うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

山本七平の「洪思翊中将の処刑」について

2021年12月19日 06時22分19秒 | 山本七平さんのこと
師走の候、わたしは福岡から帰って一ヶ月は私的に忙しくて、生活習慣の癖ややることにいちいちちぐはぐなことも多々あったのだが、わたしもどうにか平常に戻ってきた。まず、コロナ禍で故郷岩手への行けなかった姉の墓参りは一泊だが、急遽、家内と行ってきた。
 身辺の引っ越し荷物の片付け、資料や書類整理。退職に伴う手続き。健康診断証の国保への切り替えと定期的な診療。ギボウシの株分け、発送、ホスタガーデンの補植、わが家の庭に他所に置かせてもらっている車庫とその庭の剪定と清掃整理、草花の鉢上げ、玄関の飾りつけなど。おっと忘れていけないのは、勤務先へのお礼である落花生の新豆の発送など。後に残っているのは年賀状書き、またこれから大事が予想される会社法人登記の解消、未成であった樹木医がらみの調査報告書の完成、今あるホームページを生かした造園デザイン・工事への再展開になるか。
 まあ、わたしとしては、仕事をしなけりゃ、稼がなけりゃという強迫観念に迫られていた以前とは異なり、のびのびと日常を過ごしていることになるだろうか。
 しこうして、この頃は今まで連綿と続いてきた読書癖に行きつく。読書は再読が多い。最新は山本七平もので、「洪思翊中将の処刑」を読み耽っている。ここでは、あまりいいことではないが他人のその読書感想文を紹介する。プロの書評家ではないだろうがわが意を得た良質な文章を見つけた。著者がこんなにも隣国韓国の民族性に詳しいのが驚きでもあったが、自身の大東亜戦争の兵役体験が背景にあり切実みのある記述であった。
 以下、はAmazonでのレビューであり、おおいけんすけ氏には誠に申し訳ないが、勝手にアップさせていただいた。もし、このサイトをご覧になっていたらアクセス願いたい。
**** ****** ***** ****** ***** ****** *****
おおいけんすけ
5つ星のうち5.0 感動的な名著
2017年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 洪思翊中将の処刑はいずれは読まなければならない作品だと思っていた。山本氏が一番書きたい作品を書いてくださいと頼まれて書いた著作がこれだったという。
〈韓国出身者の陸大卒の将官が、日本帝国に忠誠をつくし死んでゆく。〉こういう筋書きなら、誰もが食いつく興味深い話である。
 しかし、言うまでもなくそんな単純な話ではなかった。洪思翊は確実に祖国韓国にたいして思いを抱いていた人であった。祖国が独立した暁には数学の教師をやりたいと思っていたような人である。韓国独立にかかわる運動を起こしてもよさそうな人でもあり実際に期待もされていたかもしれないが、結局積極的にそういった運動にはかかわることがなく、フィリピンにおける捕虜収容所の責任者としてその職責を全うし、問われるべき罪もないまま最初から筋書きの決まっていた裁判の判決を飲んで死んでゆく。しかも何も弁明をしなかった。
 山本氏は米兵の日記などを丹念に読み込み、日本軍が捕虜米兵に対して残虐的な行為は何かのアクシデントみたいなことはあったかもしれないが恒常的にはなかったであろうという結論を出しておられる。洪思翊中将の処刑の話なのに米兵の日記が数章にわたって続くのでいささか奇異な感じにとらわれたが、山本氏は洪思翊の冤罪を晴らしたかったのであろう。山本氏自身がフィリピン戦線にいて、この戦闘の一当事者でもあった。しかも中将の死に立ち会った片山牧師に処刑場建設の話を聞き、どうやらそれは山本氏も建築にかかわっていたことを知った時の衝撃を記されている。こんな偶然があるのだろうか。洪中将は死後もなおその人格が高潔であり、その人間性が今もなお語り継ぐべき内容を持っているからこそ、脱線のように見えるが、冤罪を米兵の手記を通して晴らすことは大切であった。
処刑台に上がるときにぽつりと甲種合格ならぬ、「絞首合格だったよ」と冗談を近くにいた日本人に漏らしたという。ドストエフスキーが砲口に向かって突撃できる兵隊でさえ、死刑の判決は精神的に耐えることができないという、と山本氏はおっしゃっており、昔の軍人は処刑台に臨んでも平然としていたというイメージとは違うことを書いている。事実この時に独房で近くにいた山下奉文大将は「おれは東条の奴に売りとばされたんだ」(片山牧師)という言葉を残したという。山下のような勇猛果敢なイメージの男にして死に際してはちょっと残念である。無論、洪中将は覚悟ができていたので、そのような取り乱しもなかった。

