うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

南房総の巨樹・名木を訪ねる(3)ー勝浦市、いすみ市

2024年03月10日 06時11分51秒 | 樹木医の日々片々
 このほかの候補には、いすみ市の 松丸大ヤマモモ があり、また当日行く予定の勝浦市の朝市通りに面した 高照寺の乳イチョウ は、時節柄市を挙げてのひな壇飾りにあたり混雑が予想されて遠慮したものである。
 
 また現地へは、マナー上、小人数での寺社仏閣への参拝や観光目的の行動は問題なしだが、団体での訪問は事前の連絡が必要と思われる。 
 ※この件へのご意見やお問い合わせの窓口は H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。サイトが展開しない場合は直接メールで  うざね博士 hah05551★ams.odn.ne.jp  にて受け付けます。(ご利用の際は★を@に変更してください)  

7.上野村の大椎 寂光寺 寂光寺のシイ
勝浦市名木276
現地説明板あり1984.11.1 推定樹齢:750年 樹高:24.0 幹回り:7.3
2012.10.11計測        樹高:24.0 根元周:10.0
県指定天然記念物
 *田園地帯、里山の中を抜けて緩い坂道をいくと、突如出現する広場にある一本のシイノキの大木。豪奢な樹姿に樹下の整備されたスペース。かつては村人たちによって大切に維持されていた経緯が偲ばれる。主幹や根元付近にに空洞が見られて、今でも材質、根株腐朽菌に罹患している。上半部に枯れがあるが、しかし、総体的に雄々しい立ち姿に見惚れるのだ。寂光寺は無住か。
          
          
          
          

8.筆掛けの槙 長福寺 長福寺のマキ
いすみ市大原町下布施757
現地説明板あり 推定樹齢:1200年 樹高:12.0 幹回り:4.8
1997.10.16計測   樹高:12.0 幹回り:1.8 根元周:2.6
県指定天然記念物
 *ロケーションは淡々と田んぼの中を行く。30年前に診断をわが先輩樹木医がおこなったが、見事に復旧した。この樹木は千葉に多い源頼朝伝説にかかるイヌマキ。本堂内の天井画の楠とおもわれる杢目模様にも注目したい。
          
          

9.八乙女の大杉 八乙女根尾神社
いすみ市八乙女宮前241
現地説明板あり 推定樹齢:400年 樹高:39.3 幹回り:5.65
2024.3.3計測              幹回り:6.2
いすみ市指定天然記念物
 *大杉は広大な森閑とした杉林の中の窪地に位置する本堂の前にある。樹木の生育は極めて健全だ。見あげるばかりの巨木。わたしたちは樹高の計測を試みるも難しくて、結局、幹回りのみだった。いずれ、手慣れた操縦によるドローンしかないかもしれない。
          
          
          
          
          
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南房総の巨樹・名木を訪ねる(2)ー南房総市、鴨川市

2024年03月09日 05時55分33秒 | 樹木医の日々片々
 このほかの候補には、大多喜町の小田代日枝神社の 大シイ 、このエリア最大の鴨川市清澄山清澄寺の 大杉 、鴨川市大山不動の参道沿いに バクチノキ群生地 、南房総市の増間日枝神社の 大杉群 があげられていた。
 ここで話が変わるが、この日、わたしは南房総市和田町の宿泊施設での翌朝周辺に散歩に出たのだが、淡竹(ハチク)の一斉開花、枯死の場面を確認した。そうか、昨年7月大多喜町での現地研修で竹の開花後の枯死を見たばかりだ。そうすると千葉では安房から上総地区の一円にはタケノコの生産農家が多いことで知られるが、その影響は数年続くのか。60年周期説がある中で竹の生理現象とは言え、驚くばかりだ。

 また、マナー上、小人数での寺社仏閣への参拝や観光目的の行動は問題なしだが、団体での訪問は事前の連絡が必要と思われる。 
 ※この件へのご意見やお問い合わせの窓口は H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。サイトが展開しない場合は直接メールで  うざね博士 hah05551★ams.odn.ne.jp  にて受け付けます。(ご利用の際は★を@に変更してください)  

4.岩井の蘇鉄 個人
南房総市竹内234
現地説明板あり1999.11.20 推定樹齢:1000年 樹高:8.0 根元周:6.5
県指定天然記念物
 *ここはJR内房線岩井駅から徒歩で行ける。ソテツの北限の自生地は宮崎県とされていてここは植栽されたもの。本来は雌雄異株であるが、ここでは参考のために雌株雌花につく赤い果実の画像を加えている。このソテツは所有者の意向で継続的に葉刈り作業を早めにおこなっており、全体的に入り組んだ分岐が多くてコンパクトな樹形を保つ。
          
