落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

いつも「休め」の態勢で

2008年05月23日 | diary
過労自殺、最悪の81人 心の病、労災申請4年で倍
原因は上司のパワハラ? 部下の能力不足? 職場の人間関係とうつ

今日に限らず毎日のように「うつ病」の見出しがメディアを賑わせ、著名人でさえうつ病を告白するのも珍しくなった今日このごろ。妙な時代になったもんです。ぐりがうつ病になった10数年前を思えばまさに光陰矢の如し。あのころはほとんどの人がうつ病と躁鬱病の区別もついてなかったもんね(今もか?)。うつ病?何それ?みたいな。
最近は何かと話題になりやすくなって、これまで埋没してた患者が発見されることが多くなったせいで患者数が伸びてるんじゃないかという気もする。昨日今日いきなりドバッと増えたわけじゃなくてさ。以前までならうつ病だと知らずに苦しんでた人も、これだけ情報が氾濫してれば「あ、オレうつだわ」ってわかったりするわけじゃないですか。そうでなくても心療内科とか精神科って敷居高いし。

でも話題になりやすくなったぶんだけ、誤解も多くなった気がする。どうせ仮病でしょ?やる気ないだけじゃないの?本人の問題でしょ?なんて批判もよく耳にするようになった。ITmediaの記事なんかいい例でしょう。
あのねえ、心の病気だろーがなんだろーが、病気なんて肉体に起こる現象なんだから、本人に原因があるなんて当り前でしょうが。ウィルス性の病気だって、同じように感染しても死ぬ人もいれば軽症で済む人もいる。全員がばっちり全く同じ症状を示すわけでもない。要するに、病気に限らず物事すべてに理由があって、それぞれの理由は決してひとことで片づくほど単純ではないってことです。いくつもいくつもの理由が重なって、それ相応の段階を経て結果に至るってのが現実じゃないの?そんなん改めて主張するほどのことじゃないと思うけど。あほくさ。
大体さ、「あなたの病気はあなた自身に原因があります」なんていって病気治りますかね?そんなことしてなんかいいことありますかね?ぐりはアタマ悪いんでちょっと想像つかないんだけどさあ。少なくとも、大抵の患者はこんな記事読まされたらよけい具合悪くなるね。経験から断言できるよ。
そんなことをこせこせ追求するよりも、ここまで社会現象化しちゃってる現実を受け入れて、うつ病になってしまった人に社会がどう対応してくかってことに前向きになるべきでしょう。病人の足ひっぱってどーすんの?

うつ病になる人はある日突然発症するわけじゃない。
いろいろいろいろ、問題が積み上げられてって、ひとつも解決の糸口をつかめないまま許容量を超えてしまうと、精神が決壊を起こして病気になる。
日本で今この病気になる人が増えてるのは、日本独特の「臭いものにはフタ」的な考え方にも原因があるんじゃないかと思う。ややこしいことにはみんな見てみぬフリをする。ツライ人、無理してる人がいても、誰もが自分可愛さに関わろうとしない。孤立が孤立を招いて、やがて健康を蝕み始める。弱い者は脱落するに任せておけばいい、世の中弱肉強食なんだからなんて暴論がもてはやされてる昨今、この傾向を止めるものは何もない。
英語では堪忍袋のことをthe last strawという。「It is the last straw that breaks the camel's back. (1本のワラでも限度を越えるとラクダの背骨を砕く)」という慣用句から来ているそうで、同じ意味で「It is the last feather that breaks the horse's back. (羽根1つでも馬の背骨を砕く)」「The last drop makes the cup run over. (最後の1滴がカップを溢れさせる)」という表現もある。
結局、うつ病になるのにパワハラだの本人の性格だのなんてのは単なる枝葉末節、麦わら1本、羽毛1本、水の1滴に過ぎない。問題は、こうして物事をムダに矮小化したがる無神経さの方だと思うし、ぐりは正直いってこんな記事が堂々と書かれ、何の抵抗もなく読者に受け入れられてる世の中がとても怖いと思う。


カンヌ国際映画祭でお披露目された4時間半の大作『CHE』より、ベニチオ・デル・トロ。
さすがにこのままではあまりにも長過ぎるので、一般公開用にこれから編集し直すらしーです。

