落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

シッコじゃない

2008年05月18日 | book
『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』 多田富雄著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4791763629&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

2006年4月8日の朝日新聞に掲載された「診療報酬改定 リハビリ中止は死の宣告」という記事を覚えている人は今どのくらいいるだろう。
この免疫学博士多田富雄氏は日本中に大反響を呼んだこの記事の発表後も、リハビリ医療制度改悪の不合理を訴えて各雑誌・新聞に寄稿を続けた。この本は2007年7月までのそれらの記事12編(未発表分含む)をまとめたもの。
12編はそれぞれ別の媒体に書かれたものなので内容に重複部分もかなりあるが、時間経過とともに変化する現実も相応に反映されてはいる。
けど読み終わってから「もしかしてこれ、最後の1本だけ読めば全部わかったかも?」と思わないでもなかったですが(爆)。

正直な話、リハビリの経験がない人がこの本を読んでどのくらい実感がわくものなのか、客観的にはよくわからない。
ぐり個人は過去に軽い運動機能障害で10ヶ月間リハビリを受けた経験があり、最終的に完治はしなかったものの、当時は心底藁にもすがる思いで通院していたことを昨日のことのようによく覚えているから、180日までしかリハビリできないなんて制度は理不尽を通りこして国民への嫌がらせとしか思えない。
この制度を考えた人は想像力をリハビリした方がいいです。ちょっとでもまともな想像力があったら、こんな残酷なことができるわけがない。もし出来るとしたらその人に人間の心はないんじゃないかと思ってしまう。
けどそれはぐりにリハビリ医療を頼った経験があるからそう思うのかもしれないし。

リハビリ診療に発症から最大180日までの日数制限が設けられるこの制度が施行されたのは2006年4月。同じ日に障害者を「保護」から「自立を促す」という方針に転換した障害者自立支援法も施行されている。この4月からは後期高齢者医療制度の施行も始まった。
日本の医療制度は加速度的に弱者排除の方向に向かっている。弱者を排除する社会が行きつく先など想像もしたくない。そんな社会が平和で豊かな世の中であるはずがない。これだけは勘違いとか主観とか考え方とかそういう理屈ではなく、純粋にそう思う。
そもそも医療とは、怪我や病気や障害と戦っている社会的弱者のためにあるものではないのか。その医療から弱者を排除する制度は、医療の基本理念そのものに反しているとしかいえない。
ホントにこの国の政府と官僚はいったい何がやりたいのか、ぐりには皆目理解できませんです。

関連ブログ:
医療破壊・診療報酬制度・介護保険問題を考える

関連レビュー:
『誰が日本の医療を殺すのか 「医療崩壊」の知られざる真実』 本田宏著
『シッコ』

さらば友よ

2008年05月17日 | movie
『マンデラの名もなき看守』

1962〜90年の28年間、国家反逆罪で収監されていた南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)。
マンデラの故郷に近い地域の出身で彼らの部族の言語を解するグレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は68年から釈放までの20余年にわたってマンデラ担当の検閲官をつとめた。後に出版された彼の回顧録『Goodbye Bafana』を映画化したのがこの作品である。
Bafanaとはグレゴリーの黒人の幼馴染みの名前。

グレゴリーはもともとごくふつうの南アフリカ人だった。大多数の南アフリカの白人同様、白人と黒人は分離されて暮すべきで、白人だけに与えられた利権は神の意志によるものと当然のように考えていた。仕事は仕事、大切なのは家族を守ることと昇進。とくに理知的でもなければ野心家でもない。どこにでもいる平凡な小役人である。コーサ語が話せるという特技を除けば。
物語の中でも彼はとりたてて活躍はしない。変わったことは何もしない。黙って自らの心に忠実に働いていただけだ。彼が南アフリカの民主化に寄与したことなどほぼ皆無に等しい。彼がしたことはすべて、少しの誠意さえあれば誰にでもできることでしかない。
それでも彼はマンデラと当局両方からの信頼を得た。あるいはそれが、人としての「心」に忠実であること、誠意こそが誰にでも理解しうる強さであることの証明なのかもしれない。

主人公がまったく活躍しないので、映画もさっぱりと盛り上がらない(爆)。良くも悪くもヒジョーに地味な映画です。予告編観ると盛り上がってるみたいにみえるけど、もうほぼアレだけです。あとはとにかくひたすら淡々としている。
まあでも逆にそれはそれでリアルでいいです。悲劇のヒーローがイヤというほど活躍しまくるドラマチックな熱い人権運動物語なんて、今さら誰も共感なんかしないんじゃないかなー。ヘタに涙とか感動とか押しつけられないぶん、素直に好感は持てましたよ。
ただやっぱしね、全体に退屈なのは否めない。もっと主人公の子どもたちを物語の前面に出すとか、構成に勢いを感じさせる工夫は欲しかったです。地味すぎるもん。映画として。地味な割りに中途半端にあざとい演出はちょこちょこ目につくし、結局どーしたいのかがようわからん。

