うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

朝の茗荷

2007年07月31日 06時09分10秒 | わたしの日常です。
朝起きると、まず台所にいきインスタントコーヒーを淹れる。そして、昨日の夕刊と大体4時頃に届く朝刊を持ち書斎机(安っぽい集成材のテーブルを再利用したもの)で広げ読む。次いでメールチェックとブログを読み書きする。それから昨日の郵便物の整理。最近不明であった事柄の調べ物、読んだ本からの気に入った文章の抜書き、など。
 次に庭に出て、今収穫中の花茗荷を採る。朝露と蚊に襲われながらである。この香辛料野菜は蕾か咲き始めがよい。わが家では梅雨の後半から10月中旬まで収穫できる。茗荷は正直なもので、前の日に散水をしたりにわか雨が降るとニョキニョキと出てくる。今日は二箇所から中くらいのを7ケ、そのうちに食べきれないことになり配る先を案じることになるだろう。食べ物はもったいない。(わたしは人間の最後の欲求は名誉、闘争本能、金銭欲、性欲でもなく食欲だと、固く固く信じている。)
 そういえば、枇杷にしても柿にしてもフェイジョアにしても毎年の収穫量がバラバラだけれども、この花茗荷だけは一定した量だけ採れるのだ。
 鼻に近づけるとスーッとして頭の中を摺りぬける清潔感が感じられて、一過性のある小さな興奮が体全体を染めていく。ギトギトした動物性ではなく、正真正銘の植物性のアロマだ。
 わたしにとって郷愁のこもった植物である。
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わたしの6、7、8月のスケジュール

2007年07月28日 08時27分02秒 | わたしの日常です。
今、家の前の掃き掃除をやっていたのだが、ここ数日、ツバメがかまびすしい。甲高いさえずりだ。昨日は11羽、今日は13羽だ。旅立ちはまだか。そうか、今は北帰行の季節ではないのだな。ブルーの1本の被覆電線にそれぞれが勝手な向きとしぐさをしている。
 それを見て隣家の前の仏法僧が1羽で鈍い重低音を轟かせている。
 
 この6、7、8月のスケジュールはいそがしい。仕事以外の土・日曜日だ。昨年12月中旬から今年の1月も慌ただしかった。出欠状況は駄目な場合は(欠)で表現する。ある程度、日程調整をしてきたつもりだが、ダブルブッキングもいいところである。しかし、今はまだまだ中間を過ぎたくらいだ。
 ところで、これを見て皆さんはどう思うだろうか。どう見ても直接仕事に関係しないことばかりだ。わが家庭では、お父さんはお父さんで通っている、無論変わり者なのは先刻承知の上。ボランティア、趣味中心、公私混同の極みだ。

 6/ 3 自治会役員会

 6/10 古文書講座

 6/17 2級CAD利用技術者試験

 6/23 2DDesign試験対策講座
 6/24 古文書講座

 6/30 第14回八街まちづくり市民会議
 7/ 1 古文書講座   自治会役員会  在京高校同窓会(欠)

 7/ 7 結婚式出席(姪、於:横浜市内) 2DDesign試験対策講座(欠)

 7/21 2DDesign試験対策講座(欠)
 7/22 古文書講座(欠)   樹木医試験

  7/28 2DDesign試験対策講座
 7/29 古文書講座
 
 8/ 4 短期技能講習ーJw_cad入門   2DDesign試験対策講座(欠)
  8/ 5 自治会役員会(欠)  技術士第二次試験
     短期技能講習ーJw_cad入門(欠)

 8/18 2D Design試験対策講座

 8/25 Autodesk Master 2D Design試験  夏祭り

   *古文書講座は市郷土資料館主催の勉強会。
   *2DDesign試験対策講座はヒューマンアカデミーの講座。
   *短期技能講習ーJw_cad入門は千葉県立長生高等技術専門校で行われる。

 実は、自分でもスケジュールが分からなくなりここで整理してみたのだ。
        
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樹木医試験と水ぶくれ(×筆まめ)

2007年07月26日 07時37分12秒 | 樹木医の日々片々
その日、東農大からの帰り道、渋谷で乗り換え浜松町の大きな本屋に立ち寄る。「反省-私たちはなぜ失敗したのか?」㈱アスコム ・「週刊新潮」 ・「技術士第二次試験」の参考書 計¥4,940.を購入する。
 また山手線に乗り車内で立ちながら、ふと、右手を見ると中指に3ミリぐらいある水ぶくれ状のまめができている。おまけに手の甲をとおっている筋もかすかに痛い。おどろいてしまった。決して加齢化現象ではない。

