うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

自分史作りの本です。

2022年03月08日 11時10分17秒 | 自分史・出版のこもごも
ここでは、自分史について触れたい。
 わが日常の生活は逼塞してミノムシ状態である。引き続きの読書三昧の中で今回は以下の本をあげる。
 ・「読ませる自分史の書き方」工藤美代子/幻冬舎新書/
 ・「自分史の書き方」立花隆/講談社学術文庫/

 自分史は今でこそ自治体など、社会教育目的の周辺団体でこの種のセミナーが開かれるようになった。自分史についてこのブログで書いたことだが、わたしは20年以上前にパソコンが出まわる前にワープロで作ったことがある。ちなみにその頃、膨大な検索機能を持つ便利なインターネットも流布していない。ただただ、自分史作成の続ける意思の強さが問われた。だから、両者の本の内容については過去の思いを想起しながら文章をたどったものである。
 工藤美代子のは全くの初心者向けのノウハウ本だ。目次には全段における章立て、エピソード、その執筆のコツなどはいちいち最もなことではあるが、最終的には商業ベースに乗せることを目的にすることについては、今思うと全くその通りであると思う。
 わたしの場合は、40代前半、人生、自分と何か、難しく心理学用語で気取って言えばアイデンティティクライシスを感じてということになりそうだ。そこで今までの生まれてからの来し方を整理整頓しようということで始まった。それにはたとえば通勤途中の電車の中ででも記憶を思い起こし、それをその場で忘れず必ずメモすること、簡単に連綿と付けていた日記まがいのもある、そしてそれを裏付けを取るために資料にあたることを3,4年の時間をかけてまとめた。
(最終的な当時の作成日、現在:平成12年5月27日・50歳です。この後やはり更新すべきかな、とは思う。)
 当時、造園会社にいて別室の設計室勤務のわたしは、合い間にしばしば気分転換も兼ねてそれを書き込んだもの。露骨に言えば公私混同の時間を費やしたことにもなる。しこうして、ボリュームは写真なしで文字数不明ながらA4判片面で100頁になっただったろうか。完成形はお手製のホッチキス止めの製本である、それを相手の顔色も見ずに身近な人に10部は配ったことだ。まあ、好奇心と覗き趣味でページをめくっただろうが、いづれゴミ箱行きになっただろう。
 おすすめは立花隆の本だ。氏はさすがに手慣れた文筆家である。前者と違ってプロ級の内容だ。文構成の進め方やアイデアもいい。初めての人の文章の書き方の極意とか、まず最初に年表を作るとか、日本経済新聞で長年にわたり掲載されている「私の履歴書」がいいお手本であるとか紹介されている。この本はある大学での夏の社会人向けの実践付きの講座での記録である。参加者がいろいろな構成のパターンをこれでもかというぐらいの内容で作成していて充実している。これはなかなか力作ぞろいであり、一般的な読書本としても成立しているのだ。
 以上で読書感想はおしまい。なぜなら、この手のものは直接手に取って読むものだからである。
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自費出版騒ぎのその後は・・・・・

2020年05月18日 05時26分04秒 | 自分史・出版のこもごも
世間は新型コロナウィルスでざわめいている。4月7日の緊急事態宣言以来、一箇月半が経過、少しづつ収まってきているらしい。ところで、わたし自身にとって昨秋からの自費出版騒ぎのその後は、半年間はああでもないこうでもないという保留状態が続いたが、やっとひと悶着に解決を見付けた格好である。
 ある知人の出版関係者との協議の中で当初の予算組みでは、四六判の単行本の体裁の300頁で120万円であった、つまり軽自動車購入代金に相当する予定であった。しかし編集作業を進めると、かなり大部になり上下巻に分けてもゆうに普通タイプの1BOX車1台分、250万円前後の費用が見込まれる予想になった。発行部数は100部でも 300部でも費用はそれほど変わらないらしい。
 もう一つの問題は身近な人に配るにしても誰が興味を持って読んでいただけるか、ということ。世間の通り相場の批評では自費出版するからには、著者は所詮うぬぼれが強くて自己顕示欲の固まりそのものである、ということになるだろう。そうなると、第三者の客観的な評価が欲しくて、わたしは今まで二の足を踏んできたのだ。

