うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

寒中七句

2013年01月25日 05時23分55秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 夕刻、業務的には中途半端なままで、帰途につく。通勤電車の車中、小一時間ばかりの間に七句を獲た。自作自解すれば、春を待つ、望郷、親への思慕ということか。どういう心境の移り変わりであろうか。実は、昨年の春の真っ盛りの時以来である、半年以上は時系が経過した。なんということもなく、とりとめもない中で普段のわたしに還ってきたという気分もするこのごろである。浮かんだ句を、手元の支払った通販の小紙片になぐり書きした。

 ・春風を この先この先へと急かれ行く

 ・ガラス越し 四十雀連れ来て舞い上がる

 ・おぼろ陽の 親の後すがたについてゆきたし

 ・春の日の 覚えぬ疲れ うずたかく

 ・六十路半ば 入り日薄らぐ西の彼方かな

 ・春の雑踏 頭も身にも 肌うるむ

 ・小正月 塵を掃き清まん くに遠し
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花オクラと、食用ギボウシ栽培について

2013年01月21日 06時03分57秒 | 食用のギボウシ

 先日、千葉県柏市内のHさんから花オクラの種子について問い合わせがあった。花オクラは花びらを食するが、わたし自身はあざやかな黄花を鑑賞している。じつは、花オクラは昨年、ブログ9/23付けで書き込んでいるので開花状況をご覧になっていただきたい。この植物の形態は野菜である通常の実オクラに似ているが全体的に数倍の大きさである。本種はどうやら発芽が遅くてそのあとは急速に伸びていき初秋ごろに花を着ける。生育特性で見ると、陽地性であり、きわめて根張りがしっかりしていて水はけが良くて肥えた土壌を好むようだ。
 Hさんご自身は、手造りのホームページを開設されていて、拝見するとその業務内容がよくわかる。Hさんは大々的に展開する野菜栽培農家のようで出荷目的の野菜生産とともに、別に専業農家向けの野菜苗の栽培もおこなっている。
 アクセスはわたし共と近いが、花オクラの種子の授受の手段については、再度ご連絡をお願いしたい。

 ついでにここでわたし自身のギボウシへの思いを申し上げたい。食用ギボウシ栽培について、興味のあるかたはご連絡を願う次第である。ギボウシは東北地方では山菜としていて換金作物として栽培され、出荷して市場に流通している葉菜類である。当地の関東地方ではあまり食卓にのぼらない野菜だ。食感や食味はほうれん草に似ていて食べやすくて癖がない。このギボウシは新芽や若葉の内がいいので収穫期間が短い、また、露地栽培やビニールハウスでのポット栽培でもこだわらないが、一度、冬の寒さにあてないと育ちが悪くなるので注意してほしい。
 食べられるギボウシには、基本的にはオオバギボウシ系が上げられます。 オオバギボウシ は コバギボウシ や ミズギボウシ と同じように、日本の山野に自生するギボウシの代表する原種ギボウシで数量も多い。ほかにも 寒河江 などの中葉・大葉系もOKですが、美味かどうかはいまだ不明のところである。ここでは5品種をリストアップしたい。
 ●以下の説明はみずからの栽培経験をもとにした記述である。なお、今春には株分けによって出荷数量が2~3倍に増える見込み。いつかは具体的な調理方法を公開したいものだ。

 以前撮った写真は葉焼けやアングルのまずさが食味をそいでいますが、その辺のところはよろしく。なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。

撮影日時:平成23年5月5日(木曜日)10:30頃

●オオバギボウシ Hosta Montana
(大型中葉・濃緑色・淡紫色系白花・花茎;長・結実;×:・・・芽出し;早・成長度;中・伸長時期;春---定植・露地植え)∪----山野に自生し山菜として食用にされる、野生種。これこそが、食用ギボウシとして山菜や栽培作物として “ウルイ” と呼ばれる。暖地よりも寒い東北地方の自生地では草姿が大型になる傾向がある。くせがなく食べやすい。わが地元では色々な野菜が栽培されているのと、多年草なので、数年間のあいだ、畑を占めてしまい単年作物に向かず、あまり重視されない野菜である。
240509出荷→1 計 14株


●:天竜 Hosta sieboldiana 'Tenryu' 
(大型大葉・濃緑色・ 色系白花・花茎;長・結実;×○:発芽率?優・良・不良・・・芽出し;早・成長度;早・伸長時期;春?)----トウギボウシ。長野県の天竜川沿岸で栽培されていたもの。葉丈1m以上で花茎は2mを超える、超大型種。食用可(うるい[オオバギボウシ]よりも美味とされる)。
⇒21.0vp—5 15.0vp—1   計 6株

●寒河江(黄覆輪くろなみぎぼうし) Hosta fluctuana‘Sagae’
(大型大葉・淡黄緑色黄覆輪・白色花・花茎;中・結実;○:発芽率 優・・・芽出し;遅・成長度;中・伸長時期;春、初秋)∪------2000 Hosta of the yearを受賞。
 この品種は、山形県寒河江市の農家の畑で食用ギボウシを栽培中に見い出されたことはギボウシ愛好家の世界では有名、今ではアメリカをはじめとして鑑賞用のギボウシ№1になった。
230605出荷→1 計 4株

