うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

桜島、知覧特攻平和会館、蒲生の大クス に行く。

2021年11月09日 05時31分14秒 | 地方・故郷・方言
前の日に送別会じみて、職場の同僚と飲んだ際に知覧の特攻隊の話が出て、その明け方にこれは一度行くべきかと考えて、翌日曜日に、一路、鹿児島の南端に九州自動車道を車で向かった。旅程はその後に、宮崎県の都城市に古い古い東北の郷里の中学校時代の二人の同級生をいきなり訪ねる予定、電話が通じずにいて住所をナビにぶち込むつもりだ。その後あらためて思い直して今は姶良市内になる 蒲生の大クス を加えた。しかし、めっきり日の短くなった時節柄、夕方に同級生宅へ向かうのをあきらめる、せっかく博多土産も準備していたのだが・・・・・。全走行距離は668km。片道4時間弱か。

遺書   枝幹二大尉 第一六五振武隊   昭和20年6月6日出撃戦死 22歳
  あんまり緑が美しい
  今日これから
  死にに行く事すら
  忘れてしまいそうだ。
  真青な空
  ぽかんと浮かぶ白い雲
  六月の知覧は
  もうセミの声がして
  夏を思わせる。
     作戦命令を待っている間に

  小鳥の声がたのしそう
  「俺もこんどは
  小鳥になるよ」
  日の当たる草の上に
  ねころんで
  杉本がこんなことを云っている
    笑わせるな
  本日十三時三十五分
  いよゝゝ知ランを離陸する
  なつかしの
  祖国よ
   さらば
  使いなれた
  万年筆を“かたみ”に
     送ります。
            〈新編 知覧特別攻撃隊 高岡修編 有限会社ジャプラン〉抜粋

 ここでは画像を道順通りに 蒲生の大クス の詳細部をのぞきアップしていく。
              

          

          


          

          

          

          

          

          
          

          

          

          

          

 
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奈良行。浄瑠璃寺、慈光院、聖林寺、室生寺、カエデの郷ひらら

2021年11月03日 15時45分20秒 | 地方・故郷・方言
10月23日から、奈良に行ってきた。福岡ICを早暁の4時過ぎに通過、新名神の高槻ICを降りて大阪の待合せのスーパーには丁度正午に着く。所要時間は片道8時間、給油は2回をいれてSAには4か所休憩しただろうか。往復の走行距離は1,400kmだからわが実家のある千葉までの距離に相当する。
 今回の旅は、昨年の6月の日本樹木医会奈良大会時に個人的に計画をしていたが、お定まりのコロナ禍で開催が流れた。
 以下は、文章のあいだに画像をはめ込んでズラズラと並べていく。
 大阪の枚方で半世紀以上付き合いのある旧友と落ち合い、早速ナビ入力にてまずは京都府木津市内 浄瑠璃寺 へ向かう。
 ついで、茶道は石心流だが 慈光院 の日本庭園を見る。なるほど、奈良には 「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」(古事記)、か。夕暮れて天理の安宿に向かっていく。この日、昼食も忘れて車内では雑談や近況話に盛り上がっていく。
          

          

          


          

           

          

          

              

 翌日、どこへ行っても朝の早いわたしは宿を出て、広大な近鉄/JR天理駅周辺を放浪する。ここは清潔な街並みか、社会的なエチケットが守られていて犯罪が少ない町だろう。さすがに天理教の宗都、宿泊施設、祈祷所とかの集会目的の建築物が多い。次に近鉄桜井駅で中学時代の女子同級生を拾う。本人は一日同行される由、会うのは一昨年の神奈川県の箱根での古希祝いの同窓会以来である。御年70の三人組である。彼女は京言葉の中に東北訛りのイントネーションを感じる。ちなみに、大阪の友人はバリバリの関西弁だ。そしてわたしは擬似標準語になる。
 まず、 聖林寺 では本堂が修繕中で 十一面観音は 非公開であった。小さな寺だが、中に入らず外観を眺めただけで終わる、わたしはもどかしい思いであり残念至極である。ポスターを見るとこの6月から東京国立博物館にて展示されていたのだ。そこで、同行者の意見で近くの 談山神社 に寄る。
          