            
            

 自費出版の動きについてはこのブログの一連の記事で触れてきている。現時点で、14年間分のブログ記事をwordにまとめて紙媒体でまとめた。それは画像にある通りハードカバーのA4-Sのファイルにしたもの。片面印刷で5センチの厚さ、製本時の分量では両面600頁に及ぶだろう。過去にはワープロでまとめた 『極私的造園設計経歴書“緑の仕事(自叙伝ふうに)”』 につぐもので、これはこれで400字詰め原稿用紙換算で400枚くらいだったか。
 構成は、表紙・章立て、まえがき・目次・経歴、本文で成り立ち小話形式の566話である。当初は今までの俳句の全収録のみを考えていたが、半ば過ぎから文学的な内容に飽き足らなくて日常生活や緑に関するもの、業務全般になり、全体的には文章の展開がエッセィ主体に変貌したようである。勿論、ギボウシ、樹木医的な記述もある。
 これらは紙面による永久保存版で、それにバックアップとして電子データはPDFで別のUSBメモリーカードに収めた。
 もし、このブログ愛読者のなかで読みたい方は連絡頂きたい。いわゆる、今はやりのKindle(電子書籍)版ということになる、全容量が5MBもいかないのでそのPCのメール環境にある方だけになるが・・・。 

 また、わたしから数人に試読を強請!した方々の感想については日時をあらためて触れて行きたい。
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自費出版 その 3

2019年10月21日 09時43分07秒 | 自分史・出版のこもごも
自費出版についてですが、出版担当者と打合せをしていく中で、最終的な原稿であるテキストではページ数の半分削減やせっかく自前で準備したカラー、縮小画像が使えないなどと色々な問題が出てきて修正が必要になってきた。わたしにとって今までも結構心理的に重いのだが、ウーンと頭をかかえ込む。予定では判型が四六判、400ページ以下です。本の題名は仮ですが ≪うざねはかせの身辺雑記≫ である。
 とりあえず、本文以外ではあるが、梗概とも言える【まえがき】をアップする。いつ、出版するか、年内は厳しそう。このブログ購読者で、物好き(!?)で興味のある方はメール(hah05551@ams.odn.ne.jp)にて住所・氏名・連絡先を記入の上ご連絡ください。なお、頒布価格は¥2,000以下を予定しています。

