うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

シマエナガの画像です。

2024年03月25日 04時55分53秒 | わたしの日常です。
まだまだ寒さが続く。ソメイヨシノの開花も遅れている。この時期はわが庭には四十雀や目白が来る。体の色合い、ちょんちょんと軽やかに飛ぶ姿。わたしにとって、これを室内から見るのは密かな楽しみだ。
 ところで、先日、愛読する先週の 週刊新潮 の後ろのグラビアにシマエナガの画像が載った。わたしはあっと思う。これは北海道に多く見られる。スズメ大の大きさ、留鳥、エナガ科の亜種で顔に黒い模様が入らない。和名の漢字では島柄長。ラテン語では Aegithalos caudatus japonicus。最下段は先々週に仙台に住むわが樹木医仲間が撮影しfacebookにアップしたもので、わたしは初見であった。なんという愛らしさ。どうぞご覧あれ。複写の要領でこの撮影が上手くいくかどうかは不明だがデジカメで撮影した。
          
          
          
          
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M先生のこと

2024年01月13日 15時18分02秒 | わたしの日常です。
今は寒の入りの日々だ。年々、わたしの出す年賀状は減ってきている。今年は結果的に50枚、欠礼は6枚あったか。確か、過去に出した年賀状が最盛期には75枚ぐらいだったはず。それにはその時代に会社へ勤務中ということもあった。
 今年は、12月26に投函したから配達日も上手く元日に届いただろう。
 わたしはこんな習慣が長年続いた。そこで、あらためて思うには世の人たちは儀礼オンリーであらかじめ印刷された賀状が多くてわたしのような手製のものが少ないことである。せめて手書きの添え書きがあればいいのになあと思う。当人の得手不得手や好悪の問題だろうが素っ気ないのだ。お互いの近況や交流をもとめているのに、だが・・・。
 昨年の事前の欠礼通知も近親者のご逝去であったが、その内にわたしの故郷の仲の良かった中学の同級生の伴侶の死があった。しかるに、逝去を知らずに年賀状を出した今回は次の死亡通知の返信が来た。一人は76歳、地元で町役場を早期退職し懸命に町内外に何百本もの桜を自ら無償で植え続けて来た尊敬すべき人であり、それに高校時代の恩師の死があった。
 M先生は86歳、年齢はわたしよりもちょうどひと回り上ということになる。地元の進学校を卒業し都内の法政大学に入り卒業してから漢文の高校教師になる。わたしの小さな高校は岩手県の南部で宮城県との県境の山峡にある。先生はどうやら岸内閣の ‘60年安保' の時に全学連の国会デモに参加したほど熱心だったらしい。やがて教師になり故郷に帰る。ここの組合は、当時全国に名だたる左翼めいた「岩教組」なのか。他の先生からはその活動の経歴のせいか、どこかで出世が遅れたとの話を聞いた。
 親交が始まったのはわたしが上京後、東京、上野駅近く中華料理店での高卒後の同窓会以来だろうか。M先生はメガネをかけた笑顔に愛嬌がある。風貌は太ってはいなくて背高で瘦せぎすで飄々としている。当時わたしは遅い結婚をしていて子供もおり生活再建に一生懸命である。大学紛争という世相ではあり学歴なんかという思いもあったが、二度も異なる大学に入り授業料が払えず二度も中退している。わたしの20代後半は生活費を稼ぐのに色々な職やバイト暮らしが続いた。そして造園の道につく。わたしはこのようにめちゃくちゃな行路を繰り返してきた当然の報いの成り行きで、今までの人生上の変転の心境を文字で整理することになり当時流布していたワープロで文書を作っていた。そこで、後年、その文書の出来栄えを読んでいただくために、千葉の落花生とともに先生へ手渡しした。わたしはその頃造園会社の設計室に勤めていて、「自分史」や、「緑の仕事」なる庭園からランドスケープの技術論・デザイン論などを仕事の合い間に人知れずまとめていたのだ。
 先生に最近あったのは一昨年のお盆だったかに自宅へ伺う。そしてその時が最後である。先生は震災前であるが、近年はわが高校を経て大船渡の高校へ行きその後は一関市内の短大で講義に行く。後で感じたことだがこの時期にはしきりにわたしに会いたがっていたらしい。意外なわたしの文系気味の発想やその表現や展開方法に興味を持ったらしい。どうも、そんなわたしの書いた作文に惹かれていたのか。先生は引退後は地元の郷土史仲間の講師役や研究にいそしむ。またしきりに柳田国男の「遠野物語」の民話収集で知られた 遠野 へ現地調査に度々いくのだ。そして、本の世界では江戸時代の民俗作家 菅江真澄 の紀行文の軌跡をたどった解釈読解を綴った大部な本を自費で出版している。【菅江真澄日記/口語訳稿 2002.3.3】
 わたしは、その内に帰郷時は線香を上げさせてもらうことにしている。
 以上、今は哀悼の意を含めここに記す。
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ホキ美術館に行く