          

          

 それではと、早い旅の展開だが、小都市と田園地帯、田舎ふうの大和路を 室生寺 に車は向かって走る。
 室生寺は25年ぶりか、砂利敷きの駐車場についてかつての光景を思い出してくる。わたしは、五重塔と仏像に会いに来たのだ。あの時は京都の天龍寺などを廻り翌日近鉄電車を乗り継いできた。取引先の藤沢の造園業者二人と来たのだ、なんだかあの頃は生きて仕事をしていても意気揚々としていたなあ。ということは、わたしが45歳になるか・・・・・。
 しかし、肝腎の仏像は宝物館という新築した新館に収められていてわたしとして少々気落ちする状況であった。
           
          
          
          
          

          

          

          

          

          

 なんだか妙にそそくさとした気分で、前回同様に入口にある室生川沿いの橋本屋旅館できつねうどんなどを食べて打ち上げとなった。
 次にカエデやモミジファンにとってマニアックな植物園に寄った。 奈良カエデの郷ひらら 、ここは宇陀市内で廃校になった小学校でそこを会場にしている。
 コレクターの矢野正善氏は80代半ばと思われるが、園内で話を伺うことが出来た。
          
            赤葉実生
          
            台湾産イタヤカエデ
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苗場スキー場・ドラゴンドラからの光景、田子倉湖の景観

2021年10月10日 10時15分30秒 | 地方・故郷・方言
こちらは9月の台風14号以来、雨が降らず、3週間はほぼ快晴の好天気が続いている。しかも日中は高温気味に推移している。この後、いくら秋本番でも九州の当地ではあまり紅葉は期待できないことだろう。
 そこで、3年前に行ったがいままで公開していなかった新潟県の紅葉スポットをひとつアップしよう。
 関越道の越後湯沢から向かう。苗場スキー場の ドラゴンドラ からの光景と、少し移動した地域になるが長い工事用トンネルを抜けた先にある田子倉湖である。日時は2018年10月11日正午過ぎになる。
          

          

          

          

          

          


          

          

          
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あちらこちらで、お土産を買う。

2021年04月10日 05時15分19秒 | 地方・故郷・方言
現在わたしは千葉在住だが、この4月3日に戻って一週間が経つ。ここでは福岡を拠点とした3月の “怒涛かつ進撃の旅” で買い集めたわたしの土産品を披露する。画像一枚を下に添付する。車と船での実際の旅行内容はまとまり次第アップ予定。今回は賞味期限を見て極度に選別した。わたしの土産品蒐集癖は30代からのもので、バブル景気の頃は行った先から自宅へ宅配便で送ることさえした。外食にはこだわらないが、ある意味度し難い無駄遣いの性かもしれない。

 ①萩・山口行ではある目的があって行ったが、外面的には観光めいて見えるかもしれない。萩は明治維新の地を売り看板にしている。実は機械音痴のわたしにとって初めてナビを使えるようになった旅であった。 フグ茶漬け (夏みかん加工品)
 ②対馬一泊旅行では、市内はあまり観光地然としておらずかつて韓国人観光客にあふれていたのがウソのようで地元では残念がっている。日韓問題とコロナで今は不景気か。ここは古代から連綿と続く「国境の島」自体が売りか。人口も3万人を割り閑散としている。島の植生自体は離島独特のものがあり、山々への踏破欲が湧く。環境省の飼育施設にツシマヤマネコを訪ねて行ったが、コロナ禍でずっと閉鎖中であった。ちなみにこのぬいぐるみだが稚拙で出来が良くない、観光店ではなんとなく情にほだされて買ってしまった。 ツシマヤマネコのぬいぐるみ たいの釜めしの素 のどぐろのふりかけ
 ③宇和島・高知・周防大島の一泊旅行は振り返れば強行軍であった。豊後水道と防予諸島をフェリーで渡った。合理的に自由時間が取れずじまいだ、ちぐはぐだが伊達氏の城と植物と民俗学の宮本常一が主題の旅。 じゃこ天のかまぼこ 土佐日記 (はりまや橋団子) 一六タルト
 ④唐津・伊万里・平戸島では小さな山並み、田園、地方都市、焼き物の里。離島であった平戸島はキリスト教色の強い観光地で、海と山の取り合わせの景観はいい。この島は九州内では珍しく海産物が多く獲れる。 丸ぼうろ いか鉄ちゃん いか昆布巻 九十九島せんぺい いりこ いわしせんべい 

