『丁庄の夢―中国エイズ村奇談』 閻連科著 谷川毅訳
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90年代に農村地帯で展開された売血事業によって広がった中国のHIV汚染をモチーフにした幻想小説。
フランス人ジャーナリストが書いたルポルタージュ『中国の血』の悪夢の世界をそのまま舞台に、この空前絶後の事件の当事者たちの内面を中国人側の視点で描いている。
丁庄は河南省東部の貧しい寒村という設定になっている。
物語はここで丁小強という12歳の少年が毒殺される場面から始まる。
小強の父親・丁輝は血頭だった。丁輝が20代だった90年代、県の役人がやってきて村長に売血事業を指示した。村長は村人の血を売るなんてと反発し、そのせいで罷免されてしまった。丁庄の悲劇の幕はそこから上がった。
役人は村長の代りに、学校で鐘たたきをしている丁水陽という老人を説いて、村人をバスに乗せて売血で成功したよその村へ見学に行かせた。その村には新築の家が建ちならび、どこの家にも最新の電化製品が揃っていた。生鮮食料品の配給まであった。村人はいさんで売血に同意した。
ところが公的機関の採血所では一度売血すると一定期間は血を買ってもらえない。そこで丁輝は自前で道具一式を揃え、血を売りたい村人を訪ね歩いて採血してやり、集めた血を闇で売った。そして10年後、村人たちは爆発的にエイズを発症し始めた。
だから小強は毒殺されたのだ。
作者は「心のなかのエイズ」を書いたと発言しているが、確かにこの小説にはエイズという病気それそのものについてはあまり具体的には書かれていない。
それよりも、売血─腕を差しだして針を刺しこむだけで現金がもらえる─と、伝染病による大量死によって人の心がどれほど荒廃し、地域社会がいかにして崩壊していくのかが、実に克明に表現されている。
主人公は60歳の丁水陽だが、彼は長男の丁輝を殺したいほど深く憎んでいる。血頭は彼ひとりではなかった。村のエイズ禍は丁輝ひとりの責任ではない。それでも彼は息子を憎まないわけにはいかなかった。なぜなら、村に売血をもちこんだのは他ならぬ丁水陽その人だったからだ。
父が息子に殺意を抱くように、村には憎悪が渦巻いている。面と向かってその感情を口にする村人もいる。だがほんとうに恐ろしいのは、夜陰に紛れて患者のなけなしの財産を盗んだり、こっそり家畜に毒を盛ったり、亡者の墓を暴いて棺や副葬品を盗んだり、丁輝の留守宅を荒して屋内に小便をしたりといった、顔のない暴力犯罪の方だ。彼らには悪意がない。してやって当然のことをしているまでだと思っている。
そこまで村人の心を蝕んだのはエイズではない。売血だった。カネが人々の魂をずたずたにしてしまったのだ。
読んでいてつらかったのは、登場する人々の知性の貧しさだった。
毎日のように人が死ぬという状況になってもなお面子にばかりこだわる村人たち。死体を入れて埋めるだけの容器でしかない棺にこだわり、墓の大きさや装飾にこだわり、葬儀の派手さにこだわり、独身の亡者を結婚させる配骨親のしきたりにこだわる。
そんな無意味なこだわりがまたカネになる。棺も配骨親もタダではない。丁輝はそこに目をつけてまた大成功する。村人たちは彼ら自身が自ら進んで搾取されていることにまったく気づかない。それが読んでいてとても悲しかった。
世の中お金じゃないなんて一般論はここでは意味がない。貧しさゆえに彼らは自分で自分を売ってしまった。後には何も残らなかった。当り前の話だ。
でも誰が彼らを責められるだろう。
物語は冒頭で死んだ小強の視点で語られていて、主人公・丁水陽を“祖父”、丁輝を“父”、他の親族も母、叔父、叔母などと表記している。
これはおそらく、読み手に登場人物たちに対する親近感を持たせやすくするための手法ではないだろうか。エイズ村といえば人によっては遠くの異世界の出来事のように感じてしまう可能性もあるが、エイズ村の人々もまたそれぞれに家族がいて、親や子がいたはずなのだ。
この小説は現在中国では発禁となっているそうだが、その前に初版15万部が完売しているという。
書かれた内容はあまりにも悲劇的だが、情景描写が美しく文体は流麗で、まさに芸術的と形容するにふさわしい小説でした。
ぐりはこれ、是非とも映画化してほしいですね。もちろん中国国内では撮影できないだろうけどね。監督はアトム・エゴヤンがいいな。コーエン兄弟でもいいかも。
とかなんとかいうのは不謹慎でしょーか。
関連レビュー:
『ルーシー・リューの「3本の針」』
『中国の血』 ピエール・アスキ著