 辞世は以下の通り
・くよくよと思ってみても愚痴となり 敗戦罪とあきらむがよし
・昔より冤死せしものあまたあり われもまた これに加わらんのみ

 「片山君、何も心配するな。私は何も悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな」と逆に片山牧師を励ました。時間が来てMPが近づくと落ち着いて立ち上がり、「片山君、君は若いのだから、身体を大事にしなさいよ。そして元気で郷里に帰りなさい」と別離の言葉を送った。
 マッカーサーは遺骨を遺族に渡しもしなかった。洪中将は夫人と一緒になるために墓も立ててあったのである。このあたりの行為は死後も罪人は罪人であるとする中韓との態度の類似性が認められよう。
最後はこう結ばれている。
 「もちろん洪中将は、いわゆる英雄でもなければ革命的英雄でもない。いかなる点から見ても、ヒトラーにも、レーニンにも、スターリンにも毛沢東にもなれる人ではない。一言でいえば、彼は「青銅の人」ではなく、血のかよっている人間だった。しかし、青銅の人は果たして人間に何をもたらしたのであろうか。人びとは、その存在の空しさをどこかで感じはじめたはずである。将来の人類に要請されるのは、英雄的な資質よりも、むしろ彼がもっていたような資質ではないだろうか」
 最後は山本流で押しつけがましくもなく、このような偉人が目立たないところにいたのだと光を当てて締めくくっている。洪中将にとって最高の誉れは、山本七平氏のような戦後日本の最高の知性の一人がその身近におり、皮肉にも山本氏は処刑台建築にいた可能性があったがそれゆえに、このような形で死後の冤罪を晴らし、その人格までをも顕彰し、人々に語ってくれたことであったろう。
 極端に逃げる人間は幸いである。右か左か、大東亜戦争はアジア民族の解放戦争だったとか、アジア太平洋戦争は侵略戦争だったとか、それはこの戦争の当事者じゃないからそんな総括ができるのである。そんな両者の話はよく調べもしない紙芝居の類に過ぎない。今のところ言論界では前者が優勢だが、こういう趨勢は出版社が金になるからとそういうたぐいの著者に本を書かせるから起こる現象であって、喜んでそういう本を買っている読者はいささか編集者によって見下されているということを知らねばならない。
 山本七平はそういう底の浅い書き手ではないからこそ、今も生きているのである。山本氏を支えている読者は、山本氏が極端主義ではないところに知性を感じているのであろう。いささか日本教だとか奇抜なこともおっしゃるが、それだけが彼の持ち味ではなかろう。山本氏の熱心な読者こそ、期待の持てる層だろうと思っている。
**** ****** ***** ****** ***** ****** *****
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江藤淳、山本七平さんの享年