2023年12月22日 09時20分09秒 | わたしの日常です。
今日は待ちに待った冬至、日中は少しは明るくなるか、わたしは鬱陶しい天候には敏感に反応しやすいのかほんの少しだけほっとする。これから太陽太陰暦では、正月明けて1月6日小寒、1月20日大寒、2月4日立春と続く。したがって日照時間も長くなっていく。
 この間のTVで7チャンネルの「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら 藤井勉 の少女の油絵が出されていて、インターネットで調べたら千葉市緑区あすみが丘ニュータウン内にある ホキ美術館 に収蔵されていることが分かる。近所の 昭和の森公園 はかつて業務上足繁く通った場所だ。
 ということで、わたしは急に出かけた。わたしの近場には鄙にもまれな(!) 川村美術館 もありたまに行く、まあ、わたしは生来の絵画好きでもある。当日はまず、注文を受けたギボウシの発送をおこない、車でナビで行くことにした、片道40分か。ほかも廻り、まあまあ時間はある方なので半日以上は外出したかたちになる。
          
          
         
 建築工事は日建設計で施工は大林組である、ユニークな建造物ということだろうか。外観はコンクリート打ち放しのシンプルでコンパクトな建物である。展示方法は回廊型ギャラリーということである。展示空間・動線は細長くて幅員6mという訳になるか。収蔵・展示は日本の写実絵画中心で少女、若い女性の裸体や静物や風景の内容のみで、すっきりしてあっさりしたもの。あえて言うとプロカメラマンによる精密な写真と見紛うばかり。そうすると主題や質感や情趣の問題になるか。わたしにとってこんな趣向の美術館は初めてで、こういう美術館はこの世界では極めて珍しいと言える。しかし残念ながら 藤井勉 の油絵は見ることがかなわなかった。売店でもリトグラフ(複製画)を入手できず。
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柿(百目)もぎと金木犀の満開が重なっている!! 

2023年10月18日 09時26分05秒 | わたしの日常です。
暦の上では10月8日は寒露、寒さ暑さもお彼岸までとはよく言ったものでめっきり凌ぎやすくなった。短パンからジャージに、下着は半袖から長袖シャツへと衣替えをする。この辺の身支度は単身赴任がしばしばあったせいでわたしは家族をあてにせず自らおこなうのだ。身の回りの処理もそうだが・・・・・。
 今年の気候の移り変わりについて、在京のテレビの気象予報士は2週間遅れとしていたが、わが地では10日程度の遅れかなと思う。春から晩夏にかけての長期間に高温が推移して、植物の世界では異変が起きているようだ。食べ物は果樹は梨や葡萄は豊作だが、これから先の林檎やみかんはどうか。一部の野菜は育ちすぎや高温障害で出荷不能だそうだ、稲作地方で米は実入り不良や、未成熟で味が落ちるようだ。まあ、これは関東から東日本にかけてだと思うが。
 わが家の不完全甘柿 百目柿(江戸一) も果実のもぐ時期が早まりちょっと慌ただしい、大きさはやや小ぶりだろうか。今年はゴマが完璧に入り完全な甘柿である。最終的に、1本だけだけの柿だが、多分、200個はいくのだろうか。わたしは、朝方、路面の落ち葉掃きと同時にはしごを掛けて収穫し家族用に皮むきする、そして近所にその柿の配り先を探している。今までは仕事の勤務先があったがリタイヤ後それはなくなった。そうじゃないと成熟し過ぎて膿んでしまうのだ。それは、もったいない。わたしは農家の出、成り物という食べ物を大事にするのはわたしの性分だ。レーゾンデートル(存在理由)にかかわる。だれが何と言おうが・・・・・。
 画像では、青空を背景にしてほぼ一か月遅れの 金木犀 の満開と重ねて 百目柿 を写す。
 この組み合わせは季節上本来は成立しないはずで、今年は柿が熟するのが早過ぎるし、金木犀の開花が遅すぎるのである。わたしの記憶と経験では時期のズレがうかがえるのだ。これは天候の異変かと思われる。また、わたしは、実のところ、金木犀は春の整枝剪定で切りすぎて花は咲かずかと案じていたが、やっと、花と香りを味わうことができた。