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著
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90年代に農村地帯で展開された売血事業によって広がった中国のHIV汚染をモチーフにした幻想小説。
フランス人ジャーナリストが書いたルポルタージュ『中国の血』の悪夢の世界をそのまま舞台に、この空前絶後の事件の当事者たちの内面を中国人側の視点で描いている。
丁庄は河南省東部の貧しい寒村という設定になっている。
物語はここで丁小強という12歳の少年が毒殺される場面から始まる。
小強の父親・丁輝は血頭だった。丁輝が20代だった90年代、県の役人がやってきて村長に売血事業を指示した。村長は村人の血を売るなんてと反発し、そのせいで罷免されてしまった。丁庄の悲劇の幕はそこから上がった。
役人は村長の代りに、学校で鐘たたきをしている丁水陽という老人を説いて、村人をバスに乗せて売血で成功したよその村へ見学に行かせた。その村には新築の家が建ちならび、どこの家にも最新の電化製品が揃っていた。生鮮食料品の配給まであった。村人はいさんで売血に同意した。
ところが公的機関の採血所では一度売血すると一定期間は血を買ってもらえない。そこで丁輝は自前で道具一式を揃え、血を売りたい村人を訪ね歩いて採血してやり、集めた血を闇で売った。そして10年後、村人たちは爆発的にエイズを発症し始めた。
だから小強は毒殺されたのだ。
作者は「心のなかのエイズ」を書いたと発言しているが、確かにこの小説にはエイズという病気それそのものについてはあまり具体的には書かれていない。
それよりも、売血─腕を差しだして針を刺しこむだけで現金がもらえる─と、伝染病による大量死によって人の心がどれほど荒廃し、地域社会がいかにして崩壊していくのかが、実に克明に表現されている。
主人公は60歳の丁水陽だが、彼は長男の丁輝を殺したいほど深く憎んでいる。血頭は彼ひとりではなかった。村のエイズ禍は丁輝ひとりの責任ではない。それでも彼は息子を憎まないわけにはいかなかった。なぜなら、村に売血をもちこんだのは他ならぬ丁水陽その人だったからだ。
父が息子に殺意を抱くように、村には憎悪が渦巻いている。面と向かってその感情を口にする村人もいる。だがほんとうに恐ろしいのは、夜陰に紛れて患者のなけなしの財産を盗んだり、こっそり家畜に毒を盛ったり、亡者の墓を暴いて棺や副葬品を盗んだり、丁輝の留守宅を荒して屋内に小便をしたりといった、顔のない暴力犯罪の方だ。彼らには悪意がない。してやって当然のことをしているまでだと思っている。
そこまで村人の心を蝕んだのはエイズではない。売血だった。カネが人々の魂をずたずたにしてしまったのだ。
読んでいてつらかったのは、登場する人々の知性の貧しさだった。
毎日のように人が死ぬという状況になってもなお面子にばかりこだわる村人たち。死体を入れて埋めるだけの容器でしかない棺にこだわり、墓の大きさや装飾にこだわり、葬儀の派手さにこだわり、独身の亡者を結婚させる配骨親のしきたりにこだわる。
そんな無意味なこだわりがまたカネになる。棺も配骨親もタダではない。丁輝はそこに目をつけてまた大成功する。村人たちは彼ら自身が自ら進んで搾取されていることにまったく気づかない。それが読んでいてとても悲しかった。
世の中お金じゃないなんて一般論はここでは意味がない。貧しさゆえに彼らは自分で自分を売ってしまった。後には何も残らなかった。当り前の話だ。
でも誰が彼らを責められるだろう。
物語は冒頭で死んだ小強の視点で語られていて、主人公・丁水陽を“祖父”、丁輝を“父”、他の親族も母、叔父、叔母などと表記している。
これはおそらく、読み手に登場人物たちに対する親近感を持たせやすくするための手法ではないだろうか。エイズ村といえば人によっては遠くの異世界の出来事のように感じてしまう可能性もあるが、エイズ村の人々もまたそれぞれに家族がいて、親や子がいたはずなのだ。
この小説は現在中国では発禁となっているそうだが、その前に初版15万部が完売しているという。
書かれた内容はあまりにも悲劇的だが、情景描写が美しく文体は流麗で、まさに芸術的と形容するにふさわしい小説でした。
ぐりはこれ、是非とも映画化してほしいですね。もちろん中国国内では撮影できないだろうけどね。監督はアトム・エゴヤンがいいな。コーエン兄弟でもいいかも。
とかなんとかいうのは不謹慎でしょーか。
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