落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

血の河

2008年05月26日 | book
『丁庄の夢―中国エイズ村奇談』 閻連科著 谷川毅訳
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90年代に農村地帯で展開された売血事業によって広がった中国のHIV汚染をモチーフにした幻想小説。
フランス人ジャーナリストが書いたルポルタージュ『中国の血』の悪夢の世界をそのまま舞台に、この空前絶後の事件の当事者たちの内面を中国人側の視点で描いている。
丁庄は河南省東部の貧しい寒村という設定になっている。

物語はここで丁小強という12歳の少年が毒殺される場面から始まる。
小強の父親・丁輝は血頭だった。丁輝が20代だった90年代、県の役人がやってきて村長に売血事業を指示した。村長は村人の血を売るなんてと反発し、そのせいで罷免されてしまった。丁庄の悲劇の幕はそこから上がった。
役人は村長の代りに、学校で鐘たたきをしている丁水陽という老人を説いて、村人をバスに乗せて売血で成功したよその村へ見学に行かせた。その村には新築の家が建ちならび、どこの家にも最新の電化製品が揃っていた。生鮮食料品の配給まであった。村人はいさんで売血に同意した。
ところが公的機関の採血所では一度売血すると一定期間は血を買ってもらえない。そこで丁輝は自前で道具一式を揃え、血を売りたい村人を訪ね歩いて採血してやり、集めた血を闇で売った。そして10年後、村人たちは爆発的にエイズを発症し始めた。
だから小強は毒殺されたのだ。

作者は「心のなかのエイズ」を書いたと発言しているが、確かにこの小説にはエイズという病気それそのものについてはあまり具体的には書かれていない。
それよりも、売血─腕を差しだして針を刺しこむだけで現金がもらえる─と、伝染病による大量死によって人の心がどれほど荒廃し、地域社会がいかにして崩壊していくのかが、実に克明に表現されている。
主人公は60歳の丁水陽だが、彼は長男の丁輝を殺したいほど深く憎んでいる。血頭は彼ひとりではなかった。村のエイズ禍は丁輝ひとりの責任ではない。それでも彼は息子を憎まないわけにはいかなかった。なぜなら、村に売血をもちこんだのは他ならぬ丁水陽その人だったからだ。
父が息子に殺意を抱くように、村には憎悪が渦巻いている。面と向かってその感情を口にする村人もいる。だがほんとうに恐ろしいのは、夜陰に紛れて患者のなけなしの財産を盗んだり、こっそり家畜に毒を盛ったり、亡者の墓を暴いて棺や副葬品を盗んだり、丁輝の留守宅を荒して屋内に小便をしたりといった、顔のない暴力犯罪の方だ。彼らには悪意がない。してやって当然のことをしているまでだと思っている。
そこまで村人の心を蝕んだのはエイズではない。売血だった。カネが人々の魂をずたずたにしてしまったのだ。

読んでいてつらかったのは、登場する人々の知性の貧しさだった。
毎日のように人が死ぬという状況になってもなお面子にばかりこだわる村人たち。死体を入れて埋めるだけの容器でしかない棺にこだわり、墓の大きさや装飾にこだわり、葬儀の派手さにこだわり、独身の亡者を結婚させる配骨親のしきたりにこだわる。
そんな無意味なこだわりがまたカネになる。棺も配骨親もタダではない。丁輝はそこに目をつけてまた大成功する。村人たちは彼ら自身が自ら進んで搾取されていることにまったく気づかない。それが読んでいてとても悲しかった。
世の中お金じゃないなんて一般論はここでは意味がない。貧しさゆえに彼らは自分で自分を売ってしまった。後には何も残らなかった。当り前の話だ。
でも誰が彼らを責められるだろう。

物語は冒頭で死んだ小強の視点で語られていて、主人公・丁水陽を“祖父”、丁輝を“父”、他の親族も母、叔父、叔母などと表記している。
これはおそらく、読み手に登場人物たちに対する親近感を持たせやすくするための手法ではないだろうか。エイズ村といえば人によっては遠くの異世界の出来事のように感じてしまう可能性もあるが、エイズ村の人々もまたそれぞれに家族がいて、親や子がいたはずなのだ。
この小説は現在中国では発禁となっているそうだが、その前に初版15万部が完売しているという。
書かれた内容はあまりにも悲劇的だが、情景描写が美しく文体は流麗で、まさに芸術的と形容するにふさわしい小説でした。
ぐりはこれ、是非とも映画化してほしいですね。もちろん中国国内では撮影できないだろうけどね。監督はアトム・エゴヤンがいいな。コーエン兄弟でもいいかも。
とかなんとかいうのは不謹慎でしょーか。


関連レビュー:
『ルーシー・リューの「3本の針」』
『中国の血』 ピエール・アスキ著
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著

動物以前

2008年05月25日 | diary
ペット診療費踏み倒し横行 人間と違い保険効かないから?