2019年07月31日 05時51分57秒 | 山本七平さんのこと
この間、江藤淳の記事を読売新聞で見かけた。連休前に平山周吉さんによる 「江藤淳は甦る」新潮社 が出版されたらしい。値段は¥3,700.(¥5,980.)ということ、そこには多分異性関係とか下世話なことも網羅しているだろうがそれは文筆業としては当たり前のことだろう。ともあれ、安くはないがなんとか入手すべく検討している。
 江藤淳は1999年7月 22日に自殺した。66年7ヶ月だったらしい。今年で20年目にあたる。当時、勤め人であった頃、青山葬儀所の告別式に出るべく行ったことがあるがどうやらわたしが早まったようで一か月先であった。あの頃は奥様への後追い自殺、心中と言われていたが、わたしは江藤淳の自殺は本人の普段の主張と違うじゃないか、と思っていた。こんなに虚弱だとは思わなかった。
 まだ20代半ば過ぎのころ、わたしは市川の江戸川べりの古アパートで逼塞していて、大学にも出ず、収入は日払いのバイトでひとり暮らしていた。アパート代は溜めドアの向こうの音にじっとしていて外出には勇気が要ったもので、自堕落そのものである。そんな中で江藤淳の 「小林秀雄」角川文庫 を折り目と書き込みだらけで手垢が付くほど繰り返し読んだものだ。あの生活から脱出できたのはこの本が契機である。わたしにとって、ウソがなく自立した身近な日常の生活こそ一番大事であり、しかも唯一の生き方の方向であると。すきな事で生涯を終えられたらどんなにいいかと。
 山本七平さんの享年は69歳、1991年9月 28日 膵臓がんで死去。あれから27年目にあたる。山本七平の著作物は、ここ数年毎日のように読んでいる。しかも繰り返しである。わたしの性格上も読書は一回性のもので、こんなことは全く稀なことである。読書する時間も書籍購入費もかなり要している。

 わたしにとって、母が52歳父が66歳と身近な死は早めに迎えていて、近年は動揺とかなくて気持ち的に穏やかで構わないのだが、しかしこの間、両氏の享年年齢に気付き、むっと驚きあわてている。わたしは今、69歳。なすべきことはあるか。わたしはこんなに長く色々と生きて来たのか、と。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本七平の「日本資本主義の精神」

2016年09月08日 03時54分49秒 | 山本七平さんのこと
わたしは暇があると、山本七平の著書に読み耽る。何度も、何度も繰り返す。古い本の紙質はクリーム色が古文書のように褐色がかり、たまにごくごく小さな紙魚(シミ)という虫がいるのだ。むろん生きている。








「にっぽんの商人」は文春文庫、出版は1978年4月10日で、なんと38年前のもの。ここで山本は根気よく国内外の資料を精読し論理的に記述しているのだ。言っていることは古くなっていないし、これからのことに予言的でさえある。ほかに、「日本資本主義の精神」は日本人の原型については、荘園・武士の発生、承久の乱以降、江戸時代から明治、戦争、そして戦後の今になっても変わらない長所や短所を歴史的に解き明かす。
わたしたちは知らず知らずのうちに古典を文学的に読み過ぎたりする。歴史上のこぼれ話や極端にとびでた事件にばかり目が行ってしまう。断片的になってしまっている現代の学者の訓詁的な古書分析や、学生の受験時の切り売り的な知識は、完璧に粉砕されてしまう。時代の趨勢や底辺に流れる日本人社会の推移を見落とす、見方を知らなさ過ぎる。こんな、日本人の無意識の記憶を明文化したものである。
巷間、山本のこの実務的な論述は【山本学】と言うらしいが、現代ではこんな風に展開していく学問の体系はないものか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本七平の「田中角栄の時代」

2016年07月13日 15時28分37秒 | 山本七平さんのこと

 わたしは暇にあかせて、本を読んでいるが、いくら再読しても読み耽るのは山本七平の本である。先日都内に出かけたついでに3件目の本屋でやっと見つけて新刊の「田中角栄の時代」を求めた。実は昭和61年に単行本で「ご時世の研究」の再刊本とのこと。今少し、石原慎太郎の田中角栄を扱った「天才」がベストセラーであるらしいが、わたしにしたらなにを今さらの感がする。石原はあの当時、自民党の青嵐会として活動中。彼は今でも見かけは颯爽としているが、本業が小説家であるならこれほど想像力がない人物であったのか。今頃、気付いたのか。
                 

                 
 山本七平の著書は古びない。「田中角栄の時代」の内容について、山本氏は嫌いなようであるが、その分析力に他の凡百の評論家の追随を許さず、うわべではなく垂直的な判断内容が光っている。新潟の風土地誌、地勢と生活的な視点、政治家としての職務と気質。田中の独創性のなさ(当時の政権構想は他人の受け売りである。)、政治的な展望、発想・展開力のなさ。
 この間来、わたしは大量に書籍を廃棄処分してきたが、山本七平のものだけは残した。彼の著作内容はすべて悲惨な戦争体験から導き出す記述であり、また聖書研究などはコツコツとつみ重ねていく精緻な世界を記しているのだ。透徹性。世の中の真実とは何か。研究室にこもり書籍をいくら読んでもアカデミズムの学者には手も足も出ない世界だ。物事においての立つ位置の確かさ、動機の純粋さ。山本七平の著書は世間では、多分、これからも読み継がれるだろう。
 ところで、同氏の著作のなかで、「ある異常体験者の偏見」にあらためて惹かれる。どうやら、この本がわたしの生涯の本に決まったようである。困ったときの道しるべとなる本だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本七平さんの言い方