 写真撮影日:10月10日午前9時頃
          
          
          
          
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さくらの山から・・・

2023年08月31日 11時37分35秒 | わたしの日常です。
8月25日16:30頃、成田空港A滑走路近くのさくらの山公園に飛行機を見に行く。わたしは、市役所に限度額医療費を聞きついでに市議選の不在者投票を行う。それから旧知の地元造園業者を訪ねる。その後、ここに廻る、昨年の2月以来か、久し振りだ。
 この日、飛行機は、風向が北寄りの風にたいして離着陸を繰り返す。貨物専用のカーゴ機もなし。この時間帯は着陸がまばら。撮影機はスカンジナビア航空か。公園は見学の人も少ない。
          
          
          
          
          
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お土産あれこれ

2023年07月06日 04時25分13秒 | わたしの日常です。
一昨年の11月に福岡県から高速道路を車で帰る際に、福井県の敦賀市や九頭竜湖に寄ってからはわたしの国内の47都道府県の全踏査は完了した。その年の春には残りの四国の愛媛県や高知県も走破していた。
 この場合、宿泊せずとも、最低でも、通り抜けではなく一時滞在をしている。わたしは生来からの地図好きでもあり、その地方の地理や交通はもとより、かつては森林の植生や植栽現場、樹木材料を見て回る、あわよくば秘湯巡りを目指したものであった。過去の造園会社の社員生活でも業務上の出張を積極的に繰り返す。お客との材検や接待は頻々であった。社内でのわたしはワンマン社長の受けも良くて、旅行企画書作成も得意、稟議書の鬼とも呼ばれたくらい。多い月は4回も泊りがけで旅に出る。わが家庭内の家族もあきれ果てていた。
 そうすると、気をつかうという意味でもその土地のお土産を購入したものであり、お金も余分に使う、結果的に全国の特産品やお土産に詳しくなった。今でも、聞かれたら即答できるほどだ。最近のお土産をアップする。

 ◉大多喜町内での千葉県樹木医会の研修会に参加した時のもの。千葉では珍しく城下町の大多喜町はあの徳川家康に縁が深い本田忠勝の居城がある。ここはかなり山深い町だが内房と外房からの鉄道の単線が通じている。
 十万石最中 6個入り¥1,350.津知屋さんが製造。ここの最中は世間一般の最中と違って、小豆は十勝産のつぶ餡がぶ厚くはさみこみ皮は閉じず、あまり日持ちしない。味わいはしつこくなくてわが家内の受けがよさそうだ。
          

 ◉わたしが千葉県柏市内の現場にいた頃、管轄の工事事務所が都内下町の亀戸にあり、打合せや工事書類の押印や決裁の用事で頻りと伺っていた。総武線の亀戸駅で下車、メインの十三間通りからひとつ裏通りを歩いてすぐ近くの店舗で 亀戸餃子 を6皿¥1,840.でもとめる。ここは知る人ぞ知るところ、店内はいつも混んでいる。安くて小ぶりな亀戸餃子。ここの美味しさはわが家族全員が認めている。あっという間になくなる。
          