●徳玉 Hosta tokudama
(中型中葉・濃緑色・ 色?系白花・花茎; ・結実;×○:発芽率? 優・良・不良 ・・・芽出し;中・成長度;中・伸長時期;春)
230605出荷→1 計 3株

  ≪撮影:平成23年 5月30午後5時頃≫
                
●長大銀(葉)チョウダイギンバ・ヨウ) Hosta sieboldii ‘ChodaiGinba ’
(極大型大葉、カップ形・灰緑色、粉白、立ち性・ 色系白花・花茎;長・結実;×○:発芽率?優・良・不良・・・芽出し;早・成長度;早・伸長時期;春?)----トウギボウシ。天竜やKrossa Regalに似ている。切り葉に利用される。
⇒21.0vp—3  計 3鉢


【ギボウシの食用について】

☆特徴
オオバギボウシ系    
  オオバギボウシ;葉が柔らかい。山採りや、ビニールハウスで栽培されている。
トウギボウシ系
  寒河江;
  徳玉;
  天竜;葉が肉厚。
  長大銀葉;葉が肉厚。 
 
☆利用部位:
  新芽・若葉・葉柄・花・花茎

☆調理方法ほか: 
 ・そのままゆでてお浸しにする。
 ・酢の物にする。
 ・塩ゆでにして、マヨネーズをかけて食べる。
 ・卵とじにする。
 ・天ぷらにする。
 ・味噌汁の具にする。
 ・朝漬け。
 ・フリッター(揚げ物)。

 ・展開する直前の長く伸びた若葉を利用する。
 ・若葉は株の約半分以下の分量を地際から切り取る。
 ・営農栽培では軟白(土寄せによる)して出荷する。
 ・昔は救荒食材でたべられて、よく葉柄を干して保存食にした。

※今までのギボウシの育成や栽培については、このサイト左側の、カテゴリー [ギボウシ栽培日記] などをクリックするとご覧になれます。

 ※ほかの品種のギボウシの単価・購入方法については、その内容が長文になり恐縮ですが、どうぞ 6/4付けブログ記事9/3付けブログ記事をご覧ください。

 ※購入の受付けやコメント、お問い合わせに際しての連絡は、ハンドルネームにて下段のコメント(0)をクリックし書き込むか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。必ず、返信をいたします。再確認を必要とされる場合がありますので、その際は、社会マナー上最低限必要な、氏名と電話等を明記してください。提供された個人情報は厳守することを確約いたします。
 なお、ダイレクトな連絡先のメールアドレスは hah05551@ams.odn.ne.jp になります。
             
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午前9時34分の「部屋とYシャツと私」

2013年01月13日 07時10分05秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

  午前9時34分、車内でラジオの歌謡曲を聴きながらおかしくなった。「部屋とYシャツと私」 というので、平松愛理さんが歌っていた。若い20代の女の子の彼氏に思いを寄せて、ひたむきに話すように歌う。この曲は広い音域も転調もなしにシンプルなメロディと歌詞である。素直で純朴な声質で、ひとりで彼につぶやくように、なんども繰り返しラブレターを読み上げるように歌う。
 今は、暦の上では、小寒を過ぎ大寒の狭ざ間だ。冬空は重くて雪でも降るように曇っている。わたしは休日出勤で、現場を回りながらマイカーで運転中である。突然、両の目から涙がこぼれてくる。
 こんなことはいつのことだったか。数年前に成田の植木圃場へ行った帰り道に車中で尺八一本で歌う、民謡 「南部牛追い唄」 を聴いて以来だ。古里を感じさせて、野太くて高音の曲調だ。
 先週はおかしい。7日の新年会と二次会のカラオケまではいい。時節柄賑やかしの頃だ、所内は挨拶回りや安全祈願やら直らいと、またカラオケへと集まりは流れた。そして、数日間業務は多忙だったので収拾がうまくいかない。いや、仕事の仕方が煩雑であった。若い時期ならいざ知らず、仕事はやりこなす能力半分、人間関係半分とかまえてきた。今は、組織の問題もあるが自己責任の仕事だ。頭の切り替えは、生来、下手であったが近頃ますますひどいように感じる。わたしにとって仕事のコツは、とことん積み上げるだけだと観念している。若い時から今に至るも、調子の良さと要領の良さは嫌いだ。
 当然なことに、ここしばらくは帰宅しても無口になった。家内も無口である。寒々しいのは分かっている。わたしもいいおやじだ、その辺のこらえ方は分かっている。
 平松愛理さんの 「部屋とYシャツと私」 には表も裏もない。
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梶光夫の 『こころの瞳』

