うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

秋艸道人の和歌--ち

2007年05月30日 04時22分45秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      東大寺にて
         ひんがしのやまべをけづり
          やまをさへしぬぎてたてし
           これのおほてら

         あまたらすおほきほとけをきづかむと
          こぞりたちけむ
           いにしへのひと

      会津八一:『山光集』所収、大仏讃歌
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うざね博士の口癖、つぶやき

2007年05月27日 01時26分49秒 | Web/H・P

 わたしのブログ・HPでの考え方について。
 他人との交友では生の感情のやりとりが一番大事です。これは鉄則です。ところがWeb上の表現には、しばしば言葉および文字のみに陥り、生きた意味を考えることを軽視しつまり観念のみに走り、生の感情をどこかに置き去りにする傾向が見えます。その刹那、そこでは気付かずあるいは気にしない風を装っているところが見受けられます。これははっきり言って、若い世代に多い現象です。特にWeb・パソコンワークを知的だと自負する人たちに多い。
 Web上のマナーとして、一般的にはその前段階で他人とのやりとりの仕方が最低限出来ないことが多い。コメント、トラックバックは擬似的に親密度が増したなあ、と思われる場合は一方的でも良いのですが。本来は相互通行的であるべきです。それを比喩として対話法で表現するとこうなります。
 『君は自分自身をよく知っていて、私をよく知っていると思っているようですが、もしそうであれば、君はどういう人で今、何を考えているのか相手(この場合、わたし)に分かってもらうことも大事ではないでしょうか。伝える工夫も必要ではありませんか。相手の気持ちになって、とまでは言いませんが。』
 もっと、具体的に言うとこういうことになります。人間関係において、交流、会話の仕方が分からない。対人問題になると解決策を見い出せない。そうなるとこの結果は、独白文を最上のものと勘違いし、口語文と文語文の使い分けが出来ないことになります。日常の生活においては、ろくに郵便で手紙やはがきも書いたことがないのに私はe-メールが得意です、とか。あるいはまた、手書きの日記を付けたこともないのに私はブログは馴れている、とか。本も読まずボキャブラリィもないのに文章力があると錯覚する。あげくのはてに、それをまた固有のスキル(技術)と思い込む輩もいます。
 それと同時に、本当は現実を生きて現実を見つめる観察力が必要なのに。

 わたしはブログ上では、通常、政治・時流などのトピックスはきりがないので取り上げないし、党派性・宗教的な問題は取り上げない。まして、世間知らずの多い大学教授にはありがちですが、わたしにとって専門領域にかかる技術的、学術的な文章はここでは留保し除外しています。
 なお、自覚的におこなう商業主義的利用はまた別の扱いになります。

 Web上のやりとりに無縁な一般社会では、わたし自身、公私共々、これでも比較すると同年代の人達よりも顔も広いし、加えて交友歴の長い(2,30年来の)友人もおります。幸いなことに若い人にも知人が多いし、話も通じますが、でもそれが出来るかどうかは、お互い双方がそれぞれ、広い世間の中で最終的には人間的魅力があるかどうかにかかっているものと思います。
 まあ、わたしは普段から変人を自称、広言していますが、ここで自分自身の好悪を紹介します。キャラクター的には世渡り上手とか、また要領だけの人・偉ぶる人・威張る人は蛇蝎の如く嫌いです。そういえばこのことは、高校卒業後に実社会に出て来てから、凄まじい孤独に置かれて新たに決意したことです。むろん、名実ともに備わっていれば別です。己を以って人を量る勿れ、なおかつ、己の欲せざる所は人に施す勿れ、です。
 説得性のないオタクも嫌い、またこれは大きくなってからしみじみ感じるのですが、唖然とするほど一般社会に圧倒的に多くいる職業上の専門バカは嫌いです。(わたしに言わせれば、仕事人生はそれなりに評価しますが、会社人生というのは本当の人生を生きていることにならない。ほんの一部に過ぎない。)
 失敗を怖がり口先だけで行動を伴わない人はちょっと、人間性に面白みがなく、できれば遠慮したい。あるいは成功譚のみを吹聴する人も。
 長々と記しましたが、以上のわたしのこだわりはブログ上でも言えることです。

 ついでにせっかくの機会ですからブログ上で初公開しますが、現在、わたしは地元で「八街まちづくり市民会議」のボランティア活動に参加しています。またそれとは別の分野でわたし個人は、近い将来、以前の会社設立の経験を活かしNPO法人を目指し、自然保護活動の一環として小人数で自然観察会・里山サークルの結成を考えております。どうぞご賛同の皆さんはコメントください。
 以上です。
                                      