うしろの正面

2008年05月22日 | diary
先日、いつもお邪魔していたブログに行ったら閉鎖されていた。何の前触れもなく、突然。
情報系のブログなのだが更新頻度が少なくて、場合によっては数ヶ月まったく更新されないときもあったけど、それでも週に一度は覗いてたので何の告知もなくいきなり閉められてしまうのはかなり淋しい。パスワード請求制の会員制ブログだから読者のアドレスは全部ブロガー側で把握しているハズだし、いくらでも告知のしようはあったろうに。
ここのブログも今月旧アドレスから引越して来たばかりだが(引越し作業まだ終わりません。すみませんすみません)、移転閉鎖の告知は3月末からアップしてある。今月末でブログそのものは閉めるけどメッセージフォームだけは年内いっぱい残しておくので、もし3月以来覗いてない人が6月以降に覗きに来ても、意志さえあればここに辿り着けるようにはしておく予定である。

本来なら移転先のアドレスも旧ブログ上に告知しておくべきなのかもしれない。
でもそれはぐりにはできなかった。細かいことはいちいち説明しないけど、旧ブログに関していろいろと疲れることがあって(しかも長期にわたる)一時はブログそのものをやめようかと考えたこともあり、今回の新ブログは会員制にはしないまでももっとこそっと地味にやろうと思ったからだ。なのでここのアドレスはどこにも投稿してないし、ランキングサイトなどにも参加はしていない。
ぐりは純粋に自分のためにブログをやっている。でも読んでくれている人のこともちゃんと意識して書きたい。ただ意見や情報を無目的に垂れ流すのではなく、できることなら、読む人を啓発したり挑発したりすることで、多少なりとも何かがぐり自身に返って来ることを期待している。虫のいい考え方かもしれないが、そもそも意見を表明することはそれそのものが目的とはなり得ないのではないだろうか。

そういう意味でぐりは「発言者の顔のみえない意見」というものはあまり信用しない。まったくということはないけど、せいぜい話半分以下としてしかとらえない。
ネットでは匿名で誰でも何でもいい放題だしそれがネットのいいところだと思う人も多いと思うけど、ぐりは全然そうは思わない。だから某巨大掲示板とかいっさい見ないし、ああいうものは世の中になくてもいいと思っている。趣味娯楽の延長としてあっていいとしても、あの手の超匿名大衆の空騒動にいちいち振り回されているメディアのアホさにはほとほとうんざりする。
ぐりがそう思うのは、どんな意見も発言者その人個人の価値観や経験や考え方などの裏づけがあって成り立つはずのものだし、その裏づけを無視して意見の意義を判断することなどほぼ不可能だからだ。ぐりがTVや新聞よりも雑誌やノンフィクション本の情報を重視するのはそのためだ。TV新聞などの巨大メディアの報道・意見には顔がないけど、雑誌やノンフィクション本なら著者の顔が見える。著者がなぜそう考えそう書くのか背景を知ることができて初めて、ぐりはそこに書かれた情報の価値を判断できる。
同じように、本や映画のレビューブログでも結果的にブロガーの顔、人となりがわかるブログが多くブックマークされている。名前や顔かたちがわからなくても、年齢層や生活背景や趣味がわかればわかるだけ、ぐりの中でそこに書かれた記事の価値は高くなる。

ぐりのブログにもときどき自分のことを書いている。以前ほど多くはないけど、ときどきは書く。
それは単に、自分の顔を隠して一般論を偉そうに主張することのしらじらしさがどうしても堪えられないからだ。そんなもの読みたくないという人も中にはいるだろうけど、世の中にはもしかしたらぐりと同じように思う奇特な人もいるかもしれない。
旧ブログには「映画のことだけ書いてりゃいいのに」なんてコメントをわざわざ投稿してくださる読者の方がおられて(しかも複数)度胆を抜かれましたが、ほっといてください。あたしのブログなんだから好きなこと書かしてください。
気に入らないのに読みに来ていただく必要ありませんからねえ。お互い時間のムダでしょう。ははははは。


