うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

花オクラも咲いていた。

2013年10月30日 05時55分05秒 | ガーデニング・庭づくり
秋の花かどうかはわからないが、花オクラが咲いていた。開花はこれで二つ目である。わたしは花オクラの播種を毎年遅れてしまう。したがって、草丈も小さくて、花つきもよくないのだ。
 わたしとしては、この花のクリーム色の地合いと底紅のコントラストが気に入っている。しょうもない話だが、この後、うまく結実してほしいものである。

撮影日時:平成25年10月27日(土曜日)15:00頃

              
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今年の柿は甘くて豊作だ。

2013年10月27日 17時39分32秒 | ガーデニング・庭づくり
 今年も夏は暑くて、その後の台風にも脅かされる日々が続いた。
 わが家の 百目柿 は今年は当たり年のようで、1本なのだが(幹周45cm・高さ3m・枝張り2.3m)、現在は146個でこの見込みだと160くらいは行きそうだ。9月中旬からもぎ始めたのだが今年は粒が一回り小さくて、ゴマがいっぱい入りすべて甘い柿である。今年は植えてから初めて摘蕾作業もおこなった。そのあとで随分と蕾や幼い果実が自然に落ちたのだが、樹上脱渋作用とこの糖度は今夏の高温のせいだろう。葉の紅葉や離葉現象自体は遅い。日記を見ると、昨年は外れて最終的に50個の収穫であった。
 画像には秋の青空にその情景を写し取っているが、二枚目は野鳥がついばんだ果実が見える。計3個もある。いつも柿の木に脚立を立てかけて置いてわたし自身がもぐのだが(柿の枝は折れやすいのでご注意のこと!)、家庭内では食べきれずにいる。もったいないので例年のように知人や勤務先に配っている。ということで、傷んだ実はひよどりや雀が寄ってきて食べる「木守柿」という趣向だ。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。
撮影日時:平成25年10月27日(土曜日)15:00頃



        
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10月21日、ギボウシの花が咲く。

2013年10月23日 05時18分31秒 | ぎぼうし栽培日記
ここでは久しぶりに季節外れではあるが、ギボウシを取り上げる。
 今年の気候は梅雨明けが7月に入ってすぐ、この夏の少雨猛暑のせいと、9月以降の多雨などの季節変化に、この頃はサクラの狂い咲きがニュースになっている。わたしのところでも、今は10月の中旬過ぎだというのに、このギボウシの開花も同じ現象と言えるだろうか。ここのギボウシ鉢はわたし自身が日常的に管理しやすい場所に置いていたもので、夏枯れもせず状態はいい。やはり手間をかければ美しく育ってくれる。
 
  撮影日時:平成25年10月21日(月曜日)06:30

●アバダバドゥHosta‘Abba Dabba Do’
(大型大葉・黄糸覆輪・ 薄紫色系白花・花茎; ・結実;×:・・・芽出し;遅・成長度;早・伸長時期;春?)----Sun Powerの突然変異種。
 2006年11月に入手、栽培は10年に及んでいる。繁殖して現在のストックは10株以上か(芽変り2株あり)。このサイトでもたびたび紹介したが、葉が切り斑状の変異種を数年前に確認して以来、同種の品種固定が育種上可能かどうか株分をおこない生長観察をしている。
          
          

●コバギボウシ(品種名:カピタン)Hosta sieboldii Flavocircinalis‘kabitan’
(小型小葉・緑葉覆輪黄中斑・薄紫色系白花・花茎;中・結実;○:発芽率 優・強健種 根系根量;細根のみ・・・芽出し;中・成長度;中・伸長時期;春)----コバギボウシ実生種、根元が褐色。
 2005年 5月に入手した カピタンは、江戸時代からの古典的な品種とされるギボウシとして斯界では有名だ。このギボウシは愛玩的な小品鉢の典型である。 わたし共の現在の在庫数は5から6株程度か。
          
          