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ぎぼうし、オリーブ、フェイジョアの栽培日記

2007年05月24日 07時17分48秒 | ぎぼうし栽培日記
今まで、趣味的な部分であった植物栽培のインフォメーションを、これから時間の許す限り、画像を混じえて公開していきます。そこで、ブログのカテゴリーも新設しました。
 それは、わたしの偏愛している 『ぎぼうし』 と、数多ある果樹の中でも比較的に珍しい樹木で、地中海性気候に育つ 『オリーブ』 、亜熱帯性の 『フェイジョア』 です。将来の方向としてこの苗木、鉢物の頒布も視野に入れておりますが、必ずしも好事家、コレクターのみを対象にしているわけではありません。動物好き花好きに悪い人はいない、という俗説を信じて情報を発信します。どうか、この植物の良さを知っていただきたいのです。
 早速、入梅直前になり『フェイジョア』のトロピカルで魅惑的な花が咲き、挿し木の好シーズンを迎えます。次回ぐらいにはこのブログにUP予定です。
 乞う、ご期待を。
 ただし、わたしはへそ曲がりな性分ですので、植物知識の薀蓄をかたむけたり、能書きをご披露するのはオミットですのであらかじめご承知願います。
 無論、ご質問に対し、わたしも正直者の技術屋のはしくれ、懇切丁寧にQ&A形式的にお答えするのはやぶさかではありません。しかし、世間は広い、わたしの方が教えてもらうことになるのかもしれません。
 どうぞ、コメントをお寄せください。
        
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秋艸道人の和歌--と

2007年05月22日 17時34分07秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      東大寺大仏殿にて

         おほらかに
          もろてのゆびを
           ひらかせて
         おほきほとけは
          あまたらしたり

     ----われ奈良にきた
        りて東大寺の毘
        蘆遮那仏のひろ
        まえにぬかずく
        こといくたびぞ----
         あまたたび
          このひろまへに
           めぐりきて
         たちたるわれぞ
          しるやみほとけ

      會津八一:南京新唱     
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真昼の染井吉野記念公園

2007年05月19日 07時57分04秒 | わたしの日常です。
先日のこと。
 時間が中途半端になる。12時頃、どこかで弁当を広げられるところと、駒込駅に戻る。午後の予定の用務が急になくなり、それではこれから樹木医試験の資料を入手しよう、と決める。それまでは午後1時まで時間をつぶさなければならない。わたしにとって業務的好奇心を抱かせる、この近所の六義園も旧古河庭園も行く気になれない。植治(小川治兵衛)の庭も今日はパスだ。
 思わず立ち寄った、北口にある染井吉野記念公園、ここは道路をはさみ高低差のあるふたつの公園が連続して設けられているようだ。巣鴨、駒込の界隈は江戸、明治時代の植木の生産地とされている。この公園は、造園業界だけでなく今では一般でも知られた有名な桜の品種名を冠した公園だ。この公園は綺麗に管理されている。広場の歩行面は緑地をのぞき土がなく全面が小舗石敷きである。
 そこで、ちょっと煙草を吸ったあと、大きくうっそうとした桜の木の下のベンチに移り、弁当箱を開けておにぎり2個を食べ始める。家内の手作りの弁当持参はここ一年前から続いている習慣だ。米のご飯の味も気に入っているし、何より飽きがこないのだ。しかし、なんだか、原日本人という気もする。

 なにげなく見ると、隣のベンチには50から60歳台のおじさんが漫画週刊誌を読みふけっている。足元には買い物でもらったビニール袋に所帯じみたものを入れてあり、それを無雑作に置き、しどけない相好である。乱雑な頭髪、すすけた顔に精気もなく容姿が乱れ、何もすることがなく自堕落な感じである。
 猫が二匹いる。どちらも茶トラである。それほど、ひどく貧弱ではない。その猫が道路から公園へのとば口の階段で寝そべっていたのだが、やがて一匹が食べ物の匂いを嗅ぎつけ寄ってきた。そこでわたしは、順繰りにおかずの炒めたソーセージをあげようとしていたら、待ちきれずすぐどこかに行ってしまった。これでもわたしは、犬猫大好き人間だ。都会の野良猫は決断が早いようである。
 こんな孤独はいやだが、それでもしっかり、日常の時間は過ぎていく。誰にもあり得る間隙の時刻だろうが、出来ればそれを感じずにいたいものだ。五月は紫外線も強く、日光にあふれて今日の空は晴れサワサワした初夏の陽気は、心持しだいだろうが、真っ昼間、わたしにとっては気持ちが滅入ってくる時もあるのだ。