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花のバスケット

2023年07月04日 05時05分33秒 | わたしの日常です。
ここでは、先日持て余し気味に息子がクルマの納車記念でいただいた、花かご(バスケットブーケ)の画像を掲げる。置く場所は、いつもは、わたしが庭から採取した花を玄関の下駄箱の上に花瓶で活ける。
 内部にオアシス(ベース)が収納されていて花の挿し口になり、竹かごには色紙やフィルムでラッピングされている。近づく初夏にコンパクトで小綺麗な印象をあたえる。これは現代風のフラワーアレンジメントなるものらしい。知ってる範囲内であげれば、組み合わせた草花は花色数の多いカーネーションやガーベラ、スターチスかな。人工的に花弁を染めたのかどうかは不明だが、アクセントで配した蛇の目で瑠璃紺色のガーベラがいい。
 ちなみに適宜にオアシスへ給水すると花もちが良くなる。
          
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淡竹を調理する

2023年05月25日 03時52分50秒 | わたしの日常です。
今年の恒例行事であったタケノコ(孟宗竹)掘りは、先を越されて食べることができなかった。その堀り跡を見るに他所の人間だ、きれいな痕跡、採り残しは一切なく流しのプロか?手口をみると、昨年までのイノシシではない。そうすると、ここの竹林はタケノコにとって今年は1本も子孫を残せなかったということになるなあ!残念無念。
 そこで別のタケノコをと、わたしの近所の淡竹(ハチク)を思い出した。ここは住宅開発の放棄地。現在は樹林が鬱蒼としているが今回はまずまずの収穫量だが、如何せん食べる分が少ない。3,4食分か。料理は淡竹と油揚げの炒め煮だ。おっと、これは中華料理で使うメンマの材料でもある、そういう調理方法もあるのだ。

          

          

          

          

          
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アクアマリンふくしまを訪ねて

2023年02月20日 04時11分37秒 | わたしの日常です。
先日の休日に “アクアマリンふくしま” に行ってきた。去年の6月以来だ。福島県立であの東日本大震災前に開館した。ここは水族館というよりも生きた海の博物館と言える。魚好きな少年たちにとってはたまらないであろう。おもだった画像を以下に並べてみたい。
          
          ゴマフアザラシ
          
          
          

          
          ハイビスカス
          
          珊瑚礁
          
          
          
          飾り雛
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雛段飾りに花を活ける

2023年02月19日 05時16分50秒 | わたしの日常です。
先日、わたしの仕事先についている別室の地元へのインフォメーションルームで有志者が雛段飾りをしつらえた。三段飾り、豪奢で華やかな装置だろうか。そこで、止せばいいのにここに花があったらいいね、と言ったもので、後日、急遽、みずから、紅梅と白梅と蠟梅を近所で見つけ出してコンポートとバケツに別々に活けた。バケツは模様紙でラッピング予定。まあ、物好きな性分とも言いますが・・・
 時期的に添えるのは、本来、菜の花や桃の花だろうが当地ではまだ咲いていない。
          
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わたしのアパート暮らし

2022年10月02日 12時08分18秒 | わたしの日常です。
この頃いい天気が続く。秋のお彼岸も過ぎて、この8日に寒露だそうだ。わたしの1DKのアパート暮らしも布団は敷布替え、毛布も引っ張り出した。作業用の冬制服の下も半袖から長袖に変えて足りない下着も、スポーツシャツも見つくろいし始めた。
 ここではアパート周り場面をアップする。
           
 これは南西側に面するベランダ、洗濯物の干し場スペースとしては狭くて使い勝手が決していいとは言えずエアコンの室外機の上に水漏れ防止を厳重にして、まず長方形のプランターを置く、現在はニラと大葉の状況だ、この薬味野菜は随分と食事に役立った。21cmプラ鉢には挿し木で増やしたプチトマトが育っているが、やたらと草丈を伸ばし窓外としては不思議な光景だ。

          
          
 アパートの玄関には燐家の金木犀が芳香を放つ。珍しくもキンモクセイとギンモクセイがとなりあって植えられている。ほかに関西ではウスギモクセイ(薄黄木犀)が知られているが、モクセイは中国が原産の雌雄異株で国内ではいずれも雄株のみで果実は見ることが出来ない。わたしは、鼻を近づけて何度も花の香りを嗅ぎ分けようとしたが、全く同じものであった。