南アフリカは1994年にアパルトヘイト政策を全廃し、民主国家としての歴史を歩み始めたばかりである。
マンデラ氏は釈放されて大統領になったものの既に齢70を過ぎていて、99年には引退している。アパルトヘイトによって荒廃した国土と国民の疲弊は甚大なもので、悲劇的なほどの経済格差やインフラの整備の遅れ、犯罪率の高さや絶望的なエイズ問題など、アパルトヘイトの負の遺産は今現在に至るまでまったく解決の糸口をみつけるレベルにすら至っていない。南アフリカの真の解放への道はまだまだ険しい。
そのことを思えば、この物語が地味なのも納得はいく。マンデラが釈放されたからといって、何もかもすべてめでたしというわけではない。看守はほんとうに、単なる「名もなき看守」でしかなかったのだ。
それにしては奥さん(ダイアン・クルーガー)が非現実的に美しすぎるのはめちゃくちゃひっかかるけどね(爆)。ははははは。

関連レビュー:
『ハートラインズ』
『ツォツィ』
『ルーシー・リューの「3本の針」』
『ぼくもあなたとおなじ人間です。 エイズと闘った小さな活動家、ンコシ少年の生涯』ジム・ウーテン著

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=0747253420&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

この愛のすべて

2008年05月16日 | movie
『CLEAN』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00005JOAY&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

爆音映画祭前夜祭での鑑賞。吉祥寺バウスシアター、めちゃひさびさに行きましたよ。このために。10年ぶりくらい?ビックリするくらい変わってなかったけど。
『CLEAN』は2004年の作品だが、その年のカンヌ国際映画祭で張曼玉(マギー・チャン)が主演女優賞を受賞したせいもあって配給権が高騰してしまい、結局日本では公開できなかったという気の毒な映画である。ぐりも非常に楽しみにしていたので今回ビデオ上映でも観られてとても嬉しい。画質も音質もかなりひどかったが、この際ゼータクはいいません。ハイ。

物語はカナダのある地方都市から始まる。
エミリー(マギー)は旅先でスランプ中のミュージシャンの夫(ジェームズ・ジョンストン)と言い争いになり、クルマの中で一夜を過ごして明け方モーテルに戻ってくると、救急隊や警官が群がっていて室内では夫がオーバードーズで死んでいた。その場でエミリーも違法薬物所持で逮捕。半年後に刑期を終えた彼女は夫と出会う前に住んでいたパリに移り、生活を立て直そうとする。すべては夫の実家に預けた息子(ジェームズ・デニス)と再び暮すためだった。

テーマは「回復」、あるいは「復活」とでもいおうか。
しょっぱなからヒロインはいきなり何もかもをいっぺんに失ってしまう。夫。自由。子ども。思い出、夢、キャリア、ドラッグ。
映画はそこから彼女が生きる道を捜して必死に這い上がろうとする姿を、実に生々しくヴィヴィッドに描き出す。そこに安い涙や愁嘆場はない。ドラッグで人生をダメにしてしまったら何が待っているか、そしてそれを克服するのがどれほど厳しくつらいものかを、ただただ淡々と静かに語っている。
幸いなことに彼女には音楽の才能と、そして友人と家族がいた。べたべたと甘ったるい友情や家族愛ではなく、差し伸べられた手をそっと握り返すような爽やかな人間愛。抱きしめて髪を撫でて「大丈夫よ」なんていう人は出てこない。ほんとうにヒロインを慰めることができるのは死んでしまった夫だけなのだ。でもそれ以外にも周囲の人にできることはある。
逆境にある女性への応援歌とでもいえるような物語だが、メロドラマによくあるムダな暑苦しさがまったくないのがいい。きりりと鋭く引き締まったスリリングなストーリーに時折、人の優しさや弱さ、脆さ、希望の淡く儚い光が、かすかに利かせたスパイスのように差し挟まれる。オシャレなシナリオである。
人間はその気さえあればいつでもやり直せる。くよくよと泣いて自分を憐れんでいてもしょうがない。どんなにつらくても悲しくても淋しくても、自分自身を信じることなら誰にでもできる。言葉にしてしまえば陳腐だけど、そんなメッセージがシーンごとに強烈に伝わって来て、観ていて何度も涙が出た。感動しました。こんなに感動するなんて、自分でも意外なくらい。