動物の診療費ってホンットに高いよね。
うちでもしばらく前まで動物飼ってたけど、マジしんどかったです。入院するたび会計のとき泣きそうでした。全部合計すれば軽くボーナスふっとぶくらいの額にはなってるハズ。
うちのかかりつけは多少良心的な価格設定だったからまだよかったけど、中にはけっこーぼるとこもあるし。民間のペット保険も10年以上生きる犬猫ならまだしも、寿命の短い小動物だとかけるだけよけい不経済なくらいで、傷病によってはカバーされないこともあるみたいだし、難しいです。

思うに診療費を踏み倒すような飼い主って、結局動物をオモチャ程度にしか考えてないんじゃないかな?だから診療費が高額になるまでペットをほっとけちゃうんじゃない?どーかなー?
こういう記事だけ読んでると獣医や動物病院はあくまで被害者みたいに感じるけど、実際はそーでもないしね。人を診てるわけじゃないから、いーかげんなトコもあるし、不真面目な獣医もいるし、行くだけ不愉快な病院だってある。ロクに知識もないのに行き当たりばったりで高額な検査ばっかりやりたがる獣医もいれば、やたらに薬を大量に出す病院もある。そんなの人の病院といっしょですよ。感じ悪い病院もあれば、畜主から金むしりとることばっか必死な病院、態度悪い獣医や熱意なんかカケラもない獣医だってふつーにいます。当り前。

そーいや人の病院でも診療費の不払い増えてるって前にニュースになってたね。
治療費不払い85億円 290公立病院3年間

結局払うのは人間だから、保険がどーとか診られるのが動物かとかどーとかってのは関係ない。モラルの問題ってとこはいっしょなわけで。
あーあ。


22日にカンヌで講義を行ったクエンティン・タランティーノ。講義内容はこちら
さぞたくさん喋れて楽しかったことでしょー。ホントこの人よく喋るからねえ〜。
昔、日本にお忍びで来た時チラッと同席したことありますけど、もーーーめちゃくちゃうるさかったもん。聞いてる周りの人間が気絶しそうなくらい喋りまくり。
そんなタラちゃんももう45歳。こんなポーズですけど何か?

引越し作業、一段落しました。
移植予定だったレビューは全部移し終わり、インデックスのタグも貼り直しました。
本文中のブログ内リンクの貼り替えはまだですが、これはボチボチゆっくりやっていこうと思います。文字化けも直さなきゃ。
それにしても今日はtcupのサーバーがやたら重くてつながりにくくて疲れてしまった。なんだったんだろー?アレ?

懐かしき中学時代

2008年05月24日 | movie
『アフタースクール』

ヤクザに借金がある探偵の北沢(佐々木蔵之介)は、依頼人からの命令で木村(堺雅人)というサラリーマンの行方を捜すため木村の同級生・島崎になりすまし、母校で教師をしているべつの同級生・神野(大泉洋)に近づく。その日、木村は神野のクルマに乗って出かけたまま連絡が取れなくなっていた。
あのー、この映画、すんごいどんでん返しの連続なんで、これから観る予定の方は今日のレビューはパスした方がいいと思います。一応ネタバレは伏せ字にしますけどね。

もうとにかくストーリーがころころころころ、二転も三転も四転も五転も、とめどもなくひっくり返っていく。そのひっくりかえりっぷりに勢いがあってとっても楽しい。
主人公は中学教師の神野。観客は初め彼の視点で映画を観ているつもりなのだが、わりとすぐに北沢目線に変わる。観客は主人公の知らないことを知っている、第三者の視線になる。ところがこれが中盤でまずひっくり返る。
んでまたそこで全部は仕掛けをバラさないで、小出しに小出しに出してくるんだけど、その出し方がね、絶妙なのよ。いちいち笑える。画面に写ってる人たちはみんなメチャクチャ大真面目なのがまたおかしい。
ディテールを必死に再現するリアリズムはさておいて、バッサリと大胆な省略で観客をぐいぐい引っぱっていく独特のドライブ感が、観ていてひたすら心地いい。後になってよく考えたら辻褄がうっすらおかしいところもなくはないんだけど、それでも観た後の「楽しかった!」感はまったく損なわれない。娯楽映画とはまさにこういう映画のことをいうんだろうなと思う。