2013年01月03日 19時02分11秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 正月休みにカラオケ的にYou Tubeで歌謡曲をあさる。時間つぶしもそうであるが、現代の世はきわめて便利になったものである。パソコンで古い資料や曲が安直に入手できる。
 ここで、梶光夫の 『こころの瞳』 のネタをWebで拾ったので取り上げる。これは梶光夫の歌謡曲 「青春の城下町」 が出たころ、47年前のころのものだ。
 この曲は、わたしが中学3年の春先に地元の中学校の体育館に当時の流行歌手の梶光夫が来てうたった。わたしひとり、その時にクラスで教壇で皆の前で『こころの瞳』(大和書房)を読み上げ歌ったのだ。このとき、なんだか励まされていたのか冷やかされた気分の思い出がある。寒村の農家で生まれ育ち、わたしだけが近所の子供たちや同級生や6人兄弟のなかでの異なった環境、ここ数年来、肋膜炎と虫垂炎で二度も入院しどうしてわたしのみがと暗鬱な気持の日々が続いた。その頃だったか東京オリンピックが開催されていた。3度目の肥厚性鼻炎で入院、その後そのせいか難聴気味の後遺症めいて予後も良くなく通院中であった。しかも、前年の10月5日にわが家の母屋が火事になりすっかりうらぶれていたころで高校進学を目前にしていた。曲調とテーマは清らかで将来に希望を持っていたらいいというもの。妙なことだが、これがどうやら、自分で自分を引き立てて行こうという、わたしの自我の目覚めかなと思う。この後に、母が肝臓がんの病気で入院を繰り返し52歳で亡くなってしまう。
 この曲の曰くについて下の文章を参考にしてください。

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 子供たちの声をとりいれた作品をもうひとつ紹介します。梶光夫の「こころの瞳」。こちらで聴きながらお読みください。(MrRokky001さんに感謝しつつ無断リンクします。)http://www.youtube.com/watch?v=Tfr47iAXkr4 

梶光夫「こころの瞳」
  昭和41年6月発売
  作詞:岩谷時子 作曲・編曲:いずみたく
 一 こころの瞳は 美しく
   青空を大きく うつしてゆこう
   今日も雪が降る 暗い山道も
   登るむこうに 陽はかがやく
   こころの瞳は うつくしく
   昨日の悲しみは 忘れてゆこう
 二 こころの瞳は 美しく
   砂のなかにねむる 夢をさがそう
   淋しいときは 波にみがかれた
   貝がらたちの歌 聞こうよ
   こころの瞳は 美しく
   海鳴りのかなたに 明日を祈ろう
 三 こころの瞳は 美しく
   幸せうすき日も ほゝえみあおう
   風もとどかない 都会の屋根にも
   いつかやさしい 月がのぼる
   こころの瞳は 美しく
   小さな喜びも みんなで歌おう

 「涙の谷間に太陽を」よりもこちらの方が4カ月早く発売されています。この2か月前にテレビドラマ「記念樹」が始まっていました。この曲に参加しているのも音羽ゆりかご会の少年たちだろうと思います。音羽ゆりかご会の創設者・海沼實が昭和22年にコロムビア・レコードと専属契約を結び、童謡やアニメ主題歌の収録ではコロムビアゆりかご会と名乗っていたからです。
 (音羽ゆりかご会からは、戦中・戦後の童謡スターだった川田正子・孝子姉妹を輩出しました。作曲家・海沼實には、「お猿のかごや」「あの子はたあれ」「ちんからとうげ」「里の秋」「みかんの花咲く丘」などの名曲があります。ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」も海沼の曲です。)
 「涙の谷間に太陽を」と同じく、「こころの瞳」にも、「―『こころの瞳』(大和書房)より―」という注記があります。この書物についても内容がわかりません。amazonには『こころの瞳―自然の子の記録 岩手放送株式会社(編集)』として数冊出品されています。関心のある方はどうぞ。

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松本清張の「小説日本芸譚」

2013年01月01日 06時08分14秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
あけましておめでとうございます。1月1日の今日は、まず、読書ネタから始まります。
 ここでは、松本清張の短編集である、「小説日本芸譚」のなかから 世阿弥 のことを取り上げる。内容は極めて分かりやすい、これも松本清張の才筆の賜物と言えるかもしれない。今まで現代物はいざしらず、わたしは、時代考証とは別にその人間模様の真実味に疑問を感じ松本清張の時代物の小説は忌避していたものである。ついでに言うと、あの、司馬遼太郎のベストセラー小説も平板であり猥雑で複雑怪奇なリアリティが描かれておらず、ほんとかいなといかがわしいものだと以前から感じている。読んで分かりやすくて面白ければいいってものでもないだろう。
 それはさておき、世阿弥の「花伝書」は世間の一般常識的には大仰な話題に思われるかもしれないが、以下の記述には、技をなりわいとする人間の老年期に至った心境に触れていたので抜き書きしておく。素直に理解できて、なんとなく、熟読玩味したいセンテンスだ。 
 

 「花伝書」
  能はさがらねども、力なく、ようよう年闌け行けば、身の花もよそ目の花も失する

 もしこの頃まで失せざらん花こそまことの花にてはあるべけれ

 まことの花の残りたるしては、いかなる若きしてなりとも勝つことあるまじき也

          
 
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