うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

吉本隆明の全集が出る。

2014年06月13日 04時55分11秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・
このほど、小さな出版社である神田神保町の 晶文社 が吉本隆明の全集を出版をする。吉本隆明氏は2012年 3月16日にご逝去された。生前のこんなにも難解で多方面へ展開する著作に対し、出版不況と言われる中でその心意気や良し、賞賛すべき事業である。
 うわべだけの知識量を誇り、立証をないがしろにし賢こぶって解釈や分析のみを知性と思いこむ半可通がほとんどを占める日本のインテリにとって、受け売りでない吉本隆明の意図的に日本的な情緒を捨象し徹底したロジックがお見事である。最近は、吉本隆明の著作物は外国語への翻訳も賛同者によって進められているようで、わたしはこれからの海外での反応と思想的な評価に重大な関心を持っている。吉本隆明は理系や文系の閾さえも、取っ払って思考は進む。

 わたしにとって晶文社は今まで、ベンヤミン、ポールニザンなどのフランス思想や哲学、詩とか、ほかの小粋なエッセイをまとめてきたマイナーな版元である。
 全38巻+別巻1ほど、函入りで予価¥6,000.であるらしい。この3月から配本を開始し3か月ごとになる。総額24万円ほどか。詳細は特設サイトを設けているのでどうぞご覧ください。
 H・P 吉本隆明特設サイト

 わたしは70年安保の世代、自分の考えで生きるとはどういうことか、自分の脚で生きていくこととはどういうことか、を徹底的に考えさせられた。その頃にわたしは、学生時代、自活中の身ながら、大枚をはたいて、単行本のほかに当時の勁草書房版で数冊購入したものである。この出版社は現在はどうなっているのかな。
 最近の好きな本は、珍しく老人の生活や心境を語る 「老いの流儀」 である。それにわたしが最高に好んでいるのは、このブログでも何回か転載してきているが、やはり、彼の詩である。
 どうぞ、彼の全体像を振り返りたいと思っている方、かつ金銭的に余裕のある方は購入してみてください。
         
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吉本隆明さんが死んだということ。

2012年03月21日 04時56分47秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・
春のお彼岸も、時系列上は過ぎたばかり。とうとう、今年は春一番も吹かなかった。このことを生物季節の指標に拠って判断し、今年の気候の変化を見ていくと通常の季節と比べたら、およそ三週間遅れだろうか。しかし、森羅万象の移り変わりのなかでこの壮大な自然現象は、これから遅れを取り戻すようにスピードアップしていくに違いないがいつまでに帳尻を合わせてくるのだろうか。
 最近は、寒気が残りながらも菜種梅雨めいた天気が続いている。
 わたし個人は、この頃、千葉市内のあるところの一本の太い 「河津桜」 の満開を見るのを楽しみにしている。ある都市型ホテルの車寄せの緑地にあり、それは移植物の樹木であろう。記憶では、電信柱より太い筈だったから、目通り1.0m以上となるだろうか、まあ、樹高は12,3mぐらいか。

 このあいだ、吉本隆明さんが死んだ。87歳ということで、まあ大往生の部類になるだろうか。
 この頃は、わたしにとって、吉本さんの老化についての書物が非常に参考になっていた。たいがいの人間の世界では(?)、または表現行為を業とする方々でも、高齢になればなるほど対社会的に沈黙するものである。それは幼いころから表現力を会得していた吉本さんならではのことであって、これには大変ありがたかった。
 世間的に活躍した人ほど、晩年は病気に伏したり、痴呆状態におちいり近況は無音になるものらしいが、このことはなんだか人物的にすばらしいことのように思える。若い時の心境は誰でも書けるが、なかなか老境を語れる人は少ない。書き残す人はいない。