2010年05月30日 07時05分24秒 | 山本七平さんのこと
今日の朝の空、なんとか、天気は持つかな。
 わたしにとって、いい本とはその当人と身近に会っているように感じさせる本だ。理非曲直を知っていて、良くも悪くも最後にはそうせずには居られなかったと感じさせる人柄だ。
 わたしは、相も変わらず、山本七平さんの本に取りつかれている。今読んでいるのは “「空気」の研究” である。

 かといって、世の読書好きのように本の内容を紹介して感想文をまとめるのではない。
 山本さんの文章自体は日常の会話体で構成されていて、わたしにとっては大変好ましい。時には微笑ましい。ではあるが、それぞれの著作には、結構、論調に波がある。それは、執筆を本業にしていない山本さんにとっては、真のモチベーションとそれにテンションを持ち、その年代ごとに言いたいことがあったということであろう。全体的に日常の生活をする上で必要な実務処理的なセンテンスが活きており、生来の論理が幾重にもリフレインするような表現も非常にユニークだ。そこには説得してみせるぜ、といった気配はあるが、しかしそこにはインテリぶった衒うようなもったいぶった言い方はかけらもない。付和雷同、右顧左眄の輩、小手先のもの言い、曲学阿世の知識人ではない。やはり、世の虚飾にかまけてはいられない、生死を賭けた自らの戦争体験がそこにある。

 わたしにはなにか、多分最大公約数の日本人の性格(現代では民族の特徴といったら、非常に語感が良くないのだが・・)の変質を時代的な枠組みの中で捉えられているという気がするのだ。近代日本の歴史を通暁した主調低音、世の底流にあるもの。
 だから、言っていることは数十年たっても古くならないのだ。

 もう少し、そういう感じ方考え方に日本の社会は気づいてもらわないと、ちょっとやりきれない気がする。
        
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの中の日本軍

2010年05月12日 04時59分26秒 | 山本七平さんのこと

 山本七平さんの 「わたしの中の日本軍」 を読む。

 第二世界大戦中の出来事、「百人斬り競争」、「南京大虐殺」報道の検証も含まれる。70年ほど時間軸が遅くなっていても、言っていることは決して古くならない。
 わたしは、うーん、おもわず、この語り口、描写力に引きずられる。やはり戦争経験はすごいことなのだな、と感じるが、知識人の属性たる醜さが問わず語りで出てくる。そこで、戦争当時の新聞に携わったマスコミ人の犯罪が執拗に追及される。
 職業的に言えば一般社会と違い新聞社特有の身内に甘い体質が露呈する。社会の木鐸、ペンは剣より強し、言論の自由と言いながら、報道しっ放しの無責任な言動が多いのだ。実態はどうか。どんな商売でも職業倫理があるが、新聞社は特に必要とされる職業だ。

 取材の前線に、頭でっかちで社会経験の少ない若者があたるのはよくない。社会正義を標榜しながらも物事の錯綜した多面性をとらえることができない。逆に、正義にとらわれるあまり、一面的に感情に流される場合もあるのだ。
 もちろん、役所に張りつく記者クラブ制もおかしい。なんでわたしたちの税金を使う必要があるのだ。役所の発表を鵜呑みにしていいものではないし、垂れ流しになるのだ。その場合は各新聞社ごとの見解を必ず記事に付け加えることだ。
 取材は相手先、現場へ記者個人がみずからの足で動いてこそのものである。
 ついでに言わせてもらうと、すべての文章は署名入りの記事にすべきである。社会常識上の責任感を持って、時系列に沿った続報や物事の経過を記してほしいものだ。今までは新聞社は軽く考えているようだが、誤報は必ず謝罪し修正していくのを徹底することである。