 ※今までのギボウシの育成や栽培については、このサイト左側の、カテゴリー [ギボウシ栽培日記] などをクリックするとご覧になれます。

 ※そのほかの品種のギボウシの詳細な単価・購入方法については、その内容が長文になり恐縮ですが、どうぞ 今年の6/22付けブログ記事をご覧ください。

 ※購入の受付けやコメント、お問い合わせに際しての連絡は、ハンドルネームにて下段のコメント(0)をクリックし書き込むか、少々面倒ですがこちらのH・P 有限会社グリーンワークスから入り、お問い合わせフォームにてのメール等でお願いいたします。必ず、返信をいたします。再確認を必要とされる場合がありますので、その際は、社会マナー上最低限必要な、氏名と電話等を明記してください。提供された個人情報は厳守することを確約いたします。
              

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 映画・“旅愁” のなかの「セプテンバーソング」

2013年10月14日 18時32分59秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
わたしは長時間通勤者だ。4回も乗り換えるのだ。そこで時間つぶしにいつも困っている。そのせいで、途中のJR成田駅の改札口を出て、薄暗くて狭い駅前でひっそり喫煙したりする。また、以前から馴染みだったチェーン店のマロンドのパン屋さんに寄ったり、おいしい中華そば(昔風の支那ソバのこと、¥450.である)を食べたり、門前町である成田の観光土産店をひやかしたりする。これでは、もともと金遣いの荒いわたしのこと、困ってしまう。
 それはさておき、駅前のロータリーには、書店がありその店頭には格安DVDが並べてある。そこで、この間、小津安二郎全集¥1,980.と‘旅愁’の¥500.のDVDを買った。
 20代の頃の若いわたしは、東北、山峡の高校を卒業して上京以来、文化的なもの(?)に飢餓感をおぼえていた。そして、実生活をうっちゃりそんな心を埋めるために渉猟して鑑賞し始める!そして、それは文学の世界や絵画やクラシック音楽に始まる。映画は、ビデオ全盛のころにラブロマンス映画を見ることにしゃかりきになったことがある。同時に西部劇もそうであったが、とどのつまりはヒッチコック映画にはまってしまう。

 わたしは、そんなことで、色々な意味で物知りにまたは純粋な意味で教養深くなったかもしれぬが、その後のわたしの人生がスムーズだったとはとても言い切れない。

 下段の説明はWEB上でひろったもの、貼り付けてみたのでご参考までにどうぞ。ちなみに、歌詞は字幕以外にはいい日本語訳が見当たらない。映画から面倒をいとわず採録してみた。ほかにあればどなたか、ご教授願いたいものと思う。

「セプテンバー・ソング」は、ジョーン・フォンテーンとジョセフ・コットン主演、ウィリアム・ディターレ監督の映画『旅愁(September Affair)1952』のテーマ曲として有名です。映画はイタリアを舞台にしたAffair(不倫の恋)、恋愛劇で、これも九月の人恋しさを感じされる物語でした。この映画はアカデミー主演女優賞を獲ったジョーン・フォンテーンの成熟した演技が印象的でした。
 もともと、「セプテンバー・ソング(September Song)」は:クルト・ワイル(Kurt Weill)作曲、マックスウェル・アンダーソン(Maxwell Anderson)作詞のブロードウェイ・ミュージカル『ニッカボッカ・ホリディ(Knickerbocker Holiday)』の挿入歌。ウォルター・ヒューストン(Walter Huston)はカナダ生まれの俳優で歌手ではありません。そのため声域も広くない彼のために書かれたのが「セプテンバー・ソング」(September Song)なのですが、かえってこれが誰でもが口ずさめる親しみやすいメロディをこの歌に与えました。また、歌詞の内容も良く、「九月の歌」ではありますが、日が短くなるこの時期を愛の感情に重ねて秀逸です。明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しています。あるいは人生の秋、無駄にする時間は無くなり、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味も感じられます。この含みが歌詞に豊かな余韻を与えています。
「セプテンバー・ソング」はブロードウェイ・ミュージカルの発表当時から人々に親しまれており、スタンダードな歌となっていました。それを再びヒットさせたのがフランク・シナトラのバージョンです。この歌唱が今でもこの歌の変らぬスタンダードともなっています。曲と歌詞がシンプルで美しいため、これ以上のアレンジは難しい歌でもあります。一例を挙げれば、ルー・リードのカバー・バージョンもスタンダードに対するひとつの挑戦であるものの、原曲、シナトラを超えるものではありませんでした。