           

 これに加わるのは帰葉時に、九州道の古賀SAで 博多通りもん を3箱¥3,600.と、名神高速道路の上郷SAで賞味期限の短いことで知られる伊勢名物の 赤福 をひと箱¥1,100.で購入する。この品物は車よりも駅や飛行場での取り扱いが多いらしく、高速道路ではこのSAだとあらかじめしらべておいたのだ。
 帰りには米原JCTを経由して⑤敦賀や福井方面から朝倉氏庭園跡・永平寺から九頭竜湖を廻り東海北陸道から名神高速道路に出て帰った。途中の山間地の九頭竜湖周辺はいまだに残雪があり桜の開花もまだであったが、天然物のふきのとうを¥150.×2パックを手に入れた。ふきのとうは今年間に合ったが、われわれ夫婦の大好物なのだ。
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消雪パイプ

2021年01月11日 06時42分48秒 | 地方・故郷・方言
時々福岡のこちらの天候は日本列島の半分が寒波襲来で、数日来、雪が舞い陽の出ない暗鬱な天候が続く。現今では北越道では渋滞情報のニュースが流され、日常生活に支障をきたしている。
 ここでは、以前、新潟県長岡市ほかで見た道路などの雪対策、消雪パイプ設備について思い出して画像をアップする。新潟県内ではここ中越と上越地方が積雪量が多い。この仕掛けはいずれも関東地方では見かけないもの。なお、路面が茶褐色に変色しているのは汲み上げた地下水に含む鉄分が酸化したことによる。画像では、旧商店街の雁木(雪避けアーケード)、晩秋の路面と、南魚沼市の夏場は冷却水として積雪時は一般家庭での屋根に取り付けた融雪装置を載せる。

            

            

            

            

            

            
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天台寺の仏像と浄法寺の漆塗

2019年04月15日 10時29分24秒 | 地方・故郷・方言
わたしは高速道路で雪の中を走り浄法寺ICで降りたのはいいが、間違って金田一温泉の方へむかう。地元の方に聞き戻って、ICそばの 天台寺 へ来た。
 天台寺 は岩手県内の同じ宗派の中尊寺よりも来歴は古くて行基によって開かれた。桂という自生している樹木に縁が深い 天台寺 だが、国の重要文化財である 木造聖観音立像 や 十一面観音立像 はその桂を行基が彫刻したものと伝えられる。その顔はおだやかでおおらかな表情をしている。
 天台寺 は近年、小説家の今東光や瀬戸内寂聴で知られたが、最北の地にあり、もっと知られていい。明治以降の社会の変動や事件によりこの寺は今でも荒れ果てた印象が残っており、現在、本堂(観音堂)や仁王門が地元の二戸市教育委員会の発注、清水建設の㈱施工により保存修理工事中である。

           

           
            薬師堂
           
            薬師如来像
           
            毘沙門堂
           

           
            収蔵庫内に保管中の十一面観音立像
                  
            木造聖観音立像

 浄法寺の漆塗は もともと天台寺のお坊さんが始めたとされる。浄法寺の漆は全国屈指の70%の生産量を誇り文化財の仏教建築や美術品、それに京都や北陸などの各地の漆工芸品の産地へ流通している。岩手県内ではあの中尊寺の秀衡塗もあり、こちらは金に飽かせて京より漆塗り職人を呼んで始めた。
 画像は天台寺へ行く途中の民間施設で、ウルシの樹木で漆掻き跡や出荷する漆樽であり、漆器の陳列台である。
           

           