          
          

5.上三原の大楠 山神社
南房総市和田町上三原1249-2
現地説明板あり 推定樹齢:750年 樹高:30.0 幹回り:10.0
県指定天然記念物
 *ここの地質は軟岩や泥岩と砂質土で県の地すべり防止区域にあたり、後背地には斜面安定工としてロックボルトが設置されている。このクスノキの樹形は結果として気象害による「箒立ち」(現地説明板に記載あり)であり、また推測だが、太平洋沿岸からの超越風の影響からか樹木の上半部の枝葉に潮害の枯れが入っている。根元周りには多種類の実生の小木や蔓物植物が芽生えたり着生する。
 ここの前面が閉校した旧小学校校舎で、今回わたしたちが泊まった簡易宿泊施設になっている。ちなみに飲食の材料や総菜はクジラ料理などの外部からの仕出しやおにぎりだが、地元先輩樹木医の方の持ち込んだイノシシ肉や鹿肉の煮物は絶品であった。
          
          
          
           
         
6.鏡忍寺の降神の槙 鏡忍寺  
鴨川市広場1413
境内案内板あり
2011.10.6(10周)計測  推定樹齢:1000年~ 樹高:12.0 幹回り:4.4 根元周:
                 5.15
市指定天然記念物
 *ここは、鴨川市の平坦な市街地にあり日蓮誕生にともなう寺である。メインである降神の槙(イヌマキ)は活力は劣っており、枝葉の密度が疎で着葉量がまばらだ。踏圧防止策は? 樹幹にはウメノキゴケが付着したり、アブラムシ類寄生、ツノロウムシに伴ってすす病が発生している。そこで、養生をして主幹や支幹に唐傘状に支柱を施す。言うなれば、工芸性豊かな藤棚ふうな仕立てなどと、美観的にはよく考えられている。なお、有名な「波の伊八」の欄間絵は下段に掲載している。
          
          
          
          
 祖師堂にある彫物大工の「波の伊八」の欄間絵
          
          
          
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南房総の巨樹・名木を訪ねる(1)ー館山市

2024年03月08日 11時06分30秒 | 樹木医の日々片々
先日、千葉の樹木医会の仲間と一泊の実地研修をおこなった。わたしたちは房州の安房から夷隅方面へと反時計回りに車でたどる。この頃、連日頻発する東方沖地震を気にしつつ中身の濃い内容だった。わが千葉県は4つのブロックで樹木医活動をおこなうが、この南ブロックは低山が連なる丘陵地、同県内とは思えないように暖帯性気候で範囲も広く自然度の高いエリアだ。この時期の里山には野生の水仙に菜の花畑あり、早咲きの寒緋桜が咲き、河津桜の花びらも散り始めている季節だ。本州での稀少な亜熱帯性植物の植生、その群生地の北限地域でもある。しかも、このように巡回的な箇所ごとの研修は珍しいのだが、上総、下総に比べてこのエリアの巨木や名木探しにはまだまだ奥行きがありそうだ。ここでは3回にわたり9箇所を紹介したい。
 また、マナー上、小人数での寺社仏閣への参拝や観光目的の行動は問題なしだが、団体での訪問は事前の連絡が必要と思われる。 
 ※この件へのご意見やお問い合わせの窓口は H・P有限会社グリーンワークスのお問い合わせフォームにてお願いいたします。サイトが展開しない場合は直接メールで  うざね博士 hah05551★ams.odn.ne.jp  にて受け付けます。(ご利用の際は★を@に変更してください)  

1.鶴谷八幡神社のイヌマキ 鶴谷八幡神社
館山市八幡68
現地説明板なし 環境省巨樹DB2000 推定樹齢:300年 樹高:16.0 幹周:4.3
指定天然記念物なし
 *ここの神社は市内にあり広い境内には日露戦役の顕彰石碑が林立している。イヌマキの根元周りは石組みに囲まれ、根圏域が狭まっている。地上部では約1/4の枝葉部分が衰弱傾向を示す。
          
          
          