 “September Song”
When I was a young man courting the girls
I played me a waiting game
If a maid refused me with tossing curls
I’d let the old Earth make a couple of whirls
While I plied her with tears in lieu of pearls
And as time came around she came my way
As time came around, she came

[When you meet with the young girls early in the Spring
You court them in song and rhyme
They answer with words and a clover ring
But if you could examine the goods they bring
They have little to offer but the songs they sing
And the plentiful waste of time of day
A plentiful waste of time]

Oh, it’s a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn’t got time for the waiting game

Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November
And these few precious days I’ll spend with you
These precious days I’ll spend with you


・映画挿入歌・ Song:Walter Huston
女を口説いていた若い頃は
 待つのも楽しみだった
 そっぽを向かれフラれても
 時を過ぎるに任せていた
 真珠の代わりに涙を捧げていた
 時がたち想いはかなった
 時がたち彼女は僕のものに

5月から12月までは長い月日だけれど
 9月になると日々は短くなる
 秋の気配が木の葉を赤く燃え立たせる頃
 もう待つことを楽しむ時間はない
 残りの日々は少なく貴重なものになってゆく

[9月から11月へと
 この大切な日々を君と共に過ごそう
 大切な日々を君と共に
 月日が流れワインは熟成してゆく]

9月から11月へと
 この実り多き歳月を君と分かち合おう
 実り多き歳月を君と共に

          
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同級会画像の返礼のお話

2013年10月07日 05時49分10秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 今からたどること、3か月前に、6/21、都内の上野のホテルでわが中学校の同級会が催された。参加者は116名のうち44名を数えている。田舎からは大挙してバスで上京した。翌日は浅草や東京スカイツリー見物が含まれていたらしい。その顔ぶれには、リタイアしたものが多かった。
 その頃のわたしは今以上に忙しくて、バタバタしていて、その後にある人からその模様の写真が郵便で送られてきた。そこで、わたしもそれではと思い、ほぼ一カ月後にわたしの撮った宴会風景のデジカメ画像をA4の普通紙に大判のカラープリントしたものを参加者全員に勝手におくり始めた。郷里の連中には大型封筒で送りつけた。その際についでにこのブログ名を明記して、わたし自身の日頃の暮らしや感想の日記サイトを紹介した。画像の出来は、幸いにも普通の写真に劣らず鮮明に仕上がっていた。
 それからは、予期せずにいたお礼の返信の連絡が入り始めた。遠く宮崎と熊本からは直接に遠距離電話をいただき恐縮した。都内外や岩手県から思い出したようにぽつぽつと、また残暑見舞いをかねたものなどの葉書と、9月下旬には手間代替わりの切手を封入した鄭重な手紙も舞い込む。その数は、10数件にのぼる。
 わたしも実感として分かるが、60代を過ぎると、出身地で今も生活を営む人たちよりも他郷に住み着いた人たちには、否が応でも友を懐かしみ望郷心が募るものであるらしい。それにこの年代は、みずからの余命というか寿命ということを身近に感じ始める。

 ここでのコメント等、何かありましたらかまわずにご連絡をいただきたい。
 またいつか会えれば、とは本当に思うが、ここではかつては同級生であった皆さんに以上の裏話をお知らせをする。
            
