うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

最近の読書癖です・・・

2022年01月19日 10時56分57秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
12月中旬から今に至るまでわたしの読書癖が凄くなっている。身近な今住んでいる環境でやることをほぼ済ませると、空いた時間の過ごし方がそれのみに没頭気味になるのだ。本当に読書三昧だ。
 まずは日常に気になっていた事柄を確認するために書棚の本を引っ張り出した。建設などの技術関係の仕事関連、樹木図鑑、文学書などだ。わたしは仕事を離れて有り余る時間の内で、それはまるで不安に駆られているようで、なんだか病的だ。しかもその格好や姿態はベッドに寝転んで読む、不活発でまことにいぎたないのだ。常用しているインターネット発注先のamazonにとって、わたしは実にいいカモだ。ここでのもとめる内容は主に新刊が多いが、古書古本も多い。
 次に、年末年始の休暇中に読む本としてamazonを利用するが、それが矢継ぎ早やである。
 松本清張の「ミステリーの系譜」、遠藤周作の「海と毒薬」と「わたしが・棄てた・女」、アーネス・メイスン・サトーの「一外交官の見た明治維新」と古書「日本旅行日記」(1.2)、森村誠一の「老いる意味」と「遠い昨日と近い昔」、岩中祥史の「不思議の国の信州人」、田中修/丹波邦和の「植物はなぜ毒があるのか」、古書のヘンドリック・ハメルの「朝鮮幽囚記」、安田隆夫の「安売り王一代」である。
 「わたしが・棄てた・女」については再読だが、ある個人的な思い出があり別に触れる。幕末や明治維新の外国人の書いた書物は渉猟していてひと通り読み込む予定、森村誠一のベストセラー本、推理小説は未読であるが、この人のエッセイは中身が薄くて買うほどではない。岩中祥史の「不思議の国の信州人」は興味津々、この扱う分野は学問的には文化人類学にまで至るらしいが、長野県は山国で県民性としては北信と南信の軋轢等は世上よく聞くが、さもありなん、面白いの一言に尽きる。ドン・キホーテ創業者の安田隆夫の「安売り王一代」は、色々な経験を踏まえた独自な逆張りの発想法に経営方針や店舗展開には刮目するべきものがある。
 以上ですが、12月の購入費は12/22 ¥5,615. 、12/26 ¥4,807. 、12/28 ¥4,731. 合計して ¥15,153.になる。実はこのamazonでの手配は6月以来になる。
 また今月は、古書は西城八十の「流行歌のつくり方」平凡出版、川端要寿「堕ちよ!さらばー吉本隆明と私」河出書房、藤生京子の「吉本隆明のDNA」朝日新聞社、大牟羅良の「ものいわぬ農民」岩波新書であり、新刊では工藤美代子の「サザエさんと長谷川町子」幻冬舎新書の併せて5冊である。〆て1/17 ¥5,220.になる。
 果たして、わたしのこの読書傾向を 皆さんはどう思われますか。まあ雑学のてんこ盛りです。文系人間は理系と違って関心の及ぶ範囲は広いに決まっておりますが(しかも深い!)。しかし何だか、これでは、インプットばかりで消極的でアウトプットが少ないことになっている。以前、自分史コンクール応募や自費出版も計画(製本レイアウト、下原稿までは揃えた)したことがあったが・・・。
 これから読む予定の本は、清水潔の「殺人者はそこにいる」、サザエさんものの3冊と、アーネス・メイスン・サトーの「明治日本山岳記」、ロシア人のV・M・ゴロヴニンの「日本幽囚記」1~4がある。

 既に読書用の記録帳として、平成10年からで初めは縦の赤い罫線入りの金銭出納帳ノートを転用した、また次からはノートに購入予定や貸出簿の役割で〈書籍、図書資料〉として記入してきた大学ノートも数十年にわたり、現在は足かけ24年?で、三冊目になる。最初の頃は、資料として重要なものには私製の蔵書印で本の表紙の次の見返しのページに番号を振り捺印してきたものである。
          