 わたしの人生の中でも吉本隆明さんを実際に見たのはいつのことだろう。その当時、わたしは働きながら学ぶ意気揚々とした 「勤労青年」 であった。自分なりの生き方を探していて、挙げ句に世の社会問題という社会問題をいっぱい頭の中に詰め込んでいた。そんな問題意識ばかり豊富な田舎出の若者であった。そして、名利や出世など世俗的なものを嫌う若者であった。
 ・・・もっとも、その後、世の中を(自分の頭と)自分の足で歩く難しさゆえに、それから右往左往の生き方が延々とはじまったのであるが・・・・・。
  大学を中退し新聞販売店でアルバイトしていて20代初め、毛沢東が主導する中国の文化大革命のころか、昭和40年代後半、都内の○○会館で日本現代詩人会でのH氏賞授賞式の会場講演を聴きに行った時か。(調べると、1971 年 第21回 白石かずこさんが受賞の模様である。)
 壇上では40代の吉本さんが町工場の仕事帰りに寄ったという雰囲気で、武骨そのものの言葉で話していた。半袖のカッターシャツとズボンで痩せぎすの体躯、顔は容貌魁偉そのもの、あえて言うと、実直そのもので男性的魅力にあふれている。話の中身は過激であって、先鋭的なもの。わたし個人の心境としては、どうやら、アジられてもいたらしい。
 わたしには、パラダイムというか、その時代の核心に触れている思いが強かった。時代への臨場感。おもわず‘警察権力’がその会場にいないか、ひとり合点しつつ周りを警戒しながら聴き入る。

 《場合により書き継ぎます。》
          
 
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<われわれはいまーーー>--吉本隆明の詩⑥

2010年10月24日 05時23分57秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

 随分と間合いがありましたが、今回は吉本隆明の詩シリーズの最終版です。この詩は素直に発想されていてきわめて平易な内容、一見、労働者が描いたようにみえる詩です。日々のこまごまとした暮らしの事象から思惟的に幻想の世界に広がり、深まっていく。日常の感覚から鉛直的に体内感覚へ思考とイマジネーションが展開する、あるいはひとことで生理感覚と言えばいいのかな。わたしとしてはわりかし好きなセンテンスとフレーズのつらなりです。

<われわれはいまーーー>

われわれはいま平穏な日々を生きている
きょう一と月の給料が支払われたということは
すくなくともここ数日の平和である
その先にある日々に小銭がもたされるということも平和である
父が心臓の発作で臥せたり起きたり
ときに電話口にききなれたアクセントを響かせることも
母が老いて寝こんだり起きたりして
ときにその涙を電話口の声にきかせることも
孤独な娘が背たけを毎夜すこしづつふやしてゆくことも
時が流れるようにしずかに平和である

すぎた日の恋唄が
鋭い口をきらりとみせながら
冬の果実のように実のってゆくことも平和である

ところでわたしのこころよ
あるかないかの白い毛髪を
一本一本と道標にたてて
歳ごとに重さをくわえてゆく頭骸のなかで
それは内臓されているか?
もうすこし下の心臓のどっくという轟きのなかに
秘されているか?

またそれは
ひとつの事件の記憶のなかに
ゆきつもどりつして去りがてにしている思想のなかに
白い花を投げ入れるほどの
余裕をもっているか

われわれはいま深い井戸の底にいるようである
わたしのこころはそのなかで一段と無口のようである
<きみ Beispiele 1 は Epoxid harz のことかな>
<ああそうです>
これが日々の職業だ
ああそうだ
すべての生活というものは無言を包括するために
拡大してゆく容器をもっている
彼女がわたしにたのんだ
京葉の漬物とさと芋と人参と豚肉を買うことを
そこでわたしが出掛けた
ひとつの冒険へだ

わたしの手のなかにはすぐ空になるほどの小銭と
ヴィニールのふろしきがあるだけだ
けれどいつかの日かとおなじように今日
わたしあるいはわたしの骨になった幻は
そのようにさりげなく深い拠点から
出発する

「模写と鏡」 (昭和39年) 所収
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<沈黙のための言葉>--吉本隆明の詩⑤

