復元作業である。土木で言う、埋め戻しである。ひさしぶりに鋤簾やスコップの肉体労働をした。高齢者や女性に混じって、これは土方作業だ。わたしも他の面々よりは手馴れた方だろうが、ほどよく汗をかいて、その場の雰囲気は冗談を言いつつ和気藹々としたものだった。よくもまあと思うのだけれど、こういう活動もいい。見方を変えれば物好きだが、市民社会では物好きこそボランティアの真骨頂だ。リタイアした人が多いが、実はそういったものでもない。若いバリバリの世代こそが問題意識や意見を持って参加してもらいたいもの。昨今は、起業も就職も難しい現代だが、生活の資を得る仕事だけが人の生き方ではない。仕事こそ人生ではなく、仕事は人生の一部分だ。

 ここでは、5世紀ごろの 土師器(はじき)や 須惠器(すえき)が見つかっており、具体的な発見の成果は後日発表される由。今後、期待されたし。

 昼飯の煮込みうどんを食べた後に、お定まりのテレビを見たあとに、ぐずぐず、ベッドで仮眠をとりおもむろに起きて3時半からうす暗い7時まで作業をする。まず、前日399円で買った貴重な やまゆりと キクイモを21.0cmポットに植え付けた。狭苦しい小鉢の、濃い紫や醒めるような赤い花の アネモネを植え直す。先週につづいて前庭にとりかかる。新しく買った穴開き器を使う。なるほど、植え穴掘りにこれは便利な園芸ツールだ。わたしは、丸い植え穴に播種もののギボウシである、 タチギボウシ・ 寒河江・ パトリオット (合計25株程度か)、をレイアウトを考えながら丁寧に植え付けていく。翌日には雨が降りそうだから今回は水やりはなしだ。次に種まきをする。今回は草本がメインになった、 ほうずき、 花オクラ、 からすうり、 園芸種のあざみ、 自家採種の野菜 つるありいんげんを播いた。さあ、これで、どれだけ発芽するか、どんな花をつけるか。

 この春の残っている作業は カキの接ぎ木、 エゴマや ゴマの野菜、 ハスの種まきであるが、その次の段階では ギボウシの株分けという大作業がデーンと、待っている。経験的に言うと、通常、肥培すれば生長に応じてギボウシの株分けのタイミングは、一年に春と晩夏の二回ぐらいにできるようだ。わたしの場合、ある程度、この時期やりやすいので、今春、新芽が伸びた段階でおこなうことにしている。

      

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このあいだは、本屋さんで、・・・

2011年03月07日 05時47分18秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧

  このあいだ、東京駅前の 八重洲ブックセンターに行った。前回は昨年の末ころか、その時以来である。店内の模様替え、配置替えをおこなったようで、少々迷いながら、おおむね、上の階から見て回った。その直前に専門図書に会社の先輩から教えられた 「水道手帳」 を別フロアで探すが見つからずじまい。わたしのその次の目的であった5階の文庫本コーナーでは目を皿のようにして、各出版社の棚を探す。やはり、本好きが直接探すのはここであって、わたしにとって一番なのだ。結局、 山本七平の「「常識」の条件」 「現人神の創作者たち 上・下」、 高峰秀子の 「わたしの渡世日記 上・下」、 幸田文の  「木」、の6冊。合計でレシートを見れば、4,348円になった。その数日前には三省堂書店にて、橋本治の 「小林秀雄の恵み」を買う。

 ちなみに、この本屋さんには足かけ25年は通ってきている。東京駅の八重洲口や書店の前も変わった。当初は1万円前後は買いこみ、終わったら必ず2階の喫茶コーナーで、コーヒーを頼み煙草を吸いながら戦果品(買った本なのだが・・・)を拾い読みするのが豊かな気持ちにさせられて楽しみであった。今回、あらためて感じたのは建設業界の不振であった。なにせ並べられている冊数やコーナーのボリュームが減っている。多分、増えているのはIT関連の出版物か。または、資格本のコーナーか。わたしにとって哀しくわびしい話だ。わが造園業界はなんともいえない惨憺たる有様、植物関係は環境部門に収斂されているが、とりわけ、園芸好きには見つけにくくなった。これでは、探す楽しみも半減するというものだ。

 なんだか言っても、時代はどの分野、世界でも変わるのだろうが、とりあえず、わたしは通勤車中の読書本を得てこれから読むのが楽しみだ。今後は、若かった学生時代を思い出しながら、神田の神保町の古本屋をめぐっていこうかな。

         

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キクイモ(菊芋)を買い求める

2011年03月03日 05時37分54秒 | わたしの日常です。

この間、前から目を付けておいたキクイモを買い求める。日本名では、菊芋というが、似ているのは黄色い花びらのみだろうか。これは 花笠菊 や オオハンゴンソウ(大反魂草) の仲間かな、ということは ルドベキア と親戚か、もちろんれっきとした、キク科の野菜である。

 いつも利用する地下鉄の駅の改札口のそばに、千葉県の野菜を広めに取って売っているスペースがある。ほとんどが千葉県内では銘柄米で知られる、成田の隣町多古町の農産物だ。そこでは、勤め帰りの若い女性や年配の客が品物を手にとって見て買い求めていく。産直方式で、新鮮なのがいいのだろう。わたしも、以前から目をつけておいたキクイモを380円で購入する。イモ類として決して安くはない。これはあまりつくられていなくて珍しいもので、小芋ぐらいの大きさで食感がしゃきしゃきして食べやすく生食も可能だ。煮たり炒めたりせず、味噌漬にすると良さそう。血圧降下とかの薬効もあるとされる。救荒食の扱いで、たしか、アメリカからの強健な帰化種で戦後の食料困難の時代に広まったと聞く。栽培しやすいが、1.5から2.0m以上の草丈になる大型の宿根作物であり耕作の場所をとる。わたしは、初めて、試しに大型のビニールポットで一部を植え付けるつもりだ。

 もうひとつの話をすると、昔、これは夏の暑い盛りの旧盆の頃には盆花にもしたもので、背高で群れて咲き、中くらいのすっきりした一重の黄花をつける。農家の庭先や草地、雑種地など、それをマッスの光景で見れば遠目でも目立つ。わたしにとっては東北の田舎での小さい時代の郷愁を呼ぶ植物である。

       

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