「私のこころはすごく悲しいです」 ブログ炎上に高樹沙耶が綴る
こないだ学生時代の同級生と話していて、在学中にふたりでやってた再生紙の話になった。
ぐりと彼女は同じ工房に所属していて、カリキュラムとは関係なく、自分たちで勝手につくった紙を使って作品制作をしていた。
原料は近隣の工房で余った紙の耳や牛乳パック、新聞紙。集めて来た材料はまず、手で大雑把に裂いて苛性ソーダか市販の漂白剤を溶かした水に浸けて柔らかくする。数日浸けておいて充分にふやけたら、それを3〜4センチ大まで手で裂いて木綿の枕カバーに詰め、洗濯機でぐるぐるまわす。いよいよゲロ状(爆)になった紙を、今度はジューサーにかけて繊維状に砕き、それを漉く。漉いた紙は濡れたまま厚ボール紙に挟んで重しをする。1日1回厚ボール紙を交換して、生乾きまで水分がとれたら型をプレス、再度厚ボール紙に挟んで乾燥させて出来上がり。
所要日数は最低でも夏場は10日、冬場は2週間以上かかった。ぐりと彼女は大学卒業の年の1年間ずっと、毎日毎日ひたすら紙をつくり続けた。続けないことには作品の制作が追いつかなかったから。スケジュール帳には常に、紙を漉くタイムテーブルがびっしり書きこんであった。
この工程を読めば誰でもわかると思うけど、再生紙をつくることはそれだけでも相当な環境破壊になりえる。大量の水を汚すし、防カビ処理に揮発性の化学薬品を使うので空気も汚れる。ぐりと彼女はいつも、ゴーグルとガスマスクをかぶり両手にはラテックスの手袋をはめて作業をしていた。見た目にはムチャクチャ怪しいけど、防カビ処理をした濡れ紙はとても目も開けていられない、まともに呼吸も出来ないほどの刺激臭を発するし、手の皮膚も凄まじい勢いで荒れる(発ガン性もある)。工房に所属してた同級生が彼女とふたりきりだったから許されてたんだよね、あの暴挙(爆)。我々も確信犯だったなあ。
何がいいたいかっつーとつまり、エコだ環境保護だっていっても、なんだって物事には多面性があるってことなんだよね。絶対正しい正解なんてこの世の中には存在しない。
紙でもペットボトルでもなんでも、リサイクルはいいことだ。ひたすら木を伐り続けたり石油を汲み上げ続けたりするよりはマシだ。けど正解はそれだけじゃない。リサイクル以前に、買物袋(エコバッグなんてかっこよく呼ばんでもいいと思う)を持ち歩いたり簡易包装を心がけたり、ムダな消費を控えるのも答えのひとつだ。何につけてもムダ遣いをしないという精神はもともとは環境保護とは関係がない。意味のない消費なんてそもそも必要ないし、モノを大事にするなんて人としての基本的な倫理観の問題ではないか。
だから、環境保護をお題目に唱えさえすればそれで一事が万事すべて善、な雰囲気の最近のエコブームもちょっと現実的じゃないよと思うし、ぶっちゃけていえば気持ち悪いです。エコがひとつのブランドかなんかみたいになっちゃってる。
リンクした記事中の高樹沙耶さんのボランティア募集記事はふだん読んでる某ブログで読んで知ってたけど、炎上するほどの問題はなんにもない。まあ言い方はちょっと微妙かもしれない。ボランティアって聞こえはいいけど要するにタダ働きってのは事実だし、最近はやけに気軽に何の必然性もなくボランティアを募集するイベントやら団体が増えて、少し前からほうぼうで反発が起きてるのも耳にはしてたから、あるいは高樹氏側がちょっと無神経だったのかもしれない。同じ説明でも、表現ひとつで印象全然変わるからね。たとえばボランティア側のメリットが初めから明確に提示されてれば反響はちょっと違ってただろうし、逆に、食費や宿泊費などの参加費が明示されてればわざわざ“ボランティア”なんて誤解を招く言葉を使わなくてもよかったかもしれない。
でもこの炎上の原因のひとつは、もしかしたら、ここんとこやたらにかまびすしいエコエコエコの大合唱に対する不快感の反動ともいえるのかも。ここまで一方的にうるさくなったら強制的で説得力も何だかなって思う人もいて当り前。エコでも動物保護でも人権活動でもなんでも、正義=諸刃の刃ってことを自覚して活動するのはすごく難しいことなんだけど。
けどいちばんハッキリしてるのは、ブログを炎上させて楽しむ人種ってのがいることだったりしてね。