2.沼のビャクシン 十二天神社
館山市沼443
現地説明板あり2012.3.x 推定樹齢:800年 樹高:17.0 幹回り:7.45
市指定天然記念物
 *耕作地の中の狭い農道を辿って行くと、田んぼを臨む山裾に佇立。気象害により主幹は根元で伐採除去し現状で5本余りだが野放図に樹冠を広げる。樹形は雄渾、活力は充実か。本種は原種とされ、都市緑化樹種の カイズカイブキ はこの園芸品種である。

 ここで、わたしは珍しく一句浮かぶ。
 ◎よれよれの姿のビャクシン 脈々と
          
          
          
          

3.手力雄の大スギ 手力雄神社(たぢからおじんじゃ)
館山市大井1129
現地説明板なし
2011.10.6(10周)計測  推定樹齢:700年 樹高:25.0 幹回り:4.7 根元周:5.4
市指定天然記念物
 *この樹木は広い杉林の神域の中にある。石積みで数段上がった本堂前に、大スギがやや傾いだ格好で直立する。全体的には健全な成長が認められる。下部の元地盤へ貫通する根系部は問題なさそうに見える。
          
          
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竹の一斉開花の話

2023年08月03日 03時59分02秒 | 樹木医の日々片々
先月7月2日、大多喜県民の森で千葉樹木医会南ブロックの研修会が開催された。
 その内容は、大国主神社境内の造成工事に伴うマサカキ(主幹)樹高13.0、幹周1,25の樹勢回復の方向性について検討した。ちなみに、このマサカキという樹木はなかなか大木にならずこのサイズでも珍しく稀少木になるのだ。植生的には房総半島の照葉樹林帯に生育していて山林の構成としては中腹か尾根沿いに育つ、陰樹、半日陰向きか、と判断できるだろう。
 また、先ごろ関東地方を直撃した台風(2019.9.8 15号)被害に遭い倒木した館山市保存樹木指定のサイカチの後継樹育成に関する話で、繁殖的に挿し木が結果的に不良で替りに静岡から取り寄せた種子の播種後の実生木に倒木の穂木を接いで成功の報告があった。サイカチ自体は本州以南の分布域かと思われるがかならずしも房総に多いとも聞かない。〈サイカチ;マメ科ジャケツノイバラ亜科サイカチ属〉

 最後に竹の一斉開花の話が出た。担当者は実務経験豊富な16期の先輩樹木医である。以前(R元/11/10)の研修会に引き続き、以下に記していきたい。竹にこだわるわたしのタケノコ好きはこのブログでも何度も取り上げた。そこでここでは新しい知見を述べてみたい。
 地元では食用のタケノコとして孟宗竹、真竹、淡竹(呉竹)を収穫している。
 今回は竹の一斉開花の話になる。一般的に植物の開花となると何事もなくひょっとしたら吉事のように捉えられるが、タケノコの生産農家にとってその年以降数年間は出荷できず不作になる、そして竹材の伐採搬出が不可能になる。詰まるところ、タケの特性として一斉開花とはその竹林エリアの一斉枯死に至る恐れがあるのだ。
 以下、上田弘一郎氏の「有用竹と筍ー栽培の新技術---竹林の開花枯死とその対策」より竹種ごとのパターンを引用する。
(イ)竹林のすべての竹が一斉に開花(全面開花)するもの。
   →真竹、淡竹、黒竹、笹類
(ロ)竹林のうちに開花竹と非開花竹が混じっているもの。
   →真竹、淡竹、黒竹、笹類
(ハ)竹林内の一株または一連なりの地下茎から生じた竹のうちの一部分、あるいは一本の竹についている枝のうちの一部が開花するするもの。
   →孟宗竹、蓬莱竹(バンブー)
 一斉開花の話の内容をまとめる。開花は純然たる植物の生理現象であって決して伝染病ではない。60年周期説では明治43年に昭和43年で、次は令和8年に開花になるが、当地では淡竹がその年代にあたっているようだ。また60年周期説の年数については中国の古代説話からくるものらしい。実際的には竹林ごとに時系列的にその観察データを取ることが重要だとされる。現地では、開花後、地下茎も枯れてから2,3年経つと竹林の再生が始まる。開花時期は一年の内で6月が多いことが知られている。現地の画像で確認できるように、全くイネ科特有の形態を示している。
 なお、かつて、身近にもわたし家の近所の農家の庭にも笹(篠竹・アズマネザサ)が開花したのを見たことがある。

