うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

小菊6種類の花が咲きほころぶ

2013年11月29日 04時47分14秒 | ガーデニング・庭づくり
 時に小春日和の日々が続いているが、もう少しで、いよいよ師走だ。
 画像の小菊は、昨年の秋に某家の境界沿いのコンクリート柵のやり替え工事の際に撤去せざるを得なかった小菊であるが、可哀そうに思いわが家に持ってきて21.0cmビニールポットに植えた。通称、英語名で ポットマム と言ったかな。これは、その開花一年目の様子である。 
 パンジーやビオラは廉価で育てやすいので、花壇材料で一番配植に使われる草花だ。寄植えに模様花壇やライン花壇など。花の色の組み合わせも楽しく容易にできる。花屋さんの店先では今頃は季節柄パンジーやビオラがいろいろな花の色が並んでいるが、これは厳密に言えば園芸品種としてそれぞれが固有の名前があり特徴も育て方も異なるということである。単なる色違いではない。パンジーやビオラという草花は、多分、雑種交配と播種による繁殖が簡単なので品種数は数百に及ぶだろう。花の色で単にファッションや色絵具やサインペンを物色するのとはわけが違う。
 同じことがこの小菊にも言えそう。調べるのも面倒なのでこのまま花の色でかぞえると、わが家では6種類の花が咲きほころぶ。街なかでよく見かける菊だ。このままで多花性の大株に栽培したいと考えているが、手間もわずらわしいのでほかの大輪種や仕立て向きの菊まで趣味の範囲を広げるつもりはない。
 それはともかく、ここに小菊の画像をアップする。
撮影日時:平成25年11月24日(日曜日)10:0頃

       

       

       

       

       

       
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ギボウシ・マルバタマノカンザシとフランシスウィリアムズの種子

2013年11月27日 04時31分13秒 | ぎぼうし栽培日記
今年もギボウシの種子を採る。ここでは、採実直前の画像をアップ。小森谷、カンザシギボウシ、ゴールデンティアラ、ヒメイワギボウシ、カピタン、Q(品種名不明)、黄金乙女 と画像にあげた マルバタマノカンザシ と フランシスウィリアムズの9種である。この中で発芽や生長、遺伝形態が謎の品種がまだあるのだが、追々、判明するだろう。その情報は、いずれ、このギボウシサイトで公開するつもりである。
 寒さに向かいギボウシの葉の色も、黄色から茶系に色が濃くなり透明に変化しているさまがわかる。そのうちに弾力を失っていく。
撮影日時:平成25年11月24日(日曜日)10:0頃

●丸葉玉の簪(中国名:玉簪)Hosta plantaginea
(大型大葉・淡緑色・白芳香花 ・花茎;長大・結実;○:発芽率 良----野生種・・・芽出し;早・成長度;早・伸長時期;春)★----野生種?中国原産。タマノカンザシより全体にボリューム感あり。葉幅が広い。新芽が黄緑色。210926導入。在庫 計 6株。
       

●シーボルディアナ フランシスウイリアムズ Hosta sieboldiana‘Frances Williams’
(大型大丸葉 青緑葉黄緑覆輪・白色花・花茎;中・結実;○:発芽率;・良・・・芽出し;早・成長度;中・伸長時期;春?)----エレガンスの突然変異種。210214導入。在庫 計 3株
                

 ※今までのギボウシの育成や栽培については、このサイト左側の、カテゴリー [ギボウシ栽培日記] などをクリックするとご覧になれます。

 ※そのほかの品種のギボウシの詳細な単価・購入方法については、その内容が長文になり恐縮ですが、どうぞ 今年の6/22付けブログ記事をご覧ください。

 ※購入の受付けやコメント、お問い合わせに際しての連絡は、ハンドルネームにて下段のコメント(0)をクリックし書き込むか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。必ず、返信をいたします。再確認を必要とされる場合がありますので、その際は、社会マナー上最低限必要な、氏名と電話等を明記してください。提供された個人情報は厳守することを確約いたします。
              
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黄葉するギボウシをどうぞ

2013年11月26日 04時29分33秒 | ぎぼうし栽培日記
ここでは今年のわがギボウシの黄葉(紅葉)を画像で載せる。
 初霜のあとに、一週間前に二度目の降霜の朝を迎えたなとおもっていたら、わが住宅地の近所の畑は一面に白くなり、小さな林も木々も葉が黄色く濃くなった。それにつれて案の定、ギボウシもきれいに草もみじに急激に黄変した。
 あとは、あくる年の3月下旬の可愛らしいタケノコのような新芽を待つばかり。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。
撮影日時:平成25年11月24日(日曜日)10:0頃