まえがき
『わたしは、元々、日記風なものをつけるのが習慣になっていた。それは東北の岩手県の高校を卒業して上京以来、二十歳前後くらいからだったと思う。その頃は大学ノートを利用していてまるで三年連用日記の如しで数十冊に及ぶ。それがWeb上のブログにつながる下地になった。その結果、今では単身赴任で身についた些細な習慣だが、単に小遣いや買ったもののレシートをノートに貼付けたり、天気のみの内容になった。
 その頃のわたしは、対社会的には井の中の蛙で、その食い違いにわたしは20代後半まで右往左往し続けた。時代の社会背景にはベトナム戦争反対運動があり、大学紛争がある≪70年安保≫の世代である。それらが、わたし個人に遡及したとは一概に言えぬが周囲との違和感、孤立感、内面的な葛藤がわたしを現実的には迷走させた。都内の大学へも2度入り、専攻は文系であるが、どちらも学費未払いになり中途でやめた。それらは結果的に生活に追われて学費どころではなくという理由だ。しかし以前もその後の人生においても誰からも物質面、金銭的な援助は受けていない。
 やがてわたしは、人にとっては、俗世間の観念や既成概念にとらわれずに、何事においても生活第一でありその生きていくこと自体の日々の生活感に哀歓や機微、身近な周囲の人との幸せが大事である、と気付く。それでは生活費を得る進路はと言うことになるが、わたしは土をいじったり植物である生き物が大好きだと思いあたり、就職の道を造園という新分野に決めて職安(現在のハローワーク)で探し千葉市内の造園会社に勤め始めた。建設業界というプリミティブなものを造り生み出し目の前に形になって残る、という業界にひかれたのである。
 このことによって、それまでの自らの夜郎自大的な放恣な行動とそれに相反する隠々滅々な内面を隠した生き方ではなく、オープンで自立的な生き方をする契機となった。新たな進路はほかとくらべて年齢面、人生設計上からはどちらかと言えば遅いスタートであった。その直前に、わたしは地元千葉で生涯の伴侶を得て結婚した。そして子供が生まれ家庭を持つ。現在は人材派遣会社に所属し施工監理職についている。国内のあちらこちらに赴任し、造園から土木の技術者で給料をいただく立場にいる。
 今までは、プライベートに限ると20代の頃に大学の文学サークル誌に短編小説、孔版印刷の個人の雑文集、次いでその頃に出回ったワープロにより平成9年に“自分史”、また平成16年に極私的造園設計経歴書“緑の仕事(自叙伝ふうに)”を冊子にまとめたものである。また、当時の造園会社在社時に設計室として、ドラフターによる北鎌倉の邸宅庭園や品川区内の天王洲アイルPTを含む自作作品の“設計図集”を発行したことがある。
 このブログ(GOO)はあるホームページ制作会社の女性担当者からすすめられて始まった。わたしの ≪うざね博士のブログ≫ はコメントが少ないのが特徴であるが、その代り過去の記事を辿ってくる購読者が多いのに驚いた。ブログは始めてから14年目で、現在の毎日のアクセス解析を見るとPV(閲覧数)も多く、UU(訪問者数)はコンスタントに250前後はカウントされる。
 このような言わばブログを底本としてこの本が生まれた。わたしのブログは一般公開の記述主体で写真が多いのだが、媒体量の大きさもあり今回は大部分を省略している。この文章の始まりは長年勤めた造園会社を業務縮小に伴って退社、千葉県のあるプログラムにより起業して、自営後の55歳の時からとなる。ここでは時系列にしたがって年代記風に叙述されている。年齢的には55歳から69歳にあたる。内容はおもにコラム主体だが、完成度の高いものにした。ともあれ、わたしの人生上の来し方行く末として眺めると、わたしにとって、ここで本を作ることは物心両面の自己完結の一部を目指したものである。
 俳句は303句を収録。これは私の場合は40代過ぎてから心の内から湧き出したもので、俳句作りは意識的なものではない。学習的な要素は全くなくて、季語を調べ歳時記を読んだり句会に出たり吟行に参加などということではない。ただただ、日常の暮らしの口吻が残る俳句を、ということである。句の中身は、子供のこと、国内外の旅先でのこと、東日本大震災、亡くなった弟、遭遇した巨木、日常茶飯の事柄である。
 この本の内容は期せずして多岐にわたっている。俳句のほかに読書メモ、起業、公私の対外活動、ガーデニング教室開催、現地踏査、旅行記、草花や庭園、屋上緑化PT新規事業推進業務、公共の公園などの造園設計・工事・メンテナンスがらみ、樹木医活動などがあり一部には技術的な文書も含む。また、趣味的には10年以上にわたるわたし独自の山野草の‘ギボウシ’研究があり、収集、栽培、販売をおこなっている。
 また、ここではブログ特有の性質故に支障が出ぬように、個人情報に政治や宗教、男女間の恋愛事情に類することは当然ながらオミットしている。
 以上、風変わりでつたない内容ではありますが、どうか、皆さまの忌憚のないご感想をお待ちしております。  令和元年10月21日』
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自費出版 その2

2019年10月05日 06時09分44秒 | 自分史・出版のこもごも
10月は神無月、もうすぐ時節は寒露だ。わが家の紫苑も咲き始めた。
         
         