それと同時に、この映画の「人間関係の表象のあやうさ」というテーマもまた興味深い。
映画の始まりでは木村=夫、美紀=妻、神野=夫の親友、島崎(北沢)=同級生、アユミ(田畑智子)=夫の愛人という関係だった登場人物だが、終わってみるとその相関関係のほとんどがひっくり返ってしまっている。この他のキャラも、登場したときのままの設定で退場する人は少ない。
つまり、人と人との騙しあいや裏切りがこの物語の主題になっているのだが、映画のトーンに重さや暗さが微塵もないのがスゴイ。終盤の神野の台詞にその理由が非常に的確に表現されていて、思わず心の中で拍手喝采してしまった。
曰く「どこのクラスにもお前みたいな生徒はいるんだよ。勝手にわかったような顔してヘンにひねくれて、こんな学校つまんねえとかいってさ。けどな、つまんねえのはお前のせいなんだよ」(うろ覚えです)。
わかったような顔して勝手にものごと決めつけるのはやっぱよくないよね。うん。その通りです、神野先生。

あとこの映画、タイトルが『アフタースクール』だし主人公は母校の教師だし、もっと甘くてノスタルジックな話かと思ってたけど、実際はまったくそんなことなかったです。そこがぐりは気に入りました。へんにべたべたしてなくて。大体、みんながみんな、麗しき中学時代の持ち主ってわけじゃないからねえ。今さらそういう中年ファンタジーを押しつけられても困るだけです。内田けんじ監督はぐりと同い年で神野たちの年齢設定も大体同じくらいだと思うんだけど、そのへんの絶妙な時代感覚には非常に共感しました。
ところでぐりはこの内田監督の前作『運命じゃない人』をまだ観ていない。観てなすぎですね、映画。いや、一度観よう、観よう、とは思ってるんだけどねー。きっかけがないのよん。

今日は邦画の初日を3本ハシゴしたけど、いちばん客が入ってたのはこの『アフタースクール』だった。上映中も爆笑の連続で、場内の雰囲気もたいへん楽しかったです。『山のあなた』は意外と空いてました。¥1000だし初日だしもっと入るかと思ったんだけどね。『世界で一番美しい夜』も初日にしてはさほどの混み具合ではなかったです。

セックステロリズム

2008年05月24日 | movie
『世界で一番美しい夜』

事件といえば子どもの無免許運転くらいという平和な要村にとばされて来た新聞記者の水野一八(田口トモロヲ)。起死回生のスクープ記事を書くためネタ探しに奔走するうち、支局長・遠藤(佐野史郎)のいきつけのスナック天女のママ・輝子(月船さらら)の過去に怪しい事件の影を発見する。
出生率13年連続日本一の村のことの発端を、女子中学生のレポートという形で描いたファンタジーコメディ。

な、長かった。
この内容で160分はちょっといくらなんでも引っぱり過ぎじゃないかねえ。おもしろかったんだけどね、笑えたけどね、クライマックスまでの上りが長くてくどくてしつこくてややこしくて、肝心のセックスまで辿り着くのに観てる方は息切れしちゃいます。前戯は短いのもつまりませんが、長すぎるのもいけません(おい)。
シナリオはよくできてると思うし、つくり手側の意欲もすごくよくわかるんだけど、頑張れば頑張っただけ観客まで疲れさせちゃ意味ないでしょう。
いや、おもしろいはおもしろいのよ。初めこの主役が田口トモロヲってキャスティングの意味がわかんなかったけど、最後の最後で「あーなるほど」なんて納得しちゃうトンデモ展開があったり(でもやっぱこの役はミスキャスト)、月船さららがあり得ないくらいの体当たり演技でセクシー通りこしてお笑い入っちゃってたり、村人のキャラがいちいち濃すぎてコワかったり、爆笑要素はいっぱいこっぱいある。
けどね、いくらおもしろいものをたくさん盛りこんだところで、全体のバランスがとれてなければおもしろさは活かしきれない。

思うにコレ、監督の「男と女が力いっぱいセックスに励めるのが平和」という観念に客観性が乏しかったのが原因なんじゃないかなあ。
そりゃ確かに第二次世界大戦終結後の1945年からの数年間は人類史上まれにみる人口爆発時代=地球規模のセックス狂時代だったし、みんながみんな心ゆくまでセックスに狂えるのは確かに平和の証明かもしれない。
けど生理学的には人間は危機に陥ったときほど生殖能力が高まる傾向があるらしいし、中にはみんなやってるというあけっぴろげな状況に萎える人もいるだろう。セックスはこっそりやるからエキサイトするもの、なんてのは古今東西万国共通の感覚だと思うし。
だからできれば、二瓶(石橋凌)が活躍し始めるまでのストーリーをもっとさくっとまとめて、彼のセックステロへ至る動機をもっと印象的にわかりやすく説いてくれた方が素直に共感できたかもです。ぐりはしょーじきな話、終わってみたらなんで二瓶がそんなこと考えたのか忘れちゃってたもん。そこ、この物語のキモだったハズなんだけど。

