うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

郷里での樹木調査報告会

2016年11月21日 05時38分17秒 | 樹木医の日々片々

ここではわたしが出席した郷里での10月9日の巨木等の樹木調査報告会について記す。会は同級生の要請で開かれた。かかる費用を安く上げるために、兄の家に泊まり軽自動車を使い二泊三日で千葉から岩手へ帰郷した。その後振り返ってまとめようと思うが、どういうことであったのか。あれ以来一か月以上は経過、なんだかあれこれ思案に暮れているがどうしたことだろう。

 当日の参加者は、市吏員、女性一人含めて、リタイヤした学校の校長、町議会議長、区長、郵便局局員、現役の農家であるわたしの同級生を入れて合計17名参加、どうやら地元では郷土史研究をもとにした学識経験者や名士であるらしい。今回のこの会への参加の呼びかけも限定しているようだ。わたしは、数人によるこの地方特有の会始めの意を込めた挨拶の長さには、あれあれっと微苦笑である。そのメンバーは 「黄海を語る会」 や 「ワクワクセミナー剪定コースの会」 の会員であり、今回を期しそれに新たに 「ふじさわの巨木・名木を守る会」 を立ち上げるということであった。また、以前から市内に多く自生するサイカチの樹木をメーンにした 「一関市サイカチ利用の会」 というのもあるらしい。
今回の動きは規模120,000人の一関市内の人口8,300人が居住する藤沢町でおこなわれた。日本樹木医会等の団体は無関係であり、一関市を巻き込むようにわたしをはじめとして前述の有志が集まって自主的におこなわれたものである。これらは市民活動の端緒であると言えるもので、わたしとしては、むしろ本来あるべき理想的な姿であったと思う。

 都合、時間は2時間を要したが、わたしにとってプロジェクターへの接続不良でPower Pointでの説明は不十分なものであったので、即興的にホワイトボードへの書き込みを増やしたり話題を変えながら進める。雑談風に始めて日常用語を用いて実務的な話にしたつもり。また、実物の見本としてヒノキの切株と枝葉を事前に準備していただいた。質問は7件ほどであった。
 いろいろなことがあった。費用については何とか交渉して交通費だけは頂戴する。今春、同級生に呼びかけて候補樹木リストをもとにした樹木調査報告書Excel(25ページ)作成代は別だが、この日のためにこれまでに準備してきた作業はPower Point(20コマ)、Excel(3ページ)でのレジュメ資料の作成や参考図書の準備に費やした時間数は 4H×7日=28H にのぼるだろうか。
 樹木医事務所登記していれば費用の内訳は外観診断料(報告書作成含む)と宿泊費と交通費になるが、そうでなければせめて実費分は負担していただかないと後がつづかない。このことは正当な対価であり樹木医としての公私ともども社会規範のなかでオーソライズされた行為を貶めないための必要経費、とも思う。今回は縁故と恩義ある自分の生まれた土地ながら、費用はかかるものはかかるしと思うが、こういう場合の難しさを痛感する。すべからく無償ボランティアでいいはずがない。

 今回は樹木医として緊急的な治療は必要ないが、明確な年間管理計画の策定、希少な突然変異種の ガンボクエゴノキ などは樹木を管理する後継者がいないという問題、樹木医相当者不足、市当局の対応待ちとかの要因で課題がありまだまだの感がある。
 会場で新たに21本追加の巨木・名木樹木リストを入手した、ぜひとも現地ですぐ同行し調査したいところだが、わたしにしてみればかかる時間は構わないが遠方であってみれば動きにくく歯がゆい感じだ。そこではわたし自身の持ち出しも嵩むことになろう。出来るだけ謙虚に寄り添って行動したいところだが、地域の全般的な対応の難しさ、まあ、地元の人たちの動きが遅い、管理手法の無知や知識不足という現実もある。顔なじみが集まったサロン風な雰囲気ながらわが町の巨木・名木を大事に守っていこうという意識は感じられたが、これから今後、どういう展開になるかは不明なままである。いづれにしても、樹木の活力に応じて数年ごとの現調は必要になる。今のところ郷里の冠婚葬祭時に帰った際には動く予定でいる。

 ただ、わたしとしては樹木医活動はあらかじめお膳立てされたものではなくて、本来は巨木・名木は地域一体の財産であり自ら探して企画することが根本であり、単に野放図に資格や技術を誇るものではないと感じている。樹木医はいきなり計測器械による診断結果をもとめて完了とするのではなく、腐朽菌や病虫害の特定のみではなくて、生育環境に注目した直近の年間気象データ、地域特有の微気象やその地域の住民の生活上の愛護育成の経歴、由縁由来などをまず第一に考えて総合的な診断をするべきと思う。そして、やみくもに名の知られた巨木や名木を訪ねるばかりではなく、まずは身近な環境を自分の足と耳目を頼りに巨木・名木を探索するわずらわしさをも引き受けることかなと思う。



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晩秋三句

2016年11月14日 03時58分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 立冬も過ぎて木枯らし一号も吹く。晩秋も極まる。街は年に一度の地元の大祭で、人気の少ない病院の診療は混まず、あっという間に終える。
 潤いの少ないこの頃に思いを致し、診療を待つ間に無聊をかこつわたしは無理に時候を詠む。しかし出来映えは、俳句のレベルに上がっていない。

  ・煙草吸い
     喉にさわりて
      虚空を見る

   ・冬ざされて
     石蕗も咲きぬる
      秋気なか

   ・赤とんぼ 昔日の如き 秋田中
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