落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

裸がどうした

2008年06月22日 | book
『すべては「裸になる」から始まって』 森下くるみ著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4062760304&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ときどき読んでるブログ森下くるみの間の著者であるAV女優のエッセイ。
にもちょろりと触れたことがあるが、ぐりはAVに出演してる俳優と、いわゆる一般の俳優との区別がよくわからない。一般の俳優だって、仕事のためにカメラの前で裸になったり、うそっこでセックスしたりもする。→をφとか*とかに入れるか入れないかなんて些細な差であって、AVでやってるのもふつうの映画やTVでやってることだって偽セックスに変わりはない。一般の劇場用長篇でも『ショートバス』とか一部の作品では実際にしてるし。逆に、実際にする方が誤摩化しがきかないぶん、より体力や演技力や集中力が求められるという面では難易度の高い芝居であるともいえる。
ただ現実にはやっぱり「ナマもの」である肉体を売り物にするAV出演者の方が、賞味期限に厳しいことは紛れもない事実だろう。とはいえAVにも熟女専とかフケ専とかもあるだろうし、いつまでどこまで行くかはその人次第というところももしかしたら非AVの俳優といっしょかもしれない。あ、でも男優の場合は→が↑しなくなったら終わりか?けど→だけがセックスじゃないしー。
そんなことをつらつら考えれば考えるほどわからなくなる。ってかなんでそんなこと考えてんだアタシ?

この本では、著者の少女時代からデビューのきっかけ、恋愛、友情、家族、売れっ子になっていく過程やファンとの交流など、およそ一般庶民がAV女優に対して抱く素朴な謎のひとつひとつを、ごくごく率直に語っている。と同時に、これはひとりの女性としての成長の物語でもある。
森下くるみはほんとうに素直だ。よほど精神的に強くないとこうはなれない。実家が貧しく、とくに目的もなくぼんやり生きていた彼女がスカウトされ、たった1本撮った直後に「一番になりたい」という野心を抱いたこと、綺麗事でもハッタリでもなくAV女優という仕事にプライドを持ち、現場に愛情を持っていること、10年以上にわたるAV女優生活の中でさまざまな人々に投げつけられて来た心ない罵詈雑言の数々。
「汚ねぇなあ。近寄んなよ。風呂入れ」
「お願いだからオレのために仕事辞めて」
「彼女がAV女優だってことを知られたくないから、友だちに会わせられない」
「AV女優は間違った道」
「楽してお金稼げてるんでしょ」
「AV女優ってヤク中が多いってホント?」
「あんたAV女優なんだから、すぐヤラせてくれるんでしょ?」
「AVなんかやっててさあ、幸せになる権利あるわけないじゃん。何言ってんの」
これらの言葉はフィクションではない。実際に著者や同業の女優が面と向かっていわれた言葉ばかりだ。
よくそんなこといえるなと思う。まともな想像力のある人間のやることとは到底思えない。だがほんとうは、口に出さないだけで心の中で彼女たちを軽蔑している人々も多いのだろう。

ツライ現場もある。あり得ない行為を強いられる作品もある。それでも彼女は10年やりぬいて来た。プロとして、ビデオを観てくれる無数のユーザーのために。
ぐりはAVだろうがなんだろうが、プロとしてプライドをもってやってれば仕事なんかなんだってかっこいいと考える人だけど、AVで10年って今どきなかなかいないだろうしその点で森下くるみはまず常人ではないと思う。
ここしばらくは以前ほどひんぱんに新作は出してなくて、クラブイベントでのトークやDJ、コラムなどの執筆活動の方が主になっているそうだが、是非ともこの本だけじゃなくてもっとバンバン本が出せるくらいに頑張ってほしい。
1本も作品は観たことないけど、応援してますよー。