 それから南北線に乗り溜池山王駅に向かう。目的の(財)日本緑化センターへは何度も通い詰めた経路だが、一向に覚えられない。やっと申込書を手に入れて、虎ノ門駅から乗りJR新橋駅で乗り換え有楽町の交通会館にサッと寄り、駅のコーヒーショップにてひと休みする。このごろ、人ごみが苦手というわけでもないのだが、気疲れが激しいのだ。
 地元の駅に16時15分着。わたしは、なんとなく、逃げるようにご帰宅である。
        
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秋艸道人の和歌--へ

2007年05月18日 05時08分22秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      唐招提寺にて
        せきばくとひはせうだいの
                こんだうの
            のきのくまより
           くれわたりゆく

      會津八一:「鹿鳴集」所収 南京続唱
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施設管理組合の書類整理2

2007年05月15日 04時14分07秒 | わたしの日常です。
施設管理組合の書類整理をやっと終えた。5/6から5/11にかけて、合間の時間を見つけて、各日に3.0H, 2.5H, 2.0H, 2.5H, 2.0H、と通算すると作業時間量は12.0H になる。業務量の稼働日数は大体、2日間になる。
わたし個人の保管用としてA4ファイル4冊になり、組合の書庫へ収納分は紙袋2つにまとめた。
 施設管理組合の理事長になり、過去の書類を見たり、情報収集したり、勉強したり(わたしにとって嫌な言葉のニュアンス)、千葉市内の海浜幕張にある管理会社に出かけて打ち合わせしたり、司法書士事務所との打ち合わせがあった。
 その作業に加えて理事会、総会、説明会などの稼働日数を一年間で累計すると、15日間になる。プラスこの書類整理が2日で合計17日間にのぼる。

 ちなみに以下のことは仕事ではなく、いわばボランティアである。参考のために計算してみる。
 理事長職の個人報酬については色々な計算方法があるだろうが、例えばこれに、わたし独自の原価計算と時間数をもとにした日給計算でいくと、17day ×14,400.=244,800.になる。作業単価については技能・熟練度を加味している。経費は現状としてはわずかながらも持ち出しであったが、無論、この算出計算では別扱いである。

 わたしの強みは、建設・土木関連の知識経験があり補修工事にはほかの人より詳しく、作業する施工業者への対処方法を知っていたこと。またわたしにとって、地域・住宅の権利関係、管轄エリア、未収金回収の債権などの対象範囲・法律・訴訟にそれほど予備知識が必要なく、比較的軽く対応でき、特に問題の組合員に対し無知ゆえの同情心に流されず対策を明文化できたことになる、と思っている。
 それでも、特に大きかったことは市とのボランティア活動参加、経験によっていろいろな地元の施政の方向・情勢をつかんでおり、また知己があったことがどれほど役に立ったことだろうか。このことは、折りにふれ、余談風に施設管理組合の役員・理事会で話していたが。
 わたしには、生来、なぜか直接の利益につながらないことに一所懸命になる不思議な性分がある。当時、個人の仕事による収入などは非常にお粗末なていたらくではあり、この性分もあるとは言え家族には不信感を持たれたほどだろう。

 わたしの考え方によれば、自営業をはじめてから数年間の間にものの見方が変わり、今までの仕事人生イコール会社人生という等身大の生き方をを否定してきている。本当に一人で何が出来るのか、という発想と視点についてわたしは苦い経験をした。だから、しばしば公私混同ぎみに行動せざるを得なかった。つまり、私事と仕事は同一レベルであたるべきものであり、仕事の多忙さは理由にならないということになる。
 施設管理組合の活動は、当時のわたしの関係する会社に遠慮せずにこのことはオープンにしていた。もっとも、今回の、施設管理組合の役員・理事会の面々には曲解されるのを恐れてこんなことは言わなかったが。

 事業主は別にして、会社人間は仕事面で定年を迎えてやることがない、とたびたび言われている。何のために今まで生きてきたのか、何をするために生きてきたのか。会社人間は、会社内外のみの身過ぎ世過ぎだけがわれ知らず自然に身に付き過ぎて、実は本人が認識しているほどには世間・地域社会では使い物にならない。会社組織の役職・部署・待遇が一般社会にも通用すると無意識に思っている。それなら、実社会に生身をさらされている小企業主、商店主、農家などの自営業の方が地域に密着して健全な考え方をしている。単に会社という借り物をかぶり、みずからの頭と気持ちをないがしろにしてきたのであって、置かれている実情を見たがらないだけだ。