           
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リアス線の全線開通

2019年03月26日 05時00分10秒 | 地方・故郷・方言
からになりへと早春の天候は落ち着かない。
 3月24日に思い立ってリアス線の全線開通163kmにともない、宮古から大船渡の盛駅まで電車に乗った。乗車料金は¥2,270.、2時間20分ほど。わたしは見ていて、沿線や駅周辺の地元住民の嬉しい歓迎ぶりには戸惑う。派手さを厭う地味な県民性、精一杯、笑みを隠してわたしも無表情を装う。わが郷土の人たちの気質もよく知っているのだ。
 春の花はいまだ見ず、芽吹きは柳やにわとこや灌木に始まっている。たしか、1月に北リアス線で久慈駅まで往復したから、これでほぼ三陸海岸沿いを回ったことになる。
 以下にアトランダムに車窓からの画像を並べるが、15~20メートルの高さの巨大なコンクリート防潮堤と開発途中の周辺の殺風景さにわたしは口をつむぐ、まるで無人の野を往く感じである。2011.03.11の震災前と比べて海の観光資源は確実に減っていることだろう。
          
       中間点の宮古駅です。
          

          

          

          

          

          

          

          
 大槌駅名看板、NHK人形劇ドラマのひょっこりひょうたん島は大槌湾の蓬莱島から付けられているらしい。作者の井上ひさしはこの近辺にも住んでいたのか。
          

          

          
       今年の秋に世界ラグビーの試合がおこなわれる鵜住居スタジアムです。
          

          
       小石浜が恋し浜へ。ホームにカリオンがある。
          

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龍泉洞です。

2019年03月05日 07時11分39秒 | 地方・故郷・方言
こちらに来て2か月半、1月に行った龍泉洞の画像をアップする。場所は岩手県内の岩泉町、かなりの僻遠の地だ。ここは初めてである。洞窟内は登ったり下りたり。地底湖やおびただしい湧水量と流れが連続する。しかし、狭く足元も暗く、安全面が心細いのだ。まあ、幻想的な洞窟である。近くの安家洞は休館のようだ。
 洞窟そのものは完全な観光資源であろうが、浜松の竜ヶ岩洞、福島のあぶくま洞、それに山口の秋芳洞と過去に行ったことがあるが、どうだろうか。やはり、秋芳洞が一番か。
 時期は1月の中旬、寒々しい気候の昼頃、この後、国道とは言え無人の落葉樹林にまばらに赤松や杉林が混じる山林の中を走る。

        

        

        

        

        
 
        

        

        

        
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JR只見線沿線を車で縦走

2018年11月06日 12時38分50秒 | 地方・故郷・方言

 急に休みが出来て、10月29日、紅葉を見に只見線沿線を車で縦走した。わたしには観光も含めて、これまでに新潟県内も廻り終わった感がしていたが、千葉にいて昔から行ってみたいと念願にしていたことを思い出し、このほど意を決して行ってきた。行く前にWebで検索したが、どうやら、只見線沿線を車で縦走した記事や動画や画像は見かけなかった。
 当日はぐづついた天候、新潟県内の中越地方方面を迷いに迷い、およそ反対側とも言える磐越道の安田ICに乗ったのが午前11時代で、阿賀野川SAで一休みしかき揚げうどんをすすり、それから会津坂下ICで降りて国道252号線をJR只見線(全長135km)と交差しながら走る。夕刻迫る5時過ぎに関越道堀之内ICで帰途についたものである。

 只見町  ブナ原生林   只見川 阿賀野川
 燃えるような紅葉 表層雪崩 奥会津  越後丘陵  山脈

 只見線は2011年の夏に豪雨被害にあって、只見駅と5駅をはさんだ会津川口駅間が不通になった。その後、ずーっと廃線のうわさが流れていたが、最近になって2021年までに全線開通予定と決定したのである。

      

 六十里越しの開通記念碑(あの当時の田中角栄内閣総理大臣の揮毫である)。ここは蛇行するスノーシェッド(覆道・洞門)が連続していて難路である。これは雪害、主に雪崩から守る道路施設である。位置的には新潟県側になり、冬期は通行止めになる。
      

      

      