2010年10月14日 05時32分47秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

「 歳月ではなく
れわれを老いさせるのは関係である
人と人との関係ではなくて 物と物との関係ではなくて
男と女との関係ではなくて  
裂けた傷と裂けた傷の関係である」

 ※関係の絶対性の概念をやっとこさつかまえた。やがて、あの有名になってしまった、‘対幻想’、これが <共同幻想論>の重要なスタートになる。で、良かったかな、思いつくままに書きつらねる。

<沈黙のための言葉>

一片の雲が空のなかでちぎれる
風のように遠くで眼に視えない傷が裂ける
老いるということを無くすために
われわれは耐えねばならぬ

歳月ではなく
われわれを老いさせるのは関係である
人と人との関係ではなくて 物と物との関係ではなくて
男と女との関係ではなくて  
裂けた傷と裂けた傷の関係である
われわれは一瞬 こころを通りすぎる刃の痛みがあれば
それを忘れるために こころをもっと奥へ沈める
すると傷は空を通りすぎる
そのようにして肥大してゆくものは
われわれのなかの何であるのか

貌を支配する筋肉と神経を
しだいにひとつの動かないものにしてゆくとき
われわれのこころは遠く底のほうへ下るばかりである
老いた農夫の貌は岩石や土に似てくる
老いた行商人の貌は貨幣に似てくる
老いたブルジョワの貌は牛肉に似てくる
老いた政治家の貌は浮浪者に似てくる
老いた学者の貌は書物に似てくる
だがわれわれのこころの貌は何に似てくるのか?
その広いはてしない空間のなかを
誰が果てまでたどりついたか
そして誰がたどりついたことについて沈黙したか

言葉をつかわないために たれが言葉を所有したか
無数の膨大な波のように われわれは沈黙をきく
それをきくためにわれわれは生きる 
今日も生きる
さけられない運命のように 沈黙の声をきくために

それがこの世界をおおいつくし
やがて<敵>と<味方のような敵>の言葉をおおいつくし
やがて<敵>と<味方のような敵>の生活をおおいつくし
ついに倒すために
この世界の空のなかで一片の雲がちぎれる
われわれはそれに触れずに
われわれの傷を解き放すとき
自然と人間のあいだの裂け目に
しずかに眠ることができるが
きっと永遠に死ぬことを赦されないだろう

「模写と鏡」 (昭和39年) 所収
        
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少女--吉本隆明の詩④

2010年10月11日 03時38分54秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

 半世紀前の文章になると、さすがにおくりがななども微妙である。ただし、特徴として修飾的なもの、暗喩的なものは極度に少ない。作者の個性に帰せられるのは、たしかに表現的にイメージは捉えられてはいるが、少ない漢語とひらがなのアンバランス性だろうか。文章のもつ抑揚に気を配った読み言葉より、日常の所作の最中にて得た書き言葉の世界に満ちている。
 なに、世はまだ大東亜戦争の敗戦の跡が残り、物不足でありながら精神的には再生するような気運がみちていただろうことはまちがいない。
 ここではまだ、甘い夢の予感がする。

少女

えんじゅの並木路で 背をおさえつける
秋の陽なかで
少女はいつわたしとゆき遇うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きっとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏ぎられた生活かとおもう
けれど それは
わたしだ
生まれおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もっとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ

ちいさな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
たべて苛酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを
絶望だということができない

わたしと彼女たちは
ひき剥される なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の贈物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそぶくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから

「荒地詩集1956」(昭和31年)所収
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異数の世界へおりてゆく--吉本隆明の詩③

2010年10月10日 05時12分31秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

 この詩の意味合いは、若者特有の気高くも貧しい精神性に、頭でっかちの生活感を加えて、政治的性的に世の中を無理やり解釈して行こうという内容か。無限な絶対孤独の世界。形而上でしかないその思い込んでいる外延には優しく感傷的な世界が広がっていると、この時点では既に純粋にもいやらしくも先験的に感じているのだ・・・、・・・・・未熟、まあ、いい気な現実感覚、社会認識ということか。