 画像の説明をする。現地は夷隅郡大多喜町内の山間部、国道465号線沿いは竹林が小山の尾根に駆け上がるように広がる、この辺一帯はタケノコ栽培の有数の地である。また、大多喜県民の森では県内唯一、竹笹園を持ち竹の生育特性や生態を研究してきた公共の組織である。モウソウチクの種子播種による貴重な竹林の実験林もあり、それは下段に前回と同様に再度アップしておきたい。
資料:「タケ類 特性・鑑賞と栽培」室井ヒロシ 加島書店
   「有用竹と筍ー栽培の新技術」上田弘一郎 博友社」


          淡竹の一斉開花状況 
          
          
          
          
          
          
          

          モウソウチクの播種による実験林
          
          
          
 
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中釜戸のシダレモミジ再訪

2022年11月21日 04時16分58秒 | 樹木医の日々片々
先週の日曜日、混まぬようにと朝早く市内の 中釜戸のシダレモミジ を見に行ってきた。そこは観音堂にある。わたしは田園地帯の一角、田んぼ農家の庭沿いの農道を伝っていく。今年の4月に新緑を聞き行って以来だ。あの時はこの先、紅葉を眺められるか不明だった。
 鑑賞的にはやや早かったか、紅葉の最盛期はやはり市のH・Pの案内の通り11月下旬が見頃か。先客には中年男性、初老夫婦がいる。この県内を紅葉をもとめて来たらしい。帰途、とば口の農家の男性に声を掛ける、わたしと同じ年恰好か、やはりこの方が管理をしている模様、このモミジの実生木を庭にご自身の誕生時に70年生のものと、畑に50年生のシダレモミジを育てている。樹高や樹形から見て極めて成長が遅いのに驚く。ついでにこの地方に多い柿の形のいい果実の品種名を尋ねると、案の定、〈蜂屋柿〉 ということで軒先で干してあんぽ柿にするとのことであった。

         

         

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中釜戸のシダレモミジを見に行く。

2022年04月25日 05時10分02秒 | 樹木医の日々片々
先日の土曜日の午後、週一の洗濯後におもむろに市内の 中釜戸のシダレモミジ を見に行ってきた。これは「巨樹・巨木ー渡辺典博著」にも載っているが、なかなか、里山の光景のなかで谷津田もある田園地帯にあり狭い農道を車でたどると、それは観音堂のそばにある。シダレ性の樹木は桜、梅などの花木や、ケヤキ、桂、ソロほかの落葉性の樹木に多いが、一般的に長命であることが知られている。しかし、このイロハカエデの突然変異種のシダレモミジは初見である。わが岩手の郷里には奇妙な枝ぶりで醜怪な樹姿ともいえる変異種 ガンボクエゴノキ があるが、この2本の青葉のモミジの樹形や樹姿は秀逸である。根元の巨塊に力感溢れる枝振りに柔らかで繊細な新葉。この樹木は傷も枯損も治療痕もなし、剪定内容もしっかりしていて守っている方の思いが伝わってくる。わたしが、当地にまだ居られたら秋の紅葉も見に来ることにしょうと思う。
          

          

          

          

          

          
          

 また、現在、住んでいるアパートの裏山の胸突き八丁とでもいうべき急峻の坂道の傍に、 ○○(思い出せないのだが・・) や 射干(シャガ) の白い花を付けて群生していたので掲げる。以下にアップする。 
 ※追加記述:その後、前者の山草は二輪草(ニリンソウ)と判明する。キンポウゲ科イチリンソウ科。環境省の絶滅危惧Ⅱ類に相当する。
          

          
         
          
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蒲生の大楠

2020年10月24日 05時52分16秒 | 樹木医の日々片々
 何とか晴れてきているこの頃ですが、今年はどうやら梅雨以来、天候不順が続いている。遅い梅雨明け、一転して一ヶ月も無降雨で酷暑、そして秋の停滞前線がいまだ晴れずグズグズした天気が続く。わたしはテレビや新聞のニュースよりも、身近な樹木の生長状況や虫の発生と消滅、野鳥の出現時季、野菜の出来具合、収穫した果物のすがたで判断しているのだ。しかし、二十四節気でも 霜降 が過ぎた。
 ここでは、樹木医になる前の巨木の踏査行で行ったことがある、鹿児島県の 蒲生の大楠 の写真をアップする。正真正銘の日本一のクスノキとされる。きっかけは平成9年(1997年)5月31日、二泊三日の日本樹木医会鹿児島大会の現地研修・エクスカーションに会社同僚と参加した際のものです。わたしは当時、旅行資金に乏しくて飛行機のチェケット代のみは後払いです。無論、自前での参加になる。たしか当時、時候は初夏ののどかな気分でした。その場所は田園地帯の中にあり、所在地は鹿児島県姶良郡蒲生町の蒲生八幡神社の境内です。写真の説明にもあるが、公称樹齢約1,500年とされている。その後の経過はいかがでしょうか。翌日は鹿児島港から屋久島へ船で渡り、待望の 縄文杉 への対面するための険しい登山が待ち構えています。