 午後90分間で3問、各400字以内に桝目を埋める記述式試験でできたものらしい。なんとか、280字前後でまとめて終了時間2.3分前に教室を退出する。わたしは、幸か不幸か長年の習慣で短くまとめる癖がある。字数をかせぐことができない。文章表現として散文的ではなく俳句などに体質が合っている所以だ。
 キーボード入力になじんで手書きのものはしばらくぶり。解答に集中して、その作業に打ち込んでいたものらしい。
 今日は樹木医試験だ。ろくに勉強もしていなかったので家を出る寸前まで、わたしは受験しようか放棄しようかと迷っていた。
 ちなみに記述式試験の課題名は以下のようなもの。
 ①スギ花粉症対策で杉の間伐をした場合の効果と、スギ植林施策の将来的な取り組み。 ②海浜の松林の病気のピックアップと調査方法。  ③25年前に田んぼであった植栽地に盛土1.5mをしてケヤキを植えたら、最近、衰弱し枯死するようになった。その原因はなにか。

 植物好きな方はチャレンジしてみるのも面白い。
       
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フェイジョアの挿し木

2007年07月18日 06時32分32秒 | オリーブ・フェイジョア栽培日記
わたしは朝が早い。起きて階下に階段を下りると、うす暗い玄関の靴箱の上で百合の花が活けてある。豪華絢爛と形容してもいいほど、その存在が騒がしい。
 プーンと例の強烈な香りだ。花びらが2つと7つついた二本がギヤマンの瓶にさしてある。6枚の花弁、真紅の色の中に百合独特の黒いブロッチがちりばめられたもの、これは鹿の子百合のハイブリット種だ。
 祝宴の席、お祝いにピッタリの花だ。庭には色々な百合がある。オランダからの土産品の黄花は移植時に枯れた。今年はついに鉄砲百合も消滅、鬼百合も数が少ない、カサブランカはまだまだこれからだ。
 わたしにとって本当は、あの気難しい山百合が好きなのだけれども。
 この百合は丈夫な百合で、わが家の庭では毎年この時期に開花する。花は、家内もわたしも派手すぎて特に好きというわけではない。しかし、うっとうしいこの季節、普段の生活の中で、この彩りと刺激はメリハリをつけている。

 梅雨明け前にしようと、“海の日”の休日、午後4時から7時まで庭弄りをする。
 まず、ぎぼうしの株分け2種3鉢、購入株の鉢上げ4種をおこなう。なんとなく気ぜわしいこのごろ、今年こそはとの思いでフェイジョアの挿し木をする。事前に資料にあたり準備してきた。まず、門のそばの高さ2.5m幅1.5mのフェイジョアの木のそばに脚立を据え、慎重に15cmから30cmの挿し穂を採りすぐに水桶に突っ込む。31本しかとれない。
 30cm四角のトロ箱のベッド(挿し床)に、穴を開け発泡スチロール片を敷き赤土をいれたら、その上に鹿沼土を重ねて敷きならす。そこでいったん十分に灌水をする。 次に地べたに腰をおろし、挿し穂を調整していく。下葉を取り長さをそろえる。ここでは切り口が肝心。また吸水させて、1時間。ルチエース(オーキシン・発根促進剤)の粉末に切り口をつけて、ベッドに隙間なく確実に挿し込んでゆく。深さは用土の中に2/3ほどである。狭いスペースで全て完了。最後に寒冷沙替わりの不織布でトロ箱ごと包み込む。密閉挿しの要領だ。
 順調にいけば9月には発根するはずだ。今まで何気なく成功してきたのだけれど失敗もしてきた。いずれも、その理由も原因も分からずにいた。
 咲けば、フェイジョアは、あの白く砂糖菓子のようでしかも赤い口唇を持った熱帯性の蠱惑的な花だ。今後、この続報をアップしていくつもり。ご期待のほどを。
     

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盛夏、近し。

2007年07月16日 06時42分37秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 こうして先週からのことを、台風一過の今日まで綴ると、色々あることがわかる。

 ある人との28年ぶりの再会。彼の動静、内心の動揺と過去の出来事。迷った末の故郷への連絡。そぉーっとするのだ。

 近所ではあるが、思わぬお誘いを受けて参加した、かつては賑やかであった東金市内、割烹料理店での暑気払い。例によってわたしの悪い癖で宴の盛り上げ役を買って出て、津軽三味線に合わせての初めての民謡を歌う。真室川音頭、南部牛追い唄。つづいて、お定まりのカラオケ三昧、今回は何をうたったか覚えていない。深夜1時を回った人っ子一人居ない交差点での、嬉しい家内のお迎え。