 なんだか、ここで、若い当時の表現方法に還ったみたいで我ながらおかしい。自己欺瞞の分析も関係構築もうっちゃり、寄る年波によって根付いた韜晦に身を任せていく。だがわたしにとって、今でも変わらないのは自分の頭で考えることを第一とし、世渡り上の要領の良さを嫌うことである。
 でも、吉本隆明の話題になると、なんだか、難解な方向に行くなあ。


異数の世界へおりてゆく

異数の世界へおりてゆく かれは名残り
おしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあわなかったこと
なお欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだった敬礼
にかわるときの快感をしらなかったことに

けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だった くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうえで支配者にむかって
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとって逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである
無関係にたてられたビルディングと
ビルディングのあいだ
をあみめのようにわたる風も たのしげな
群衆 そのなかのあかるい少女
も かれの
こころを掻き鳴らすことはできない
生きた肉体 ふりそそぐような愛撫
もかれの魂を決定することができない
生きる理由をなくしたとき
生き 死にちかく
死ぬ理由をもとめてえられない
かれのこころは
いちはやく異数の世界へおりていったが
かれの肉体は 十年
派手な群衆のなかを歩いたのである

秘事にかこまれて胸を ながれる
のは なしとげられないかもしれない夢
飢えてうらうちのない情事
消されてゆく愛
かれは紙のうえに書かれるものを恥じてのち
未来へ出で立つ

「吉本隆明詩集」(昭和33年)所収
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その秋のために--吉本隆明の詩②

2010年10月09日 03時36分32秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

 色々あった中でこの詩を選んだのは、多少なりとも、移ろう季節感にしたがってみたかったからだ。
 ここでのキーワードは ‘鳥が散弾のやうにぼくのはうへ落下し いく粒かの不安にかはる ぼくは拒絶された思想となつて この済んだ空をかき撩さう’、そして‘ぼくを気やすい隣人とかんがへてゐる働き人よ ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐるのだ ぼくは秩序の的であるとおなじにきみたちの敵だ’であり、結末の ‘ぼくは拒絶された思想としてその意味のために生きよう’になる。 
 さあて、どうでしょうか。どうお感じになるでしょうか。わたしなどは、このフレーズのみであの時代を生きてきたようなもの。

 仲間内には‘自己否定’という言葉があふれ、既成の社会の仕組みは無価値であり大学は解体するべきだ・・・、などと言いながら。
 お隣の中国は文化大革命の頃。わたしは日常生活でも、好んでプロレタリアートっぽい菜っ葉服を着用していた。工人服(人民服)を気取っていたのか。ああっ、わたしたちは、一応、全共闘世代と言われている。 
 しかし、わたし個人、以後のジグザグ人生が表わすように本当はそれだけではないのですが。それ故に、その後おかげで、わたしにとっては大事なアイデンティティークライシス(!)の解決のために、分厚い“自分史”を書くはめになる。
 これが、伊藤静雄なり萩原朔太郎の詩だと分かりいいのですが。まあ、どうぞ。

その秋のために

まるい空がきれいに澄んでゐる
鳥が散弾のやうにぼくのはうへ落下し
いく粒かの不安にかはる
ぼくは拒絶された思想となつて
この済んだ空をかき撩さう
同胞はまだ生活のくるしさのためぼくを容れない
そうしてふたつの腕でわりのあはない困窮をうけとめてゐる
もしもぼくがおとづれてゆけば
異邦の禁制の思想のやうにものおぢしてむかへる
まるで猥画をとり出すときのやうにして
ぼくはなぜぼくの思想をひろげてみせねばならないか
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
きみたちはいつぱいの抹茶をぼくに施せ
ぼくはいくらかのせんべいをふところからとり出し
無言のまま聴かうではないか
この不安な秋がぼくたちに響かせるすべての音を
きみたちはからになつた食器のかちあふ音をきく
ぼくはいまも廻転してゐる重たい地球のとどろきをきく
それからぼくたちは訣れよう
ぼくたちのあひだは無事だつたのだ