画面からはヒロインに対する溢れんばかりの愛が眩しいほどにほとばしる。いや、これはマギーに対する愛なのだろう。
監督のオリヴィエ・アサヤスはこの映画を撮影した当時既にマギーとは離婚していたはずだが、この作品を観ていると、結婚だけが男女の愛の結論ではないことを思い知らされる。互いの才能を認めあい、最大のリスぺクトを以て与えあう愛もある。
そんな監督の愛に相応しく、やはりマギーは素晴しい。ブラボー。てゆーかこのエミリーはもうマギー自身にしかみえない。演技してるよーにみえません。ハマり過ぎて。
この映画は初めはカナダ、次にフランスに舞台が移るのだが、劇中で彼女は英語とフランス語と広東語を喋っている。彼女この他に北京語も話せるけど、3ヶ国語はトライリンガル?4ヶ国語を喋る人はなんていうんだっけ?
夫の父親役はニック・ノルティ、パリの友人役にベアトリス・ダル、元カノ(!)役はジャンヌ・バリバールなど、メジャーなスターもけっこう出てるし、カナダ・イギリス・パリ・アメリカと4ヶ国でロケしてるし、たぶん見た目以上に大作なんだろうと思う。そら配給権も高くて当り前だわな。
ポンポンポンポンと弾むようなテンポで展開していくストーリー構成と、不安定なヒロインの心情に沿ったフレキシブルなカメラワークも秀逸。マギーの歌声もシブくてクールでしたです。

まつりじゃ

2008年05月15日 | diary
カンヌ国際映画祭が始まりましたが。
今年はオープニングの『ブラインドネス』(11月公開なのにもう公式HPがあって予告編が観れる。こちらの記事の予告編は別バージョン。コレ映画そのものはオモシロそーだけど、伊勢谷氏の演技に激しくアレルギーを感じるので今から観るのがコワイ←じゃあ観るなや)ぐらいしか日本関連のネタはないから、マスコミはあんまし盛り上がってないみたいですね。あと『トウキョウソナタ』と『TOKYO!』もあるけどコレはコンペじゃないし。日本のマスコミは賞しかキョーミないもんね。
ただ、今年は応募数が多くて本選ノミネートの発表が1週間ズレたとゆーこともあり、おそらく日本以外の各国のマスコミの盛り上がりも例年に比べるとちょっと遅れてるんじゃないでしょーか。
ぐりの盛り上がりもまだ全然です。ハイ。


駅ビルの花。


インティファーダ

2008年05月14日 | book
『パレスチナが見たい』 森沢典子著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4484022176&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

2002年3月に3週間パレスチナを訪れた日本人女性の手記。
著者の森沢典子氏はジャーナリストでも社会活動家でもない。2000年までは幼稚園の先生をしていた。2001年の9.11をきっかけに、かねて親交のあった広河隆一氏『パレスチナ1948 NAKBA』)を頼ってパレスチナを訪問することを決意、単身でイスラエルに渡った。
滞在期間も長くはないし、彼女自身イスラエル・パレスチナ問題の専門家でもない。だからこれはドキュメンタリーとかルポルタージュとか、そんな大袈裟な本ではない。イスラエルとパレスチナの宗教問題や歴史、政治についてもいっさい触れていない。あくまでもふつうの一般市民の目から見た旅行記、見学記というレベルの内容にとどまっている。

だがその旅路のなんと悲惨なことか。
イスラエル軍は授業中の学校を爆撃し、救急車を襲撃している。病院に献血にきた人々の列まで砲撃する。無抵抗の一般市民を何百人も連行して拷問する。女性も子どももお年寄りも海外ジャーナリストも容赦なく殺す。生活道路が何重にも封鎖されているため、食糧や医療品など生活に必要な物資の流通が著しく滞っている。市庁舎も警察も空港もイスラエル軍にめちゃめちゃに壊されている。犠牲者たちの墓は荒らされる。農園の隣には核兵器工場が建てられ、周辺住民にははっきりと健康被害が出ている。
パレスチナで起きていることは、そのまま63年前までヨーロッパ各地のユダヤ人たちに対して行われていたこととまったく同じである。ないのはガス室くらいなものだ。両親や祖父母がナチスにされたのとまるっきり同じことを、イスラエル人がパレスチナ人にしている。
どうしてそんなことができるんだろう。
意味がわからない。

この本に書かれているのは、パレスチナで起きていること全体からすれば、ほんの一部のそのまた断片くらいのものかもしれない。
でも、彼女のようなごくふつうの、なんでもない一般の女性が一般観光客として観て来た現実だからこそ、日本にいる一般市民のキャパシティに見合うだけのレポートにまとまっているところに、この本の存在意義がある。
宗教や歴史や政治はこの際はっきりいってどうでもいい。それは、この問題を他人事にしておくための言い訳にしかならない。
人間として、あたたかい血の通った、生きた魂をもった者の道理として、こんな犯罪は決して許されるものではない、という誰もが感じるはずの思いを、パレスチナ人もイスラエル人も日本人も国境や民族を超えたすべての人が共有することに、何の条件も理由も必要ないのではないだろうか。ぐりはそう思う。
分量的にも気軽に読めるやさしい本です。文章もごく平易で、たぶん中学生くらいなら充分理解できると思う。オススメです。

関連作品:
『パラダイス・ナウ』
『ビリン・闘いの村』
『ミュンヘン』(原作:『標的は11人─モサド暗殺チームの記録』