米独仏中合作映画『John Rabe』より、張静初(チャン・ジンチュー)。
この映画撮影は終わってポストプロダクション中だそーですが、カンヌのマルシェには出てんのかしらん?
原作は南京大虐殺(あるいは南京事件)当時市内に住んでいたドイツ人ジョン・ラーベの日記『南京の真実』。出演はウルリッヒ・トゥクール(『善き人のためのソナタ』『ソラリス』)、ダニエル・ブリュール、スティーヴ・ブシェミ、張静初、香川照之、柄本明、井川東吾、ARATA、杉本哲太など。
日本でも公開、してよね〜〜。映画祭とかイベントとかでもいいからさ〜〜。

第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭2008後援 映画『後悔なんてしない』主演2人が来日!
おっと今年は拡大開催!ますます楽しみじゃないですか〜。
でもやっぱり今年もSKIPシティ国際Dシネマ映画祭と日程カブってるのね・・・。うーむ。

続続まつりじゃ

2008年05月21日 | diary
『赤壁』やら『新宿事件』やらのお披露目で盛り上がってるカンヌですが。

ジョン・ウーの次回作は中国の恋愛映画
張震(チャン・チェン)、呉宇森(ジョン・ウー)に気に入られてるのね。『天堂口』『赤壁』と続いて3連投だもんね・・・ではなく。
脚本家の名前ですよ。また「ワン・ホリエン」になってる。どー考えても「ワン・ホエリン(王[廾惠]玲)」の間違いなのに。って細かいですか?

けどコレには誰もが大声でツッコミを入れたに違いない。
「楽園の瑕」リニューアル版上映、トニー、カリーナがレスリーを回顧―カンヌ映画祭
あのー、地元香港ですら途中退場者が続出してものの数日で上映が打ち切られた映画の興業成績のどこをどう押せば「大ヒット」になるんでしょー?それともぐりが知らないどこかの国で「大ヒット」してたりすんのかしら?不勉強でごめんあそばせ。
誤解のないよういっときますが、ぐりは『楽園の瑕』大好きです。王家衛(ウォン・カーウァイ)作品では『ブエノスアイレス』『欲望の翼』と同じくらいのお気にです。批評家の評価もすごく高いし、いい映画には違いはないです。
けどこーゆーテキトーな大ウソ記事ばっか書いてる媒体が、メジャーポータルサイトに胡散臭い記事を堂々と大量配信し続けてるのはしょーじき気分よくないです。芸能記者なら映画ぐらいまともに見とけっつの。
まあ、同じニュースでやっぱり「大ヒット作」って書いてる記事は他の媒体でもあったけどね。

またバラエティから。
日本・香港・ブラジル合作“Plastic City”撮了
コレ、記事には書いてないけどオダジョーが出てるやつだよね。確か。オダジョーはこの後は中国に行って田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)の『狼災記』に出るとな。『非夢』に続いて3本連続海外登板。海外でオダジョーブームでも起きてんのか。あ、そーいや彼英語喋るんだもんね。それもあるか。
最近日本の俳優が海外作品に出るケースが多くなったけど、これはたぶん日本のマーケットが海外の映画界からみて魅力的だからじゃないかと思う。日本は映画館の入場料が生活水準と比較すると世界一といっていいくらい高額なので、ひとつ当たれば利益も大きい。邦画のリメイク権がやたら売れるのもこのせいじゃないかと思う。とにかく日本と関係してれば日本で配給はつきやすいし、客も集めやすいから。
ただ日本の俳優にとっては理由はどうあれチャンスはチャンスなわけだから、第二第三の渡辺謙目指してがんばってもらいたいもんです。

しかしどんどん海外進出する俳優たちと比べたら、日本の配給会社はどーしたの?鎖国でもやっとんのけ?
カンヌのマルシェではそろそろめぼしい作品のセールス状況が発表されてるけど、日本の会社名はなかなか見当たらない。前に某評論家が「日本の配給会社のやつら英語わかんないから」なんて冗談めかして笑ってたけど、まさか英語字幕読めないから買い付けできないなんてことないよね?ははははは。
もしかして海外での成績みてから買うのかしらん?そらいっつも日本だけ公開遅いわけだわ。『Milk』『A Serious Man』とか早く観たいんですけどー。