               
               
          
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岡野マツ

2020年10月15日 05時53分19秒 | 樹木医の日々片々
ここではかつて行った香川県志度町(現在はさぬき市)の岡野マツを紹介する。近所にはあの江戸時代の 平賀源内 の生まれた居宅がありこの寺の境内も小さいころから遊び場であったらしい。わたしのその当時の用務としては香川県鬼無へオリーブの材料検査で発注者やゼネコン担当者を連れてのもので、参加者7、8名、これはその当時業界では慣習となっていたお客様接待を兼ねてのものである。飛行機で高松空港から入り、まず潮入りの浜にある 栗林公園 ⇒鬼無 のオリーブ林の次に寄った。その後屋島の温泉旅館へ泊り、翌日は 岡野マツ ⇒鳴門の渦潮 ⇒阿波の人形浄瑠璃 を見て徳島空港から帰京する
 実は、この旅行のスケジュールはわたし自ら起案し旅行会社に手配をお願いし、妙な話だがここは初めての地でわたしが知ったかぶりの旅行添乗員をつとめた。当時も、また今から思っても大名旅行気分のものだろう、ほぼ、100%観光だ。たしか、旅行内容はそんな風であったと思う。わたしは都内の造園会社にいてある民間PTの担当者であり、造園設計から施工まで担う役割である。
 岡野マツを見に行ったのは記録を見ると、平成3年(1991年)11月22日である。足かけ30年前、わたしが 40歳の頃である、振り返ると人生において仕事の絶頂期に至った頃である。
 その後このマツは急速に衰えて、庭園関係者・樹木医によって1993年5月20日に松枯れ病で枯死と判定された、と新聞で知った。後継樹としては農水省林木育種センターが接ぎ木増殖で成功して1994年5月に苗木5本が真覚寺境内に植えられた。
 詳しい所在地は浄土真宗本願寺派の真覚寺・岡野山の前庭にある。維持管理主体は地元の保存会、老人会。1979年、香川県天然記念物に指定される。当時、マツの巨木では東京都江戸川区内の東の横綱「影向の松」に対して、西の横綱と言われた。
 樹種はクロマツ、最盛期の形状寸法は樹高:7.0m 、幹回り:9.0m、 枝張り:東西34.0m 南北40.0m 、地上から2.0m の高さで 3 本の太い幹にわかれて先端まで約90本に枝分かれしている。臥竜状の樹形である。また、樹齢は公称約500年とされたが、伐採時の年輪計測では347年である。衰弱の第一の原因は全周位置の枝先の切り詰め、人の踏圧によるとされている。そしてマツノマダラカミキリムシが飛来、マツノザイセンチュウを媒介し、またたくまに枯死した。
 なお、ここではWeb上のWikipediaの資料を閲覧している。こまかい調査、分析データに基づかないことを記しておく。また古い映像でぼやけていて恐れ入るが、フィルムカメラのパノラマ写真をデジカメで複製撮影してアップする。

           

           
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竹の話

2019年12月09日 05時22分00秒 | 樹木医の日々片々
先日11月10日、樹木医会南ブロックの研修会が開かれて、千葉県内でも中央の奥まった大多喜町に行ってきた。講師は大先輩の樹木医である。この辺一帯はタケノコ栽培の有数の地である。あらためて竹について生きた知見を得たのでここでは竹の話を披露する。この大多喜県民の森では県内唯一、竹笹園を持ち竹の生育特性や生態を研究してきた組織である。ちなみにモウソウチクの実生による貴重な竹林の実験林もあり、それは画像での説明に譲りたい。
 以下の内容は、以前、雑誌「現代農業」にも発表された。その具体的なノウハウは竹林経営やタケノコ栽培、電力業界などの鉄塔、送電線管理で役立たせることになっている。竹はイネ科で、地下茎からタケノコを発生し、3箇月で成竹になる。タケノコから成竹になるとその体積は50倍にも及ぶ。高さは最大20mまで伸びる。10年間は生立し竹林内で一部に枯れがあると自己で補う働きがある。