ジオットの首輪

2008年06月22日 | movie
『美しすぎる母』

1972年11月17日、ロンドンでバーバラ・べークランド(ジュリアン・ムーア)という女性がひとり息子のトニー(エディ・レッドメイン)に刺殺された。バーバラの元夫ブルックス(スティーヴン・ディレイン)は人工樹脂ベークライトを工業化し「プラスチックの父」と呼ばれたレオ・ベークランドの孫にあたる。
夫妻は68年に離婚し母子はふたりきりで各地を転々としながら暮していた。まるで恋人のように仲睦まじかったふたりにいったい何があったのか。史実を元にした愛憎ドラマ。

うーーーーーーーん・・・期待外れ。
監督のトム・ケイリンは1924年にシカゴで起きた実在の誘拐殺人事件を元にした『恍惚』という映画でデビューした人で、この映画はさりげに前衛的だったりしてかなりおもしろかったのだが、さすがにまだ当事者が存命中のこの事件に関してはそこまで大胆にはなれなかったよーで、細部にはあれこれとこだわりはみられるものの全体にはかなりおとなしい、ソツのない映画になってしまっている。
音楽とか美術とか、ディテールはホントにいいんだよね。リアルで。でもシナリオがすーんごい段取り調で、もーどーしよーもないくらい退屈。
同性愛や近親相姦はコトが史実であるからには観客全員先刻承知なワケで、それをまたあんな腰の引けたヌルい演出で見せられても今さら「だからどーした」って感じなのよ。事件は史実でも映画はあくまでフィクションなんだし、捏造までいかなくてももっとエモーショナルな描写も出来たはずだと思う。ヘンにセンセーショナルにしたくなかった気分もわからんではないけど、こんな題材を映画化しといて今さら気取ってどーするっつの。
ジュリアン・ムーアは確かに物凄い熱演だけど、演出がこれでは完全に空回りにしか見えません。気の毒。

あとやっぱ気になるのはジュリアン・ムーアの衣裳がヤバいくらい似合ってないってとこでしょーかね。
40代後半ってこともあってお肉垂れまくりで肩や腕はソバカスだらけ、露出に向いたボディとはなかなかいいがたいんだけど、なぜか全編やたらに肌を出した服ばっかり着ている。ぐりはこの女優さん好きだし、頑張って演じてる気合いもわかるだけに観ててせつなかった。
それも演出なんだよといわれてしまえばそれまでなんだけど。

島会議

2008年06月22日 | book
『言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼』 森達也/鈴木邦男/斎藤貴男著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4062129779&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

おもしろかったー。
ぐりは自分が右とか左とか全然意識はしてないんだけど、どこだかでは勝手にどっちかに分類されてるらしー。まー好きにやってればと思いますが。分けたい人は分ければいんじゃないのー?そーやって適当に人をカテゴライズすることにどーゆー意味があるんだか、理解は出来ないし、興味もいっさいないけどね。
この3人は一水会代表だった鈴木氏だけは自ら右翼と自認してるけど、森氏と斉藤氏もやはりどっちがどうとかいうことにはほぼ関心はない。ただ、自分でおかしいと思うことには堂々とおかしいといってるだけなのにー、って感じ。

しかし日本はいつからこんなに、「おかしいと思うことをおかしいという」ことが難しい世の中になったんですかねー?
まあぐりも他人のことはいえたギリではありませんが、なんせめんどくさいのよ。別に妙な投稿とかよそのサイトで叩かれたりとか、そんなんは好きにやりゃあいいと思うんだけど(好きこのんで“肥だめ”に飛び込む趣味はないんで)、それも最低限の常識的なルールの範囲内での話。ルールも守れん人間に好き勝手やられんのはマジで困るんでね。
しかしそーゆーことする人の目的がわからん。何がしたいんやろね。気色わるいわあ。

このお三方もけっこう各方面でいろいろと“めんどくさい”目には遭って来てるハズだけど、べつにそんなこと気にしてない。とくに困ってないっていう。かっこいい。ホントはそんなワケないのにねー。
ぐりは知識もないしあんまし難しい本はうまく読みこなせないんだけど、この手の対談だと話言葉で書かれてるし、互いに知識・情報を補完しながら進行するのでとってもわかりやすい。この本もすごく読みやすかったです。