 ※今までのギボウシの育成や栽培については、このサイト左側の、カテゴリー [ギボウシ栽培日記] などをクリックするとご覧になれます。

 ※そのほかの品種のギボウシの詳細な単価・購入方法については、その内容が長文になり恐縮ですが、どうぞ 今年の6/22付けブログ記事をご覧ください。

 ※購入の受付けやコメント、お問い合わせに際しての連絡は、ハンドルネームにて下段のコメント(0)をクリックし書き込むか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。必ず、返信をいたします。再確認を必要とされる場合がありますので、その際は、社会マナー上最低限必要な、氏名と電話等を明記してください。提供された個人情報は厳守することを確約いたします。
              
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日記のことですが・・・

2013年11月22日 13時19分40秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
暦の上では22日は小雪、あと一カ月で冬至だ。ますます日が短くなる此の頃である。うちで恒例となっている落ち葉拾いもやっとこさ収まっている。わが家は緑が濃くて樹木が大きい。紺屋の白袴ではないがわたしの職業柄、路上に大きくなった木の落ち葉集めや落花や実を拾うことが毎朝の日課になっている。近所の人に迷惑をかけちゃいけない。知らなきゃいいということではない。他人の家の前に飛散することは、心理上、嫌なものだ。

 先日、ある人に世間話のついでに、わたしが日記のことを話したら、すごいっ・・・とギョッとする感じでおどろかれた。そして、そのアクションに逆にわたしがおどろいた。わたしの場合は、ごく普通に当たり前のことだったのだ。
 わたしは、大学ノートに日記をほぼ19歳代からつけていると言ったのだ。それが45年強の年月、続いている。ボリュームは知らないうちに、一冊分がほぼ三年連年日記風になった。若い時は文学や不明な事柄をまとめた辞書替わりに1ページを費やしたりしたが、今では三行書きが多くて、天気模様、家内からの小遣いや買ったものに品名や金額、電話や来訪者、遠方に行ったことが書かれている。大げさだが、天気などは気象データを作れるほどになっている。
 現在は14冊目でそれ以外にないとおもっていたら、その前に6冊分あることが判明した。ノートは万年筆で書かれていて、紙質は黄色く変色している。
 このうち、№2は平成5.12.17から平成7.4.16にあたるが、このノートは紛失した。たしか、池上本門寺の洗足池でおこなった社内の桜の花見会で、したたか飲んで酔っ払い電車の網棚に置き忘れたショルダーバッグ に入っていたものである。数年後にバッグは見つかったのだが、財布やその他の中身はなかった。
     

      
 そこから関連して派生したノートとして、4冊目になる「書物購入予定・貸出し簿」、「庭弄り日誌」、「ギボウシ栽培日誌」、「俳句集」、それに資格試験などの「受験記録」がある。まあ、わたしの業務上のことについても必ず工事記録を残す習慣が身についているから性格的にはメモ魔とも言えるかもしれない。そしていづれも、いつかわかるだろうからと、その都度特に不明点は書き記している。
 一般的には目的というかなんというかは、ひとりの孤独な心をいやしたり、思索経過の整理、読後感想、備忘録、のためにということになりそうだ。詩と俳句と短歌、読んだ本の気に入ったフレーズ、分からない言葉、東北の方言の語源とかである。
 したがって、このブログも始めてから8年目になるのだが、ブログはこの日記の延長上にあって、身辺雑記がおもな動機である。むろん、自己顕示欲も少々加わっている。それはわたしが以前に言い及んだ通りに、単にアナログからデジタルへスムーズに移行したのに過ぎない。また、わたしたちの日常にあっては、電子メールもほとんどが業務用につかわれているようだが、わたしは私的にも実際的に郵便を出したりの習慣があって、今に至っている。デジタル万能の世とは言え今の若い世代とは異なり、書信や通信などその基本的なマナーや方には習熟しているだ。
 ちなみに、わが家族はこのわたしの習慣に無関心だ。
 
 以下の画像は、平成12年5月27日の ≪自分史≫ 第二版 と平成16年2月2日の ≪極私的造園設計経歴書「緑の仕事」≫ である。いずれも、ワープロで書き込み編まれたもの。当時の身近な知友の範囲内で配った。このことについては、いつか触れられたらこの場で触れたい。
      