・用材としての伐竹は2~4年性の樹齢が最適である。

・竹林の拡大防止策の一番効果的な方法はタケノコの時にすべてを取り除く。これを毎年繰り返すこと。数年続けるとタケノコは発生本数は激減し細くなる。さらに続けると発生が止まる。細いからと言って中断すると数年(5~6年)でもとの姿に爆発的に回復する。

・竹の種類に関係なく、竹高1m前後(~2m)で伐採すると地下茎が古損しタケノコの発生も少なく竹林は壊滅する。40cmぐらいだと効果なし。伐採された竹は切り口から泡状になった樹液を出しその後地下茎から離れて枯れる。地元での実績では最も効果的な伐採時期は6月がいいようだが、11月でも効果は十分である。この場合の方法はいつでも季節は問わないとされている。

・また、竹やアズマネザサ(いわゆる篠竹)などの笹類のみに効く フレノック粒剤(エムシー緑化) 等の伐竹剤による方法がある。一年目以降に効果が出てくる。これは植栽した緑地の竹や笹類にも効果がある。時期を問わず散布すれば確実に壊滅する。立ったままで枯れる。その伐竹作業は倒す方向と跳ね返りのバウンドを考慮しないと危険である。処理した竹林は少なくとも枝払いをしないと膨大な体積になりトラブルを生じかねない。
 また、具体的な話として、枝払い作業は単管パイプを上から稈の節の基部を目がけて打ち下ろすと簡単に外れるので、利用すると効率がいい。
          

          

          

          

          

          

          

          

          
 わたしのタケノコ好きはこのブログでも何度も取り上げた。今まで地元では孟宗竹、真竹、呉竹を収穫したが、マダケ属のモウソウチクなどの園芸品種は食用になるらしい。ほかに有名どころでは東北の根曲り竹(チシマザサ)もある。わたし自身は仕事柄、木本植物である樹木を知れば知る程、草本でもない身近なタケの生態に不思議さを感じてきた。
 過去に、わたしが竹について関心を持って静岡県長泉町にある『富士竹類植物園』へ行ったのはかなり昔の話である。新たに天王洲アイルの維持管理作業につく素人同然の部下を引き連れて行った、当時は人手不足で対外的にも息抜きをかねて研修会を催していた。
 大多喜町は千葉県では佐倉の堀田氏に次いで数少ない城下町、大多喜城は徳川家康四天王のひとり本田忠勝によって築城された。観光的に言うと大多喜城は高台にある山城で、天守閣の中は博物館、お土産は ≪最中 十万石≫ が有名である。また、国内では唯一天然ガスが出て、この地域一体に供給している。同じく当地では放射能汚染予防のヨード生産量が世界一で海外にも輸出している。
 追加事項として、画像の一部では研修会でのクラフトとしてタケで製作した竹笛と、‘ヒンメリ' という八面体のフィンランドの伝統的な装飾品を載せている。
 
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爽春の一日

2019年05月18日 06時31分01秒 | 樹木医の日々片々
今が一年で一番いい陽気と言われる一日、5月17日だ。ここ数日の読書は、極論風で断定的な高山正之のあの左翼化傾向を強める韓国の「韓国への絶縁状」や、来月に迫ったベトナム行きの本 石川文洋 の「ベトナムロード」や開高健の「輝ける闇」を読む、わたしはわたしの若いころにあった全学連や≪ベ平連≫の運動を思い起こしてる。
 それから庭に出て小一時間ほど水やり、車に20ℓの水のポリタンクと 4ℓ入りのじょうろを積みわが住宅地内の緑地や公園を見て回る。先週、園芸教室で植えたイロハモミジやイチョウの樹木、挿し木で増やしたガクアジサイ、オオキンケイギク、土留めの蛇篭上にばらまいたマツバギクへの水やりのためだ。活着はまず大丈夫だろう。それと昨年来の植え付け内容のチェックがある。樹木はわが庭で戯れに播種したら樹高が2m前後まで伸びていて、これは大きくなるとまずいなあと、植栽場所を探していたもので事前に自治会に説明済みだ。それから、公園近くで大きくなったシラカシによる日陰問題などで住民同士の立ち話に加わる。