そうしてぼくはいたるところで拒絶されたとおなじだ
破局のまへのくるしさがどんなにぼくたちを結びつけたとしても
ぼくたちの離散はおほく利害に依存してゐる
不安な秋のすきま風がぼくのこころをとほりぬける
ぼくは腕と足とをうごかして糧をかせぐ
ぼくのこころと肉体の消耗所は
とりもなほさず秩序の生産工場だ
この仕事場からみえるあらゆる風と炭煙のゆくへは
ほとんどぼくを不可解な不安のはうへつれてゆく
ここからはにんげんの地平線がみへない
ビルデイングやショーウヰンドがみえない
おう しかもぼくはなにも夢みはしない

ぼくを気やすい隣人とかんがへてゐる働き人よ
ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐるのだ
ぼくは秩序の的であるとおなじにきみたちの敵だ
きみたちはぼくの抗争にうすら嗤ひをむくい
疲労したもの腰でドラム罐をころがしてゐる
きみたちの家庭でぼくは馬鹿の標本になり
ピンで留められる
ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない
ぼくは同胞のあひだで苦しい孤立をつづける
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
ぼくを温愛でねむらせようとしても無駄だ
きみたちのすべて肯定をもとめても無駄だ
ぼくは拒絶された思想としてその意味のために生きよう
うすくらい秩序の階段を底までくだる
刑罰がをはるところでぼくは睡る
破局の予兆がきつとぼくを起しにくるから

「転位のための十篇」(昭和28年)所収
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ちいさな群への挨拶--吉本隆明の詩①

2010年10月08日 05時14分25秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・
朝早く起きると、最近、つとに感じるのは金木犀の花の香りだ。
 緑葉のなかに黄金色のこぼれるような微細な花の片々。甘くて衝撃的で蠱惑的だ、うちのどこにいても感じる。あとどのぐらい咲き続けるのか。市の木として、引っ越ししてきたりすると記念樹として提供される。この木は身近な生活の場では、やはり一番香りが強くてインパクトがあるようだ。

 ところで、唐突だが、吉本隆明の詩について触れてみる。
 今夏に讀賣新聞の読書欄でインタヴューで吉本さんが語っていたのをおぼえているが、吉本隆明といったら、ご自身が認めているように色んな著作の中でやはり詩がいいようだ。わたしも若い時から読んでいるが、内容が会津八一の和歌、与謝蕪村の俳句好きのわたしからするとごつごつした言葉の連鎖に語感はなし、およそ惚れ込むような文ではない。完璧に理科系人間の発想によるもの、これは、「観念詩」というジャンルか。しかし、わたしを今までの年月まで読む気にさせているということは、きっと、何かあるのだろう。(初見から、40年ほど時間は経過しているのだ。)

ちいさな群への挨拶

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬の背中からぼくをこごえさせるから
冬の真むかうへでてゆくために
ぼくはちいさな微温をたちきる
おわりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくが街路へほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまう
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
冬は女たちを遠ざける
ぼくは何処までゆこうとも
第四級の風てん病院をでられない
ちいさなやさしい群よ
昨日までかなしかった
昨日までうれしかったひとびとよ
冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけっして生れないようにする
こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ
そのあいだにぼくは立去ろう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのってやってきそうだから
ちいさなやさしい群よ
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたろう
ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れているから
記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない
みんなのやさしさといっしょに

ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ
ひとりっきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
ひとりっきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむこうがわに加担しても
ぼくたちがしはらったものを
ずっと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなったものにそれを思いしらせるために
ちいさなやさしい群よ
みんなは思い出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇うために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる
ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす

だから ちいさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら

「転位のための十篇」(昭和28)所収
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