スズキコージのイラストがオシャレで幻想的でよかったです。
それにしても月船さららはスゴかった。度胆抜かれました。まさに。『ラスト,コーション』の湯唯(タン・ウェイ)もまっつあおっすよ。日本にもこういう女優、いたのね・・・。

あのころはなにもなくて

2008年05月24日 | movie
『山のあなた 徳市の恋』

季節ごとに海から山、山から海へと温泉場を渡り歩く按摩の徳市(草なぎ剛)と福市(加瀬亮)。
徳市は山の温泉場で出会った東京の女(マイコ)の奇妙な態度に不信を抱くが、ある日彼女の泊っている鯨屋旅館で盗難事件が発生。翌日には近隣の他の温泉宿でも次々と立て続けに盗難が起きる。
東京の女はやはり東京から来た大村(堤真一)という男と知りあい、親しく言葉を交わすようになるのだが・・・。
1938年の清水宏監督作『按摩と女』をほぼオリジナルのままリメイクした、かなりオタッキーな作品。

記憶にある限りではぐりはこの清水宏作品を今まで1本も観たことがない。なのでオリジナルとどこがどう違うという比較は出来ないのだが、勝手な印象を述べるとすれば、おそらく元の作品のトーンは出来る限り忠実に再現できてるんじゃないかと思う。
とくに見事なのは出演者の台詞まわし。旧作の脚本を流用しているので言葉遣いがそっくり昭和初期なのは当り前としても、喋り方のリズムや間のとり方まで古き善きクラシック映画そのままの、情緒溢れる会話になっている。なかでも謎めいた東京の女を演じたマイコは声がとにかく素晴しい。しっとりとなよやかで、いかにもしとやかな声音が岸恵子や香川京子の若かりしころを彷佛とさせて、思わずうっとりと聞き惚れてしまうくらい美しい。

物語はわずか1週間足らずほどの、ほんの短い新緑の季節の淡い恋の行方を描いている。
温泉場という、誰もがやって来て通り過ぎるうたかたの舞台ですれ違う男と女。主人公は按摩だがヒロインの正体はクライマックスまでわからない。素性のわからないミステリアスな美人ほど観るものの心をかきたてるモチーフはないのだが、この映画にはもうひとつ、視覚障碍者の神秘というミステリーも加味されている。
匂いや空気の流れ、地面の震動やごく微かな物音など健常者には感知できない感覚を駆使して暮す視覚障碍者たちを、この映画ではまるで姿かたちだけ人間に似た宇宙人か新生物かなにかのように表現している。コミカルでユーモラスでありながら、常人には図り知れない暗闇を生きる彼らのパワーが、美女を賛美するのとまったく同じトーンで描かれている。
つまりこの映画全体の美しさは、わからないことをわからないまま静かに鑑賞するという、穏やかな審美観によるものなのだろう。恋愛はきれいなことばかりじゃない、みっともないことや情けないことばかりという時もある。でもこんな風にわからないまま無理に追いかけないで置いておけば、いつまでも綺麗なままただ眺めていられる。

美術や衣装や小道具など、細かなディテールにまで石井監督らしいこだわりが発揮されているし、技術的に今の日本映画がどこまで出来るかという、ハイテク方面とは別な実力主義を知るうえでは申しぶんなくよく出来たいい映画です。
けどよく出来過ぎていてもうひとつ印象深いというほどではないところがやや残念。
出演者は堤真一を除いた全員が非常に健闘していたが(堤真一はいつから「何をやっても堤真一」な金太郎飴役者になってしまったのか)、とりわけ洞口依子と子役の広田亮平はすごくよかったです。

ちなみにオリジナルの『按摩と女』が発表された1938年は昭和13年、日中戦争が勃発した翌年にあたる。国家総動員法が施行され、津山30人殺し事件が起きた年でもある。日本が国際社会からの孤立を深め、国を挙げて戦争へと邁進していった時代の始まりでもあった。
『山のあなた』にもそんな不穏な下界の空気をうっすらとにおわせる場面がある。それを思えばこそ、この映画に流れる清冽な空気がますます淡く儚く眩しく感じるのかもしれない。
しかしこうして観ると、あの時代ってほんとうに何もなかったんだなと改めて「何もなさ」の美しさを感じる。携帯もTVもゲームもなんにもない。それでも人々はそれなりに暮してる。今の時代はなんでもあるけど、なんでもあることがすなわち豊かさではないのだろう。

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