 この物言いは、ひょっとして、極論過ぎて臓腑の苦言になるだろうか。やれやれ、という思いの中で一言言わせていただいた。
    
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秋艸道人の和歌--ほ

2007年05月14日 06時18分07秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      浄瑠璃寺にて
         やまでらの
          木のまにすめる
           いけのおもに
         影しづかなる
          三重の塔

         やまでらの
          仏をみむと
           あらたまの
         としのはじめを
          ひとり来にけり

                  じやうるりのなをなつかしみ
                  みゆきふる
                  はるのやまべをひとりゆくなり
     
       會津八一:南都遊草
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施設管理組合の書類整理

2007年05月09日 10時47分34秒 | わたしの日常です。
今現在、昨年10月の終了した理事長として(戸建)施設管理組合の残務書類の整理を四日前からおこなっている。というのも、生まれつきの気分屋で今まで怠けて放っておいたもの。
 無報酬は当然のこと、任期はたった一年間ではあったが、引継ぎを受けその内容を知るに至ると分かったのだが、施設管理組合には前回まで先送りしてきた問題があった。それに対しわたしは、理事会の席上、それを一挙に解決しょうと提案し意思統一をはかってきた。まあ、わたしの、即断即決、白黒をはっきりつけよう、という性格もあったのでしょうけれども。
 その都度アンケートを実施、場合によっては説明会をおこない四つの懸案の課題をまとめたものである。
 ・管理費等の銀行引き落とし方法の変更(ファクタリング)
 ・自治会からの街路灯管理の移管受け入れ  
 ・未収管理費等の法的対策(訴訟手続きの制度化<司法書士→弁護士に依頼する>・簡易訴訟)
 ・テレビ受信方法の変更と電波受信施設の廃止(地上波デジタル放送切り替えに伴うTV共聴受信アンテナ施設から地元市民ケーブルTV会社の移管)

 その関係書類がショッピングバッグ4個分もあり、自宅にはしまう場所もなく家内からブウブウ言われていた。このほど、新たに書庫を購入したのでそれに整理し収納するためだ。
 管理会社の方から、毎回山のように資料が回ってきた。担当者は几帳面で生真面目な性格であったのだが、そしてそれは信頼できるのだが、その業務内容のおおまかな全体をつかむまでが一苦労であった。わたしは技術屋ではあるが、これでも人並みに事務能力はある。前理事長からは管理会社にいいように使われないように鵜呑みにしないようにと引継ぎがあったが、振り返ると、今まで、組合員である住民が無自覚で施設管理組合の処理がイージー過ぎたのだと思う。管理会社任せであり過ぎたのだ。事務管理業務の委託先である管理会社がつくる理事会報告書も文章は構成と記述がいい加減であり、口語文と文語文の混同、日本語は誤字脱字だらけでうんざりしたものだが、わたしはそれを‘校正’と称し直させた。なぜなら、これは記録として残るものだからである。

 理事長は、副理事長3名共々年間2,500万円内外の会計を預かり、決裁することになる。実のところ、それ以上に各組合員の意見を集約して370余世帯をまとめていくのが大変であった。わたしの経験上、こういう場合、原則的にはまとめ役の自分自身の意思は二の次である。この住宅地は推測するに9割ぐらいはサラリーマン家庭だ。休日を除き昼間は住民が少ない。働き手のご主人は地元のことを知らない。皮肉で言うならば、知らないことを知らない。これが情けない実態だと思う。
 わたしにも徐々に組合の置かれている背景が分かってきた。‘区分所有法’はこの組合に該当しない。法人化も難しい。自治会との統合問題。最終的には組合積立金の財産運用までは、と思っていたのだ。しかし結果として、なかなか手が回らなかった。毎回理事会の開催時には管理会社の担当者と事前の打ち合わせをおこない、その当日はいつも10時から13時までかかったが、戻ってくると家で疲れてヘトヘトになり夕方までベッドで寝ていたもの。これで、お役御免、さすがに最後の10月29日の通常総会は緊張するものだった。
 おおむね、総会・理事会・説明会の進行はおかげさまでこちらで一貫してリードできたが。参加者のなかにはこの場のTPOに合わない、クレームばかり言う人がいた場合は、発言と事実に即し確認した。良いアイデアは積極的に取り入れ、一言居士・小言幸兵衛・喋り好きなどの、うまい言い回し、言葉遊びに過ぎないものは時間の無駄として徹底的に真正面からしりぞけた。
 一般の社会同様に大体そのような人たちはどこにも常連じみているものだが、議事進行上、乱暴にもそのように処理した。わたしは、できるだけ皆の総意がどこにあるかを気にして、その他多数の意見を拾い上げることに意を尽くした。
 わたしの生活と仕事環境は、この期間には自営から勤め人に変わっているが、時には出張先の福岡までメール連絡と書類を添付ファイルで送ってもらったこともある。
 この3月からは自治会の班長になり、またこの住宅地全体のことを考える役目となっている。今後、この地域社会の知りえた知識・知友関係を活かせればと考えている。
        