 次に、以前から気になっていた駅近くのけやきの森公園のけやき独立木を見に行く。正午前である。たまたま大掛かりなチェンソーによる剪定、枝抜き作業現場にぶつかった。高所作業車2台と10トンクレーン車、作業人数は6,7人か。以下に画像をアップ、そして施工業者との会話です。
          

          

          

          

          

 「あなたたちは土木屋かもしくは伐倒屋さんですか?」
 「いや、地元の造園業者です。」
 「それは良かった。造園業者だと枝の切る位置が分かっているだろうから。ところで役所の担当 者はいますか?」
 「先ほどまでいたが・・。あなたは樹木医ですか?」
 「はい、そうですが」
 「このケヤキには通常は見られるルートカラーがない。(根上り状況でもない。)こういう枯れ具 合や症状の場合は、一体どういう対策をしたらいいか、我々には分からない」
 「これはよくある事例ですが、たぶん、根の衰弱による成長不良が原因とはっきりしています。 根本的には根元周囲を30cmから50cmの深さまで掘って根系状況を確認してから土壌改良すること になるでしょう。それに踏圧防止策も必要です」

 次に高所作業車に乗り作業をしていた責任者らしき職人に聞く。
 「ケヤキの枝の先端では花のつぼみがあったのか?」
 「いえ、まだのようです。時期はこれからではないでしょうか」
 「わたしは駅に向かう時に先端の枝先の枯れ具合が非常に気になっていた。あれは2,3年は経過し てますが、そのころに何かあったのだろうか? 根元にも傷と腐朽菌が入っている可能性があ
 る・・・ また、北側にかしいでいるが、どんな原因でしょうかね?」
 「市の担当者は事前に、他の樹木医に相談したようです。以前、ここは木の根元に向かって50cm ほど地盤が下がっていてそこへ土を盛ったらしい」
 「そうでしょう、納得です、どうもありがとう」

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長泉寺の大公孫樹と浄法寺の天台寺へ

2019年04月14日 06時29分37秒 | 樹木医の日々片々
岩手県北の久慈市へは断崖絶壁沿いのリアス式海岸の45号線や自動車専用道路(自専道)の三陸北道路を走る。岩手県は四国4県ほどの面積で広大である。その大部分は北上山地の脊梁が走り山塊が占める。この日は県内を、九戸ICから乗り八戸自動車道の浄法寺ICでいったん降りてまた戻り、東北自動車道を経由して花巻JCTから遠野を経て宮古市に帰る、その北半分を回る勘定になる。ほとんどが松や樅や杉が点在する落葉樹林帯の山中をひたすら走るのだ。
 久慈へはわたしの家族へのプレゼントとして琥珀博物館へ寄り 琥珀(アンバー) のペンダントを購入した。小都市である久慈の琥珀は国内唯一で現在も採掘中であり以前から訪ねるのは念願中であった。宝石としての琥珀は比較的に安くて、カード決済で購入する。ただ、その直前に寄った野田村のピンクがかった バラ輝石 も初めて見たがよかったなあ、と後々思う。
 それはさておき、久慈の長泉寺は、福井県の永平寺を総本山とする曹洞宗の堂々とした結構の手入れの行き届いた寺社であった。
 長泉寺の大公孫樹の画像をアップする。ここは国の天然記念物のイチョウは雄で、度重なる台風の被害を受けているが樹勢はきわめて良好である。樹齢1,100年とされている。外科治療痕は認められない。
            
           
           

           

           

           

                     
                      
           
                      
           

           
    本堂前には日本庭園があり、珍しく管理が行き届いている。当たり前のことだが。

 わたしはそれから、北上山地の深い山々を縫うようにして車を動かす。これから浄法寺へ向かう。天台寺を訪ねるのだ。谷沿い、トンネルなど車両も少なくてチラホラ雪が舞う国道や県道を行く。コンビニもGSスタンドもない。森閑として寂寥感が沁みる晩冬の午後だ。
 次は天台寺の姥杉跡である。寺域には巨木ぞろいの杉林が残されている。これは明治時代に焼失、復元されたもの。目通り周は15.7mか。わたしの推定では樹高は25.0m以上か。ちなみに、由来にある桂清水を見るのは失念した。
 なお、仏像彫刻については別にあらためて紹介したい。
           

           

           