 田子倉ダム
      

      
 途中に戊辰戦争で新潟の長岡藩家老である河合継之助の臨終の地である会津塩沢駅近くの記念館に寄る。
      

 只見湖
      

      

      

      

 道の駅尾瀬街道みしま宿
      

      

       

      


 
  
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新潟土産としては・・・・・

2018年10月17日 17時11分33秒 | 地方・故郷・方言
新潟は相も変わらず、天候不順が続く。わたしとしてはなんか、曇天が多い日本海側の気候をしみじみと考える。しかし、それはそれとして、近いうちに千葉へ2回目の帰葉をする。
 それで、土産として以下のものを用意している。

 昨年から一般発売されたコシヒカリの選抜品種で南魚沼産の「新之助」¥650+税 900g(6合)、先日行った奥只見湖で買った入手が難しい高たんぱくの「とち餅」と舞茸、なめこ、平茸の「きのこ汁」の缶詰、実物をいまだ見ずにいる佐渡の「おけさ柿」の饅頭である。
 わたしはへそ曲がりで土地の土産物を選ぶ場合、それ専門の売店や店舗での購入よりもこんな風にして持ち帰る。かつては単身赴任先であった宮城県気仙沼市では魚介類が多いのだが、わたしが普段日常によく利用するスーパーで買いそろえたものである。



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良寛和尚の五合庵を訪ねる。

2018年09月06日 13時07分57秒 | 地方・故郷・方言
燕市内の国上山に良寛和尚の五合庵を訪ねる。21号の台風一過、眼下に信濃川大河津分水が見える。 
   良寛はひとり 
    山がらや苔むしたり
     五合庵

※以下は良寛和尚の『草堂集』による。
    索々五合庵 室如懸磐然 戸外杉千株 壁上曷数編
    釜中時有塵 甑裡更無烟 唯有東村叟 頻叩月下門









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故郷の面影

2015年11月17日 06時36分59秒 | 地方・故郷・方言
ここでは、故郷の面影をたどる。


 わが家へのいつも行き来した道のり、こんな風にアスファルト舗装までしているとは、わたしは思わずとまどう。当時はでこぼこの土の里道で、右側に雑木林があり、3mは低くなった片側には小石混じりの畑があり、日当たりが良くて大麦、大豆、小豆、それに養蚕用に桑畑があった。その隣地には沢を挟んだ小高い山は萱が生えて萱刈り場になっている、その叢生している合い間に山百合が咲いていて、百合根はよくここで掘ったもの。この山の今は薄暗い杉林に豹変した。
 当時の高低差や立体感が記憶と意識の上で生々しくもよみがえる。
 たまに道の溝には砕石が敷かれる。変な話だが、学校帰りには車の通った轍を確認しながら歩いた。当時は自動車が珍しくて単車(オートバイ)のみ、リヤカーや大八車や牛車などの荷車しかなくて、新しくなにかいいものを運んできたのか、だれか来たのかという子供心の思いだ。他愛もない。今は枯れ葉が散り敷く。

 これは地元ではありきたりの柿の木だが、昔、旧正月のころの風習、父と“果樹責め”のやり取りをしたことを覚えている。こんなにも渋くて貧弱な果実だったのか、あれから60余年、同じ木だが、太らない。なんだか、うらぶれ感がする。

 柿の木に隣り合った水木(ミズキ)であるが、やはり太らない、日照状態が悪くなっているせいか。もともと成長の早い木のはずだ。わたしにはこの水木の樹姿や枝ぶりや一年枝の赤みはいいものだと、ここで刷り込まれて来たような気がする!