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秋艸道人の和歌--に

2007年05月06日 06時14分11秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      浄瑠璃寺にて
        かれわたるいけのおもての
         あしのまに
          かげうちひたしくるる
           たふかな

        毘沙門の
         ふりしころもの裾のうらに
          紅もゆる
          宝相華かな
「ただしこの歌を詠みし後、数年を経て、作者はふたたびこの寺に至りて堂の床に葡うやうにして窺ひ見るに、毘沙門像の裾の裏には、この歌にいへる如き鮮紅色の宝相華は見当たらざりき。見たる如く思ひ違ひて、帰り来りて後にかくは詠みなししものと見ゆ。」

      會津八一:南京新唱
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秋艸道人の和歌--は

2007年05月05日 06時23分51秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

    室生寺にて
       ・ささやかに
          にぬりのたふの
           たちすます
        このまにあそぶ
         やまざとのこら

       ・みほとけの
         ひぢまろらなる
           やははだの
        あせむすまでにしげる
          やまかな

    會津八一:南京新唱 
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四年前の今日

2007年05月04日 06時58分41秒 | わたしの日常です。
ふと、振り返る。今では途方もなく昔々のように感じる、4年前の今日のこと。
 平成15年。先々月の3月14日、午後4時会議室に本社勤務でいたグループ会社の社員20数名に対して、緊急に非常呼集がかかり集められた。
 社員の社会保険料¥2億4600万円滞納のために品川社会保険事務所から、得意先の売掛金を差し押さえられた。
 これからは、3月末日の給料は払えない。社員は3月15日付けで会社都合による全員解雇。2ヵ月後に再雇用する予定、それまで勤務は通常通り。その間は、各自の失業保険支給金にプラス40%分を会社支給する。
 そして説明の後、その場で、退職届を書かされ、健康保険証の提出を求められた。
 結局、2ヵ月後の5月、それから8月とO社長の約束はことごとく破られて行った。会社を去っていった人は3月で20%、4月で60%、5月で10%、以降家賃未払いの為に撤去期限の翌年の3月いっぱいまで、ズルズル本社サイドで6~7人のみが残ることになる。会社内外の異常事態と、同僚に対する思い。漫然としかしじりじりと日時を過ごす忍耐と無力感、それに加えて寂寥と孤独感。
 8月にある方の助言を聞いて、経産省の小額資本金制度を活用し、11月6日、わたしはやむを得ず新会社を設立する。
 
 その年の前年秋頃から、私は忙しかった。多分、11月から2月までは休日返上で、浦安市内の大型マンション造園工事で準備作業、最終図面の確定で大童(オオワラワ)であった。これは二年前、ある準大手ゼネコン設計部から、「海浜植栽計画」に強いわたしあてのご指名のプランニングから始まった物件だ。わたしは現場に行ったり、会社に行っても設計室のドラフターの前でウンウン唸っていた筈である。
社内の動静に間遠になっていた。正月休み明けに現場へ乗り込み、工事は3月で終わらず5月でほぼ終了したのだが、浦安市役所の最終検査は7月であった。
 実は、給料の遅配と分割支給も12月から毎度のことになっていた。そう言えば、恒例になっている平成15年の社長の年頭挨拶がなかった。
 だが、わたしはわたしの人生でこれが最後かと、意気に燃えてひさかた振りの大型物件の仕事に浸りきっていた。
  この会社に勤続19年、社内規定の退職金820万円はなし、平成15年の3月から10月分の給料はなし。総額、1200万円はフイになった。
 その年のゴールデンウィークの今日は、KOKUYO大学ノートの日記に一行だけ簡単にこう書いている。
   5/4 快晴 ゴロゴロ

 ただ働きの中、うつうつと過ごしながらも、わたしはまだO社長の営業力を信じていた。
        
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秋艸道人の和歌--ろ

2007年05月03日 06時18分32秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

      はつなつの
        かぜとなりぬと
            みほとけは
       をゆびの
         うれに
           ほのしらすらし

     會津八一:南京新唱

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秋艸道人の和歌--い

2007年05月02日 06時15分38秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

       おほてらの
         まろき
          はしらの
           つき
            うけを
       つちにふみつつ
        ものを
          こそおもへ

     會津八一:南京新唱(自詠自書色紙「唐招提寺にて」)
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