           
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日本庭園風-湧水の流れ-

2013年11月20日 04時57分43秒 | ランドスケープデザイン
ここではある流れをアップする。わたしの業務の一端としては、最近、珍しい工事だ。小河川の源流ともなる調整池へそそぐ湧き水を利用した修景的な工事である。浸水域を想定した芝生地などに布設した暗渠排水管2か所を含む4か所からひょっこり水が出てくる。無降雨時の流出量は目視でコンスタントに毎分4~7ℓぐらいだろうか。一般公開に際し、サイン計画の上では ≪せせらぎ≫ とネーミング予定だ。わたしはプランニングではなくて施工時から加わった。
 つかっている自然石は、筑波石の野面石と景石である。石質は花崗岩。これは事前に材料検査で現地に行って来たのだが、実は茨城県の中央部の筑波山の麓で現在も採堀されている。バブル景気の前後は、この東日本では非常に高価な石組材料であったが、トンあたりの取引価格は、今は庭園材としてもかなり暴落しているようだ。ここでは、据え付けモルタルや防水コンクリートなしの現地発生の粘質土を利用した土極めで固定している。
 計画では目地や池畔への植栽はなしで、自然の発芽や繁茂にまかせるとのコンセプトだ。底辺の川幅およそ1.0mで、流れの長さは26.0m になり、使用数量は野面石で60トン、また景石は21トンである。発注者側の監修者がいてなんどもつくりかえたのが現在の最終の姿である。
 純然たる石組みよりも施工手間がかかり、およその工事金額は、530万円になっている。
 施工監理職としてのわたしにとって、工事関係者には未経験者が多くて四苦八苦したが、最終的にどうにかまとまってくれたという思いがいっぱいだ。職人さんも二十代から三十代と若くて戸惑ったもの。我田引水の物言いだが、たびたび自腹で訪れた、わたしの過去の京都の日本庭園見学経験が活きたという感じだ。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。落ち着くまでは水洗作業は止めて泥まみれですが、どうぞ、この工事過程も含めてご覧になってください。
撮影日時:平成25年9月~10月中旬
   
  

      

      
           
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磐越東線の汽車に乗って

2013年11月18日 05時03分31秒 | 地方・故郷・方言
先日は、地元駅05:37 の初電に乗り東京を経由して福島に新幹線で行く。個人的な用事だが、日帰りで一筆書きの旅行コースになる。復路は、知人に10数年ぶりに会いにJR磐越東線のいわき駅で待ち合わせた。したがって、いわき経由で常磐線で戻る。帰着は夜の10:00 だった。
 行きの東北新幹線車中にて、俳句では3句を獲た。朝早い指定席の座席は半分以下の乗車率だ。

 ・秋天心 くぐりて潜る 白河越え

 ・安達太良に 並みいる山々 智恵子を思う

 
 ・阿武隈の 熟れ柿も鈴なりかな

 帰りは晩秋の福島県南部、単線のJR磐越東線の汽車に乗っていく。各駅停車の行路だ。11月14日の郡山発13:18、 いわき着14:52、三両編成の気動車であるが、よく考えられた使い勝手のいいトイレ付きである。運転は二十代の明朗な若者にベテラン一人が添乗していて、後部の車掌室には若く小柄で颯爽とした二人の女性、テキパキと業務をこなしていた。
 後半の夏井駅周辺の小さな田園風景から、いわき駅手前まで線路沿いに渓谷がはしっている。窓外の印象に受け感じるのは、農家の耕作地にしては田んぼもわずか、畑は見えず、山林はまばらに赤松の類いが群生しているがせいぜい2,30年ほどのコナラやクヌギを主体にした落葉の雑木林である。人工的な杉や檜、唐松の植林の形跡も見当たらない。単純な林相とこの林分は、多分、薪炭林だ。ところで、昔は、生活の資は何から得ていたのだろうか。家々も小さく小じんまりとしてぽつりぽつりと点在する。
 その車窓からの景色を画像で掲載する。当てずっぽうなシーンを撮る。窓は開閉出来ずで、デジカメのフラッシュがどうしてもハレーションを起こす。車内の光線が重なる。わたしが想像するには、当地での紅葉シーズンのピークは10日前ほどか。
 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。

          

                 
          

           

      
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剪定作業と大文字草とサザンクロス・・・?