待ち犬。スーパーにて。
こないだ学生時代の同級生と話していて、在学中にふたりでやってた再生紙の話になった。
ぐりと彼女は同じ工房に所属していて、カリキュラムとは関係なく、自分たちで勝手につくった紙を使って作品制作をしていた。
原料は近隣の工房で余った紙の耳や牛乳パック、新聞紙。集めて来た材料はまず、手で大雑把に裂いて苛性ソーダか市販の漂白剤を溶かした水に浸けて柔らかくする。数日浸けておいて充分にふやけたら、それを3〜4センチ大まで手で裂いて木綿の枕カバーに詰め、洗濯機でぐるぐるまわす。いよいよゲロ状(爆)になった紙を、今度はジューサーにかけて繊維状に砕き、それを漉く。漉いた紙は濡れたまま厚ボール紙に挟んで重しをする。1日1回厚ボール紙を交換して、生乾きまで水分がとれたら型をプレス、再度厚ボール紙に挟んで乾燥させて出来上がり。
所要日数は最低でも夏場は10日、冬場は2週間以上かかった。ぐりと彼女は大学卒業の年の1年間ずっと、毎日毎日ひたすら紙をつくり続けた。続けないことには作品の制作が追いつかなかったから。スケジュール帳には常に、紙を漉くタイムテーブルがびっしり書きこんであった。
この工程を読めば誰でもわかると思うけど、再生紙をつくることはそれだけでも相当な環境破壊になりえる。大量の水を汚すし、防カビ処理に揮発性の化学薬品を使うので空気も汚れる。ぐりと彼女はいつも、ゴーグルとガスマスクをかぶり両手にはラテックスの手袋をはめて作業をしていた。見た目にはムチャクチャ怪しいけど、防カビ処理をした濡れ紙はとても目も開けていられない、まともに呼吸も出来ないほどの刺激臭を発するし、手の皮膚も凄まじい勢いで荒れる(発ガン性もある)。工房に所属してた同級生が彼女とふたりきりだったから許されてたんだよね、あの暴挙(爆)。我々も確信犯だったなあ。
何がいいたいかっつーとつまり、エコだ環境保護だっていっても、なんだって物事には多面性があるってことなんだよね。絶対正しい正解なんてこの世の中には存在しない。
紙でもペットボトルでもなんでも、リサイクルはいいことだ。ひたすら木を伐り続けたり石油を汲み上げ続けたりするよりはマシだ。けど正解はそれだけじゃない。リサイクル以前に、買物袋(エコバッグなんてかっこよく呼ばんでもいいと思う)を持ち歩いたり簡易包装を心がけたり、ムダな消費を控えるのも答えのひとつだ。何につけてもムダ遣いをしないという精神はもともとは環境保護とは関係がない。意味のない消費なんてそもそも必要ないし、モノを大事にするなんて人としての基本的な倫理観の問題ではないか。
だから、環境保護をお題目に唱えさえすればそれで一事が万事すべて善、な雰囲気の最近のエコブームもちょっと現実的じゃないよと思うし、ぶっちゃけていえば気持ち悪いです。エコがひとつのブランドかなんかみたいになっちゃってる。
リンクした記事中の高樹沙耶さんのボランティア募集記事はふだん読んでる某ブログで読んで知ってたけど、炎上するほどの問題はなんにもない。まあ言い方はちょっと微妙かもしれない。ボランティアって聞こえはいいけど要するにタダ働きってのは事実だし、最近はやけに気軽に何の必然性もなくボランティアを募集するイベントやら団体が増えて、少し前からほうぼうで反発が起きてるのも耳にはしてたから、あるいは高樹氏側がちょっと無神経だったのかもしれない。同じ説明でも、表現ひとつで印象全然変わるからね。たとえばボランティア側のメリットが初めから明確に提示されてれば反響はちょっと違ってただろうし、逆に、食費や宿泊費などの参加費が明示されてればわざわざ“ボランティア”なんて誤解を招く言葉を使わなくてもよかったかもしれない。
でもこの炎上の原因のひとつは、もしかしたら、ここんとこやたらにかまびすしいエコエコエコの大合唱に対する不快感の反動ともいえるのかも。ここまで一方的にうるさくなったら強制的で説得力も何だかなって思う人もいて当り前。エコでも動物保護でも人権活動でもなんでも、正義=諸刃の刃ってことを自覚して活動するのはすごく難しいことなんだけど。
けどいちばんハッキリしてるのは、ブログを炎上させて楽しむ人種ってのがいることだったりしてね。
待ち犬。スーパーにて。