『Plastic City』の撮影風景。グリーンバックですかい。

ぐりメモ。
だいあろ~ぐ:東京彩人記 「一水会」顧問・鈴木邦男さん /東京

明るいほうへ

2008年05月20日 | book
『そんなはずない』 朝倉かすみ著
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こないだ読んだ短編集『肝、焼ける』の朝倉かすみの長篇小説。
松村鳩子は30歳の信金職員。両親に引きあわせる当日に婚約者に逃げられ、その矢先に勤務先の信金が破綻する。やがて彼女は妹・塔子を通じて5歳年下の午来新太郎と知りあうのだが、彼はそれまで鳩子が交際して来たどの男とも違っていた。
『肝〜』と同じく、北海道を舞台にしたブラックラブコメディかな?これは。微妙にサスペンスタッチでもあり、たいへんおもしろかったです。

25歳で結婚、ふたり子どもを産んで社会復帰して、夫が定年したら海外に移住して100歳まで平和に暮す、というのが主人公15歳のときの人生設計だった。
中学生の処女の考えることだからたわいもない夢でしかないけど、30歳になっても鳩子は何やら形式ばった「設計」にこだわっている。結婚願望はあってもそれは自分が結婚することが大切なのであって、相手がどうとかお互いの気持ちがどうとかいう、本心本音の部分はあまり重要視していない。
これってありがちなことなのかしらん?ぐりにはイマイチぴんとこないんだけど。結婚願望もほとんどまともにもったことないし、周りにもそういう女友だちはいなかったし。
だが鳩子は午来新太郎にめぐりあって少しずつ変わっていく。午来くん自身は小説の中には何度も出てこない。本人が直接的に鳩子に働きかけるということはあまりないのだが、彼との些細なやりとりが鳩子の中で化学変化を起こし、彼女自身気づかないうちに、本物の恋心を燃え上がらせていく。
そういう女心の成長が、リアルに生々しく、それでいてぴりりとクールに描かれている。これはおもしろいですよ。今までこんな小説ちょっと読んだことなかったかも。

『肝〜』もそうだったけど、この小説にも官能的な描写がじつにうまく利いている。露骨なようで露骨過ぎず、それでいってしっかりとエロいんである。ほんの数語で女の肉欲を実にあざやかにかつドライに表現していて、読んでいて何度も参ったなと思った。上手い。上手すぎる。
もっと参ったなと思ったのは主人公と家族との関係である。鳩子と塔子はみっつ違いのふたり姉妹なのだがまったくキャラが違っていて、ひとつ屋根の下に親といっしょに同居していてもさほど仲のよい間柄ではない。といって仲が悪いわけでもない。鳩子の方はいつも気ままに自分の好き勝手している妹をどこかで羨みつつ、つかみどころのない娘だと思っている。要するに人間として家族として信用していない。だから肝心の塔子の方で姉をどう思っているかなど考えも及ばない。というか妹の気持ちになど興味がないのだ。それと同じように、両親の思いにも彼女は興味がない。つまり傲慢なわけである。
ここのところは読んでてけっこうイタかった。ぐりも長女で妹がいて、鳩子と同じように、彼女たち(うちの場合は2名)の気持ちなんかまったく理解不能な関係だからだ。ぐり自身にも鳩子のように傲岸不遜なところがあるのは否定しようがない。うぬ。
妙な話だけど、もっと妹と仲良くした方がいいかもなんて思ってみたりもしましたです。

続まつりじゃ

2008年05月19日 | diary
カンヌ国際映画祭、今年はドル安ってこともあってイマイチ盛り上がってないらしーですねー。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の出品作『二十四城記』(予告編)は大地震のあった四川省が舞台とゆーこともあって、祭りムードどころじゃなくて気の毒ですし。

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コチラはウディ・アレンの新作『Vicky Cristina Barcelona』の予告編。噂のカップル、ぺネロぺ・クルスとハビエル・バルデムが夫婦役で共演は近年のアレン作品のミューズ、スカーレット・ヨハンソン。おもしろそー。チョー観たい。けど日本公開はいつになるやらだわ。

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これはなんと原作者がマフィアから命を狙われているといういわくつきのイタリア映画『Gomorra』の予告編。
イタリアン・マフィア、こええ・・・。けど観たい!日本で公開されるかなー。

なんかここ最近、「本読む」「映画観る」「ネットする」「散歩する」以外のことを何もしてないような気がする。
それはいいんだけど、それでマンゾクしちゃってる自分がちょっとコワイ。他のことはどーでもいい。ヤヴァイ。ヒッキーまっしぐら。