2013年11月11日 05時35分24秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
11月10日の日曜日。寒くなるとの予想に反して、南寄りの生ぬるい風が吹いた。まだ、木枯らし一号にはならないようだ。今日のわたしは、朝、今年最後の柿一ケ(本年の収穫量は171個・・・!!)を剥いてトーストとともに食べる。TV番組のTBSのサンデーモーニングのあとに、わが庭に出る。
 先々週に続き邪魔扱いの モチノキの芯どめ、レモン、小紫式部、雪柳、フェイジョアの枝抜き、それに大きくなってしまった枇杷の剪定をする。ギボウシの鉢内の雑草取り。わたしは、ひさかたぶりに汗をかく。捨てずに10cm内外に刻んだ枝や葉は、25kg入りの空き袋5個にもなる。
 もう少しすると、道路際のホルトノキや柿の高木を整姿剪定する予定だ。それらをすべて密封し発酵させて肥料にする。水を少し入れきつく袋詰めをし、重しを載せる要領でそれぞれの袋を逆様に積みあげる。そうすれば、完熟すると1/3の大きさになる。自家製堆肥の出来上がりだ

 写真は大文字草だ。忘れかけていたのを奥の方から引っぱり出したら芽数が増えてびっしり白い花を着けていた。目を皿にしてズームで見ると、あたかも雪降りの情景のよう。そこで、ふと思うのは十数年前の6月に行った、旅行初日、南半球のオーストラリア西海岸のパースでの出来事だ。初めて船上でのディナーで夜半にみた南十字星だが、草花にも似たネーミングの“Sourthen Cross”があったのだ。白い花ではとかすかに記憶しているが、どうだったか。
 その時には俳句を詠んだっけなあ。と、過去にまとめた「自分史」の中を探すと出てきた。
 ・スワンの畔 目を凝らして立つ サザンクロス
 確か、臨場感を持って現地で作ったのだが、こうして掲げると、単語を並べただけであって幼稚で未熟な句である。流れる情感が表わされていない。わたしは恥を気にするにはどうせ年寄りだ、この機にここへ載せておこう。

撮影日時:平成25年11月11日(日曜日)16:00頃
          
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秋の朝、電車通勤の途中で、

2013年11月09日 06時33分58秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 わたしは、仕事に行く途中の電車の中で、都合4回乗り換えるのだが、1回目の降り際にいいときめきが来た。発句だ。2度目の乗り換えでは、これから45分ほど乗る、馴染みのロングシートに座り野帳を探すが忘れたらしくて、そのままええやい、と読みかけの文庫本の表紙カバーを裏返しにして俳句を書き込む。いつも持参している小さいゴルフ鉛筆を利用した文字は殴り書きだ。ちなみにわたしの場合は、いつも、野帳は句帳替わり。
 朝の出がけに、事務所にてパソコンに向かって打合せ用文案を考えるよりも時間を惜しみ通勤の車中でまとめようとしていたら、順番が逆、こんな仕儀になる。作句はいつもこんな状態で浮かんでくる。わたしは、なんだか、無意味なことだが、わたし自身の面妖な気分をほかの乗客に対しさとられないようにうつろな表情とのろい動作でごまかしている。

秋の朝
 ・朝日昇る 燦めくかがやき 秋瞑想

 ・もうろうと山水画の如し まぶたの裡

 
 ・露のもとに草木悉皆 両手揉む

 
うたた寝
 ・目覚めて 地鳴きのごとき しじまかな

 ・逆夢か 汗ばむ身に 秋陽射し


秋の空
 ・尾をふり 沃土の餌をあさりて セグロセキレイ 

 ・柿紅葉 木守柿落つ 抜ける空


 もちろん、続けて表紙カバーの次頁に文案メモを箇条書き風にまとめる。朝の7時頃から40分かかった訳だ、ややわたしの朝の気持ちは軽快になった。これで、いつものように、事務所に着けば自動的に仕事モードに変わる。
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小津安二郎の人相

2013年11月05日 05時38分13秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
先月、ある書店で小津安二郎全集¥1,980.を購入する。その店頭には格安DVDが並べてあったのだ。安価なのは、多分、製作年代が古くて著作権期限切れのせいであろう。
 内容は9作品、「東京物語」「麦秋」「晩春」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄妹」「茶漬けの味」「長屋紳士録」である。
 それから合い間をみてパソコンに挿入し、見てきた。これは昭和の戦争前から戦後にかけてのもの、すべてが白黒で、晩年の「秋刀魚の味」はカラー(総天然色映画と言ったものである・・・)であるらしい。
 小津安二郎の映画について、この世界にはマニアックなファンがいるらしくて、ここでは、わたしの感想は精密さを欠くがおおまかな印象を記したい。題材は日常の暮らしそのものが多くて、キャストも笠智衆などの常連の俳優で出ていて、ただただ繰り返しで演出が進み、ある意味ではそこのストーリーの単調さに意味を付与している感がする。カメラ視点の定点撮影、耳障りな生活音や効果音、台詞はリフレインにオウムがえし、などなど。都会派の映画の職人の人工的な作品で、見た後、ある意味ではむなしい。モチーフはたどらない方がいい。わたし自身にとっては、オープンロケや野外ロケに使われた戦後の家庭環境と復興前後の社会状況や風潮や風俗、国鉄の鎌倉や北鎌倉駅の構内に懐かしさをおぼえる。だがしかし、これは純然たる映画であり、動きの多い世相をそそまま反映した娯楽映画よりは、後世に残る気がする。
 