 業務の見つめなおしと業者への的確な指示。来週からの材料検査の予定を見直し。

 花綵列島をたどる数日来の台風4号の動き。押し上げられた梅雨前線はどこへ。
 郷土資料館の古文書講座は延期。ほかにも予定していたことが出来ず。

 ところで、樹木医の試験日を1週間遅く勘違いしていたのに気付き、あせっている。

 今日は、主庭のチェック、前庭と前面道路の掃除をし、朝からゴルフ場の現場に台風の影響を見に行く。それから床屋に行き、DIYへフェイジョア、ぎぼうし用のプラ鉢を買いに行こう。戻って梅雨明け前の、挿し木・株分け作業をする。今年はいつになく入念になりそうだ。
 昨日、気分転換で途中まで見た、お気に入りのDVD、水上勉原作・山崎努主演の‘飢餓海峡’はどうしょうか。続きを見ようか。
 やや、わたしは、そんなことをしている場合ではない。受験勉強をせねば。

 盛夏、近し。
     
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わたしの育った田舎 3

2007年07月01日 07時03分51秒 | ランドスケープデザイン


 《§デザインの源泉ということ§

 どうしてこういうことをしなければならないのか?私の今までの無骨な生き方を解剖してみたらどうか?この文章の内容は、幾多の困難を経てと言うほどでもないが、私なりの逆説的な内面のストーリーを成功ではなく苦い失敗を梃子にして立て起こした創意、工夫談で裏打ちされている私の人生経験をもって描いていきたい。そしてここに若年期に怠惰な生活を送り文学青年から造園の世界に歩みを変えた者の独白をつづった。まず、表現行為としての造園設計論をくりひろげたい。
 はたして、こんな私の芸術的な資質と素養はどこからくるのだろう。創作力と着想のモチーフの源泉はどこにあるのだろう。私が原初的に刷り込まれた(Inprinting)ものは、思いおこすとたとえば、こんな象徴的な散文詩の世界が浮かんでくる。

  ∞陽春、透けて見える青空と峰々を後景に木々の瑞々しい芽吹き、
   若葉の爽気ただよう時季、暖かくなる頃の草原の草いきれの香り
   が匂い立つ。
 
  ∞アブラゼミの合唱が響きわたりげんなりする暑さの中での沢水に
   足をいれた触感とカジカのつかみ捕り。夏の夕べから夜半にかけ
   ての押韻をふむような虫のすだく音色がする。

  ∞寒さに向かう季節の凍りつく平原で爪先立って見る田園を廻る草
   紅葉、照柿と群青色の空の下で燃えたぎる木々の紅葉などの天然
   色の風景が広がる。

  ∞山あいには、せせらぎの瀬音に欹ててしんしんと降る静かな降雪
   がある。そこでは鈍重な昼の純白と夜半の漆黒の寡黙な世界が演
   出されて、清浄な空気とスタティックな厳冬の光景が現われる。

  ∞森羅万象には、あらかじめ無音という沈黙を下地にした生き物と
   自然との交歓が醸しだす、万物の生成過程のささやきともざわめ
   きとも言える微音の環境が用意されている。

  ∞自然という宇宙には、譬えれば山紫水明の世界には、様々なメカ
   ニズムを持ちドラマツゥルギーを秘めたダイナミズムと諧調美を
   引きつれた旋律を内包している。

 私の場合、自然に対峙しどうしても生じざるを得ない人間の心の動きである情緒と、それがゆえの表現である詠嘆調を排し自然の摂理による宇宙にもとづいたこの四季の心象風景を活写し復元することが芸術的な意味での独創性である・・・・。
 いつでもデザインの発想の源泉は原風景への回帰を繰り返すものと言えるのではないだろうか。
 山村のきわめてシンプルな自給自足の生活、写実的な世界そのものが、私の感性をゆり起こし叙事詩的な世界が心の内奥で胚芽し醸成した美意識に由来して、私の記憶をなしているのだろうか。》


 デザインという職能は個人を前提にしている。その能力は専門課程を修了して得られるものではない。知識を習得すれば、あるいは多方面の観念で頭の中をいっぱいにすれば良しとするものではない。人生の初期段階にある若い人たちはそこを勘違いするようだ。色々なことを知っている、上手に表現できるから才能がある、というふうに。残念なことにこの場合、成果品は絶対条件であるオリジナリティに縁遠く単に模倣である場合が多い。個人的所業であれば、その孤独な積み重ねの果てに出てくるものと思う。忍耐をともなうその個人的営為から自然と産みだされるものだ。
 ドイツがどうだとか、アメリカ東部の新しいランドスケープなどと、トレンディにないものねだりをした造園設計作品は本当に後世に残るのか。まずは、現場の設計対象をみずからの五感のみを頼りに見つめることからはじまるのに。
 多分、あとで反省点として、体のいい自己満足(瞞着)に過ぎないことに気付くはずだ。もっとも、このことはデザイナーの姿勢の問題だが、自己検証あるいは振り返りさえしないかもしれない。

 この 極私的造園設計経歴書-自叙伝ふうに-《緑の仕事》 は、わたしにとってランドスケープデザインとはなにかを、徹頭徹尾、追及したもの。そして、その緑の仕事を通じてわたしの50数年の来し方を浮き彫りにさせた。
    
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