           
 愛煙家のチェーンスモーカーのように、わたしは購入した本の文中の脚注、引用文献などの参考資料や出版社のその巻末を読み込んで芋づる式に次に読む本を決めていく。今まで、生来、身銭を切り造園や植物図鑑などの専門書類は当初からコンスタントに購入してきていたが、仕事上の展望が開けてからはやけに業務以外の文学系が増えてきたのは、人生で言えば40代ころからか、それが今に続いている。
 しかし、その後わたしは、書庫不足もあり5,6年前に思い切って2トントラック一台分をゴミとして処分した。ご時世ながら、当然、古本買取チェーンの利用も検討したがなんだか味気なさを感じる。当初は田舎の図書館に寄贈も考えたが、面倒になったものである。

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これは うろこ雲 でしょうか。

2022年01月18日 18時29分41秒 | わたしの日常です。
これは珍しい、1月17日の正午から午後2時頃の雲の様子です。この日、わたしは朝からイギリス人による幕末や明治維新の頃の日本旅行日記を読み耽っていたが、たまたま二階のベランダに出て南側の空に見かけた画像だ。何という光景か、太陽が雲を透かして映っている。周囲の山の端や小さな400余世帯の建物を避けて撮った。壮大な青い空一面に、白い雲の配列がリズミカルでとても自然の仕業とは思えない。とても自然の造形や造型物には敵わない。
 インターネットで調べたところ、巻積雲で、うろこ雲、いわし雲、さば雲とも呼ばれていて高度5000メートル以上に現れるらしくて、季節的には夏から秋にかけて見られるとのことである。なぜ今の時期にとは思うがとりあえずアップする。デジカメで撮るときに太陽光線を真っ正面に受けるので出来映えはあまり期待しなかったのだが、案に相違して上手く撮れたのだ。
 後で思い出したのが、20数年前のお気に入りの自句「うろこ雲 見果てぬ夢を念じおり」である。まだ当面する仕事や生き方にしゃかりきになっていた時代の夏の終わりを詠んだものであったか。
          

          

          

          
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今年の年賀状と、今のわたしの感慨

2022年01月04日 10時05分08秒 | わたしの日常です。
下の画像は今年の年賀状です。いつもは葉書ソフト(筆ぐるめ)のみで作成するのですが、わたしのオリジナル好きが高じて今回は自らのストックしている画像から作成してみた。この古いソフトはエクセルをもとに製作しているようだが、仕事用のものとは違って使いずらい、不十分極まりないがここでは画像そのものをその背景のレイアウト上に張り付けたもの。
 富士山 は、昨年、福岡から千葉に戻る途中、11月15日、午後の東名高速道路の富士川SA(上り)からのもので、珍しいことに上手く撮れていた。方角は静岡県の駿河湾からの眺望になるか。それに数年前の6月に行った 台湾・玉山(戦前、日本名は新高山と呼ばれていた。)の日の出で、人物はわたし本人である。もう一枚は昨年9月に家族で行った熊本県の 阿蘇 である。
 ほかに昨年の 長崎県対馬市上島の 韓国展望台 からのものや、鹿児島県の指宿スカイラインからの 桜島 のワンショットを用意したがレイアウト上載せきれなかった。
 それにしても、昨年はコロナ禍にもかかわらず随分とあちこちと見て回った(あるいは車移動だったからか・・)。わたしは〈怒濤かつ進撃の旅〉と称し3月には山口県萩市内から山口市内・長崎県対馬市・別府から船に乗り宇和島、高知市内の牧野植物園、愛媛県松山市の港から山口県の周防大島・佐賀県の唐津、長崎県の平戸島、加えて帰葉時には福井県敦賀市と朝倉氏遺跡、九頭竜湖を踏査した。9月には熊本県の阿蘇、宮崎県の高千穂峡、10月は知人と一緒に大阪から奈良の寺社仏閣の室生寺など、庭園、それに思い立って鹿児島県知覧の特攻平和会館、蒲生町は九州を南下縦断して行ってきた。そして、いよいよ11月の帰葉時には愛知県安城市の デンパーク である。
 すべてこの旅行は軽自動車を自らの運転を介してだが、ほぼ高速道路を使いETCとナビを利用したものである。しこうして、日本縦断とはよく言われるが、わたしの人生の中で日本国内の47都道府県のすべてに行った勘定になる。小さなころからの地図好きの性分もあるだろうか。わたし自身は70過ぎて訪れたこのチャンスに実地に見てみなければ分からぬだろうと思い、人生の行路上、わたしの長年の願望を圧縮したように動きまわり、昨今はなんだかあっけなくて喪失感や虚脱感をおぼえるほどだ。

           
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