 自費出版の進捗状況について書き込む。
 進め方としてはこの「うざね博士のブログ」をベースにしている。このブログは2005年10月に始まり、14年という長い年月にわたっていて我ながら驚いている。振り返ると記事数は696数に及び、2,3日に一度の割合で更新してきたことになる。編集にあたっては当然ながらページはその時系列にしたがって年代記ふうにまとめざるを得ない。ただ、話題があっちこっちに散らばっているので、はたしてどうかと危惧する。俳句やエッセイ主体とは言うものの、なかなかそれだけではないのだ。
 まず、記事をwordにコピーするがそれだけで2週間はかかった。その間自分が作成したにもかかわらず、思い出すように読み耽ることもあり、懐かしさもあるが我ながらおかしい。実は「うざね博士のブログ」自体の保存の意味合いもあるのだ。それから再度wordにテキスト「本文」として記事の取捨選択してピックアップするのだが、文章の推敲、事実誤認事項の修正、誤字脱字の訂正、文の意味の曖昧さを省き明瞭な整合性チェックなど、次第に完成度のあるものにしていくのだ。分量は3割程度のカットになるだろうか。          
 「本文以外」として、体裁、装幀や表紙、章立て、目次、まえがきに貼りつける写真の選択にやはり2週間はかかったか。最終的なボリュウムはまだだが、ほぼ、これで出版社に渡せる。この作業は台風15号の停電日も入れてなんだかんだで一か月は要したことになる。さて、いくらの見積りが出てくるか。製本内容は、出版後の展開はどうするか。発注はそれからだ。
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自費出版の準備

2019年09月18日 18時46分17秒 | 自分史・出版のこもごも
実は現在、わたしは自費出版の準備を進めています。年内をめどに刊行して一部の書店にも可能であれば配本する予定。判型は小B6判、300より400ページ相当の見込み。
 内容的には日常の身辺雑記中心の俳句やエッセイ主体ですが、園芸・造園や樹木医の分野にもこだわらず読み物として充実させることになります。9月に入って始まった元原稿をWordに落とし込み作業がやっと完了し、ほかの原稿も加えるべく検討の上に検討中です。これから装丁、体裁、カット、表紙、本文、目次、章立てなど、懇意の出版社と鋭意協議中です。いづれにしても単行本として、きめ細かくて質の高いものを目指したいと思う。
 このブログでも今後その経過を紹介していきますが、ブログでの頒布も可能になります。どうぞ、ご期待くださいませ。
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自分史のことを・・・

2011年01月20日 04時55分38秒 | 自分史・出版のこもごも

寒い日がつづく。今日は大寒だ。野外の仕事はつらい。節句、それに春一番までの辛抱だ。

 このごろ、仕事が忙しい。日曜日のみの休日になっているのだ。それも、一日気ままな本読みでつぶれる。ところで、新たなに自分史のことを書くカテゴリー(左側の蘭)を設けたのでお知らせする。きっかけは大阪の知人に送った7年前の自分史の草稿をみずから読み返したり、誤って買って読んだ 色川大吉さんの 「ある昭和史-自分史の試み」---中公文庫 による。古い記事を整理していきながら、そのうちに、この本の感想を言いたい。

          

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自分史文学賞のこと

2008年05月08日 02時54分55秒 | 自分史・出版のこもごも

 5月2日、福岡県の北九州市役所から報告書が届いた。第18回自分史文学賞のこと、昨年9月末日に締切ぎりぎりに郵送、今年1月17日に応募結果が発表になった。それから、春先に講評があるとの連絡で、実を言うと非常に心待ちにしていたもの。丁寧な対応とはおもっていたが、残念なことに選外の作品の選評はなかった(つまりわたしの作品にも)。個別にはない。この分では、1次審査も通過できなかったんだろう。期待はずれで、気分は陰々滅々とまではいかくても、これはこれで結構、粛々たる気持ちである。
 書き直しして、何度も応募して大賞を受賞した方がいたそうだが、わたしの場合そもそも制作するモチベーションが違うからなあ、でもどこかで出版してみたいものだ。どうも、わたしの作品の場合、情景描写がなく論述っぽいのだろうか。文学ではないな。この賞と趣旨が違っていた可能性がする。