 山本七平さんはカトリックの家庭環境で育っているとは言え、ここでの論理は知識偏重からくるブッキッシュなロジックではない。薄っぺらの知性ではない。深刻な従軍体験と出版社経営で見る実社会と人生。極限的な経験を強いられた生きるという意味合いの身体にしみついている論理である。アカデミズムとは無縁、哲学ではない観念論ではない、無手勝流は当り前である。
          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本七平体験

2010年04月25日 05時44分32秒 | 山本七平さんのこと
今は朝。何とか今日は天気が晴れそうだ。これから、たけのこ掘りに行く直前だ。
 昨日、三省堂書店ともう一か所の本屋を回り、山本七平さんの本をあさって歩いた。
‘「空気」の研究’、とそれに‘私の中の日本軍(上下)’である。
 ほかにも日垣隆の‘少年リンチ殺人’、この出版社としては文学系の珍しいPHP文庫の‘東北戦国志’、わたしにとって定期購読と化した‘週刊文春’を手元にあった商品券で買う。たいがいの場合、本を読む行為は、仕事の本や気取りや暇つぶしではないのでわたしには文庫本で十分である。

 インテリを自負する自己顕示欲と頭でっかちの著者が書く本が多いこの読書の分野で、この著作物は本物のモチベーションによってなされたものだと感じる。

 このたびの日本の戦争は第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争、15年戦争と、いろいろ言われるが、わたしには実態的に大東亜戦争が適切な表現だととらえる。戦後は無事に復員したが、従軍した個人の記憶、その戦争の戦役経験については、あまりの悲惨さ故に家族にさえも真実を口を閉ざさるを得なかった人が多い。そして、その方たちは、現在、物故者が多いのだ。
 日本人の記録という面からも、もっと、読まれていい本だとおもう。
 (書き込み中)

     
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人と中国人

2010年03月02日 04時40分36秒 | 山本七平さんのこと
のちこう天候不順が続くと、なんかヨタヨタしている日常の気分だ。
 わたしはこのごろ活字中毒もいいところ、ちょっと暇があると山本七平さんの本を見ている。大東亜戦争の戦争体験がここまで血肉化されるものなのか。表現できるものなのか。わたしに言わせれば戦後は大概のインテリにとっては曲学阿世の世の中、それに反して山本さんの存在は誠実そのものの極みである。
 38年前に書かれた 「日本人と中国人」、過去の歴史にあった豊臣秀吉の朝鮮出兵から始まり、日支事変、日中国交回復による日華平和条約への日本の一方的破棄まで。切れ味鋭い大胆な分析と日本へ対する憂悶の情が横溢してくる。

 今は 「日本的革命の哲学」に移っている。
 山本さんはどちらかと言えば、過激なことを言ってるのだが、しかし、わたしには本当のことに思えてならない。
          
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裕仁天皇の昭和史

2010年02月18日 04時31分25秒 | 山本七平さんのこと
今年は雨や雪が多く、しかも寒い。そこでわたしの場合は体調よりもやる気が失せてしまう。なんのことはない、生来のお天気屋だ。
 わたしだけのことだが、気落ちしたり迷ったりしたときには山本七平氏の本が一番いい。枕頭の書、車中のお伴というわけである。昔、「日本人とユダヤ人」が大ベストセラーになった方だ。

 今、読んでいるのは晩年の著作である「裕仁天皇の昭和史」。大東亜戦争に行って以来の長年のテーマだったと思える鬼気迫る文章だ。人生をかけての論述と衝迫力のみなぎった本。
 なにか、生き方にキチンとしたものを感じる。山っ気やけれんみのない語り口に引き込まれる。
 そこで、今回から新しく、ブログの話題を分けて “山本七平さんのこと”というカテゴリーをつくった。このブログサイトの左側のスペースだ。わたしには読書感想文は性に合わない、日常のなかで、折々に感じたことや拾い読みしたことをここで綴っていくつもりだ。
 山本七平さんのご本もそうだが、ご愛読願う。
 
    
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こちらも・・・

blogram投票ボタン