 燐家のなつめだ、やはり残っている。今が食べ頃、しかし外聞をはばかりわたしには拾えない。これは、なつかしい味覚である。

 当時は沢水をせき止めて飲み水につかった。確か、ここに共同作業で、砂や砂利を組み合わせて水を漉して水源を造り塩ビ管を剥きだしで各家に配管していた。今は小さな砂防ダムになっている。

 “後三年の役”の戦場跡は刈田になる。後景は、改築を重ねて新築した三階建てのわたしの母校・小学校である。併設してあった中学校校舎は統廃合により他所に移った。
  
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わたしの紅葉めぐり

2015年11月12日 05時46分45秒 | 地方・故郷・方言
 ここでは紅葉めぐりの写真を並べたい。画像は選んで22葉。わたしは撮影マニアではなくても、その腕前にそこそこ少しは自信がある。11月3日、文化の日、まあまあの好天気。デジカメだが、アングル探しと自生林の樹種構成を見つめ、それぞれの紅葉の発色具合に興味がある。
 紅葉狩りというと、京都などの寺社の観光地に行くものと思い込むが、いえいえ、とてもとてもあんな人工的なもみじには納得がいかない。前提は背景になる伝統的な建造物ありきのもの、シチュエーションのみのもの。例えば東福寺、あれは、植えられた樹種がイロハモミジ系のみの単調な集合体だ。パレットで単に色を塗りつぶしたり配合しただけではないか。微妙な味わいは身近なところにある。まあ、こう思うのも幾多もの紅葉行脚のせいか、はたまた寄る年波のせいか。

 主に県道や市道をワンボックスの軽自動車(ついでに言えば車内装飾なし、手動式ウィンドウの古いタイプ)で縦走しているが、撮影の半分以上は運転席からフロントガラス越し、時には道路の左側にウインカーをだし停止する。追い越す地元の車は何だろうと不審がちである。それはそうだろう、都市部よりも地方の方がクルマ社会だ、とても散策している人は見当たらない。とてもわたしみたいな風変わりはいない。今回は俳句は浮かばず。無人の境地にいるみたいである。
 大雑把に言って、当地では紅葉時期のピークは10日前ぐらいではないかなと思う。民家の近くでは鈴なりの柿の木が目立つ。華やかな添景だが黄色い果実は渋く小さくて誰ももがずにいる、食料として重要ではない。風景としてはいいがそういったものでもないだろう、何事も生活第一な筈である。
 総じて感じるのは、ここは深山とは異なり紅葉、黄葉、白葉などの錦織りなす色彩とまではいかず。ヤマザクラは葉を落とし、褐変しちじれた大葉を付けるホオノキ、ハンノキは赤変せず、ミズキは色がよく出ないなあ。やはりちょっと、関東と違う。葉は紅葉を終えグレーの幹や枝ばかりのケヤキ、イヌブナ、コナラ、クヌギとかの広葉樹、山峡、耕作地、里山や牧場、標高500mの高いところでは白い幹肌の白樺、カラマツの黄葉もある。

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            

            
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田園追想

2015年11月10日 05時53分56秒 | 地方・故郷・方言
これはわが田舎、平原のごとく整理されて、田んぼはすでに稲の刈り入れも終わった。たまたま、一台のコンバインが回送を待っているのか置かれている。土手には一度草刈りされてもめげずにセイタカアワダチソウが咲きほこり満開だ。昔はなかった北米から入った強権種の植物だ。昼下がりの晩秋、碧空と暗い灰褐色の刈跡に真っ黄色な配色は広がる。野鳥名は特定できずにいるが、空には タカ が飛翔する。往時を想う。
 わたしの勝手な田園追想のよすがに画像を 3コマかかげる。





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いわれのある白藤(シラフジ)ーー故郷編

2015年10月02日 04時45分11秒 | 地方・故郷・方言
 ここではわが町の命名のいわれのある白藤(シラフジ)を紹介。寺名は藤勢寺で、あの神奈川県藤沢市の時宗の大本山・遊行寺の末寺である。境内に遊行上人の石像が鎮座、木造の阿弥陀如来があるそうだが未見。通常の藤の花びらが淡い紫がかったノダフジやヤマフジではなくて、ここのは白花で珍しい。ヤマフジの変異種か、ニセアカシアのような純白の下垂する花びらだ。町名は藤沢で、その花びらが町章にもとり入れられているのだ。この白藤の樹齢などの由来は、現在のところ、わたしにとっては不詳である。
 生育状況は、かやのきにもたれて覆いかぶさっていて、手入れや誘引作業が必要だ。現在、藤の実の付いているのが見てとれる。

           

           

           
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