落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

栗の花の呪い

2008年08月12日 | book
『男性不信』  池松江美著
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先日ファーストフード店で後ろの席に座った男子高校生がケータイで合コンの段取りを話していて、相手の女子に求める条件が耳に入ってきた。
「6割性格、2割顔、2割乳」
・・・意外と中身重視じゃん。高校生のくせに堂々と喫煙席に座るのはどーかと思うけどね。少年よ。とか思ってしまった。
てかtaspo導入も年齢確認も結局意味ねーじゃん。あ、アタシが止めるべきですか。高校生がタバコ吸ってんな!とか?すいません、アタシも吸ってたからさ、高校時代から。他人のことはいえないの。

『男性不信』 は雑誌「hon−nin」に連載された池松江美=辛酸なめ子の自伝的小説。
実は彼女の本を読むのはこれが初めてです。ラジオ番組は聞いてるしブログもたまに読んでるけど。ついでに大学もいっしょ。学部は違うけど世代も大体同じ。今まで読む機会がなかっただけです。TV観ないし雑誌も読まないから(修業中かよ)。
なので読む前に連載読んでる友だち(やっぱり同じ大学)に「どーよ?」と訊いてみたら「べつに・・・」という回答。それでもこのタイトルの誘惑に負けて読んでしまいましたー。

うん。おもしろかった。ワッハッハって感じじゃなくて、ニヤ〜リって感じですけど。
なんちゅーかねーもういちいち共感しちゃうね。若い女・かわいい女・頭のゆるい女・脚が綺麗な女・胸が大きい女・男に都合のいい女、そういう女にしか興味のない男たち。女=欲望の対象としかとらえない男たち。「男は全員強姦魔予備軍」ってギャグじゃない。実際そう思う根拠なんかいくらでもあるもんね。同じネタでよければぐりにだって本1冊くらい軽く書けるだけのネタ在庫はたんまりございますわよ。
まあ男も女もどっちもどっちか。男は女を欲望の対象として見るけど、女だって心の中では男をさんざんバカにしてる。どんな風に?ってことがゼーンブ、微に入り細に入り書かれてまーす。男の人は読んだ方がいいよ。マジで。

ぐり自身は別名“色ボケ温泉”と呼ばれる高校に通いながら“天然記念物”というあだ名がつくくらいの超カマトトだったので、ヒロイン由美ちゃんほどモテないことで悩んだりした記憶はない。あとスピリチュアル方面にもほとんど興味がないのでそのへんは読んでても意味不明だったけど、最後まで読むと実は著者もけっこーどーでもいーとか思ってる?的に自虐的なオチなのが笑えました。
彼女の本はいっぱいあるけど、他に読んでみたくてもどれからいけばいいかわからにゃい。こーゆー女尊男卑思想毒舌系の本ご存知の方がおられましたらご教示くださいませ〜。

赤い靴

2008年08月12日 | book
『ボッシュの子』 ジョジアーヌ・クリュゲール著 小沢君江訳
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第二次世界大戦中の1940年ナチス・ドイツはフランスに侵攻、1ヶ月あまりの戦闘後フランスは降伏して休戦協定を結んだ。
1942年にはドイツはフランス全土を占領、以後1944年までナチスの傀儡といわれるヴィシー政権がフランスを統治した。
著者ジョジアーヌ・クリュゲールは1942年にドイツ人兵士とフランス人女性の間に生まれた。現在、この時代に彼女のような両親の元に出生したフランス人は20万人を数えるという。
数字はただの数字でしかないかもしれない。だが終戦直後、ドイツ人と交際したというだけで髪を刈られて晒し者にされた女性たちに象徴されるように、レジスタンス=絶対的な善/ナチス=絶対的な悪という二次元構造的歴史概念の中で、人知れず自らの出生に苦悩したフランス人が20万人もいたという事実には否が応にも慄くばかりである。逆に、ドイツにもフランス兵を父に持つ人が数十万人いるといわれる。彼らもまた心ない差別と偏見に苦しめられていた。

著者は60代になった今でも、「自分がノーマルな人間とみなされていないことに苦しんでいる」という。
彼女の心情を単なる被害妄想だと片づけてしまうことはたやすい。どうやっても彼女たちの孤独を理解できない人もいるかもしれない。
でも、すべての差別と偏見の元凶が、ここに集約されていると仮定すればどうだろう。
生まれてくる子に親や国を選べはしない。ドイツ兵が全員ナチスを支持していたわけでもない。ひとりの男とひとりの女が出会って恋に堕ちて、子どもが生まれた。単にふたりの国籍が違っていて、時代が戦争中だっただけのことだ。それなのに彼らは生涯引き裂かれ、売国奴、売女と罵られ虐げられ、こそこそと出生を偽って暮らさなくてはならなかった。
そんな人が、フランスだけで20万人もいたのだ。

全体にあっさりと淡々とした文体で書かれた短い自伝である。
幼いころ可愛がってくれた祖母以外に無防備に心を開くことのできる家族もなく、若くして家を出て自活していた彼女。彼女の孤独の大部分は、母親の無関心に起因しているようにも読める。本来なら最も心強い味方でいてくれるはずの母との距離が、ドイツ人の父との許されざる恋のせいなのか差別的な社会のせいなのかはわからない。ただ、自分を守るために閉ざした心の扉は、著者自身の遺伝子にもしっかりと受け継がれているらしい。ある意味では彼女も自ら孤独を選んだのかもしれない。選ばざるを得なかったのかもしれない。
そんな心の扉は、差別と偏見を生まれながらに知った者なら誰もが自然に備えている。硬くて重くてあるだけ邪魔だということはわかっていても、そう簡単に開け放つことのできない厄介な扉。
いつかそんなものが人の世から永久になくなればいい、そう夢みることだけは自由だと思うのだけれど。