 応募総数377、このうち60歳以上が294にのぼる。なんだろう、これは。うーん。おもな題材として、太平洋戦争の悲惨な時代、社会背景がからんでいるのか。この世代にとって、生涯を振り返るときに避けられないパラダイムなのだろうか。
 1次審査作品 公表されず
 2次審査作品 48
 3次審査作品 17
 最終候補作品 7
 入選作は大賞1、佳作2、北九州市特別賞1である。
 これで、永久に北九州市を訪れるチャンスがなくなった。かつてあれほど、月一のペースで行っていたのに。門司港レトロ、日本のリバプールなどとは、もう面映ゆくて言えないな。残念至極である。

 興味のある方は下記のサイトをのぞいてみてください。
   北九州市自分史文学賞
            
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自分史文学賞のこと

2008年01月28日 07時20分17秒 | 自分史・出版のこもごも
屋外は冬曇り、この休みの期間、わたしはぐだらぐだらしている。この頃寒くて、寒くて、三食を食べたら、リビングでソファに毛布を肩までかけてテレビを寝転がって無為徒然として見ているか、ベッドにもぐりこんで布団をかぶり古く黄ばんだ月刊雑誌を読み、うつらうつらしている。身なりも構わない、いぎたない50男の日常だ。

 そんな中に、先週、先日、1/21付けで北九州市役所から“自分史文学賞”の連絡の郵便封筒が来た。これは“生物分類技能検定”の結果と共に,わたしは玄関のポストを探り今か今かと待っていたもの。もちろん、入賞は無理で受賞作品の決定とそのセレモニーの内容である。377名の応募者がいたらしい。
 なんとなく、なるほどこの世界にも文学修行というものがあるもんだ、と感じた。
 北九州市自分史文学賞

 このコンクールは対応が誠実で全ての応募者に選考経過を、後刻、教えてくれる。どの段階までいったのか、第三次選考までいったのか、わたしとしては選評が待ち遠しい。このような個人の孤独の営為に対してかくあって欲しい。以前わたしの高校の漢文の恩師がきめ細かく感想を便箋で送ってくれたことがあり、それはことのほか嬉しかった。今回はマイナーではあるが(失礼!)、かつて直木賞を受賞した北九州市ゆかりの小説家3名(審査委員)がそれをしてくれるらしい。場合によっては北九州市立文学館に生原稿として展示されるらしい。
 当然なことに、わたしのまわりには文学仲間も同人誌サークルもいない。もっと言えば、そんな高尚な趣味を持つ交友関係、創作作品を批評しあう文学環境にない。
 そう言えば、自分史の原稿を以前送った新風舎という出版社が民事再生法適用の申請を裁判所に出していたのだが、事実上この一月にも倒産寸前にあるらしい。これは新聞の三面記事で報じられていた。
         
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自分史文学賞の申し込み

2007年10月01日 05時31分03秒 | 自分史・出版のこもごも
昨日、午後5時半、やっと‘自分史’の応募原稿を近所のコンビニから、ゆうパックで送った。30日が締切日、当日の消印まで有効とのこと。受付の馴れないバイト少年に催促しながらであったが。