          
          
 今日の朝、散歩がてらに近くの格安スーパーに向かう。その道々に所有者不明のゴミだらけの雑種地では時季遅れの花茗荷、また、交差点付近の小さな祠を覗いてみたがその奥の方に大木ではないが栗の木がありそれを拾い、近くでは渋柿っぽい果物を採取した。意外に大量の収穫量、さあ、これらをどこに配ろうか、分けようか。
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オクラと花オクラの花

2022年09月13日 06時01分26秒 | わたしの日常です。
暦の上では白露を、また重陽の節句も過ぎて秋になった。ここではわが勤務先の花壇で咲いた花をアップする。この事務所に4月に赴任以来、わたしもこの園芸班に積極的に参加、自称顧問格?。ここのU字溝に似た細長い花壇では季節の野菜が作られている。夏のキュウリやトマトは、毎回、たくさん食べた。わたしにはスーパーで買うよりも携わって育てた食物が一番いいという痛烈な思いがある。
 お盆過ぎから花オクラの花も咲く。そこでわたしは隣り合った普通のオクラの花との撮影タイミングを狙っていたがやっととらえた。付け加えると、オクラはハイビスカスやむくげとは同じ仲間になる。植物分類上はアオイ科で一日花なので咲いたと思ったらすぐにしぼむ、当日は花オクラは早朝に開花して午後に終わった。
 ここで、ついでに棲みついた野良猫も加える。
         

         

         
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夏の日の出前

2022年08月14日 05時44分55秒 | わたしの日常です。
夏休み中、わたしは、実家に帰ってきても朝は早い。わたしは、ベランダに出る。早朝5時前に東の方角に朝焼けが美しい。終末感漂う夕焼けよりも明るい。手元はほの暗くて、しばしの静寂。この時間は日の出直前、雲に反映する光の色は、古代色で言えば茜色か、現代的にはオレンジというか何というか得も言われぬ色あいだ。
          

          
      
          
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合歓の花と、麦秋

2022年07月08日 04時59分57秒 | わたしの日常です。
こちらの気候は戻り梅雨か、頃合いはやや夕方近くである。住宅街の公園の中、合歓の木はやはり大きくて横に張り出す放任樹形がいいと感じる。そういえば、わが実家の実生で育てた合歓は今年こそは咲いたことだろうか。鬱陶しい陽気のなかでピンクの花がびっしり付く。遠目では赤っぽく見える。わたしは芭蕉の俳句を思い出し即興で一句作ったが、すぐに忘れた。
 小麦畑も黄熟した。この翌日にさっそく穂刈りされて収穫されていた。今はパンやパスタに麺類の原材料が高騰しているご時世だ。
         

          

         
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塩屋埼灯台にて

2022年05月29日 06時20分06秒 | わたしの日常です。
一昨日の大雨の後は晴天が続く。暦の上では、先週の 小満 に続いて6月に入ると 芒種 だ。
 ところで、この間の夕方近くに塩屋埼に行ってきた。ここには、あの美空ひばりの歌、 ❛みだれ髪❜ の石碑が立っていて音楽が自動演奏で流れる、この時間には、ある年代の夫婦連れや若きカップルが矢継ぎ早に訪れる。星野哲郎と船村徹の作った歌謡曲だ。沖合には北海道から来た大型のサンフラワー号が茨城県の大洗港を目指す。隣の海岸は海水浴場だろうか。先の震災でも被害を受けた模様だ。ここは、ごく普通の、ある意味で何もない海岸だ。灯台への登り口付近には ❛喜びも悲しみも幾歳月❜ の記念碑もある。これは当時、テレビドラマや映画で一世風靡したものである。わたしにとっては懐かしい配役、園井啓介夫婦と、確か男の子役を演じた人には見おぼえがあり古い知人だった。わたしは、終り仕舞いで忙しい灯台の管理人さんであるおばさんに勝手に会話を仕向けている。
 素っ気ないが、以下は画像をアップするのでご覧願いたい。
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
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