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下総の路をたどる。

2013年10月06日 05時30分31秒 | わたしの日常です。
 これは、先週のこと。小学校のグランドに撒く「岩瀬砂」の放射能測定の立ち会いで茨城県央部まで行った。行きは高速道路で、目的地は笠間市稲田の採掘場と結城市内の出荷場である。雨上がりを待ち業務車両で昼一番に出発、すでに秋もたけなわ、稲刈りの農作業も中くらいすすんでいて、合い間に見るそば畑は小さな白い花を一面に咲かせていた。わたしは、そんな、地方都市の田園地帯の常陸の国から下総の路をひたすらたどる。
 帰りは電車で関東鉄道常総線に乗る。わたしはこの地の風景を車窓から見たくて、午後4時35分の一両編成の始発の下館駅で乗車する。ここはJR水戸線との乗り換え駅でもあり、産業的にも地勢的にも拠点都市である。わたしは車内外をキョロキョロする。乗客は学生の下校でいっぱいだ。
 途中の下妻駅で下り電車の通過待ちでわたしはホームに降りる。喫煙のためだ。東の方角には裾野の広がった筑波山があって、その稜線には小さい綿雲がかかる。盆地のこの地域すべてには茜色に変わった西陽が射す。すると、夕方5時のチャイムが鳴り出した。
 ・物の音に からすなぜ鳴くの 遠き筑波

 次に、水海道駅では一両編成からホームの反対側に待機していた車両に乗り換える。リレー運行というのかな。こんな私鉄もわたしには初めてのこと。またも、ヘビースモーカーのわたしはホームでタバコを吸う。ここで、上下の発車時間を勘違いし車内にバッグを置いて出て、失敗をする。少し落ち着かない気持ちで次発の電車に乗る。駅員に連絡して終点の取手駅で無事にピックアップしてもらい、どうやら、事なきを得る。
 その後は窓外も次第に薄暮になり、それにつれてわたしの興味もうすれていく、この線では最新のTX(つくばエクスプレス)と交差する守谷駅も通過して、郊外の街中を過ぎた。
 帰着には、すっかり暗くなり車と同じくらいの時間を要した。
             
     
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パパイヤとポポーの実生

2013年10月02日 05時36分13秒 | ガーデニング・庭づくり

 昨年の秋は仕事先の関係で、わたしは近くの倉庫じみた大型24時間スーパーに通った。その頃は夜勤で自家用車の通勤であったので、大荷物を苦にせず果物をよく買ったものである。なんとなく割安感がしていたもので買い込んだ。選ぶ商品はわたし自身の生来のパン好き、それに木の実であるナッツの類い、口寂しさのせいで米菓子が多かったが、果物は熱帯性の巨大な種子のマンゴー、黒い種子がいっぱいのパパイヤ、温帯性のポポー、新品種の葡萄が多かった。そこでわたしは、世間の園芸好きがするように、食した後に物珍しさもてつだい、もしやと思い四角い鉢に種をまいていたのだ。
 このメキシコ産(?)のパパイヤの発芽は初めは気付かずに見過ごしていた。いや、忘れていた。
 この植物はパイナップルやバナナと同じく草本性らしい。草丈はきわめて小さく幼い。葉形、草茎はあの野菜の こんにゃく の草姿や樹木の とねりこ の枝ぶりに似ている、と言えばほとんど妄想に近い表現かもしれない。
 Web上の知識では国内では沖縄で生産している由、生育の最低気温は15℃ということで本州以北での露地の冬越しはまず無理であるらしい。うまくすれば着果までいくらしいが、とても食べられるほど熟すまでは難しいらしい。
 北アメリカ原産のポポーは4株発芽、この葉は柿に似ている。これはこちらの気候でも生育は可能なようで高木になれば実が着くらしい(果樹特有の雌雄、授受粉の特性上の問題あり)。
 まあ、それはそれ、今後、ちょっとした楽しみである。

撮影日時:平成25年9月29日(日曜日)11:30頃
         
           
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