 小津安二郎の人相は、面長で口ひげをはやしていて、自信を持ち執着質で身も大柄で偉丈夫のようだ。街なかでよく見受けるキャラクター、個性的な風貌とは言えるが、どうやら社会的にハイブロウであるこの題材で描かれた‘日常’は生涯家庭を持たなかった小津にとって、一種の理想像に見える。映画作品は芸術的というよりも職人の工芸品のようだ。そんなにもこだわっていて、50年以上経過した現代においても何らかの意味がつづいているのだろうか。
 わたしにとって、なるほど、若い時には敬遠していた映画であったと思い返すのだ。
          
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晩秋の日常、花も咲きて・・・・・

2013年11月03日 07時11分18秒 | 個人の庭・エクステリア
今わたしが熱中しているのは、高峰秀子の「わたしの渡世日記」を読むのとプロ野球日本シリーズだ。
 本はわたしにしては珍しくて二度読みになる。小津安二郎の映画‘戸田家の兄妹’を見て読みはじめた。なんだか、女優・高峰秀子は重宝な出演スタッフとして、また分裂した家庭、家族の経済的な大黒柱として十代から二十代をしゃにむに過ごしたようである。この世はなんでもあり、と若くして気付いていたのか。文章の特徴は男性的でポキポキ折れるような短文であり、時には妙な語述や言い回しがかい間見えるが、まるでしょわされた人生の重荷を軽快に疾走しているよう。孤独であっても、何があっても前に進まなくてはという人生。意図しないパトロンやスポンサーの出会いと不思議な交友の数々。ついには、松山善三という生涯の伴侶を見つけられたが、そのことには変な話だが読み進むとほっとする。わたしは、大拍手を送りたい。
 今年のプロ野球は 巨人 よりも、どうしても 楽天 に身びいきになる。わたしが東北出身であるのと、弁慶と義経の故事にもとづいた判官びいきが少しある。そして、不世出の田中将大投手の力投を見定めたい思いだ。

 ここで突然ではあるが、毎年の恒例で、わが家の庭の秋の花をあげる。名前は 上⇒下 左⇒右の順に 野性シクラメン、油点草(ホトトギス)、擬宝珠(ギボウシ)、錦木(ニシキギ)、友禅菊(ユウゼンギク)である。無事に一年ここまで育ってきたもの、どうぞご覧ください。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。
撮影日時:平成25年10月27日(土曜日)15:00頃
      

      
            
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あの頃を・・・、初夏の天王洲アイル

2013年11月01日 05時13分36秒 | 天王州アイル Project
もうすでに今年もあと二カ月、やがて立冬、そのうちに木枯らし一号も吹く。時候も人事も年々歳々というところである。
 旧蠟、ここでは所用のついでに5月25日におとずれた初夏の天王洲アイルの画像35コマをアップする。以前の情景はこのサイト左欄、カテゴリー『天王洲アイルProject』をクリックしてどうぞ、雑駁ながら今回は記録を残す写真集の意味合いで記したい。
 ここは、産業的にはもともと埋立て地でありタンクヤードなどがあり地域的には無粋な流通基地エリアであった。そこに、わたし自身がこの中にあった会社内で開発や企画・設計に首を突っ込んだケースだ。担当した時期は仕事人として30から40代の恐いもの知らずの年代で、今思うと与えられた大きな機会に晴れがましさよりもその頃の得意満面、傍若無人さに消え入りたい思いだ、所在地は都内品川区東品川、東京モノレールで二つ目、及び東京臨海鉄道の駅周辺だ。

 ちなみに、現在、天王洲アイル全体の状況はどうなっているか、下のサイトをクリックしてみてください。
  天王洲アイル

 当時の天王洲アイル開発計画に関する、お問い合わせ、ご質問に際して、連絡方法は下段のコメント(0)をクリックするか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォーム、メール等でお願いいたします。
 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。
撮影日時:平成25年 5月25日正午前

    

      

      

      

      

      

              

      

     
        
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