 以下にあらすじだけを公開する。

  《梗 概》
    
    緑の仕事(自叙伝ふうに)---極私的造園設計経歴書

   この自分史は既に3年以上前に出来上がっていた。その前にも、実は年譜形
  式の自分史らしい自分史を取りまとめていたのを下敷きに書いたものである。
  その時は今までの来し方を振り返るというもので、一般的と言える記述内容で
  あった。
   今回は仕事と生き方に縦軸をとり、振幅の大きいその過程を横軸に具体的な
  行動から模索の結果をまとめている。
   わたしは造園設計という仕事の道を独自に歩んだ。勢い、専門用語の羅列に
  なりそうであるが実はそうではなく、その記録は専門の造園業界以外の一般読
  者を予想して書かれた。
   と言うのも、日頃から、わたしは専門的な技術用語をわかりやすく伝えられ
  てこそ本当のプロと考えていたからである。
   内容は、『はじめに』でその執筆の動機と経過に触れて、『まえがきに代え
  て』で造園設計の業務について、わたし独自の構想デザインの源泉ほかを述べ
  ている。次に今までに置かれていた実際の仕事の現場を、具体的に『造園設計
  のスタンス』で振り返ってみた。
   次は言わば本文に当たるもので、『造園設計経歴書』が始まっていく。東北
  の生まれた土地の風土と人文と歴史を、【郷土誌】、【人物記】、【故郷再
  訪】、【志望動機】のトピックスを含めて詳述していく。【本文】では所属し
  てきた会社ごとに逐一まとめたもの。
   最後に、【あとがき】では、生きてきた道を内省している。また、デザイン
  職とこの造園業界の将来に思いを馳せている。
                                  以上

 週末2日間の休みがありながら、なかなかその気にならず、結局昨日の午後、あわてて2時過ぎからまとめたもの。これは例によって、わたしのグズグズした困った性分のなせるもの。
 内容については、もう少し噛み砕いて記述し一般受けを狙った方がよかったかも。ただ、以前に回読してもらったら、20代の若い方には評判が良かったもの。
 ボリュームはワープロ原稿45字×35行で62枚になる。400字詰の原稿用紙に換算すると、244枚に及ぶ。
 だが、一般公開は望み薄だろう。本屋の店先に並ぶのなんて夢のまた夢。
 来年1月に発表か、選考経過についてはこの場に書く予定。

 興味のある方は下記のサイトをのぞいてみてください。
   北九州市自分史文学賞
           
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締め切り間際の自分史コンクール

2007年09月27日 06時58分03秒 | 自分史・出版のこもごも
秋雨前線もどこへやら、今日は日本晴れ。蒼穹とも言うかな。

 自分史コンクールの締め切りがこの月末だ。やっと、知人に預けておいた原稿は取り戻せた。あとは梗概を800字以内でまとめて応募するだけだ。
 私の場合、自分史の特徴は、人生を振り返って仕事、生活面を綴るのではなく、その逆だ。これはユニークな視点と自負している。仕事にからむ専門語、業界用語を用いながらも、そこから世相、人の一生を照射した。むしろ、内容は一般の読者を対象にしたものである。

 と思っていたら、ページ数の短縮作業があるのに気付いた。誤字脱字のチェックはいいが、これは時間がかかりそうである。はたして、この休日の一日で間に合うのか。
 これはこれは、ややっ、時間とのたたかいになりそうだ。

 めっきり夜は寒くなって来ている。が、わたしの心はザワザワとして頭はすっきりしてきている。
      
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北九州市には

2006年03月09日 18時19分49秒 | 自分史・出版のこもごも


 急な話だが、来週には用務で北九州市に行くことが決まった。
 今までに九州で行かなかった県は沖縄と長崎であるが、わたしにとって福岡県
は通り過ぎただけである。特に一番行ったのは鹿児島県で5,6回になる。黒豚・き
びなご・さつま揚げ・かるかんなどわたしにとって、とても好きな土産品が多い。

 そう言えば、むかし北九州市が主催して「自分史コンクール」があり、応募要綱
を取り寄せたものだが今でも続いているのだろうか。あの時は、タイミングとペー
ジオーバーで投稿しなかったが。
 ちょうど世相は隠れた自分史ブームの頃で、地方自治体としてはそのさきがけと
なった筈である。

 飛行機で行くと、前後の時間が2~3時間ずつ余裕があるので“松本清張記念
館”でも寄ろうかと思う。
 旅行、地図大好き人間としては、生憎、どうも北九州市方面はうとい。面白いと
ころとか、ほかに思いつかず、どなたか教えてください。

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