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ど根性ポプラと三陸大王杉

2019年04月13日 05時28分06秒 | 樹木医の日々片々
三陸鉄道リアス線が全線開通したばかりの頃、早速、わたしは三陸海岸の南方面へ電車に乗った。その数日後、巨木を見に三陸駅周辺(岩手県大船渡市越喜来)に車で向かった。
 民家にあった ど根性ポプラ は先の東日本大震災時の津波に浸かり廻りは流されたのに枯れないで生き延びたので保存された。樹高25m(公称、実測値?)の半分まで海水をかぶる。このポプラは震災の悲劇と再生するぞという決意の記念樹木である。品種的にはカロリナポプラ(Carolina poplar)Populus tremuloidesだと思われるが、もともとポプラは震動に対し幹や枝は折れやすくてそれほど根張りがいいとは聞いていない。ロケーションは全景写真でよく見ると分かるが、全域は造成工事が終了し、海も近くてすでに防潮堤が出来ている。

          
   
          
                    
          
          
          

          

          

          
 この近くには知る人ぞ知る 三陸大王杉 が遠望できる。生立地は八幡神社、小高い丘で植栽基盤は狭苦しい所である。近くに寄っても全貌は捉えられないが、あの樹医として活躍された山野忠彦氏のおびただしい外科手術の痕跡があらわである。この時、衰弱から蘇生は成功したと伝えている。またわたしにとって、山野忠彦氏の活動について初遭遇したのは、昨夏の新潟県南魚沼市の 薬照寺の大カツラ の治療行為以来であった。
          

          

                    

          

          

          

          

                     
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宮古の逆さイチョウ

2019年04月12日 09時33分13秒 | 樹木医の日々片々
わたしは、赴任先の岩手県宮古市内にも巨木があるということで徒歩で訪ねた。目当ての樹木に勘違いがあり二度行く。場所は街中の中学校のグランドで、そこはあの東日本大震災時に津波が逆流した閉伊川と土手を越してすぐである。津波は越流していないと思う。むろん当日、休日の日直の先生には声をかけた。昔は横山八幡宮の境内でもあった。
 イチョウは雄株で川のそばで地下水位が高いはずなのに生育は旺盛で、樹高成長よりも枝張りサイズが大きい。自然災害で折損した株元は武者立ち状である。治療痕は見当たらない。
 以下に画像を載せる。宮古地域は植生的にケヤキの自生数が多くて海岸沿いにも見受けられる。最下段は横山八幡宮本殿でその横のケヤキの大木である。

           

           
           
           

           
  
           
           
                      


                      
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新潟、山形から宮城へと経て帰葉する。

2018年12月09日 07時06分49秒 | 樹木医の日々片々
11月22日、新潟での業務を終えて、正午前に引っ越し完了。北陸自動車道に乗り、やがて日本海東北道に変わり下越地方を北上する。村上までは順調である。そこからは国道を県境越えで、日本海側の鄙びたエリアを走る。温海町での温泉旅館の宿泊は予約してある。わたしにとって国内では未踏の地である山形県内に入り宮城、福島へ出て帰葉する。高速道路や下道を巡り断続的に走ることになる。わたしは運転は得意ではないが、長距離はさほど苦にしない。

       温海町の道の駅




       『山五十川(ヤマイラガワ)の玉杉』












その後、『羽黒山の爺杉』を訪ねる予定であったが鶴岡市の市街地で迷ってしまった。時間もないのでパスする。山形道の庄内あさひIC、湯殿山ICからは山岳の稜線を蛇行しながら通る一般道(月山花笠ライン)を月山IC まで雪道をビクビクしながら車で行く。わが車は軽自動車、走行キロ110,000だ。スタッドレスタイヤは履いている。何とこの日はこのあたり一帯が初雪であった。途中、蔵王あたりも雪降りである。




  この後は、東北道に出て白石ICで降りて、阿武隈川沿いの平野部に位置する農村地帯の宮城県角田市内に向かう。郷土資料館と市役所を訪ねたが、そこでハタッと気付く、今日は勤労感謝の日で祝日で休館日であった。実は、わが先祖の仙台藩・石川氏のルーツを探しているのだ。
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蓮花寺の大杉

2018年09月07日 09時23分36秒 | 樹木医の日々片々
長岡市三島に蓮花寺(レンゲジ)の大杉を見に行く。極めて生育良好な杉、よく管理されているほうだ。サイズ的には樹高50mとあるがせいぜい半分程度か。これで新潟県では、昔見た三川村の将軍杉、南魚沼市の薬照寺の大桂についで3本になる、だからどうっだて訳でもないのだけれども・・・・・。
    雨夜来に
     厳ましくて
      鄙の大杉
            

            

            

            

            

            

             
          
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